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111話〜120話 柴田学園大学短期大学部 学長 島内 智秋 |
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[その111]
●「地域のお祭りと子どもの成長」その3 最終日の七か日(なのかび)には、子どもたちが楽しみしていることがあるのです。 地域の観光ホテルの大広間を貸し切って、そこで全員でカレーライスを食べること、そのあと大浴場に入れること、そして、がんばった係ごとにご褒美をもらえることです。 このご褒美は、太鼓や笛係には1500円、掛声係は1300円、運行係も500円はもらえます。 2000円の会費の中で、毎回のねぶた運行後に子どもたちにお菓子やアイスをあげているほかに、このご褒美がもらえます。 カレー代や大広間の貸し切り代などもかかっているはずなのに、まかなえているのか心配になるくらいです。 お父さん方は、ねぶたのために自分たちも会費を納めてくださっていることがわかり、尋ねてみると「子どもたちが喜べばそれが一番うれしいんだ!」と話してくれました。 それとともに、もしも自分だけがよければいいという人が多くなり、感謝の気持ちも持てない子どもが大人になったとき、ねぶた祭りはなくなってしまうのではないかと危惧しました。 今この感動が新たなうちに、子どもたちが周りに支えられていることに感謝する心、自分たちも大人になって地域のために頑張りたいという気持を育てていこうと思いました。 各地域の祭りは、こうした心からの支援があって今もなお、脈々と受け継がれてきていることに日本人の温かさやよさを改めて感じました。 そして、地域の皆さんや、今に至るまで受け継いできてくれたたくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。 [その112] ●「雪遊びでダイエット!?」 大みそかの夜、年越しのお料理を食べ終え、これからゆっくりという時に次男から「お母さん! 雪だるま作ろう!」とのお誘い。 面倒だな〜と思いましたが、せっかくのお誘いなので、完全装備になりいざ外へ! 年越しだというのに、これでもか〜というぐらい雪が降ってきます。 雪の多さに圧倒されて家に入ろうとかと、とまどっている私に容赦なく雪玉が何個も命中します。 さすが野球部のピッチャーと感心。 負けるものかと、思い切り雪玉を投げてみるものの全く当たらないどころか、届きもせず、10分もしないうちに汗びっしょりになりました。 「こうさん」とあっさり負けを認め、雪遊びの第一部は終了。 そして第二部は本命の雪だるまづくりです。 小さな雪玉をころころ転がして、それに雪がくっついていき、少しずつ大きくなっていきます。 初めは一人でもできますが、そのうちに一人では転がせないほどの大きさになります。 二人で力を合わせて胴体になる大玉の上に顔になる部分を載せます。 「よいしょ!よいしょ!よ〜いしょ!!」「やった〜!!」とハイタッチです。 目をジャガイモ、鼻は人参、口にはちょうどいいカーブのサツマイモで、にっこり笑った顔になりました。 何か足りないというので、赤い絵の具でボタンを三つつけて完成しました。 雪遊びを終えて次男は「お母さん、雪だるまを作れば雪かたづけしなくてもいいし、楽しいから毎日やろうね。もっと雪が降ればいいね」と言いました。 息子に言わせれば雪かたづけにもなるし、雪遊びは楽しいし、一石二鳥というところなのでしょう。 こんな考え方をすると、雪の見方も変わって、楽しくていいんだな〜と息子から教えられました。 そして私も、もしかして毎日こうして汗をかいて雪遊びをすると、ダイエットにもなり、一石三鳥になるかも!と痩せた自分を想像して、心の中でにんまり笑い、次の日の雪遊びも約束しました。 翌朝、多少の筋肉痛があり、日ごろの運動不足を猛反省。 今年は雪遊びでダイエットするぞ〜と新年に誓いました。(三日坊主で終わりませんように) [その113] ●「エコにしたくないこと」 保育現場にいたときに、心がけていたことの一つは、子どもの前で親を褒めることです。 「○○ちゃんのお弁当のハンバーグおいしそうだね。お母さん、お料理上手なんだね。先生、作り方教えてほしいな〜」とか「△△ちゃんのお母さん、いつ もがんばりやさんだね」(また、お弁当がいつも見事なんですよ。キャラクターのお弁当とか。すばらしいんです)と、よく子どものお母さんを褒めるようにし ました。 なぜなら、お母さん(特に専業主婦の場合)は毎日とても頑張っているのに、だれかに褒められることがあまりないからです。 そして、毎日、当たり前に身の回りのことをやってもらっている子どもたちに、改めてお母さんの頑張りや、良さに気付かせて感謝の気持ちや、お母さんを尊敬する気持ちを育てたいと願ってしていたことです。 子どもに親を尊敬する気持ちがあってこそ躾はできます。 家族の中にお互いに尊敬する気もちや、認め合う気持ちを大切にしたいものです。 また、近くにいすぎて見えにくいときには、気づくきっかけに、地域の大人や先生も大いにその役割を発揮できればいいのではないかと思います。 子どもの友達をその子の親の前で褒める。 また親のことをその子の前で褒めるということをしていくと、「お父さん、先生に頼りにされているし、他のお母さんにもお父さんのこと、いいお父さんだっ て言って褒められた。なんかお父さんってすごいんだな〜」とか、「お母さん、僕が褒められたらすごくうれしそうだったな〜」「うちの子、他のうちに遊びに 行けば案外と片付けや挨拶もちゃんとしているし、小さい子にも優しくしている、いいところがあるんだわ!」と見方が変わり、お互いがいい関係になっていく きっかけになりますね。 無駄を省くエコの世の中ですが、気持を通わせるための言葉やコミュニケーションは、時代が変わってもエコにしたくないものの一つですね。 [その114] ●「不況、不況というなかで」 不況・デフレという状況の中で、家庭をきりもりしているお母さん(お父さん)は、苦労を余儀なくされているでしょう。 周りに流されずに、正しい情報を得ながらも身の丈に合った生活をしていくことが大事になってきますね。 そのためには「正しい情報をもとに必要・不必要をしっかり判断すること」、「今あるものを大切にすること」、そして「子どもに見栄を張らないこと」です。 「正しい情報をもとに必要・不必要をしっかり判断すること」では、例えば、クラスに数名携帯電話を持っている子がいるときに、もちろん子どもは欲しがりますが、そこで安易に与えないことです。 どうしても必要な家庭の事情がある場合は別ですし、防犯のために持たせることもあるでしょう。 でも持つことの弊害もあるのです。 ネット上でのいじめ、出会い系サイト等々、枚挙にいとまがありません。 そこをわかった上で、しっかり親子で話し合い、決めていくことです。 次に「今あるものを大切にすること」では、こづかいをこつこつためて、ほしいものを手に入れた喜びからは、物を大切にする心が育っていくでしょう。 ようやく手に入れたものが壊れればなおしてみる、それでだめならどうしたらいいか考えるということを子どもと一緒にやっていくべきなのではないでしょうか。 ルソーは有名な著書『エミール』の中でこう言っています。 「諸君の気むずかしい子どもは触るものは何でも壊してしまう。その場合に、諸君は怒ってはならない。子どもが壊しそうなものは皆子どもの手の届かない所へ やっておくがよい。子どもが自分の使っている道具を壊したら、すぐに代わりのものを与えないで、それがなくなったことの不便さを子どもに感じさせてやるが よい。もし、子どもが自分の室の窓を壊したら風邪をひいてもかまわないで昼も夜も風が入り放題にしておくがいい。子どもが馬鹿になるよりは風邪をひいたほ うがましだからだ」。 これは極端に見える一例ですが、教え込むよりも子どもが自分で考えて判断しなければならない状況をつくり、経験や行為によって子ども自身が事物に即して学ぶことを主張しています。 最後に「子どもに見栄を張らないこと」では、親は子どもがかわいいと思っているから自分の欲しいものを我慢してもなんとか買ってあげようとします。 でも子どもは、いくらでも欲しいものを買ってもえるようであれば、我慢しなくなります。 それは例えば、景気がいいときにたくさんなんでも買ってあげていて、仕事状況が悪化して買ってあげられなくなったからといって、子どもはその欲求の出し方を変えるものでもないのです。 子どものために借金までしてしまう親もいますが、本当は子どものためにはなっていないのです。 子どもにもきちんと向き合って話をすればわかります。 子どもに見栄を張らないで生活をしっかりしていきたいものですね。 この三つをしていくと、子どもはしっかり見ていて、自分たちが大人になったときに、そこからまた家庭経営に必要なことを自分の経験から思い起こしてやっていくのではないでしょうか。 実はこうしていく方が子どもためにもなるし、親自身のストレスをかなり軽減できることに繋がると思うですが…いかがでしょうか? [その115] ●「愚痴は喜んで!」 新年度のスタートはあわただしく、子どもたちも新入学、進級と新しい環境に慣れるまで少し緊張しながら過ごすことになります。 「仲良くなれるかな?」「新しい先生はどんな先生なんだろう」など、たくさん心配なことがあるものです。 こうした中にいる子どもは、ストレスを抱えて、家に帰ることになります。 そうした子どもが家に着いてホッとして言いたくなるのが愚痴なのではないでしょうか。 この時の受け止め方が肝心! 「よしきた!みーんな聞いてあげる」とドンと構えて聞いてあげましょう。 「学校に行きたくない」「先生がいやだ」など、いろいろなことをいうでしょう。 緊張感から解放されてホッとしたからこそ、なんでも言えるのです。 しっかり聞いてあげましょう。 こうして聞いているうちに、徐々に新しい環境に慣れて落ち着き、愚痴ばかりの話から今日一日あったことなどを話すようにもなっていきます。 そして、家に帰ってからなんでも話をするようになっていくでしょう。 ところがその愚痴を言われた時に、その一つ一つに「学校に行かなきゃだめでしょ」「先生がきらいだなんて!あなたがなにか悪いんじゃないの?」などと叱っていくと、子どもは家に帰っても聞いてもらえないと思ってしまします。 ホッとしてなんでも言える場所がなくなってしまうのです。 親はこの時期、子どもの一つ一つを受け止めていきたいですね。 受け止めながら子どもが乗り越えて成長していくまでを、ゆっくり見守っていきましょう。 その根気強い見守りが親としての自分を成長させていることに気づく時がまたくると思います。 新しいスタートは子どもも親も成長できるチャンス! 元気を出していきましょう! [その116] ●「ルールやマナーはだれのために?」 世の中にはたくさんのルールやマナーがあります。 学校に入れば「校則」、会社に入れば「社内規則」、その他に「法律」など、さまざまな決まりやマナーがあります。 なんとなく、それに縛られていると感じたり、不自由に思うかもしれません。 でも、それがなかったらどうなるでしょうか? 信号がなかったらどうなるのか…順番を守らなかったら…学校の決まりを守らなかったら…、ルールやマナーは、人が快適に過ごすための先人の知恵であると思うのです。 この一つ一つの訳をといて、これがある理由、なかったらどうなるのか、守るといいことなどをきちんと子どもに伝えたいものです。 できればそのタイミングを逃さずに! なぜなら、その方が子どもの心にすとんと落ちるからです。 教えるチャンスは生活の中にたくさんありますよ。 [その117] ●「いじわるしたくなる心には」 子どもはさみしい気持から、いじわるにつながることがあり、十分に愛情で満たされていないからいじわるしたくなるのではないかと思います。 いじわるしている子に限って、親の前ではお利口さんであることが多いように思います。 だから親は、他でしていることを知らないし、聞いても信じない。 家では多少の甘えやわがままを言って、外面(そとづら)がいいほうがまだ健全だと思うのですが……。 私の場合、地域の人、同じクラスの親同士、同じ部活動に入っている親同士と、親からは見えない我が子の意外な話を聞くことがあり、ありがたいと感謝することが多いのです。 いいことも悪いことも、話してもらえると、子どものことを知ることができて嬉しいものです。 その言われたことは非難でも批判でもなく、その子をなんとかしたいし、いつでも力を貸すという思いから言ってくれているからです。 どうでもよければ、自分はいい人のままでいたいので、言ってくれないものです。 言ってくれる人とこそ、本当は一緒に悩んで考える仲間になっていけると思います。 陰で悪口を言う人よりうんとありがたく,話してくれた人には感謝の気持ちを伝えたいと思います。 人と人は、好調な時よりも一方が悩んだり苦しんだりしている時の方が結びつきやすい。 そしてまた逆の立場の時に、恩返しをしていくといいのです。 そんな人と人の結びつきを大切にしたいと思うのです。 [その118] ●「7つの『コ食』は子どもの成長のさまたげに」 食事が子どもの成長に関わっていることは多くの人が知るところです。 朝食の大切さに至っては、コマーシャルでも肥満防止、学力向上にもつながるなど、いいことづくめであることが伝えられています。 反対に子どもによくない食については、あまり意識していない人も多いのではないでしょうか。 子どもによくない食事に7つの「コ食」があると言われていて、それは「個食」「孤食」「粉食」「固食」「子食」「濃食」「小食」だそうです。 「個食」は、同じ食卓に家族がついてもみんな違うものを食べていること。 「孤食」は、一人で食べること。 「粉食」は、パスタやパンなど、粉から作られるものばかり食べること。 「固食」は、同じものばかり食べること。 「子食」は、子どもたちだけで食べること。 「濃食」は、濃い味つけのものばかり食べること。 「小食」は、食事の量が少ないこと。 子・個・固・粉食は、好きなものばかり食べるので栄養バランスが偏り、生活習慣病や肥満をひきおこす原因にもなりかねません。 濃食も塩分の過剰摂取の問題だけでなく、味覚障害を引き起こすことになります。 そう言う私にも当てはまるものがありました。 忙しさにかまけて、安易に食事を準備していたような……。 また、子どもが喜んで食べる料理ばかりを作っていなかったか? 好き嫌いを克服させるための食材の調理方法の工夫をしなくなっているような……。 前はゆでたり焼いたりしてみたり、蒸したり、つけ焼きにしてみたりと試していたのに。 私の場合、嫌いなものをわからないように、すって混ぜ込んだり、細かく刻んだりする方法は、騙しているようで好きではなく、それだとわかっても、調理方 法の工夫で「なんだ、案外あまくて食べやすい!」と気付いてほしいのです(けっこう根気がいるんですよね。無理やり食べさせるのがいやで、しかも本人が嫌 いだと思っているものをおいしく喜んで食べさせたいわけなので……)。 非行少年の母親が毎日3食、食事を作り食べさせていく中で、落ち着いていき、母親への感謝の気持ちが表れて更生できたという話も聞きました。 食は単に体づくりのためだけのものではありません。 心も育み、同じ食卓につく家族の絆も深める、心と体と家族関係の栄養源なのです。 今一度、食を見直して、その大切さを家族で再認識したいものですね。 [その119] ●「苦手な人ともかかわろう!」 いろいろな出会いが繰り返されていくなかで、自分と相性があって仲良くしていく人と、ちょっと関わることが苦手と感じる人とに分かれてくることに気づきます。 もちろん、相性のいい人とばかりいると、楽しくていいのですが、ある意味、同じ価値観の似た考え方をもつ人同士の話が多くなります。 人がいろいろな葛藤や悩みのなかで成長していくと考えたときには、苦手な人との出会いこそ、自分の考え方や価値観に刺激を受けて気づき、成長できるとも言えるのではないでしょうか。 苦手な人がいたり、なにかのきっかけで苦手に思うようになったりした場合、苦手に思う理由を考えてみます。 すると、自分の苦手なことやこだわっていること、それは自分に足りないところだったりします。 苦手な人は、自分の状態をはっきり映し出す鏡と言ってもいいのではないでしょうか。 子どもはけんかをして、その直後は、その子のことを「だいきらい」と言ってみたり「もうあそばない」と言ったりします。 しかし、たいていは長続きしないで、すぐに仲良く遊びだしていることのほうが多いものです。 人を受け入れたり許したりする力は、案外子どものほうがあるのではないでしょうか? 子どもから学ぶことをまた一つ見つけました。 子どもと過ごして子どもと一緒に考えていくことは、自分を成長させるチャンスでもあるんじゃないかと思うこのごろです。
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