[青森県内観光]
「 写真エッセイ─あ お も り 心 象 百 景 」
写真・文 山内 正行(編集者/青森市在住)
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あおもり心象百景 その8


合浦公園─Ⅱ 啄木文学碑

 歌人・石川啄木の青森県内にある文学碑を訪ね歩いたことがある。
きっかけは、大間町在住の御仁から依頼された、啄木に関する本づくりだった。
 啄木の文学碑は、県内に5基存在する。
野辺地町、十和田市、八戸市、大間町、そして青森市の合浦公園である。
 同公園のは、海辺の砂浜に建ち、松の木陰に趣深く佇む。
 
船に醉ひて
 やさしくなれるいもうとの
 眼見ゆ津軽の海を思へば

 この歌は、啄木が明治40(1907)年5月4日、妹の光子とともに青森港から船で北海道に渡った際に、詠まれたものである。
 啄木は明治19年、岩手県に生まれ、同45年に東京で没した。
わずか26年間の人生ではあったが、一家離散、借金、恋愛、漂白など、逸話には事欠かない人物である。
 啄木は青森県との縁もそこそこあって、特に野辺地町とはゆかりが深く、3度訪れている。
僧侶の伯父・葛原対月(かつらはらたいげつ)が町内の常光寺の住職であったからである。
啄木の父・一貞(いってい)も一時、この寺に身を寄せたことがある。文学碑は町内の愛宕山公園に建ち、
 潮かをる
 北の浜辺のかの浜薔薇よ
 今年も咲けるや
 と、刻まれている。

 十和田市の文学碑は、十和田湖休屋のホテル十和田荘に、八戸市のはJR八戸駅近くにある。
 残りの大間町の文学碑については、本づくりの話もあるので、稿を改めて紹介したい。
 ちなみに、啄木の墓は、函館市の立待岬近くの高台にあって、筆者も訪ねたことがある。
そこは岬へと続く道路沿いなのだが、前を歩く観光客は誰も墓で足を止めようとしない。
かつてあれだけ函館観光の方便に用いられた啄木も、今は昔なのだと感じないわけにはいかなかった。

 
青森市・合浦公園にある石川啄木の文学碑



合浦公園の文学碑の碑文


野辺地町・愛宕公園にある文啄木学碑


函館市にある「石川啄木一族の墓」


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