[青森県内観光]
「 写真エッセイ─あ お も り 心 象 百 景 」
写真・文 山内 正行(編集者/青森市在住)
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あおもり心象百景 その12


雲谷(もや)スキー場─温故知新

 北京冬季五輪で、我が国の選手が活躍するのに触発され、一文を草してみたい。
 ここに3枚のモノクロ写真を紹介する。
ご年配の方々の中には、きっと懐かしく思うご仁も多いのではないだろうか。
 いずれもスキー全盛時代の青森市の雲谷スキー場の風景。
当時、昭和47年(1972年)開催の札幌冬季五輪が、スキーブームに火をつけたのである。
 この頃、青森市民は、ほんとうにスキーに親しんでいたと思う。
「スキーカーニバルin雲谷」の写真が、そのことをよく物語っている。
 ゲレンデで仮装大会が行われ、大人も子ども参加して、無邪気に楽しんでいる。
 それから雲谷スキー場には、ジャンプ台もあった。
確か50メートル級規模と記憶している。
 公式大会も行われ、最も熱を帯びたのは、県下中学校スキー大会ではなかったか。
 同大会について、少し記録を調べてみると、昭和47年の第22回大会を皮切りに、それ以降十数回にわたって開催されたようだ。
 ジャンプはもちろん、アルペン競技も行われ、県内の中学生チャンピオンを決めた。
同時に全国大会の予選も兼ねていたので、選手たちは、ここ雲谷を踏み台に大舞台へと羽ばたいていった。
 筆者は40年近く前、スキー競技に間接的に関わる機会があり、それをきっかけに、競技ファンになった。
 青森県はかつて、“スキー王国”を自負していた。オリンピアンを何人も輩出している。
 しかし、スキー人口はどんどん減少し、競技力も衰退の一途をたどっているというのが現状のようである。
 雪は、今も変わることなく、たっぷりある。
王国の復活と言えば大袈裟だから、せめて市民こぞって楽しめるような新たな試みはないものだろうか。


昭和45年1月11日、雲谷スキー場で行われたジャンプ競技の様子。
この当時は、両腕を前に伸ばす飛行姿勢で飛ぶ選手もいた



昭和46年1月3日、雲谷スキー場。
頂上には「雲谷スカイランドホテル」が建つ


「スキーカーニバルin雲谷」の様子(昭和39年)


現在の雲谷スキー場

※掲載したモノクロ写真は、いずれも小山内文雄氏撮影、小山内豊彦氏提供


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