[青森県内観光]
「 写真エッセイ─あ お も り 心 象 百 景 」
写真・文 山内 正行(編集者/青森市在住)
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あおもり心象百景 その13


青森市─開港400年

 青森市のまちづくりが開始されたのは、今から約400年前の寛永2年(1625年)、幕府から開港が許可された年である。
 これをきっかけに、「青森村」が誕生する。当時の開港奉行・森山蔵之介弥七郎(もりやまくらのすけやしちろう)が、藩主の津軽信枚(のぶひら)に申し出て、許可された。
 そのことに関して、『青森市の歴史』(青森市発行)には、次のように記されている。
 「藩主の意をくみ弥七郎は、米町に磯馴松(そなれまつ)が生えている小高い森があって、いつも青々として生い茂り、古来からこの森を青森と呼び、漁舟が帰るときの目標になっていたことから、この呼び名を新派立(しんはだち※)の村名にと申し出たところ、信枚はこの村名は末長く栄える良い名であると殊の外喜び、青森村と命名されることになった」
(※派立とは、新しくつくられた村のこと)
 それまでこの地は、「善知鳥村(うとうむら)」と呼ばれた一寒村であったが、この命名を契機に、津軽藩の威光と弥七郎の采配のもとで、港町として目覚ましい発展を遂げていくのである。
 フェリー埠頭、かつての青函連絡船・八甲田丸、オイルターミナルなど、青森市には今現在も、海運に関連する施設が種々存在する。
 筆者も海辺近くに住んでいて、朝方、船の汽笛で目が覚めることが、たまにある。
外へ出てみると、霧が立ち込めているのが常で、つまりその音は、海難防止のための霧笛なのである。
 青森市に生まれ育った妻に、港町としての象徴は、と尋ねたところ、「船の汽笛かな」という答えが返ってきた。
 ボォーーという超低音の響きは、聞く人の心の琴線に共鳴するのだろう。
ましてやそれが、濃い潮の香を伴って漂ってくれば、なおさらである。


朝焼けに船体を染めて出港する青函フェリー


青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸と船舶への鉄道車両搭載のための可動橋跡


沖館川河口東側にあるオイルターミナル


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