[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その4

■四番 紫雲山南貞院(しうんざんなんていいん/弘前市)<1日目>  

○しばし寄り道、庭の美しい「瑞楽園」

 久渡寺からアップルロードを北上し4番札所の南貞院へ向かう。
道路の両サイドに続く薄紅色のりんごの花がちょうど満開で、冴えわたる青い空、堂々とそびえる岩木山をバックに咲き誇っている。
 途中、以前、恵雲さんが見逃したという国指定の名勝「瑞楽園」(ずいらくえん)に立ち寄ってみた。
大石武学流枯山水(おおいしぶがくりゅうかれさんすい)式庭園「瑞楽園」とは、津軽藩政時代に高杉組の大庄屋を代々つとめていた豪農・對馬(つしま)家の書院庭園で、明治23年〜昭和11年の歳月の間、二回の築庭工事の末に完成したものである。
武学流庭園とは、江戸時代末期から津軽地方で隆盛を誇った築庭技法で、豪快な石組みや岩木山を借景(しゃっけい)に組み込んでいるのが特色だ。
 入園料が無料とはうれしい。
まずは天保10年(1839)年に建てられた茅葺(かやぶき)の母屋(おもや)に入ってみた。
朝から暑い日だったが、中は少しひんやりしていて、雨上がりのようなにおいがする。
板の間の台所には囲炉裏や菅笠(すげがさ)、刺し子、年代物の調度品などが展示されていて、奥の蔵へとつながっている。
板の間から座敷へ上がると、ぶち抜きで40畳ほどの和室があり、縁側の窓をあけると、約400坪の庭園が大パノラマで迫ってきた。
水を使わずに水の流れを表現した枯池(かれいけ)や枯滝(かれたき)のダイナミックな石組みが新緑に映え、どこか晴れ晴れしい表情に見える。
瑞楽園でたっぷり春の陽気を味わったので、二人ともご満悦で南貞院を目指す。
高杉の郵便局を過ぎ、交番の向かいを左折すると確かあるはず。
しかし、行けども現れない。
入口の電柱に「南貞院50m」と看板が出ていたが、300mは来てしまったようだ。
目の前に現れた鳥居は「加茂(かも)神社」だ。
のぞいてみたが、南貞院が同居しているわけでもなさそうだ。
これは通り過ぎてしまったにちがいないと引き返すと、あった、200坪ほどの砂利の境内に畳2畳分ほどの小さな「観音堂」が。
穴から中をのぞくと、厨子が入っているようだが鍵がかかっていて開かない。
軒下には御詠歌(ごえいか)が掲げられていて、何やら歌詞の脇に異形のベクトルのような記号が振り分けられている。
どうもこれは御詠歌の楽譜らしい。※1
観音堂の右脇にあるご朱印所内部には、定印(じょういん※2)を結んだ阿弥陀如来(あみだにょらい)を中心にした阿弥陀三尊像※3などが祀(まつ)られているが、右脇に蓮華(れんげ)の台座に乗った位牌(いはい)か卒塔婆(そとうば)のようなものがあり、「開僧南貞法子貮百回忌(かいそうなんていほっしにひゃっかいき)」などと書かれている。
南貞院の建造物はどれも比較的新しいので、開祖が二百回忌以上を迎えている古い寺だという事実に驚いた。


                                             (辻風)


※1御詠歌 : 仏教の教えを五・七・五・七・七の言葉で表した和歌で、旋律がついている。
発祥は不明だが、西国三十三ヵ所を花山法皇(かざんほうおう)が巡礼した時にまとめられたという説があり、当時は巡礼歌と呼ばれた。
宗教的には今なお伝統芸能として各地の寺院でお披露目会が行われている。

※2定印 : 仏像が両手で示す象徴的なジェスチェアー「印相」の一種。

※3阿弥陀三尊 : 阿弥陀如来を中心に左に観音菩薩(かんのんぼさつ)、右に勢至菩薩(せいしぼさつ)を配する仏像の安置形式。


紫雲山南貞院(浄土宗)
本尊 聖観音菩薩
御詠歌:はるばると詣でくる間のわが心 名も高杉の森にとどまる
〒036-8302 弘前市高杉字山下208


 











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