[青森県内観光] | |
「恵雲と辻風の珍探訪」 |
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その12 | |
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■二十八番 広船観音堂A(ひろふねかんのんどう/平川市・旧平賀町)<2日目> |
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○境内囲む祠や御堂 今も昔も地域の守り神
境内は思いのほか広く開けていて、正面に神社拝殿、右手に御朱印所になっている無人プレハブ小屋と手水舎(ちょうずや)、拝殿左手には観音堂、稲荷神社、鐘楼(しょうろう)、その奥に薬師堂とぐるりと巡ることができる。 鐘楼の前には大銀杏(いちょう)が見上げるほどに立っている。 観音堂へはさらに鳥居をくぐり、石段を登る。 左側に石の正観世音がほほ笑んで参詣を見守っていた。 観音堂の戸は閉まっていたが、穴から覗(のぞ)いてみると金色の千手観音坐像の写真が置いてあった。 厨子(ずし)の中にこの観音様がいらっしゃるということだろうか。 戸の前に鏡餅やお供え物を乗せる台の三方(さんぽう)が置かれていて、大黒様がちょこんと乗っているのもご愛嬌。 鰐口(わにぐち)を打って拝む。 鰐口は鈴をつぶしたような、中が空洞で下方に一文字に口を開く円盤状の仏具で、寺社の軒につるしてあるもの。 この鰐口は新しいものだったが、傍に掲げてあった説明書きによると、寺宝に「正長二年」(1429年/室町時代中期)と銘がある銅製の鰐口(県重宝)があるそうだ。 観音堂縁起によると、807年(大同2年)に坂上田村麻呂が創建して千手観世音菩薩を安置。 一時衰退したが、1428年(正長元年)に再建されたという。 1868年(明治元年)の神仏分離令で観音堂は廃止されたが、村の組頭が願い出て千手観音像を貰い受け、明治中期に広船神社となった社(やしろ)に祀りなおした。 そして1940年(昭和15年)に観音堂を再建したそうだ。 境内には記念碑や厄除け祈願の灯籠(とうろう)などがあちらこちらに奉納してあって、中には「文化十五年」(1818年)の文字が読める石灯籠もある。 御朱印所には雪かき当番表があって、雪かき用のスコップが置いてある。 古くから今日まで集落の守り神として大切にされてきたことがうかがえる。 神社拝殿の横には広船獅子踊の青森県無形文化財指定記念碑があった。 なんでも、大永年間(1521−1528年/室町時代)に南部遠野地方から伝播され、津軽熊獅子の発祥の地と称される、とあった。 しげしげと石碑を読んでいたら、辻風さんが「さっきそこに子どもがいたよ」と言う。 拝殿の前に置いてある「幸福おみくじ」の箱をごそごそやっていたって言うけれど、私は見ていない……。 遠野ゆかりの座敷わらし?! ってことはないか (恵雲) 広船観音堂(広船神社) 本尊 千手観世音菩薩 御詠歌:世の人をもらさで乗せる廣船の弥陀の浄土へ教え行くなり 〒036-0131 平川市広船広沢89 |
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