[青森県内観光] | |
「恵雲と辻風の珍探訪」 |
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その14 | |
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■二十九番 沖館観音堂A(おきだてかんのんどう/平川市・旧平賀町)<2日目> |
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○戦乱の世 為信の必勝の願掛け叶う 観音堂へ登っていく。階段を登りきると、両側に赤い前掛けに鈴をつけた狛犬(こまいぬ)一対がちょこんと座って出迎えてくれた。 長く風雨にさらされ顔が溶けかかっているが優しい表情に見える。 観音堂の入口にはしめ縄が張られ、両開きの引き戸の横にスイッチがある。 そっと戸を引くと開いた! 電灯もついた! 紫色の垂れ幕をくぐって賽銭箱の前で手を合わせた。見上げるとモノクロの写真が掲げてある。 これが御本尊の十一面観音なのかぁ。 光背(こうはい)というのかな、観音様の後ろにある後光の波打っている模様がきれいだ。 格子戸の奥に厨子(ずし)が見える。中にいらっしゃるんだろうか。 もう一枚の写真には、丸顔に細〜い目をしてほほ笑む観音像。 「円空仏じゃない? 蓬田の正法院で見たのとそっくり!」と辻風さんが驚いている。 円空って誰? 後で調べてみたら、江戸時代初期の行脚(あんぎゃ)僧で、民衆のために祈り、仏像を彫り、全国に12万体の仏像を彫ったというから驚きだ。 青森、北海道には初期の作品が多いのだとか。 こちらの円空仏は背中の墨書きから1667年(寛文7年)の作と分かるそうだ。 県重宝に指定されているものだった。 観音堂には、津軽藩祖・大浦為信の直筆とされる如意輪観音(にょいりんかんのん)絵馬(1576年・天正4年)も秘蔵されている。 津軽統一を目指し各地の南部氏の城を攻めていた為信が、この地で大光寺城攻略の必勝祈願したところ、念願成就し、観音絵馬を奉納、社殿を再建したという。 中央では織田信長が権力を誇った安土桃山時代。この津軽の地も戦乱の中にあったのだ。 外へ出て、神明宮に足を運ぶ。 太い幹にぐるぐるとしめ縄が巻かれている杉が何本もあって、白い紙が風に揺れて、聖域だということを感じさせる。 神明宮の横の軒先に、ねぷた絵が描かれ、「奉納 神明宮」「沖館村中」と書かれた箱型の灯籠が3つもぶら下がっていた。 これを前ねぷたにして出陣する平川ねぷたまつりまでは、あと2カ月余り。今年の夏も暑くなるだろうか。 (恵雲)
沖館観音堂(沖館神明宮) 本尊 十一面観世音菩薩 御詠歌:霧霞くもりて見ゆる沖館の 祈る心も晴るゝ薄雲 〒036-0141 平川市沖館宮崎266-3
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