[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その25

■二十番 高野山観音堂(こうやさんかんのんどう/今別町)<5日目>

○踏み切りの向こうに観音信仰の丘

 二十番札所・高野山観音堂へ行く途中、本覚寺に立ち寄った。
無人の二十番と二十一番の札所はこちらで管理しているので、2つの御朱印がいただける。
本覚寺境内には青銅塔婆(県重宝)や今別大仏もあり、大仏の台座部分には扉が付いていた。
読経できる小部屋になっているようで興味深い。
 高野山観音堂は町役場裏手にあって、右手に曲がると階段に突き当たり、その上にJR津軽線の踏切が! 向こう側右手に観音堂が見える。
買い物袋を提げた女性が線路を歩いていた。
単線で列車の本数が少ないからなのだろう。
なんとものどかな光景だ。
「今別幼稚園踏切道」と書かれた踏切なので、左手の建物が幼稚園だったようだが、既に廃園となっていて、子どもの姿はなかった。
 観音堂の入り口には、龍と象の彫り物がある梁(はり)の上下と両脇が塩ビ板で囲われて風除室を設けてあった。
一歩入ると、電球と鰐口が下がっていて、左上には小ぶりな梵鐘もある。戸の両側には納経札がびっしり。
中に上がると、正面には金の折り鶴が簾状に下がった奥に、等身大の金色の観音様がいらっしゃった。
「この観音様、淡谷のり子似じゃない?」と辻風さん。
言われてみれば、ふっくらとしたお顔に妙に親しみを感じてしまう。
 境内の奥にまだ階段がついていたので上ってみた。
ヒバや松の林の中、小さな祠(ほこら)や慈母観音像の前をさらに登って行くと、聖観音三十三体の石仏が点々と囲む広場が開けていた。
奥には聖観音像もあり、「さわやかにふれあう観音さま公園 1964.5.25」と書かれた木の看板が置かれている。
ペンキを塗ったタイヤや砂場だった場所もあって、以前は子ども達の遊び場だったようだ。
この観音堂の創建は天長年中(827年頃)といわれ、本尊の十一面観音は慈覚大師の作と伝えられている。
1794年(寛政5年)に御堂を再建した際、西国三十三霊場の土を御堂の下に埋めた事から、ここに参詣すれば西国三十三観音を拝するに等しいとも言われた。
1955年(昭和30年)の今別大火で全焼し、翌年、弘前報恩寺から津軽藩主位牌堂を譲り受けて、現在地に移築したものだそうだ。
だとすれば、三十三観音の観音さま公園のところに元の観音堂があったのかもしれない。
春には桜が咲くこの公園も、今は訪れる人も少なくなったようだが、カッコーの声が梢に響き、草むらには可憐な菫(すみれ)が咲いて穏やかな時間が流れていた。

                                    (恵雲)
高野山観音堂(旧高野山円通寺・真言宗)
本尊 十一面観世音菩薩
御詠歌:野山誓いをこゝに今別の 石の光も弥陀の砂利濱
〒030-1500 東津軽郡今別149−3
 













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