[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その26

■二十一番 鬼泊巖屋観音堂・袰月海雲洞釈迦堂@(おにどまりいわやかんのんどう・ほろづきかいうんどうしゃかどう/今別町)<5日目>

○津軽錦石ブームにわいた“舎利浜”はいずこ

 今別町役場前を通り、松前街道を東へ向かう。
ちょうど町の診療所から出てきた町内巡回バスの後ろになった。
このバスは今別の町中と海岸線沿いに点在する集落を結ぶ重要な町民の足だ。
海岸線を東にたどっていくと、鋳釜崎、高野崎、弁天崎を越えるごとに、袰月、砂ケ森、奥平部(おくたいらへ)の集落がある。
小・中・高校、病院は今別の中心街にしかなく、自家用車かバスでここまで来なくてはならないと聞いて、大変だなあと思った。
次に訪ねる二十一番札所は2カ所あるそうで、せっかくだから両方行こうということになった。
ご朱印は先ほど、二十番札所のものと一緒に本覚寺でいただいた。
鋳釜崎を越える坂道の手前を海岸線づたいに進むと「松陰くぐり」という岩穴があるそうだ。
幕末、津軽海峡に出現した異国船を見に訪れた吉田松陰もここ通り抜けたという松前街道の難所。
干潮時には実際に歩けるという。今は海沿いをまわらなくてもいいので大丈夫。
怪岩、奇岩が連なる袰月海岸は、その美しい海岸線がみられる景勝地として津軽国定公園に指定されている。
そして津軽錦石の産地としても知られていた。赤、緑、黄、茶、白などの色の濃淡が美しく、一つとして同じものがないのが魅力的。
研磨して艶やかに輝く錦石は、帯どめや指輪、カフスボタン、ネクタイピンに加工され、人気を呼んだ。
戦後、一大ブームがおこり、青森市方面からも錦石拾いでにぎわったが、今ではほとんど採りつくされてしまった感がある。
御詠歌にも詠まれている「砂利浜」は「舎利浜」とも呼ばれていた。
舎利とは「仏舎利」つまりお釈迦様の御骨のこと。仏舎利塔には舎利の代用として瑪瑙(めのう)や玉髄(ぎょくずい)、水晶などが納められていたそうだ。
鎌倉、南北朝、室町時代の舎利信仰が盛んだった時代から、今別浜産の舎利石は日本各地で珍重されていたと推考されているんだって。
「東遊記」(1795年・寛政7年)を記した橘南渓は、奥州外ヶ浜のホロツキというところに瑪瑙石の浜・舎利浜があって、津軽石、宝石(たからいし)とも呼ばれ、日光にきらめいてまぶしいばかり、と書いている。
当時はどんなに美しい浜辺だったのだろうか。

                                       (恵雲)

袰月海雲洞釈迦堂
本尊 聖観世音菩薩(滝見観音)
御詠歌:鷲の山誓いも重き母衣月の 影を浮き世に殘す砂利濱
〒030-1513 東津軽郡今別町袰月字袰月元98-1









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