[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その28

■二十一番 鬼泊巖屋観音堂・袰月海雲洞釈迦堂A(おにどまりいわやかんのんどう・ほろづきかいうんどうしゃかどう/今別町)<5日目>

○一筋の滝のそばに祀られる滝見観音

 もう一つの二十一番札所は松前街道・国道280号線をさらに東へ6キロ先。
昼下がり、潮風に乗って魚売りのトラックから演歌が流れてくる。
道中の高野崎には灯台とキャンプ場があった。
切り立った崖の上に建つ灯台からは津軽海峡を臨む袰月海岸の絶景が見下ろせる。
方言詩人・高木恭造の詩碑もあった。
大正11年に袰月小学校の代用教員としてこの地に暮らした高木が書いた方言詩「陽(シ)コあだね村」が刻まれている。
さらに行くと右手に「だるま滝」を見て、鬼泊トンネルをくぐった先に目的地、鬼泊巖屋観音堂があった。
道沿いのガードレールの向こうに大きい岩があるなあ、ぐらいに見過ごしてしまいそうだった。
辻風さんが「今、看板があった!」と言ってくれたので、車を止めて海側を見下ろしてみたら、大きな松の陰に朱の鳥居があった。
コンクリートの階段で下りられそうだ。
岩は堤防に囲まれていて、鳥居をくぐって裏側に歩いて回れた。
なんと、狭い洞窟の中に小さな祠(ほこら)が一つ。
その手前に何本か渡された綱にはびっしりと納札が結び付けられていた。
すごい。こんなにもたくさんの人がお参りしているんだ。
背後の堤防越しに波の音が響く。
草創は不詳だが、江戸時代には船で参詣するところだったという。
北風にさらされて波しぶきがかかる場所。
享保年中(1716-36年)には荒廃を見かねた今別の本覚寺5世住職・貞伝上人が本尊を本覚寺に遷したそうだ。
大岩にできた自然の洞窟。本尊はなくても、人々の祈りの場として長く信仰を集め続けてきたのもうなづける空間だ。
古来、二十一番札所袰月観音とはこちらの鬼泊巖屋観音堂のことだったようだが、明治の神仏分離令で消滅。
霊場めぐりが復活した明治20年代、鬼泊ではなく袰月集落に本覚寺から貞伝上人作と伝わる聖観音像を譲り受けて滝見観音海雲洞として再建された。
なんか、先ほど海雲洞で読んだ縁起とは食い違うような気がするが。
ここ鬼泊の観音堂は昭和30年台に再現されて、2カ所に霊場がある状況となってしまったのだ。
堤防の外に下りてみた。
海が巖屋の真下まで迫っているのがよく分かる。
小石の浜辺にはコロンと手のひらに乗るくらいの石がたくさんある。
「きれいだね。オレンジっぽいのも、緑がかってるのもあるよ」と辻風さんも小石を手にとって見ている。
錦石とはいかないが、ひとつ記念にもらって帰ろうか。
                                         (恵雲)

鬼泊巖屋観音堂
御詠歌:いにしえの鬼の岩屋に神立ちて 悪魔はあらず外ケ浜にも
〒030-1515 東津軽郡今別町奥平部字戸石











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