[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その51

二十二番 無量山正覚寺(むりょうさんしょうがくじ/青森市)<10日目>

○港の繁栄を見守り続け、戦火をくぐり抜けた観音様

 青森市の中心地にある観音霊場を、まだお参りしていなかった。
市役所の海手に位置する旧寺町には、西から常光寺、正覚寺、蓮心寺、蓮華寺の4寺院が並んでいる。
津軽藩が当時の善知鳥(うとう)村に青森港を開港したころ、人々の精神的な支えと防衛のために建立された。
二番寺と呼ばれる正覚寺は最も古く、1624年(寛永5年)に開基されている。
これまで巡った霊場が自然豊かな鎮守の森の中にあったりしたからだろう、正覚寺が巨大にみえる。
本堂の外観は何かの会館かスポーツ施設かと思うほど近代的な建物だ。
昭和49年竣工の本堂は、一階が位牌堂、二階が本堂になっている。
本堂の前にある石灯籠は、七代藩主津軽信寧が九代将軍徳川家光の追善供養のため、江戸の増上寺へ献納したもので、戦後、正覚寺に下付されたものだそうだ。
どこから入るのだろうかと、寺務所入り口にまわると、自動ドア。
「観音様のお参りに来たのですが」と言うと、この時は二階の本堂へ案内された。
階段には手すりの下に一人用電動リフトも完備しているのに驚いた。
広い本堂には慈覚大師作と伝わる木像の阿弥陀如来、内陣の右手に、慈覚大師作と伝わる青銅の聖観世音がいらっしゃった。
「葛西四雄とサインがあるよ」と、辻風さんが見上げているのは観音様の上に掲げられている天女の絵だった。
「無量壽舞」と題したその絵を、辻風さんは、ボッティチェリが描くような女の人たちが赤い衣をまとってひらひら天空を舞っている、と見入っていた。
ここ青森の街は、多くの火災や地震に見舞われてきた。
1645年(正保2年)に毘沙門天堂の境内に建立された青森観音堂は、その後、廣田神社に移転。
1766年(明和3年1月)の大地震で全壊し、再建されなかった。
弘前城損壊など津軽一円に被害が出て青森の町では町奉行所が半壊、御仮屋(現在の青森県庁)が倒壊し焼失。
善知鳥神社をはじめとする寺社も倒壊、大破した。
豪雪だった冬の地震で、青森の推定震度6という。
正覚寺本堂は奇跡的に残り、その後、こちらの境内に観音堂を建立したという。
昭和20年7月の青森大空襲では市街地のほとんどが焼け野原となって正覚寺の観音堂も焼失したが、聖観世音像は信者に助け出されて無事だった。
現在、境内の本堂に向かって左手には「廿二番 観世音」と刻まれた1849年(嘉永2年)建立の石碑や3体の石仏などが残っていて、猛火をくぐり抜けた黒いすす跡が残っている。
かつては松林に囲まれていた寺町一帯は、墓地が郊外に移され、今はビル街の中に大寺院だけが並んでいる。
(恵雲)

無量山 正覚寺(浄土宗)
本尊 聖観世音菩薩
御詠歌:浪の音松のひゞきも御法にて 風吹き渡る天の橋立て
〒030-0802 青森市本町一丁目1-12
TEL 017-776-3454













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