[青森県内観光] | |
「恵雲と辻風の珍探訪」 |
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その56 | |
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■二番 清水観音D〜番外岩屋観音 (きよみずかんのん〜ばんがいいわやかんのん/西目屋村)<11日目> |
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○番外の朱印所探し グルグル巡るすごろく旅 11日目は番外を目指して始まった旅だったが、残された謎の番外の御朱印所を探し求めて、手がかりとなりそうな弘前・禅林街の陽光院を訪れた。 門前に「当県二番 清水観世音 桜庭山」と石碑が立っている。 陽光院はもともと二番札所の多賀神社と同じ「桜庭」に創建されたが、慶長年間(1596〜1651)に現在の茂森へ移されたのだ。 中へ入るとおばあさんが応対してくれた。以下は彼女の話による。 〜その昔、陽光院は目屋の桜庭にあって、檀家さんも桜庭集落の方が多かった。 明治の神仏分離で清水観音は多賀神社となり、本尊の千手観音は陽光院が引き取った。 小さな木造の観音様で、ボロボロなので出しておけず、御開帳は17日。 観音様の日は18日なのだが、その前日の9月17日に「観音講」という催しを開き、おばあちゃんたちを集めて、御馳走を作って、食べさせて、説教をする。〜 「観音様も移動するのですね」と言うと、昔札所だったが、今は札所でなくなったお寺もあるという。 弘前高校隣の「袋宮寺」(たいぐうじ)には、6mもの背高観音があって、藩政時代の初期には一番の札所だったが、今は除外されていると教えてくれた。 観音堂と掲げられた厨子(ずし)の前には、小さな千手観音が飾られているが、これは前飾りで、本尊は厨子の中だろう。 右脇には岩肌に囲まれたような姿で「岩谷観音」も置かれている。 二番の番外へも行ってきたことを話し、番外の朱印はどこでもらえるのかと尋ねると、陽光院は二番の札所で、番外の朱印は、昔は陽光院が持っていたが、後に隣の三十三番の山観さんに預けたとのこと。 通称山観の普門院は、三十三番目の終わりの札所(次が番外)だし、檀家さんがいないお寺ということもあって、ついでに番外の札所をやってはどうかとお願いしたというのだ。 つまり、二番の札所は多賀神社と陽光院の二カ所、番外は普門院ということになる。 これは不覚だった。 三十三番の普門院はずいぶん前に訪れたのだが、その頃は番外の存在自体を知らず、そこが番外の札所だなんて気づかなかったのだ。 なんだか、すごろくのふり出しに戻るような気分で、隣の山観さんへ。ご住職の奥様らしき方が、小さいお子さんをあやしながら、にこやかに御朱印を押してくれた。 山観の坂を下りる頃には、もう夕日が境内を染めていた。 学校帰りなのか、ポニーテールに赤いリボンをしたセーラー服の女学生が歩いていた。 その赤いリボンが、赤とんぼのようにゆらゆらと揺れて、なおいっそう黄昏気分をひきたてた。頭の中には由紀さおりの歌う童謡“赤とんぼ”が流れていた。 「帰ろう、帰ろう、どこかに帰ろう♪」(辻風) 番外 岩屋観音 御詠歌:萬代の誓いをこゝに頼みおく 水は苔より出ずる宮かな 西目屋村田代山科 TEL 0172-85-2111(西目屋村役場)
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