[青森県内観光]

 

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津軽の一代様めぐり3

子年の一代様「多賀(たが)神社」(弘前市)  守り本尊「千手観音菩薩」

〇その2 弘前藩の初代藩主から4代かけて全体を形づくる

 忽然(こつぜん)と現れた建物は1660年、津軽藩主四代信政が、京都の清水の舞台を模して造った高楼(こうろう)で、急こう配の斜面に、高床式で作られている。
この神社の由来は、大同2年(807)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が創建したという説と、天平3年(731)行基上人(ぎょうぎしょうにん)がこの地に行脚(あんぎゃ)し、千手観音像を彫って、西目屋村の大高森山の岩窟(がんくつ)へ安置したという2つの説がある。
後に、弘前藩の歴代藩主たちの関心を引き、それぞれ初代為信が建物、2代信牧が大鳥居、3代信義が石段を寄進し、4代信政は本尊を高森山から現在地の桜庭へ移設している。
明治の神仏分離で、本尊の千手観音像は弘前市の陽光院へ移されたが、今なお三十三観音信仰の二番札所、子年生まれの一代様として津軽一円から信仰されている。(つづく)







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