[青森県内観光]

 

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津軽の一代様めぐり7

■丑・寅の一代様「求聞寺(ぐもんじ)」 (弘前市) 守り本尊「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」

〇その2 三代藩主が荒行祈願し建立

 求聞寺の由緒は古い。
弘前藩祖・津軽為信(つがるためのぶ)の死後、三男信牧(のぶひら)と長男信建(のぶたけ)の遺児・大熊(おおくま)が跡目を争い内乱となった。
幕府の裁断により二代目藩主は信牧と決まったが、家中にしこりを残す結果となった。
信牧は『お家安泰』と『家臣・領民の人心統一』を祈り、百沢寺のそばの森の中に穴を掘り『求聞持法(ぐもんじほう)』という荒行を行った。
求聞持法は真言宗(しんごんしゅう)の修業で最もつらい秘法とされる。
信牧は「命が10年縮んでもよい」と覚悟し、指1本を1年として10本の指に傷をつけ、その血をささげたという。
祈願が終わって、その場所に「求聞持堂(ぐもんじどう)」を建立し、女人禁制の霊地にした、と1731年(享保16年)に弘前藩によって刊行された「津軽一統志」は伝えている。(つづく)








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