[青森県内観光]

 

前へ
          次へ

津軽の一代様めぐり25

■酉年の一代様「国上寺(こくじょうじ)」(平川市碇ヶ関) 守り本尊「不動明王(ふどうみょうおう)」

〇その1 寺領2百石の歴代津軽藩主の祈願所

 国上寺のある古懸(こがけ)の地名の由来は、昔、鬼神(きじん)のお松という山賊(さんぞく)が、徳一という子を産み、エジコ(津軽弁で言うところの赤子をいれるかご)の中に入れて、松の枝にかけたことから、「子掛」→「古懸」になったと伝えられている。
徳一はその後、東国の偉いお坊さんになったそうだ。
碇ヶ関の道の駅近く、鉄骨の赤い「不動橋」を渡り、昔ながらの商店や公衆浴場などを通り過ぎると、ぱっと開けて広い場所に出る。
そこが国上寺。訪ねたのは、春の陽気に包まれた天気のよい日で、境内は木々が風にそよぎ、沢の音がして、優しい情景を醸し出していた。
なんだか、伝説のお松や徳一がひょっこり現れそうだ。
古懸山不動院国上寺は真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)の寺院。
お寺の伝によると、推古(すいこ)天皇の610年、国家北門鎮護のため、聖徳太子の命を受け、渡来人・秦河勝(はたのかわかつ)が大鰐の阿闍羅山(あじゃらやま)に伽藍(がらん)を造営し、唐僧の円智上人(えんちしょうにん)が開基となって本尊を造立(ぞうりゅう)した。
後の1254年、北条時頼が今の古懸に移し、鎌倉幕府将軍家数代の祈願所となった。
その後、1588年、津軽藩主為信(ためのぶ)が「国上山不動院古懸寺」と改め、さらに二代信枚(のぶひら)、三代信義(のぶよし)ら歴代藩主が祈願所として、寺領2百石を与えたとされる。








前へ          次へ
津軽の一代様めぐりTOP

トップページへ