[青森県内観光]

 

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津軽の一代様めぐり28

■戌・亥(いぬ・い)の一代様「弘前八幡宮」(弘前市) 守り本尊「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」

〇その1 そもそも守本尊の「八幡大菩薩」とは?

“弘前八幡宮”の参道は広くて長い。
おそらく300mはあるのではないだろうか。
はたして、これを参道と呼んでもいいのだろうかとすら思う。
一見すると、普通の生活道路のように思え、車も通行しており、交通量もそこそこある。
両脇には民家や商店が立ち並ぶ。
立派な構えの鳥居を抜けしばらく進むと、大通りにぶつかる。
その先にようやく境内の入口である鳥居が見えた。
戌・亥の守本尊(まもりほんぞん)は“八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)”である。
神道の八幡神と仏教の菩薩。これは完全に神仏混合である。
天応元年(781年)、朝廷は宇佐八幡(現在の大分県の八幡宮の総本宮)に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩の神号を贈った。
これにより全国の寺の鎮守神として八幡神が勧請(かんじょう:本祀の社の祭神の分霊を迎えて新たに設けた分祀の社殿にまつること)されるようになり、八幡神が全国に広まるようになったと言われている。
後に阿弥陀如来(あみだにょらい)が八幡神の本地仏とされた。
平安時代以降、武士の尊崇(そんすう)を集めて全国に八幡神社が勧請される。
明治元年(1868年)神仏分離令によって、全国の八幡宮が神社へと改組されたことに伴い、神宮寺は廃止され本地仏(ほんじぶつ※)や僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)の像は撤去された。
また仏教的神号の八幡大菩薩は明治政府によって禁止された。
現在、全国の神社で一番多いのは八幡宮である。鶴岡八幡宮が源氏の守護神とされているように、八幡神は武運の神として崇められ、全国に分祀(ぶんし)されていったのである。






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