[連載]

   その1〜その10


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その1

 太宰治記念館「斜陽館」の展示品の中に、太宰さんが旧制青森中学校の時に使用したと思われるノートがあります。
 太宰さんは大正12年4月、県立青森中学校に入学しました。ノートを開いてみると、洋服を着た紳士、農民や侍の落書きが描かれています。「似合はぬ者 は、(1)スルクハッドにツメエリの洋服、ハシダ(足駄)にヂヤの目のからかさ、(2)農夫の八鬚…」と、解説付です。太宰さん特有のユーモアセン スと道化的な表現が面白おかしく、伝わってきます。



その2

 金木町の「太宰治ゆかりの地」をご案内します。
 最初は芦野公園にある文学碑です。昭和40年5月3日に建立されました。全国で4番目、没後17年を経ていました。
 碑文には、太宰が生前最も愛唱したとされるヴェルレエヌの詩句の一節「選ばれてあることの/恍惚と不安と/2つわれにあり」が刻まれています。
 この一節は、昭和9年4月に発表した作品『葉』の冒頭にあり、さらに第1創作集『晩年』(昭和11年刊)の巻頭も飾っています。



その3

 文学碑に刻まれた「恍惚と不安と」は、作家として選ばれたということへの恍惚の思いと、半面にこの選びに値しない者ではないかという不安があり、2つの錯綜した思いを託したのではないかと考えるのです。作家的出発を飾るに、ふさわしいエピグラムです。
 碑の最上部には、ラフィナールに黒で炎をあらわし、ギリシャ神話の引用で『不死鳥』が金メッキで浮き彫りにされています。太宰文学の不滅と、太宰治再生を表現しているようです。



その4

 津軽鉄道の芦野公園旧駅舎、現在の「ラ・メロス」のお話です。
 太宰治の『津軽』に「芦野公園という踏切番の小屋くらい小さい駅…。金木の町長が、上野で芦野公園を知らんのかと言い、切符をせしめた昔の逸話…。モン ペをはいた若い娘さんと美少年駅員の改札風景…。少女が乗ったとたんに、ごとんと発車した。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例がないに違いない」 と紹介しています。
 このエピソードの舞台「旧駅舎」が現存していることに太宰ファンは大変喜びます。



その5

 金木町の歴史民俗資料館を右側に見ながら旧法務局前の信号を左折、その突き当たりに「明治高等小学校之跡」の石碑があります。太宰治は大正11年4月、学力補充のため1年間高等小学校に通ったことになっています。
 作品『思ひ出』の中に「私は体が弱いからと言ふので」中学進学前に高等小学校に通ったことになっています。しかし、実際の太宰さんの健康面には、なんら 問題はなかったようです。小学校5年のときの担任であった川口豊三郎先生の「太宰備忘録」にも、そのことが記録されています。



その6

 「太宰虚弱体質説」は、兄たちを気遣って仕立てられた虚構の自画像であったようです。明治高等小学校での1年間は、太宰の成長に大きな飛躍をもたらしたということです。
 次は、金木小学校南側の校庭にある「微笑誠心 修治」太宰文学碑です。昭和50年9月20日、金木小学校創立百周年事業として建立されたものです。詳しくは次回で…。



その7

 金木小学校の校庭にある「微笑誠心 修治」文学碑のことです。
 昭和11年8月7日消印「青森県北郡金木町津島文治様」と兄に宛てた封筒宛名の横に「微笑誠心」と書かれています。手紙には第3回目の芥川賞をもらいた いという切望と毎月の仕送りへの感謝の念が述べられています。ちなみに作品『微笑と正義』には「微笑をもて正義を為せ!」という精神が表徴されています。
 「微笑誠心」という言葉に着目して金木小学校創立百周年記念のこの文学碑は建立されました。



その8

 金木小学校通りを南下すると、道路東側に「太宰治思い出広場」があります。
 これは平成10年3月、「太宰治思い出道路整備事業」の一環として建設されたものです。
 町建設課が中心となり、津島園子さんと太宰会が協力して、太宰文学作品を掲示しています。
 小学生にも分かるように、全作品に読み仮名がつけられています。
 しばし憩いながら太宰作品名に触れられる格好の場所となっています。



その9

 今回は、太宰通り商店街に面している「南大寺」を案内します。
 太宰作品『思ひ出』には、「6つ7つになると思い出もはっきりしてゐる。…読む本がなくなれば、タケは村の日曜学校などから子供の本をどしどし借りて来て私に読ませた。私は黙読することをおぼえてゐたので、いくら本を読んでも疲れないのだ」とあります。
 この日曜学校とは、太宰さんの生家・津島家の菩提寺のことです。祖母イシさんの教育方針により、太宰さん6歳のころから、タケさんに連れられて真宗大谷派の金龍山南台寺の日曜学校に通って、昔噺(むかしばなし)に興じたり、本を借りて読んだりしたということです。



その10

 日曜学校の金龍山南台寺の住職の話が面白いこと、備えつけられた児童向けの本を楽しみに、町内の子供たちが大勢集まっていたということです。
 太宰さんも祖母の勧めで通いはじめたのですが、まもなくそこの蔵書を読むのに熱中しはじめたのです。
 日曜でない日もタケさんが南台寺から本を借りて来てくれるのです。
 本さえ預けておけば、おとなしくしている不思議な子供であったからです。
 すでに黙読を身につけていたということですから、疲れをしらずに夢中に読んだのでしょう。



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