[連載]

   その101〜110


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その101

「今、なぜ太宰治か」
その26
『中学校全教科書に』(2)

 文部省検定がきびしい中で、「走れメロス」のように、同じ作品が全教科書に載っている例は見当たりません。
 驚きであると同時に、すごいと思うのです。
 つまり義務教育の段階で、日本全国の中学生が、太宰作品「走れメロス」を必ず学習し、何らかの影響を受けるということです。
 そして、その後書きの作者プロフィールに、「太宰治の顔写真と青森県生まれ」のことが、全教科書に紹介されています。
 また代表作品として、「人間失格」「斜陽」「富嶽百景」「津軽」「正義と微笑」「魚服記」「新釈諸国新」「お伽草紙」があげられています。



その102

「今、なぜ太宰治か」
その27
『21世紀に』 

 中学国語教科書への収録傾向をみても、「今、なぜ太宰か」が、十分に納得できるはずです。
 まさしく「20世紀の旗手」であり、郷土の誇りそのものです。
 太宰さんは「走れメロス」と共に、他の作品も確実21世紀に読み継がれ、時代と国境を超えて走り続けることでしょう。



その103

「太宰とその文学の魅力」
その1
『走れメロス』の素材

 『走れメロス』は、昭和15年「新潮」5月号に発表。太宰治32歳、生活も安定し、作家としても地盤も確定してきた時期です。その「走れメロス」末尾に〈子傅説と、シルレルの詩から。〉と、出典を明記しています。今回は、この出典素材について調べてみました。

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『走れメロス』の原典について最初の判断を示したのは、昭和34年「『走れメロス』材源考」(角川文庫)とした亀井勝一郎氏です。〈シルレルの詩とは、 Die Burgschaft (保証)であり、この詩の材料になったのはローマの著述家ヒギヌスの寓話である。〉と考察し、朋友はメロスとセリヌンティウスですが、他の著述家に従っ て、ダーモンとフィンティアスとする説です。



その104

「太宰とその文学の魅力」
その2

 昭和48年、小野正文氏が「『走れメロス』の素材」(郷土研究十号)と題する考察を発表しています。
〈その原典はギリシャの「ダーモンとフィンティアス」であり、シルレルの詩は手塚富雄翻訳の「人質〜ダーモンとピンチアース」(デ・ベルグ シャフト)のことであろう。そして「走れメロス」の筋書と構成は、この人「人質」を骨子として肉付けしたものである。「苦伝説」というのは、少年時代に 「高等小學讀本巻」で習った「真の知己」に他ならない。〉という説です。



その105

「太宰とその文学の魅力」
その3

 昭和54年、相馬正一氏が「『走れメロス』の背景」(津軽書房)として、詳細に論じています。
〈「真の知己」と「走れメロス」を比較し、登場人物・キャラクター・筋の上で必ずしも類似点が多いとは言えない。従って、小野氏が挙げている子伝説を単純に「真の知己」と結び付ることには疑問が残る。〉と、否定的です。
 また、シルレルのテキストとして、手塚富雄訳の「人質」ではなく、木村謹治訳の「担保」(新関良三編「シラー選集」巻収録・昭和16年2月富山房刊)を選びます。
 さらに、その解説を参照し、「走れメロス」は「担保」を下敷きにしたという説です。



その106

「太宰とその文学の魅力」
その4

 続いて昭和58年、角田旅人氏が「走れメロス」材源考(香川大教育研究第二十四号)に、これまでの研究考察や各氏の問題点をふまえつつ、「翻訳年代・訳文・主人公メロス名・物語の筋等」から考察を加えています。
 まず、作品が発表された昭和15年5月以前に公刊された翻訳を調べ、国会図書館編「明治・大正・昭和翻訳文学目録」から、「新編シラー詩抄、小栗孝則訳」(昭和12年改造文庫)に着目し、問題点を一挙に氷解させます。
 小栗孝則訳「人質・譚詩」には、メロスとディオニスの人名・シラクスの地名・イタリー伝説に由来すること等、「走れメロス」の材料は全てそろって出て いることから、これだけで「走れメロス」を書くことができたと結論づけ、あえて「子伝説」との関係を考える必要はないという説です。
 また、小栗訳「人質・譚詩」の表現が重なる所が数え切れないほどあるという説です。
〈市を暴君の手から救ふのだ・ああ、鎮めたまえ、荒れ狂ふ流れを!・ふと耳に、信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。〉
 これからは、訳文と全く同じです。



その107

「太宰とその文学の魅力」
その5

 「シラー詩集」だけで「走れメロス」を書いたのであれば「シルレルの詩」と書かずに「シラー詩」と書けば十分なはずです。
 また「子伝説」の文字も必要ないという問題がでてきます。
 九頭見和夫氏(福島大)が昭和63年と平成元年に、「太宰治とシラー」論で、角田旅人氏の説に疑問を呈します。
〈シラーは、ローマの著述家Hyginugがイタリーの子伝説に依拠して書いたFabelを素材として1798年「Die Burgschat」を完成する。その素材となつたV・Maximuの「子伝説」である〉という説です。
 また、小栗孝則訳「新編シラー詩集」については、太宰の随想「諸君位置」「心の王者」の〈地球の分配〉等の文面から「走れメロス」の財源とした場合の明快な根拠であると断定しています。
 次の問題は、なぜ「シラーの詩」でなく「シルレルの詩」と標記したのです。
 これは「シラー」文献の記述が「シルレル」になっていたか、あるいは太宰に最初に「シラー」を紹介した人が「シルレル」と発音したために、「シルレル」と一貫して用いたか?と推論し今後の検討を望んでいます。
 たとえば秋元蔵風「保証」(「シルレル詩集」大正2年東亜道)を参照した可能性も残されています。
 以上が出典素材材論の結論です。



その108

「太宰とその文学の魅力」
その6

 しかし、「子伝説」というからには、小野正文氏の「真の知己」論にも一理あり魅力的です。
 大正11年4月、組合立の明治高等小学校入学、無欠席で通した少年津島修治は、「高等小學讀本巻一」の第三課「真の知己」を学習したはずです。
〈一時の朋友を得ることは易く。真の知己を得ることは難しい。〉
 この「真の知己」は少年時代以来、太宰の胸奥でくすぶり続け、そして「子伝説」と「シラーの詩」にめぐりあうことによって、作品構想の焦点が定まり、潜在的にではあるが「走れメロス」への動機づけになったと結びたいのです。



その109

「太宰とその文学の魅力」
その7

『文体が新しい』
 数年前「カナリヤ戦史」著者の飯塚恒雄氏が「津軽」紀行文取材のため来町(金木町)。「太宰作品の文体が新しいことに驚かされますね、半世紀前でありな がら、むしろ今の時代に合っていますよ。旧表記なので古く感じますが、「走れメロス」を新表記で読んでみますと、近代文学の中でこれほどの文体を書ける作 家はいないでしょう」と、話してくれました。
 次回からは新潮文庫の文字表記で、その文体を味わってみます。



その110

「太宰とその文学の魅力」
その8

『書き出し』
「走れメロス激怒した。」
 この作品の劈頭(へきとう)に送り込まれた、この主題と述語と述語だけの単純な文、詠み手の意識をたちどころに、一種の緊張感へと高めていきます。
 物語そのものが、人の命にかかわるという、極限の状態をおしつつんでいるためもありますが、それを叙する文のスタイルが、単純で、キビキビしています。(井上浩一氏)
 太宰自身も「女の決闘」に、〈書き出しの巧いというのは、作家の「親切」であります。〉と書いています。
 太宰は小説の書き出しに最も苦心した作家です。
「書き出しさえうまくいけば、その作品はし上がった同然である。」というのが、年来の持論で(石上玄一郎氏)。




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