[連載] | |
その111〜120 |
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その111 「太宰とその文学の魅力」 その9 『凝縮された文体』 「私は、今宵、殺される為に走るのだ。身代わりの友を救う為に走るのだ。王の刊侫邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若いときから名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。」 文体は明治初期以降、模索の歴史でしたが、太宰は現代日本語として、うるおいを決して忘れぬものの、あたうかぎり凝縮された文体を、随所に展開してみせ てくれます、文体が内容を規定するとは、しばしば言われることですが、その意味を正確に、しかも美しくさばいてくれた作品が『走れメロス』です』〔井上浩 一氏〕 その112 「太宰とその文学の魅力」 その10 『季節感』 「走れメロス」は、季節感にとぼしい文章です、メロスが村にむかって出発するのは、初夏、満天の星のころです。 しかし、この少ない言葉が、実によく効いてます。 「初夏、満天の星である」 たったこれだけの文句にメロスの凛然たる精神が宇宙にまでみなぎっているような感じを受けます。〔小野正文氏〕 その113 「太宰とその文学の魅力」 その11 『一級品の冴え』 「見よ、前方の川をきのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集まり、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微?に橋桁を飛ばしていた。彼は茫然と立ちすくんだ。」 「捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く」 このあたりの描写の冴えは、一級品です。 しかも、その中にも「メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出した。」とか「メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにたさきを急いだ。」といった、太宰らしい、まじめながらユーモラスな表現があります。 その114 「太宰とその文学の魅力」 その12 『友情の碑』 青森市中央市民センター前、太宰治「友情の碑」に、「走れメロス」の一文が刻まれています。 「斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間ある。私を待っている人がいるのだ。少しも疑わず、静かに期 待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報い なければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス」 碑の陰に、〈…走れメロス」は純粋な友情の美しさを謳い上げたすぐれた小説であり、文体もよどみなくリズミカルな躍動感に溢れ、読む者に清らかな感動を与える。小野正文撰〉と刻まれています。 「メロスは走った。路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駆け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、火を蹴とばし、・・・少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。」 圧縮される文体です。 その115 「太宰とその文学の魅力」 その13 『むすび』 「ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやつた『メロス、君は、まつぱだかじゃないか。早く そのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ』勇者は、ひどく赤面した」 少女が緋のマントを捧げたのは、メロスがまっぱだかであるからでなく、勇者としての精神を譛えたかったからです。 この箇所は、クライマックスの緊張感から解放されたあとホッと一息つく和やかな場面です。 メロスは群衆の注視を一身に浴び、しかも王と少女を目の前にして親友にからかわれたために、ますますまごつき身の置きどころに窮して「ひどく赤面した」のです。 柄にも無く文部省推薦のよう美談を書き終えた作者の、一種の照れかくしとも思えるような微笑ましいエピソードです。 (相馬正一氏:この最後の場面は原典にはなく、作者のサービスです。太宰さんらしい、優しさとは含羞があふれててます) その116 「雀こ」その1 長え長え昔噺、知らへがな。 山の中橡の一本あったずおん そのてっぺんさ、からす一羽来てとまったずおん。 からすあ、があて啼けば橡の實あ、1つぽたんて落づるずおん。 まだ、からすあ、があて啼けば、橡の實あ、1つぽたんて落づるおん。 まだ、からすあ、があて啼けば、橡の實あ、1つぽたんて落づるおん。 この「長え昔噺」は、太宰作品「雀こ」の冒頭に書かれています。 昭和10年7月、「特輯新進作家小説号」蘭に「玩具」と同時に掲載された原稿用紙12枚ほどの作品です。 昭和11年6月「晩年」収録時に独立させ七番目に収録されています。 「雀こ」〈井伏鱒二へ.津軽の言葉で。〉の献辞を添えて、全編にわたって、 津軽方言で描かれています。 今回から、「雀こ」を取りあげていきます。 その117 「雀こ」その2 『イベントで朗読』 この「雀こ」は、太宰治イベントが開催されるとき、よく朗読されます。 平成九年六月十五日、青森グランドホテルに於いて、太宰治戒名「文綵院大猷治通居士」の「故修治儀五十回忌追悼のん会」が開催されました。開会の冒 頭、この「雀こ」が朗読されたのです。「五十回忌追悼の会」席上で「雀こ」の朗読を聴き、太宰治の言霊を身近に感じさせられ、その豊かな表現力津軽弁の もっているリズミカルさに心の和みを覚えたものです。 その118 「雀こ」その3 『津軽むがしコ(1)』 「雀こ」の執筆資料として「津軽むかしこ集」(川合勇太郎著・昭和5)と「津軽口碑集」(内田邦彦著・昭和4)があげられます。 「津軽むがしこ集」と「津軽西北のむかしコ」に「長えむかしコ」が書かれています。 ここで、津軽の「むかしコ」を楽しんでみましょう。 「鬼のふんどし」 なげえ、なげえむかしコしらへがな。 鬼あ天井がら褌(ふんどし)さげでよごしたど。 ふぱても,ふぱても、長えずおん。 ふぱても、ふぱても、長えずおん。 ふぱても、ふぱても、長えずおん。 ……。 その119 「雀こ」その3 『津軽むがしコ(2)』 「蔵の中の蚊」 なげえ、なげえ、むかしこしらへがな。 大きだ大きだ蔵あったずオン。 ソノ蔵の中ネ蚊アいっぱいいだずオン。 ソノ蔵の板サちっちゃい穴コあいでらずオン。 プーンってへば、蚊一匹出でくるずオン。 まだ、プーンってへば、蚊一匹ででくるずオン。 ・・・・・。 その120 「雀こ」その3 『津軽むがしコ(3)』 「へびの穴」 なげえ、なげえ、むかしコしらへがナ 野原ネへびの穴アあったずオン その穴サへびいいっぱい入ってずオン ズルヲってへば、へび一匹ででるずオン まだ、ズルラってへば、へび一匹ででくるずオン まだ、ズルラってへばへび一匹ででくるずオン… この「長え昔噺」は、津軽に伝わる「きりぬエ話」「眠たくなる話」などといわれ、子供がいつまでも昔話をせがむのをはぐらかすため、くりかえし語るのです。 子供は同じ話をくりかえされると、眠気を催し「もう、いいデァ」ということになります。 また、むがシコを知らない人が、せがまれたときに使う奥の手でもあります。 太宰さんも、この昔噺を聞いた記憶があると思うのです。 また「津軽むがシコ集」をみていた可能性は十分にかんがえられます。 ここは太宰のふるさと!! TOP |
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