[連載]

 1話 〜 10話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その1
最後の砦(1)

 平成22年12月4日、東北新幹線は全線開通した。
起工より40年掛かったことになる。
青森では小雪の混じる中、祝賀の行事が行われ、早朝に一番列車が東京を目指して出発した。
 木村昌郎(まさお)は、テレビに映る新青森駅の立派な建物を見詰めた。
とうとう青森市まで新幹線が延びた。
しかし彼は、とても寂しい気がした。
東京からの新幹線は新青森駅に着く。
青森駅は、そこから奥羽本線を一駅乗り継がなくてはならない。
青森と東京は、時間的には随分と近くなったが、昌郎には沢山のそして大切な思い出が詰まった青森駅が少し遠くなったように思えた。
これも時代の流れなのだろう。時は確実に未来へと流れ後戻りすることはない。
生まれ育ち、そして高校時代は応援団活動に明け暮れた青森の町が懐かしく脳裏に甦った。
大学でも応援団に入った。
そして日比谷公会堂で行われる憧れの『六旗の下に』の舞台にも立つことが出来た。夢のような学生時代だった。
だが、悪夢のような現実もあった。

 平成23年3月11日14時46分に、気象庁観測史上最大規模のマグニチュード9.0という超巨大地震が宮城県牡鹿半島の東南東沖130qの海底で発生し、東北地方は勿論のこと北海道、関東そして西日本までもが大きく揺れた。
巨大津波が発生し東北の太平洋沿岸は筆舌に尽くしがたい甚大な被害にあった。
更に津波によって福島第一原子力発電所が破壊され、日本は放射能の脅威に晒されたのだ。日本の歴史に大きく記録される大災害である。地震の発生時、昌郎は新橋駅前にいた。
そこは彼にとって忘れることの出来ない場所だった。
駅前のSL広場を右手に曲がると外堀通りに突き当たり、角にハンバーガーショップがある。
その2階窓際のカウンター席に座ると真下に交差点が見える。昌郎は月に一度はそこに来て祈りを捧げる。
その日も、その店に来た帰りだった。




◆その2
最後の砦(2)

 昌郎は、四月から都内の高校に勤務することが決まった。
まだ、どこの高校かは分からないが、その事を報告するために新橋までやって来た。
何時ものように、その交差点が見えるカウンター席に座った。
そして両手を膝の上に置いて瞑目した。
『由希、俺は東京の高校教員に採用されることになったよ。
だから、これからも月に一度は此処に来て、君に祈りを捧げられる』
彼は暫く目を閉じ、そう由希に報告した。
カウンターに置いたコーヒーが大分ぬるくなっていた。
それをゆっくりと飲みながら、交差点を行き来する人の流れを見詰めた。
大学に入ってから続けているこの祈りも四年目になるのだと、昌郎は時の流れの早さに瞠目する。
店の壁に掛かっている時計を見ると午後二時四十分を過ぎていた。
彼は席を立ち階下に降り、その店を出た。
そして何時ものように店のすぐ前のガード横の交差点を渡ろうと、信号が青になるのを待った。

その時だった。懐かしい由希の声が聞こえたような気がした。
〈昌郎さん、気をつけて〉彼は辺りを見回した。
しかし、当然のことだが由希の姿は何処にもない。
その時だった。少し足元がふらついて昌郎は目眩を感じた。
どうしたのだろうと思った矢先にグラグラっと道路が揺れた。
一緒に信号待ちをしている人達の誰かが、地震だと言った。
その言葉の波紋が広まると同時に、揺れは大きくなった。
信号が青に変わった。揺れている中、交差点を渡ろうとして車道に出た人達がいた。
しかし、昌郎は交差点を渡らなかった。その時である。
赤信号を無視するように自動車が交差点に入って来た。
危ない。誰かが叫んだ。転んだ人がいた。だが事故は起こらなかった。
それは数秒間の出来事だった。地震は大きかった。信号機が揺れた。
柳の枝も盛んに揺れた。道路標識も。電線が不気味な音を立てて震えていた。
目前のビルがギシギシと音を立てていた。





◆その3
最後の砦(3)

 揺れは更に大きくなって長く続いた。これほど長い間揺れている地震に遭遇したことがない。
誰もがそう思っただろう。
車は全て道の両側に停車し、交通の流れが止まった。建物から次々に人が出てきて駅前広場や歩道に溢れ、やがて車道にまで広がった。
建物の倒壊があるかも知れない。人々は、揺れている足元ではなく、頭上に聳えるビルを怯えながら見上げていた。
揺れが更に大きくなった。何人かの女の人達が悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだ。
昌郎は、両足を広げて体を支え踏ん張った。そうしなければ立っていられなかった。停電はしていない。
信号機が光っていた。駅の構内放送が不鮮明だが耳に届いた。
若い男達は、やばいやばいと連発している。この地震でかいぞという声も聞こえた。
揺れは数分続いた。人々は恐怖で凍り付いたような表情をしている。
余震はいつ来るか分からない。暫くの間、人々は広い車道に溢れていた。
大変なことが起こったと皆が思った。
何処かで大きな被害が出ていることは、想像に難くなかった。

 大きな揺れが収まって五分ほど時間が経つと、車道に出た人々は歩道に戻り始め、気が付くと車道に車が戻っていた。
しかし、数珠繋(じゅずつなぎ)ぎの状態で遅々として前に進まない。
何処かで救急車のサイレンが鳴っていた。
電子音のようなパトカーの音も聞こえる。群衆は騒然として動き出した。見える範囲でのビルの倒壊はないようだ。
高いビルを見上げた昌郎の目に、都会の真ん中の細長く区切られた空が目に入った。
空の七割ほどが雲に覆われ、その雲の合間から見える空は、肌寒いような淡いブルーだった。
この空の色は一生忘れないだろうと、昌郎は思った。ガードの上に電車が停まっている。動く様子は見られない。
新橋駅に行くと、電車の運転再開の目処が全くたたないと言うアナウンスが流れていた。
昌郎は、アパートのある参宮橋まで歩いて帰ることを覚悟した。




◆その4
最後の砦(4)

 昌郎は、外堀通りを真っ直ぐ歩いた。多くの人達が、まるで民族の大移動のようにぞろぞろと歩いている。
歩道は人で溢れ、車道は車が渋滞していた。バイクや自転車は車の間を縫うように進んで行く。
一つ目の大きな交差点に出た。
信号は作動していたが、混乱を避けるためか警察官がホイッスルを鳴らして交通整理を行っていた。
救急車が渋滞に巻き込まれてなかなか移動出来ず、拡声器を使い道路を開けるよう、けたたましく呼びかける。
その交差点を右に曲がって日比谷通りに出るか、もう少し真っ直ぐに行って桜田通りに入るか昌郎は迷った末に、官公庁の建物が林立する桜田通りを北上し、内堀通りに出た方がいいと結論付けた。
国の機関の建物はきっと頑丈に出来ているだろうから、また大きな揺れが来ても崩れる心配はないだろうと思ったのだ。

昌郎は、歩きながら携帯電話を取り出して青森に連絡を試みた。しかし、回線が混雑状態らしく全く通じなかった。それではとメールを送ってみた。
〈こちらは無事です。安心下さいそちらはどうですか〉
 どうなるか分からなかったが、ひとまず送信ボタンを押した。
嘘のようにスルリとメールが送れた。程なくして、青森の長兄からメールの返信があった。
〈こちらも皆大丈夫だ。心配するな。余震に気をつけろ〉
 兄らしいそっけない内容だったが、深い安堵を覚えた。
桜田門に出た。警視庁の建物を左手に見ながら内堀通りを堀に沿ってひたすら歩いた。
ここでも多くの人達が、黙々と歩いている。
国会議事堂は何事もなかったかのようにどんと建っていた。
立ち止まってその偉容を仰ぎ見た。心の中に大きな拠り所を得たように感じた。
最高裁判所、国立劇場の前を通って半蔵門に出た。そこから新宿通りを西に向かって真っ直ぐに歩けば、新宿まで行けることになる。





◆その5
最後の砦(5)

 どこからどのようにして、この新宿通に出てきたのか、大勢の歩行者と渋滞している車が道に溢れていた。
急ぎ足で歩いているから寒くはなかったが、頬に当たる風は冷たかった。
 新橋から半蔵門までは約一時間半ほどだった。
意外と時間が掛からないことに昌郎は驚いた。四時半を回っていた。
曇り空で、街はそろそろ薄暗くなってきたが、迷うことなく四谷まで歩けた。
建物の倒壊など外見から分かるような被害は全くない。
一見すれば何事もなかったようなビル群だ。
しかし、道行く人達の不安と動揺が街全体に充満し、ただ事でない雰囲気が犇々(ひしひし)伝わってくる。

四谷駅の前に着いた。バス停にはまだ沢山の人達が列を作って並んでいた。
公衆電話の前にも人々が列をなしていた。誰かが公衆電話の方が伝わりやすいと言った言葉が、伝搬したのだろうか。
四谷から信濃町方面に細い道を抜ければ、代々木までは近いと思ったが、また大きな余震が襲ってくるかも知れないと思い直し、昌郎は新宿通りをそのまま進むことにした。
四谷見附の交差点を新宿方面に渡った。昌郎の前に人波に紛れるように二人連れの老婦人が歩いていた。
彼女達は、どこから歩いて来て何処を目指しているのだろうか。
頼りない足取りに、昌郎は危うさを感じた。そんな矢先である。
その老婦人の一人が転んだ。彼女達のそばを歩いていた人達が、大丈夫かと声を掛けた。
転んだ老婦人は、ゆっくりと起き上がって大丈夫ですと笑顔で答えていた。
声を掛けた人達は、また足早に歩き去った。昌郎は彼女達を少し注視した。
転んだ老婦人は幾らか足を引きずっている。
もう一人の婦人は、心配げに相手を覗き込んで本当に大丈夫なのと声を掛けていた。昌郎は二人に近付いて行った。
「大丈夫ですか」
 小柄な二人は吃驚して、声を掛けてくれた青年を見た。




◆その6
最後の砦(6)


 老婦人達は小柄で、立っていても身長のある昌郎を見上げるような格好になった。
昌郎は、少し中腰になってもう一度尋ねた。
「大丈夫ですか。歩けますか」
 転んだ老婦人が、太腿を擦りながら笑顔で言った。
「ええ、大丈夫です。ご心配頂いて有り難うございます」
「本当に、姉さんはそそっかしいんだから。気を付けてね」
 もう一人の老婦人が、姉に苦言を呈した後で昌郎に礼を言った。
「ご心配をお掛けしました。なにせ、姉はそそっかしいので、しょっちゅう転んでいるんですよ。打撲ぐらい毎度のことですから」
「何言っているのよ。貴女だって何時も転んでいるじゃないの」
 そう言われた妹と覚しき老婦人は、茶目っ気たっぷりに答えた。
「まあね。どちらも若くないんだから、気を付けましょう。足腰立たなくなると、子ども達に余されちゃうからね、お姉さん」
「本当。せいぜい元気で、最期まで自分のことは自分でやれるようにしなくちゃね」
 老婦人達は互いに顔を見合わせて笑った。

その時だった。また大きな揺れが襲った。
彼女達は恐怖の表情を顔一杯に浮かべて、歩道の脇に蹲った。
昌郎も二人を庇うようにして、その場にしゃがんだ。
彼等の横を人々の群が間断なく通り過ぎていった。今回の揺れは長くはなかった。
老婦人達は、よたよたとしながら立ち上がろうとした。
そんな彼女達の腕を取って支えながら、昌郎もゆっくりと立ち上がった。
「揺れが収まったみたいですね。でも、また大きな揺れがいつ来るか分かりませんから、早くご自宅に戻られた方が良いと思います。
お住まいは、ここから近いのですか」
 どちらにともなく、そう昌郎は聞いた。




◆その7
最後の砦(7)

 「はい、家は四谷第一小学校の近くですから、もうすぐです」
 妹らしき老婦人がそう言った。
しかし、この近辺の地理に詳しくない昌郎には、彼女達の家の方向と距離が分からなかった。
だが、ここから近いと聞いて、人ごとながら何故かほっとした。
二人の老婦人は、有り難うございましたと言いながら、体を二つに折るように深く頭を下げて昌郎に礼をした。
そしてまた歩き始めた。そんな二人の後ろ姿を昌郎は暫く見送っていた。
しかし、転んだ老婦人の歩みはぎこちなく、もう一人の老婦人が手を差し伸べて、体を支えてやっている。
昌郎は決心した。すたすたと老婦人達の前まで行くと、くるりと彼女達に背を向けてしゃがんだ。
彼女達は吃驚して立ち止まった。
昌郎は、しゃがんだままで上半身だけを捻って後ろを向き、おんぶしてお宅まで送りますと言った。
まあと言いながら、彼女達は昌郎の突然の申し出に驚いた。
「自分は大学生で、参宮橋のアパートまで帰る途中です。一人暮らしですから、少しぐらい遅くなっても、別に誰にも心配掛けません。ですから、遠慮しないで下さい」
「姉さん。お言葉に甘えたら。若ぶっていても、もう立派な後期高齢者なんですから」
「何言っているのよ。貴女だって、立派な後期高齢者でしょう。私だけ年寄り扱いしないで下さいな。でも、歩けないことはないけれど、久し振りに若い人におんぶして貰おうかしら」
「そうして下さい」
 昌郎は両手を後ろに回して、おんぶする体勢を取った。
「それでは、失礼致します」
 昌郎の背に丁寧なお辞儀をしてから、よいしょと言って老婦人が昌郎の背中に体を預けた。



◆その8
最後の砦(8)

 それでは立ち上がりますよと声を掛けて、昌郎は立ち上がった。
老婦人は余りにも軽くて、まるで空気でも背負っているような感じだ。
手に触れるお尻の骨も鋭角で枯れ枝のようだと、昌郎は思った。
 昌郎は、老婦人達の指示のままに、新宿通りを少し西に進んでから左手の細い道に曲がった。
そのまま50メートルも行った所に彼女達の家があった。
昌郎の足では直ぐそこという感じだが、彼女達の覚束ない足では、やはり結構な道程かも知れない。
妹らしき老婦人の足取りに合わせて、ゆっくりと歩いて来たので、十分程掛かった。
その途中、彼女達は引っ切りなしにおしゃべりをしていた。少しはしゃいでいる様だった。
その話によると、彼女達は二時半の予約で、四谷駅の向こう側一番町にある掛り付けの医院に行き、そこで地震に遭ったらしい。
往路はタクシーで行った。帰りもその医院からタクシーを呼んで貰ったのだが、一時間以上待っても来なかった。
もう一度連絡を取って貰ったら、何時迎えに行けるか分からないという返事だった。
何時までも医院で待つ訳にもゆかない。彼女達は痺れを切らして歩いて帰ることにした。
話を聞くと医院と彼女達の家の間の距離は1キロと少しの距離である。
彼女達の足では三十分余りの距離だと思われ。新宿通りに面して建つビル群の後ろ側に、高い塀に囲まれた平屋の和風住宅があった。
そこが彼女達の家だった。
間口は、それほど広くはないが、奥に長く続く敷地は都会のど真ん中の個人住宅としては広い方だろうと思われた。
和風の板戸の門構えに続く高いブロック塀の上には、鉄で出来た剣先のようなものが連なっていた。
セキュリティーはしっかりしていて、どうやら警備会社と繋がっているようだ。警備会社のステッカーが門の右上の方に貼られていた。
その門の前で昌郎は背負っていた老婦人をゆっくりと下ろした。




◆その9
最後の砦(9)


 「それでは、自分はこれで失礼します」
 昌郎は、老婦人達にそう話して立ち去ろうとした。
「有り難うございました。大変助かりました。ねえお姉さん」
「本当に助かりました。よかったら、お茶でも飲んで行きませんか」
「そうよ、是非そうして下さいな」
 老婦人達は、昌郎の手を取るようにしながら家の中に誘った。
しかし、また何時大きな余震が来るか分からない。
昌郎は、アパートに早く帰りたかった。
「有り難うございます。でも、また大きな余震が来るかも知れません。早くアパートに戻りたいので、此処で失礼します」
 昌郎は、丁寧に断った。
「そうね。こんな時は、無理にお引き留め出来ないわね」
 彼女達は納得した。
「ところで学生さんとお聞きしましたが、何年生ですの」
「四年です」
「就職の方は如何ですか」
「はい、来月から教員として働くことになっています」
「まあ、学校の先生ですか。小学校? 中学校? それとも高校かしら」
 妹の老婦人が聞いた。彼女の方が姉よりも活発ではっきりとした性格のようだった。

「はい、高校です」
「まあ、どちらの高校ですか」
「それは、まだ決まっていません」
「公立の高校ですね」
「はい。そうです」
「貴方なら、きっと良い先生になれますよ」




◆その10
最後の砦(10)


 彼女達は、昌郎の名前を聞いた。
「木村昌郎さんですね。また何処かでお会いするかも知れませんわね。私は田口たえと申します。姉は山城さえです。たえとさえですのよ。二人とも連れ合いに先立たれ、子ども達も独立しましたので、こうして身を寄せ合って毎日気儘に暮らしています。何時でも遊びに来て下さいね」
 暇を告げて立ち去る昌郎の後ろ姿を、彼女達は名残惜しそうに何時までも見送っていた。
新宿通りに出る時、昌郎が振り返って見ると、彼女達はまだ見送ってくれていた。
大きな地震という危機に晒されながらも、昌郎の胸は、ほわりと温かくなった。
彼は立ち止まって二人の老婦人に大きく手を振った。
彼女達も、それを認めるとあどけない子どものように、小さな体を一際大きく揺らして手を振って答えてくれた。
昌郎は新宿通りをひたすら真っ直ぐ歩いた。
その間にも何度か余震に見舞われたが、それほど大きな揺れではなかった。
しかし、大きく長い揺れを直前に経験している人々は、少しの揺れにも、恐怖に身構え戦(おのの)いた。
デフレ状態が長く続き日本経済は極端に冷え込んでいる。隣国である中国や韓国との関係も悪化している。
沖縄の基地問題で、アメリカとも関係もぎくしゃくしている。
その上この大きな地震に見舞われた。
日本という国は、これから一体どうなるのだろうか。
誰もが大きな不安に苛まれ、人々を包み込んでいた。
昌郎は、伊勢丹の角から甲州街道に入った。
新宿駅南口の前を通ると、やはり大勢の人々で駅前が溢れかえっていた。
普段は颯爽と街を歩く都会の人達は進退窮まった顔をしていた。
歩いて帰ることを決心して駅前を出発する人達も大勢いたが、途方に暮れた帰宅困難者と思われる人達も多く見られる。



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