[連載]

   151話 〜 156話      ( 佳木 裕珠 )


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◆その151

もう一つの部活 (8)

 1校時目終了のチャイムが鳴った。
昌郎は、授業終礼のあと秀明の席に行って彼の膝の様子をもう少し詳しく聞いた。
「1週間ぐらい、痛みが続いているのか。ちょっと、見せてくれる」
昌郎に促されて、秀明はズボンの右裾を痛い膝のところまで捲り上げた。
膝の上あたりが腫れているように見える。
しかし、判断がつきかねた。
昌郎は、両膝を比べて見ることにした。
「左の方と比べてみよう」
秀明はズボンの左裾も膝の上あたりまで捲った。
左右の膝の様子を比べると、右側の膝が確かに腫れている。
そして秀明が痛いという膝の少し上あたりが、赤味を帯びているのも確認できた。
「昨日までは、まだ我慢が出来たんです。でも、今日の午後あたりから痛みが強くなってきて」
「練習のやり過ぎで、炎症でも起こしているのかな」
「いえ、テスト前なので、ここ1週間は走っていません。航大と一緒の練習も、テストが終わった後と約束しています」
そう言いながら、秀明は痛そうに右膝を摩った。
18時33分、2校時目が始まるのが35分。
昌郎は、このまま、ほっといてはいけないと思った。
全日制の養護教諭の南先生は、何時も7時頃までは保健室にいる。
生徒の面倒見がよく、色々な相談事にも乗ってくれる先生で、カウンセリングの経験も豊かな先生だ。
彼女は毎日、全日制の生徒達が帰った後、保健室便りの原稿を書き、週1回発行することを目標に頑張っている。
そんな南だから何時も7時頃までは、保健室にいる。
秀明が捻挫した時も親身になって手当てをしてくれた。
2学年の次の時間は、国語総合。
昌郎はすぐ職員室に行き、担当の絹谷に秀明の膝の様子について話した。
そして、全日の保健室の南先生の所に秀明を連れて行きたいから、彼が国語総合の時間を少し抜けさせて貰って良いかと相談した。
2校時目始まりのチャイムが鳴った。
「それなら、早い方が良いわね。私もテストの出題傾向を話した後は、自習にしようと思っているから大丈夫よ。テストの傾向については、クラスの仲間から後から聞けばいいから、今すぐ、連れて行って下さい。そうそう、その前に南先生がまだいるかどうか確認してみるわね」
絹谷は早速、内線電話で南に連絡を入れてくれた。
「南先生、待っていてくれると言うから、今すぐ、秀明君を連れて行って」
そう言って、彼女は急いで授業に向かった。
秀明は、歩くのも辛そうだった。
ここ数日休みもせずに、よく学校まで来たものだと昌郎は思った。
昌郎は、痛い足を庇いながら歩く秀明に手を貸しながら、ゆっくりと歩いて全日制の校舎に行った。



◆その152
もう一つの部活 (9)

 南は保健室の前に出て秀明と昌郎を待っていた。
彼等の姿を見ると駆け寄ってきて声を掛けた。
「どうしたの、保健室まで歩ける」
「はい大丈夫、歩けます」
「南先生、遅い時間にすみません。ちょっとこの子の膝を見て貰えますか」
「勿論よ。まず保健室で、膝の様子を見せてね」
 相変わらず膝は痛いのだろうが、南の温かな笑顔を見て秀明はホッとしたようだった。
南はまず、ズボンの上からどの辺が痛いかを確認すると、ズボンを脱いで貰って秀明をベッドに腰掛けさせた。
そして丹念に両膝の様子を見比べ、痛む右足の膝の上あたりを優しく触った。
「いつ頃から痛くなったの」
「1週間ほど前からです。あ、そのすこし前から走ると痛かったのですが、安静にしていると痛みが止むので、筋肉痛かなと思っていました。でも、その痛みは少しずつ長く続くようになり、1週間ほど前から走ったりしなくても痛みを感じるようになりました。そして今日の朝から急に痛みが強くなって、その痛みが、今もずうっと続いているんです」
「そう、病院には行っていないのね」
「はい、明日からテストだから、何とかテストが終わるまでは頑張ろうと思ったんです」
「ここの赤くなっているところ確かに腫れているわ。それに熱感がある。木村先生も、此処に手を当ててみてください」
 南に言われて手を当てると、その部分は確かに熱を帯びていた。
「本当ですね。熱っぽいですね」
「秀明君、何か変だなって思ったのは、何時から、小さなことでも良いんだけれど思い出してみて」
秀明は深く考えながら言った。
「そういえば、定通総体の試合が終わったあたりから走った後などに痛みを感じていたけれど、直ぐ痛みがなくなるんで、別に気にもしていなかった」
「そう、知らない間に何処かで膝をぶつけたとか、そんなことなかったかな」
「ありません」
秀明は、きっぱりと答えた。
「十代だから、成長痛と言うこともあるかも知れないけれど、痛みが強く長くつづいているようだから、まず、病院に行って診察して貰いましょう。善は急げ。明日は土曜日だから、今日中に見て貰えるように、連絡を取ってみますね」
「これからですか。お願いできますか」
「ええ、学校医の先生に電話をして診察して下さるように頼んでみます。電話が通じると良いんですが」
そう言いながら、南は学校医に電話を掛けた。



◆その153
もう一つの部活 (10)

 養護教諭の南真知子は、直ぐ学校医に連絡を取った。
都合の良いことに診察を終えたばかりの医師が電話口に出てくれた。
事情を話すと、今すぐ生徒を連れて来て下さいと言う。
「先生が診察して下さるとおっしゃるから、木村先生、今から秀明君を連れて行って下さいきますか。授業はありますか」
 昌郎は次の時間が空いていた。
「大丈夫です」
「それじゃ、タクシーを呼びましょう。車で5分ほどです。坂口外科クリニックと言えば、すぐ分かります。木村先生、一応診察料を立て替えて貰えますか。健康保険証を、明日持ってくると言って下されば、保険適用で対応してくれると思います」
「一万円ほどなら、財布の中に入っていますが、それで間に合いますか」
「それで大丈夫です」
 昌郎は、生徒昇降口に秀明を残して定時制の職員室に急いだ。
長津山教頭に事情を話して、これから秀明を病院まで連れて行くことの許可を貰った。
「3校時目の授業と帰りのホームルームについては心配しなくていい。後は、皆に任せて、先生はしっかりと秀明に付き添いって面倒見ること」
 長津山は、そう話して昌郎の肩を優しく叩いた。
 タクシーは既に校門の所で待っていた。
病院に着くとすぐに坂口医師が診察をしてくれた。
痛むところを確認しながら、秀明に様々な問診をした。
「膝の関節が痛いのかな」
「関節が痛いようでも、また、その少し横の所が痛いようにも思います」
「確かに関節の少し横、ここら辺が赤く腫れていて熱っぽいな。まずレントゲンを撮ってみよう」
 診察とレントゲン撮影を終えてから、坂口医師は消炎鎮痛治療を施し、鎮痛剤を処方してくれた。
「明日、午前中に来られるかな」
医師は、明るい声で訊いた。
「大丈夫です」
 秀明も明るく答えた。
問診、患部の触診そしてレントゲン撮影も含めて診察は30分ほどかけて丁寧に行われた。
学校へ帰るときには、医師に診察して貰い消炎治療もしてもらったという安心感もあったのだろう、秀明は気持ちが落ち着いたらしく、痛みも楽になったようだった。
タクシーで学校に戻ると、校門の所で南が待っていた。
「南先生、まだいて下さったんですか」
「ええ、坂口医師に電話を差し上げたら、今、車で帰ったとのことだったから。坂口先生に診て貰って良かったわね。少しでも痛みは和らいだ?」
「はい、大分楽になりました」
「明日、また病院に行って、しっかり治療し早く良くなりましょう」
 南は、そう秀明を励ました。
昌郎は、彼女の細やかな気遣いに心を打たれた。
秀明は3校時目の授業に少し遅れたが受けることができた。
昌郎が受け持っている3校時目の3年生の授業に、急遽、長津山が出向き試験勉強のための自習をさせ監督に当たってくれていた。
昌郎は、10分ほど遅れて長津山とバトンタッチし、生徒達に自習を続けさせた。
膝の痛みが和らいだ秀明は、3校時目の授業に出席し、ホームルームも終えてから、右足を庇うようにして帰って行った。
ホームルームを終えて職員室に帰ってきた昌郎は、直ぐ秀明の家に電話をした。
母親が電話に出た。
担任の昌郎からの電話だと知って、何かあったのでしょうかと不安げな声で聞いた。
昌郎は秀明の膝のことを告げ、病院に連れて行ったことを伝えた。
秀明の膝の痛みについては承知していて、母親も病院に行くように話していたのだが、明日から試験があるからと言って、病院に行くことを渋っていたらしく心配していた。
病院に連れて行って貰ったことに、感謝している様子で、電話口で何度も礼を述べた。



◆その154
もう一つの部活 (11)

 次の日の8時少し過ぎ、秀明は母親が運転する車に乗って、坂口外科クリニックに行った。
一番乗りだった。
9時からの診察を待った。
9時10分ほど前に、秀明が診察室に呼ばれた。
待合室でいる母親も診察室に呼ばれた。
母親は、坂口の前に秀明と並んで椅子に腰掛けた。
2人に坂口が言った。
「レントゲンだけでは、痛みの原因が分かりませんでした。紹介状を書きますので、これから大学病院の方に行っていただけますか。そこで、CTやMRIをやって貰いましょう」
 母親が、心配そうに聞いた。
「何か、複雑な怪我や病気なんでしょうか」
「いや、先ずしっかりと検査をして貰い、最良の治療を考えたいと思っているのです」
そう坂口は言ったが、彼の胸の中には大きな懸念があった。
昨日、診療を終え看護師達が帰った後、坂口は一人診察室に残って、先程撮影した秀明のレントゲン写真に見入っていた。
問診で秀明が陸上競技の5000メートルの選手だと聞き、運動による関節痛ではないかと考えた。
また年齢的にいっても、彼はまだ成長の段階にあるから、それに伴う成長痛であることも考えられるとも思った。
しかし、痛みが長く続いていること、夜間や運動をしていない時でも痛い状態が続くようになっていることに、ひっかかりを覚えた。
秀幸の右膝あたりの触診を行った時、関節というよりも、その近位部に熱を帯びた腫れが見られた。
その部分の痛みを訴えていたのだ。
手元にあるレントゲン写真を見ると、腫れは関節ではなく、そこから少し離れた所にあることが分かる。
坂口は、大学病院に勤務していた若い頃に担当した15歳の少年ことを思い出していた。
そんなことはないと、打ち消したい思いが先に立つが、冷静にその時のことを思い出してみれば、その少年と秀明の症状は非常に類似していると思った。
しかし、坂口が懸念する病気は非常に希なものであり、症例としては、全国でも年間に数百しかないものだ。
しかし、だからといって懸念するその病気ではないとも言い切れない。
坂口は、以前勤務していた大学病院で、CTやMRIで更に詳しい画像検査を行って貰った方が良いと判断したのだ。
ただ、懸念されることがあるとは秀明と母親には伝えなかった。
 秀明の母親から、昌郎のケータイに電話が入った。
ケータイに電話をして申し訳ありませんと言いながら、大学病院で更に精密に検査して貰うよう阪口医師が紹介状を書いてくれ、そちらに行って今、家に帰ってきましたと報告してくれた。
「しっかりと検査をしてから、適切な治療をすることは良いことだと思います。ところで痛みは弱くなっているようですか」
「鎮痛剤を服用しているので、多少、和らいでいるようですが、依然として痛みは続いているようなので、私から見るとテストを受けることが出来るような状態ではないと思うのです。今日から始まるテストを、秀幸はとても気にしていますが、私は学校を休ませたいと思うのですが」
 考えるまでもなく、登校を差し控えた方が良いと昌郎は思った。
「大丈夫です。しっかり検査をして貰って早く治すことが先決です。もしよろしければ、秀明君の声を聞きたいのですが」
「はい、秀明も先生とお話したいと言っています。今替わります」
「先生、心配をかけてすみません」
 電話口から秀明の声が聞こえてきた。
「テストのことは心配するな。しっかり検査をして貰って、早く良くなること」
「はい、そうします」
 秀幸は、気丈にそう答えてくれた。



◆その155
もう一つの部活 (12)

 坂口が一日の診察を終えて、カルテを整理している時だった。
大学病院から電話ですと、事務員に告げられた。
鈴ケ丘高校定時制の生徒の件だとピンときた。
懸念していることでなければいいがと思いながら、彼は受話器を握った。
電話変わりましたという間もなく
「坂口先生、正に先生が懸念しているとおりでした」
と告げられた。
電話の相手は、秀明の精密検査を頼んだ大学病院に勤める先輩医師からだった。
「とすると、やはり」
坂口の言葉を先取りするかのように、電話の医師が言った。
「間違いなく彼の病気は、骨肉腫です」
阪口は、やはりそうだったかと落胆した。
それが深い溜息なって電話口に洩れた。
そして、溜息にも似た声で「やはり、そうでしたか」と呟いた。
「CTやMRIを行った上で、更に腫瘍の一部をとって病理組織学的検査を行ったんだが、結果は陽性だった。
「彼の病気は骨肉腫に間違いない」
きっぱりとした口調で、先輩医師は言い切った。
まだ少年のあどけなさが残る秀明の顔が、坂口の脳裏に浮かんだ。
「そうですか。それで、病名とその内容を本人に知らせたのですか」
「いや、まだ伝えてはいない。明日、父親と面談して、このことを伝えようと思っている。その上で、本人へ告知するかどうかは、ご両親の判断に委ねるつもりだ」
「治療はどうなりますか。足の切断、もしくは関節離断術をしなければなりませんか」
 患者は、まだ16歳の少年だ。
前途洋々の年頃の少年にとって足を失うことが、どれほど辛いことなのか。
少年の心中は察するに余りあった。
切断、そうなって欲しくないと願わずにはいられなかった。
「いや、出来るだけそうしたくはない」
先輩医師も、そう言った。
「幸い、腫瘍は大きくないし、他のデータから推測しても、患肢温存手術でゆけそうだと踏んでいる」
「できるだけ、そのようにしてもらいたいものです」
「俺も、そう考えている。肺への転移を防がなければならないから早速に、化学療法を行いたいと思っている。まあ、この化学療法は、先生もご存じのように、吐き気、脱毛や白血球の減少などの辛い副作用を伴うから、周囲の理解とサポートがとても大切だ」
「そうですね。化学療法は一年はかかりますから、長い目でみたサポートが必要ですね」
「坂口先生は、彼の学校の校医だから、学校側とも連絡を取り合って彼を支えて上げて欲しいと思っている」
「勿論です。協力させて貰います。担任の先生も若くて面倒見の良い先生のようですし、養護教諭の先生も力になると思います」
「その為にも、本人への告知は大切なんだが、ご両親は、どう判断されるか」
 明日、両親とあった後の成り行きを心配する口調だった。



◆その156
もう一つの部活 (13)

 数日後に夏休み入るという日、秀明の母親が学校を訪れた。
両親の意向で、秀明本人に骨肉腫であると医師から告知して貰った次の日だった。
病名を聞き、その病の内容を告げられた時、秀明は大きな衝撃を受けたはずだが、彼は、その衝撃に打ちのめされた様子を両親には見せなかった。
彼の若さが、己の体内に巣くう大きな病に立ち向かっていくという気持ちを湧きあがらせていたのかも知れないが、それよりも、親に心配をさせたくないという気持ちが、秀明を内側から支えたのかも知れない。
とにかく、秀明は大きく動揺はしなかった。
しかし、母親は息子の強がりの裏にある大きな不安と、何故自分がこんな病に取り付かれなければならないのだという憤慨にも似た気持ちを隠し持っていることを感じていた。
秀明は、大病をする訳ではないのに小さな時から病気がちで、しょっちゅう学校を休んでいたと母親は昌郎に教えた。
腺病質は中学校に入っても同じで、出席時数は、ぎりぎりの線でなんとかクリアして3年生になった。
しかし、3年も夏休みが過ぎてからは、病気とはまったく縁がなくなっていた。
小柄で痩せていることは、今までと同じだが、内臓がしっかりとしてきたのだろうと、当初両親は思った。
高校に入っても病気で休んだことは一度もなく、高校1年生では皆勤を果たした。
そんな秀明だったが、今度は骨肉腫に冒されているというのだ。
親として息子が不憫でならなかった。
それまで、秀明の前では気丈に振る舞っていた母親だったが、昌郎の前で、突然、堰を切ったように泣き崩れた。
肩を小さく震わせて泣き出した秀明の母親を目の前にして、昌郎はどのように対処し慰めたら良いのかまったく見当もつかずに戸惑いつつも、母親の悲しみと我が子に対する深い愛情が、昌郎にひしひしと伝わってきた。
人生経験のない若い自分が、秀明の母親に慰めに似た言葉をかけたとしても、それはただ上滑りをするだけだろう。
それよりも、自分は秀明に何をしてあげられるのか、彼をどのように励まして行けば良いのか考え、それを実行して行かなければ成らない。
それは、今ここから始めなければいけないと、昌郎は強く思った。
 母親は、突然感情があふれ出し取り乱して泣いてしまったことを詫びながら、言葉を続けた。
「小学生や中学3年の一学期頃までは、腺病質で学校を休みがちな秀明でしたが、学校が嫌いだとこうことではないんです。それでも休みが多くなると、どうしても授業内容について行けなくなるので、成績は良くありませんでした。本人も、そのことは十分に知っていたので、高校は4年間かけてじっくりと勉強できる定時制を希望して、この学校に入学させていただきました。中学3年の夏休みが明けた頃から、何故か体調がよくなって、高校に入ってからは1日も休むことなく今まで登校してきました。親としても吃驚するくらいで、その上、持久走は他の皆さんよりも幾分得意だということも分かったんですが、そのことについては誰よりも秀明自身が一番驚いていたと思います。5000メートル競技にまで出させていただいて、秀明はとても喜んでいました。本当に有り難うございます。だから、この学校と繋がっている限り、秀明は、きっと今度の病を克服してくれると思っています」
 そこまで言うと、母親はまた目頭を押さえた。そして涙を拭き終えてから深々と頭を下げた。



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