[連載]

 161話 〜 165話      ( 佳木 裕珠 )



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◆その161
もう一つの部活 (18)

 新宿西口中央改札の前は、多くの人達が行き交い人で溢れていた。
改札口から出てくる人、駅に入って行く人。
縦横無尽の人の流れを見ていると目眩を起こしそうだ。
これだけの人が、改札口を出入りし何処から来て何処に行くのだろうか。
日本で一番乗降客が多い駅新宿。
人の波は渦を巻くようにしながら途絶えることがない。
昌郎は、目を凝らして玲が来るのを待っていた。
彼女の金髪は、この人混みの中でも見落とすことがなすだろう。
昌郎は、金髪を目印に玲を見落とさないようにした。
待ち始めてから5分ほど経った時、ふいに後から声を掛けられ、驚いて振り向くと、見知らぬ少女がそこに立っていた。
一瞬、人違いだと思った。
「先生。おはようございます」
昌郎の頭の中に疑問符が飛び交った。
この女子は誰。
見たことがあると思った瞬間、その少女が誰かということを確認した。
その少女は、黒髪を肩の辺りで切り揃えた玲、その人だった。
「玲、どうしたんだ、その髪」
驚きの色を隠さずに、昌郎は直截に聞いた。
「どうしたという訳じゃない。前の私の髪に戻っただけよ、先生」
昌郎が驚くことは、既に承知しているというように、玲は照れもせずに落ち着いた声で言った。
「前に戻って、もう大丈夫なのか。金髪でなくて良いのか」
学校の教師が、教え子の女の子に金髪にすることを勧めるような言葉に、玲は少し笑いながら言った。
「金髪の方が、良かったかな」
昌郎は、慌てて打ち消した。
「いや、そんなことじゃないよ。玲が金髪にして過去の自分の弱さから抜け出そうとしていた、その気持ちは大丈夫なのかと思っているんだよ」
教師として、高校生らしい髪の生徒を望んでいながらも、自分の気持ちを大切にして金髪にしても何も言わずに認めてくれていた鈴ヶ丘高校定時制の先生達に、玲は心から感謝していた。
玲は、やっと金髪から抜け出しても自分を見失うことなく進んで行けると思うことが出来たのだった。
「先生、今まで有り難うございました。私は、金髪にしなくても、ちゃんと自分らしく進んで行けると思えたのです。あんなど派手な長い金髪にして学校に行くことを許してくれた定時制の先生方に、本当に大感謝です。全日の先生方や校長先生から、私の金髪にクレームが付いていたことは、充分に知っていました。でも、そんなクレームにも拘わらず、私の金髪を許してくれた先生方のお陰で、私は自分を取り戻せました。これからは、鈴ヶ丘高校定時制の生徒として、クレームが付くようなことはしません。それよりも、定時制の生徒も頑張っているなと思われるようにしたいと思います」
「玲、君は今までも充分頑張ってくれているよ。そんなに気張ることはないんだよ。今のままの玲を、私は誇らしく思うよ。今回のトレセンに参加する時だからこそ、鈴ヶ丘高校定時制の為に髪を黒くしようと思ってくれたのかな」
「それ、ないとは言えませんが、それが大きな理由ではありません。もう、私は金髪にしなくて良いんです」
玲は、眩しいほどの笑顔で、そう言いきった。



◆その162
もう一つの部活 (19)

 リーダーシップ・トレーニングセンターは、八王子に在る研修施設で実施された。
アップダウンの多い敷地に研修施設が点在していて、宿泊施設や食堂、研修場所の移動に少し難儀する所だったが、高校生には何の苦もなく行き来していた。
その研修会場に着くと、既に、三の橋高校定時制の森航大と青少年赤十字同好会の顧問でもある常山弘が到着していた。
昌郎は勿論のこと常山も生徒の玲も航大も、全くの初心者で、参加することへの不安は大きくて受付の時点から緊張していた。
参加生徒は徐々に集まり、全体で30数名程。
研修生としての教諭の参加は、昌郎と常山のみで、あとはスタッフと呼ばれる高校教員が7名と東京都支部の職員3名と指導講師と呼ばれる人が1名。総勢40数名のこぢんまりとした研修だった。
3泊4日の間、昌郎と常山は基本的に生徒達と一緒に研修を受け、1日の1時間〜2時間程度、教員用の研修を支部の指導講師である村上先生という人から講義や指導を受けるようなプログラムになっていた。
昌郎達にとって、何も分からないまま研修がスタートした。
「先見」「ボランタリー・サービス」「ワークショップ」などと最初から聞き慣れない言葉が出て来た。
オリエンテーションで説明を受けたが、実際に経験しなければ分からない。
昌郎は自分もさることながら、玲や航大が皆について行けるかどうかが心配だった。
研修内容もそうだが、彼等2人以外は全員全日制の生徒達だから、違和感のようなものを感じて居づらくなり、途中で帰りますと言い出すかも知れない。
そのことも視野においておこうと、昌郎と常山は話し合っていた。
しかし、そんな心配は、オリエンテーションの前に行われたアイスブレークで薄まった。
アイスブレークとは、知らない者同士がこれから一緒に活動するために、お互いを知るゲームのようなものだった。
勿論、その中に昌郎と常山、そしてスタッフの先生方も加わって行われた。
「1週間の待ち合わせ」というような名前のゲームだった。
広い研修室の彼方此方で任意に4人ずつ集まって、それぞれが自己紹介し合う。
まず月曜日と設定された出会い。
そして火曜日と設定された出会いは、最初にまとまった4人以外の人達と違う位置で出会って自己紹介する。
それが水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日と続くのである。
会場で生徒や先生達が7回賑やかに交流した後、ゲーム進行のスタッフが「それでは、水曜日に会った4人で、その時に集まった位置で再会してください。そしてお互いの名前を確認してみてください」と指示されるのだった。
「え、水曜日の出会い?」と言う声が彼方此方で聞こえた。
誰と一緒だったか、何処の位置での出会いだったか。
水曜日のという3回目の出会いは、なかなか思い出せない。
会場が良い雰囲気で混乱したが、こっちだよとか、あなたと一緒でしたねとか、君と一緒は何曜日だったっけなどと交流の内に、何となく水曜日に出会った仲間達がまとまるというゲームだった。
そのアイスブレークで一気に参加者達が打ち解けていく様子が昌郎には手に取るように分かった。
そして参加者の輪の中に、自然に溶け込んでいる玲と航大を少し離れた所で見て、昌郎と常山は、互いに頷き合うのだった。



◆その163
もう一つの部活 (20)

 リーダシップ・トレーニングセンター(トレセン)の研修は、計画通り一つずつ積み上げるようにして進行していった。
ホーム・ルームという5つの班分けがあり、一つのホームルームは6〜7人ほどの生徒で組み分けられ、そこに1人のスタッフの教師が付いた。
玲と航大は違うホームルーム。
多分、スタッフの先生方が、意識的にそうしたのだろうと思った。
昌郎と常山も教員対象のプログラム以外は、それぞれ別々のホーム・ルームに入って生徒と一緒に行動するようになっていた。
勿論、玲と航大のいるホームルームではなかった。
この研修の日常に於ける行動の目標は、青少年赤十字の態度目標である「気付き、考え、実行する」で、指示のない生活、自分から気が付いて考え、行動することが求められた。
その一つとして「掲示板」の活用がある。
参加者への様々な連絡や呼び掛け、注意事項などは全て掲示板を使って連絡される。
つまり、口頭で何かを伝えると言うことは原則としてない。
参加者は常に自発的に掲示板を見る事が要求された。
また、参加生徒達同士の連絡やお知らせの場にもなっていた。
研修のコマ毎にチャイムが鳴ることはなくノーチャイムでプログラムは進行して行く。
参加者は自分できちんと時間管理をして5分前行動を心掛けるのだ。
昌郎は、これは良いシステムだと感心した。
どんなに熱心に此方から呼び掛けたり注意したりしても生徒達に伝わらないことが多かった。
だから何度も同じ注意を繰り返し行うが、それらの注意が浸透しているという実感はなかなか持てなかった。
しかし、此処では違っていた。
1人の仲間が気が付かない時は、掲示板を見ていたものが教えてくれたり、一緒に再度掲示板を確認するという行動がスムーズになされていた。
掲示板に貼り出された連絡事項等は、一定の期間が過ぎれば、取り除かれて保管され、後日の確認材料となるので、連絡等を記した紙を貼り出した日と時間、そしてその伝達を行っている者の名前を明記することになっている。
昌郎は、夏休みが明けて学校に戻った時、自分が担任している2年生の教室でも、口頭ではなく掲示板を使った伝達での注意や連絡方法を試してみたいと強く思った。
教員となって4ヶ月あまり。
今までは、ただ無我夢中でやって来た。
その中で藻掻き苦労しながら、教師としての自分を深く見詰めることがなかったことに気が付いていた。
この研修期間中に、今までの教師として自分がどのように取り組んできたのかを自分なりに検証するよい機会しようと思った。
トレセンは宿泊研修で24時間教育でもある。
赤十字のこと、国際理解・親善、青少年赤十字のメンバーとしての活動、キッドを使った高齢者擬似体験や車椅子体験などの福祉体験、そして、研修期間中に気付き・考え・実行するボランティア・サービス、様々な活動計画を理論的にスムーズに進めるためのワークショップなどを、3泊4日でこなすのだから内容は勿論、日程もハードだった。
しかし、そんな研修の中にも若者達が楽しんでエネルギーを発散させる為のフィールドワークやキャンプファイヤーなどが盛り込まれていた。
昌郎と常山は、同じ宿泊室だったから、1日の研修が終わった後、宿泊室で充分に語り合うことが出来た。
宿泊室は6人部屋で、昌郎達の他にスタッフの先生方もいて、この先生方からも教師としての経験や考え方などを聞くことが出来たことも、昌郎や常山が、教師というものについて、改めて考える良い機会となった。



◆その164
もう一つの部活 (21)

 トレーニング・センターを終えて部屋に帰ってきた昌郎は、その日の夕方、秀明の家に電話を掛けた。
秀明の容体がずっと心配だった。
電話口に出て来た母親は、明るい声で応対してくれたが、秀明は治療の苦しみとの戦いだった。
腫瘍はさほど大きくなかったので、手術などはせずに化学療法が行われた。
骨肉腫は肺に転移することが多いらしく、その為にも抗がん剤を使った化学療法が有効だと医師達も判断した。
この化学療法には多くの副作用があり、それとの戦いが患者には苦しい。
秀明は、その化学療法の真っ最中で、電話口に出ることも、ままならない。
母親は、本人が電話に出られないことを詫びながら、秀明のことを話してくれた。化学療法によって白血球が減少し、吐き気や嘔吐に繰り返し見舞われているという。
副作用には個人差があるらしいが、秀幸の場合は決して軽い方ではなかった。
そして、脱毛もあり、髪の毛は全部抜け落ちてしまったと言った母親は、その時まで明るく話していた声を思わず詰まらせてしまった。
昌郎は、どんな慰めを母親に掛けたら良いのか分からなかった。
少しの間、沈黙が流れた。
「すみません。取り乱してしまって」
秀明の母親は、そう言って言葉を繋いだ。
「でも、秀明は頑張っています。苦しいだろうに、泣き言一つ言わずに頑張っています。そして、私達を逆に励ましてくれるんですよ、先生」
そう言うと、母親は堰が切れたように電話口で泣いた。
昌郎は、何も力になれない自分がもどかしかった。
お母さんを少しでも励ましてあげたいと思ったが、その言葉すら思い浮かばなかった。
「すみません。何も手助けが出来なくて」
昌郎は、そういうのがやっとだった。
母親が電話の向こうで涙を拭うのが分かった。
母親は、落ち着きを取り戻して言った。
「先生、有り難うございます。先生にお話を聞いて貰ったら、何か気持ちが楽になりました。秀明は、今はとても苦しいでしょうが、治療が終われば副作用もなくなって回復するとお医者様も言っています。もう少し、あともう少しで、今回の治療は一旦終わります。その時になったら、秀明も楽になります。そうしたら、先生、秀明を見舞ってあげて下さいますか」
「是非、お見舞いに行きたいです。今回トレセンに行ってくれた花戸さんや三の橋高校の森航大君も、秀明君に会ってトレセンのことを話したいと言っています。勿論クラスの皆も、秀明君に会いたがっています。落ち着いたら、連絡してください。待っています」
 昌郎は、努めて明るい声で言い電話を切った。
しかし、切った電話の前を暫くの間、動くことが出来なかった。
秀明が不憫だった。
あんなに良い子なのに、なぜ、秀明が骨肉腫にならなくてはならないんだ。
そして、苦しい治療に耐えなくてはならないんだ。
中学校の時、人間関係で心を痛めた秀明が、鈴ケ丘高校定時制で、やっと彼らしく生き生きとした高校生活を送っていたのに、そんなささやかな秀明の幸せを打ち消してしまうような病気になってしまったことが、とても理不尽なことに思われた。
しかし、そんな現実を秀明は乗り越え健康を取り戻そうと歯を食いしばって頑張っている。
彼の担任として、自分は一体何が出来るのだろうか。
それを考え実行しなければならないと強く思った。



◆その165
もう一つの部活 (22)

 秀明を見舞うことが出来ない今、自分は一体、彼に何をしてやれるのだろうか。
そう考えた昌郎は悩み抜いた末に、秀明に手紙を書くことを思いついた。
相手の都合に関係なく一方的に此方からかける電話と違い、手紙だったら秀明の体調が良くなった時に読んで貰えるだろう。
急ぐ内容ではなく、元気付けたい内容の手紙だから、遅くなって封を切って貰っても良い。
封筒の表に、「体の具合が良い時に読んでください」と添え書きすればいい。
昌郎は、手紙を書くことにした。
内容は、今回参加したトレーニング・センターのこと。
秀明が参加したいと思っていたトレセンだから、きっと嬉しいと思う。
自分のトレセン参加のまとめにもなる。
昌郎は、今は亡き由希との高校時代に交換した手紙のことを思い出していた。
あの経験から、手紙が相手を勇気付ける大切な行為であることを、彼は心に刻んでいた。
昌郎は、秀明への手紙を一気に書き出した。

 夏休み中は夜間の授業がないので、定時制の先生方も日中の勤務となる。
夕方5時までの勤務だが、昌郎は夜の7時頃までは学校にいることにしていた。
と言うのも、文化祭の計画や準備のために生徒会執行部の生徒達が、毎日何人かずつ学校に来るからである。
鈴ケ丘高校の文化祭は、毎年10月下旬に全・定合同で開催される。
夏休みが明けると、あっという間に文化祭になってしまう。
夏休みから準備をしないと間に合わない。
定時制として、どんなパフォーマンスで文化祭を盛り上げるのか。
まず、生徒会役員の話し合いから始まる。
全日制と定時制の校舎が別れているので、定時制として独自の展示や出し物が出来る。
生徒会にとっては、とても重要な行事だ。
定時制に通う生徒達の多くがアルバイトや仕事を持っているので、役員が一同に会して、話し合ったり作業をしたりすることがなかなかできない。
アルバイトが早出の勤務で午後の時間が空いた、また仕事のシフトの関係で休みになったなど、登校出来る時間が出来た時に生徒達が登校すると言う状態だった。
その中でファミレスでアルバイトをしている花戸玲は、土日は夕方から夜にかけての勤務だが、通学の都合上、平日は朝から混雑する昼を挟んで夕方4時までの勤務形態なので、夏休み期間中も毎日のように夕方4時半頃から7時頃まで学校にいて、生徒会の仕事をやっていた。
それは、トレセンから帰った後も同様だった。
 トレセンを終えて玲が初めて学校に来た時、昌郎は、電話で知った秀明のことを彼女に伝えた。
そして、秀明に激励の手紙を書いたと玲に話すと、私も手紙を書くと彼女は言った。
秀明がトレセン参加できなくなり、玲が急遽1人でトレセンに参加することになってしまい、彼女は初め大きな不安に押しつぶされそうだったが、始まって直ぐ、参加している他校の、それも全日制の生徒達と一緒に、なんの隔たりもなく活動が出来たのだった。
3泊4日間のスケジュールは休む間もないようなタイトなものだったが、それが故に素晴らしい経験が出来たと思えた。
トレセンに参加して赤十字活動に一層の興味と関心を持つことが出来た。
そのことを秀明に伝えたいと玲は思っていたのだ。
このトレセンに参加することによって青少年赤十字活動に対して芽生えた自分の思いを秀明に率直に伝えたい。
伝えなければならない。
玲は強くそう思った。
その思いは、森航大も同じだろう。
「先生、三の橋高校の森君も秀明に手紙を書くと思います。彼等はそれぞれの電話番号や住所を教え合っていましたから。先生から聞いた秀明の今の状況を、森君に教えても良いですか」
「勿論だよ。航大君が手紙を書いてくれたなら、それはきっと秀明にとっても大きな力になると思う」
自分達が秀明に対して今できる事を実行に移す。
それはトレセンで学んだ「気付き、考え、実行する」ことでもあった。



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