[連載]

 171話 〜 180話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その171
文化祭(6)

 「万里に、何かアイデアがあるか?」
そう寅司に聞かれた万里は、徐に立ち上がると、クラスの皆をゆっくりと眺め回してから言った。
「皆、日中何か仕事をやってから、夜に学校へ来て勉強するの疲れない? 疲れるよね。私は疲れる。全日の生徒達がさ、帰宅する時間帯に私達は学校に来て、それから授業受けるんだよ。日中の仕事で疲れてさ、それでも学校に来るんだよ。全日の生徒達が、日中、机の前に座って勉強している時、私達はバイトやパートで仕事をしている。家にいる人は、家族の介護や家の仕事を手伝っている。寅は日中、家造っているんだよね」
「当たり前だよ、大工だもの」
「隆也や譲は、道路造っているんだよね」
「道路造っているって言ったって、ほとんど交通整理と穴掘りだぜ」
「俺達、胸張って道路を造っていますと言えるかな」
隆也と譲は、互いに顔を見合わせて苦笑いした。
「何言っているのさ。立派に仕事しているじゃないの。あんた達が頑張っているから道路が造れるんだよ」
百合は、視線を大介に移して言った。
「大介は、朝早く起きて新聞を配達してからボクシングの練習そして夕方にも夕刊配達。それから学校だよね」
そう言われた大介は
「俺には、チャンピオンになる夢があるんだ」
と胸を張った。
百合も胸を張った。
「私にだって、夢がある。だから頑張っている。家族のために家事と看病で日中を過ごしている人だっている。康男は、学校が終わってから街に出て、歌を歌っている。大きな夢を持って。ビッグなミュージシャンを目指してね。桑山のおかあちゃんの事も、全日の人達に知って貰いたい。皆、日中様々な事をして、それから学校に来ている。律子は、一流の大学目指しているんでしょう。だから日中は塾に通っているんだよね。そんな私達の日常を知って貰いたいと私は思うの。だから私達一人ずつの1日を紹介するような展示をしたいと思っている。皆、日中にどんなことをして、そして夜に登校しているのか。私達にはどんな夢や希望があるか。そんなことを堂々と発表したら、全日の子達が、私達定時制で学ぶ生徒達を特別な目で見ることがなくなるのじゃないかと思う。私達はもっと定時制で学んでいることを誇りに思っていいと思う」
「私、日中あんまり頑張っていないよ。何日かコンビニでバイトしているけどさ。全日の生徒には、学校終わってから、夜コンビニでバイトしている子もいるよ。その子も偉いと思う。定時制の生徒だけが頑張っているわけじゃないよ」
芽衣也は、そう言って万里の提案に反対した。
「でもさ、芽衣也にだって夢あるでしょう」
「夢か。ある様で無いような」
芽衣也は、少し言葉を濁した。



◆その172
文化祭(7)

 万里は、芽衣也に笑顔を向けて言った。
「あるわよ。芽衣也、何時だったか、女を磨いて銀座の夜の蝶になって、銀座に店を持つんだって言っていたじゃない」
二人でそんなことを話したことを芽衣也は覚えていたが、それを忘れずにいてくれた万里に驚いた。
「万里、そんなこと、よく忘れないで覚えていたね」
「その話を聞いた時、ああ、そんな考えもあるんだって、結構衝撃的だった。そして、芽衣也のこと見直したよ。だから忘れないわよ」
「そのことを、同じ中学校を卒業した全日の子に話したら、不健全な夢ねって鼻で笑われたよ。あの子達にとって、私の夢は健全じゃないし、アウトローなんだわ、きっと」
「そんなことない。芽衣也の夢は、芽衣也のもの。あんたの夢は、簡単に実現するものじゃない。それはそれなりに大変な努力と苦労が必要だと思う。芽衣也の夢が実現したら大したものだよ。それだって、立派な生き方だと思う」
「そう思う? 万里、本当にそう思う」
「本当に思っているから言うんじゃないの」
「じゃあ、私は万里の提案に賛成する」
クラスの皆は、簡単に自分の言葉を覆して平然としている芽衣也に苦笑したが、彼女の夢を否定はしなかった。仲間達一人一人の個性ある夢を皆が認めている、そんな雰囲気が話し合いの中に存在していることを昌郎は、とても嬉しく感じた。そして、クラスの仲間の苦労と心の傷を知っているからこそ、互いを否定し合うのではなく認め合おうという気持ちが芽生えているのだと、昌郎は思うのだった。
突然、天宮準一が立ち上がった。皆、驚いて彼を注視した。とつとつと準一が語り始めた。
「俺さ、今年この学校に転校してきた」
「そんなこと、言わなくたって皆知っているよ」栄大がぼそりと言った。陽明も小さく頷いた。そんな二人を見て、準一は言葉を続けた。
「その理由、皆、薄々知っているよね。単刀直入に言って、俺、前の学校の授業について行けなかった。テストは何時もビリ、しかも赤点かそれに近い点数。俺、中学の時、自分は頭良いんだって思っていた。自信があった。でも、俺ぐらいの奴は、何処にでも、ざらざらいるって事に、高校に入ってから気が付いた。自慢なんかで言うんじゃないけれど、俺の兄貴、東大生なんだ」
へえーという声が皆から洩れた。
「だから、俺も当然東大に入れるんだって、中学の時に思っていた。でも、兄貴と俺は、別個の人間。兄貴が東大に入れたからと言って、俺が東大に入れる保証は何処にもない。前の高校に入って、それを嫌と言うほど知らされたよ。本当のことを言えば、俺は挫折して、この学校に来たんだ」
一瞬、教室内の空気が凍り付いた。



◆その173
文化祭(8)

 前の学校で挫折して、この鈴ケ丘高等学校の定時制に転入してきたという、準一の言葉の中には、だからクラスの皆も挫折組なんだと言う意味が込められているのだろうか。
準一は、そんな上から目線でこの鈴ケ丘高校定時制の生徒を見ていたのだろうか。
そんな思いを抱き、準一の話を不愉快に思った者が多かった。
しかし準一の次の話で、そんな負の思いは消えた。
「そんな俺を、この学校はしっかりと受け入れてくれた。木村先生は、個人面談の時のだけじゃなく、そのあとで何度も時間を作ってくれ、俺の話しをじっくり聞いてくれた。前の学校じゃ、そんなことはなかった。成績が悪いのはなぜだ、なぜ身を入れて勉強しない、お前の兄は努力家で成績が優秀だった。そして東大にも入れた。いつも、そんなことばっかり言われて一年間過ごして来た。各教科の単位認定も、転校して行くのであれば、転校先に2年生で入れるように単位を認めるという暗黙の条件があった。さりげなく、それを伝えられた。俺は、留年してもう一度1年生としてやり直したいという気持ちは全くなかった。それだったら転校して2年生になる方が、まだましだと思った。でも俺は、納得して此処に転校したんじゃない。はっきり言って嫌だったよ。何で俺が定時制で勉強しなければならないんだって、マジで思った」
準一は、そこで一旦言葉を区切った。
クラスの誰も何も言わなかった。
重苦しい空気がクラスの中に流れた。
少し間を置いてからまた、準一は話し始めた。
「そんな俺の気持ちを充分に知りながら、この学校は俺を受け入れてくれた。今年4月当初は、本当に学校に来るのが嫌だった。前の学校から比べたら授業内容は簡単だし、生徒達の授業に取り組む姿勢が悪い。だから進度も大幅に遅れている。でも、各教科の先生方の教え方は丁寧で噛み砕いて分かるまで教えてくれる。そして皆は、それぞれに学校に在籍している事実をしっかりと受け止め、定時制に通っているからこそ出来ることを一生懸命やっている。そんな、皆を観ているうちに、俺、少しずつ少しずつ、この学校が好きになっていった。クラスの皆のことも少しだが分かるような気持ちになって来た。そして木村先生は、俺の話をじっくりと聞いてくれた。そして将来の目標を見付けることの大切さを話してくれた。俺はその時から、ずっと自分の目標を考え続けていた。けれど、なかなか見付からなかった。でも、夏休み中に、やっとその目的なるものを一応見付けることが出来た。それは、この学校に入ったからこそ見付けられたんだと思う。毎日、夜暗くなってから学校に通って来る皆の一生懸命な姿を見てきたからだとも思う。何も、大学に入らなく立って良いんだ。大学に入るだけが人生の価値じゃないんだと俺は思えるようになった。そして、この鈴ケ丘高校定時制の生徒として国家公務員の試験に合格しよう。いや、してやろうじゃないか。高卒は初級しか受けられないけれど、それでこそ皆の身近に関する仕事が出来るんじゃないか。そう思ったんだ。だから、俺、皆の前で宣言します。俺の目標は、国家公務員の試験に合格して国家公務員になること」
そこまで言って準一は百合に顔を向けて言った。
「百合、そんな俺の思いを発表しても良いんだよな」
百合は、目を輝かせていった。
「勿論だよ、準一」
少し経って拍手が起きた。
「流石、準一。鈴ケ丘高校のエース」
そんな掛け声も聞こえた。




◆その174
文化祭(9)

 昌郎は、彼等の話し合いに、じっくりと耳を傾けていた。
そして彼等の様子をワクワクしながら見守っていた。
今までのホームルームの話し合いで、今回のように皆が一つになって熱心に話し合う事はなかったが、今日は本気で話し合っていると感じた。
普段は何でも無いような顔をしているが、定時制で学ぶことに負い目を感じながら、陽が暮れてから登校する時に、賑やかにおしゃべりしたり、ふざけ合ったりして下校する全日制の生徒達と擦れ違う時、無意識に俯いてしまうようなところが、大なり小なり皆の気持ちの中にあるように思う。
勉強が出来ないから、家庭が貧しいから、中学の時に何かしでかしたから、そんなマイナスの要因で定時制に通っているのではないだろうかと、全日制の生徒達から見られているかも知れない。
そんな全日制の彼等に、定時制で学ぶことの意義、素晴らしさそして彼等にはない自分達の努力を知って貰いたいという思いが、何時も心の中に燻っているのだ。
彼等は彼等なりに、未来へ向かって必死に藻掻いているのだ。
此処にいる15人の生徒達が、自分の夢を全日の生徒達に向かって語りたいと、強く思い始めていることが昌郎にひしひしと伝わってきた。
昌郎は、4月当初は知らなかった彼等でなければ経験できない日々の苦労やそれに立ち向かう精一杯の努力を、定時制の教師という立場を通して否応なしに知ることになった。
たった5ヶ月あまりしか経っていない教師生活の中で、それは自分の教師としての、いやもっと大きく言えば人間としての生き方や考え方に大きな影響を与えてくれる。
生徒達の境遇や苦労そしてそれに立ち向かう精一杯の努力を知れば知るほど、自分はいかに苦労や努力が足りないかと、昌郎は思うのだった。
そんな彼等の懸命さを少しでも知って貰える機会として、文化祭での展示が出来るのならば、それは素晴らしいことだと昌郎は思った。
それは、クラスの皆も同じ思いだと感じた。
クラスの皆が自由に話しながら、一つの話題に集中している。
万里の思いとクラス皆の思いが一致した。
万里の言葉には、なんの見栄も打算もない心から出た真実味があった。
そして彼女とこのクラスの皆の切実な思いも籠められていた。
話し合いは進み、各自がそれぞれ通常の一日の朝から夜までの行動を記録した壁新聞を作るということになった。
それには写真を貼っていいし、自分達が仕事場で使う道具や仕事着を展示してもいい、また、今自分が夢中になっている趣味のことでも良いし、特技だっていい。
とにかく、その展示の中で最終的には、自分の将来の夢とそれ向かって頑張っている日常を語ろうということになった。
自分の夢を語ることは、一寸恥ずかしいところもあるだろうが、頑張る力を与えてもくれる。
そして自分を自分が認めることにも繋がる。
更には自分にとっての努力目標や今後の行動の指針見えてくる。
そして何よりも一日一日を大切にして生きて行ける。
昌郎はそう話して皆を励ました。
「先生」
万里が昌郎に言った。
「先生も、壁新聞作るんだよ」
「え、自分も作るのか」
「そうよ。先生も作るのよ」
万里は、当然という風に言った。
そして、クラスの皆も、当然だよと口々に言った。
「そうか、自分も壁新聞作るのか」
そう言いながらも、生徒達と一緒に自分の一日の紹介と夢を語ることが出来ることを、昌郎は嬉しく思った。




◆その175
文化祭(10)

 万里には、もう一つの提案があった。
文化祭の前の日に体育館を会場にして「前日祭」が毎年企画される。
全日制と定時制の展示や発表をアピールする壇上パフォーマンス、そして演劇部の発表を一般公開に先駆けてやるのだ。
全日制の展示や発表のアピールでは、各文化部長やクラスの代表が登壇して、自分達の展示や発表等を宣伝し、是非大勢で来てくださいと呼び掛ける。
定時制は、生徒会長が各展示・発表をまとめて紹介することになっているが、全日制の派手なパフォーマンスの陰に埋もれてしまうような、なんの工夫もない通り一遍の地味なものだった。
前日祭は、金曜日の午後に開催されるので、定時制の生徒達はほとんど出席できないないから、それもやむを得ないと思っているところが、参加した僅かな定時制の生徒達にはあった。
しかし、万里には不満だった。
万里は中学の頃から、家の近くにある鈴ケ丘の文化祭を、毎年、楽しみにしていた。
特に演劇部の発表が楽しみだった。
中学を卒業したら鈴ケ丘高校に入学し、演劇部に入りたかった。
しかし、大きな借金を抱え、その返済に四苦八苦している両親には、高校進学でさえも経済的な負担は掛けられなかった。
彼女は中学校を卒業してすぐ高校には入らず、2年間スーパーマーケットで働いて学費を貯めた。
本当は、鈴ケ丘高校全日制に入りたかったのだが、家計を助けるためにも、彼女は働かなくてはならない状況で、全日制は諦めなければならなかった。
定時制に演劇部がないことは知っていたが、彼女は家から徒歩で通えるので、鈴ケ丘高校の定時制に入学した。
そんな万里だったが、演劇には他の誰よりも強い関心があり、中学を卒業してからすぐ、劇団に入っていた。
どうしても演劇がやりたかったのだ。
劇団に入ってから、万里は今年で4年目になる。
小柄で目立たない自分に演技者としての花がないことは、劇団に入った当初から薄々感じていた。
それでも演劇が好きだった。
演劇は皆で作るもので、演目によって様々な役が必要。
いずれは自分に向いた役柄と出会えるだろう。
その時のためにも、今は、どんな端役でも与えられたら一生懸命にやって行くことが大切だと、万里は思った。
だから、一通行人だって、舞台に出られるだけで嬉しかった。
そんな彼女は、鈴ケ丘高校の文化祭で上演される演劇発表を毎年楽しみにしていた。
中学生の頃から万里は、文化祭の一般公開時に上演される鈴ケ丘高校全日制の演劇発表を観ていた。
昨年度、初めて前日祭での演劇の発表を鑑賞した。
前日祭での発表は、今まで観ていた一般公開時の演劇とは違った緊張感があると感じた。
前日祭の日は、アルバイトを休みにして貰った。
昨年の前日祭で観た演劇部の発表は、本格的な劇団に入っている万里からみると、まだまだ拙いところがあると思うが、それにも増して、高校生らしい懸命さが感じられ、これこそが高校演劇だと別の意味で感動した。
また、自分だったらどのように演じるだろうかと、舞台を観ながら想像するだけでも楽しかったが、その反面、前日祭での定時制の展示等の紹介には、がっかりしていた。
定時制に与えられた時間は短いから、何人もが発表するのはむりだ。
しかし与えられた短い時間を使って、もっとインパクトのある紹介方法はないだろうかと万里は思った。
昨年度の文化祭当日、定時制の方に来てくれた人達の数は、全日制の半分にも満たず、全日制の方が盛り上がっている分、一層淋しく感じたものだ。
それは、定時制の誰しもが思ったに違いない。
昨年度の文化祭が終わってから、どうすれば、定時制の方に全日制の生徒達が来てくれるだろうかと、彼女はずっと考えていた。
そして今年の文化祭を迎えるに当たって、彼女が考えたのが、スライドショーで、定時制の展示内容を伝えようということだった。
更に、そのスライドショーの中心に、2年生全員の日中の姿、夜間の勉強風景。
そして1人ずつが短く自分の夢をテロップで流すようなスライドを作り、前日祭で全日制の生徒達に観て貰いたい、そして定時制の展示に少しでも多くの人達に足を運んで貰いたいと思ったのだった。
クラスの中では、この提案にも異論は無かった。




◆その176
文化祭(11)

 例年、文化祭は11月の第一土曜日と決まっている。
夏休みが終わり既に9月に入っている。
文化祭まで後2ヶ月しかない。
定時制の生徒達は、日中に仕事や家事をこなしてから、夕方になって登校し夜の9時まで授業を受ける。
放課後に出来る文化祭の準備活動は1時間ほどしかない。
ほとんどの生徒は、土曜日や日曜日も仕事やアルバイト、また家の手伝いなどがあるから、土日に学校に出て文化祭の準備が出来る者はほんの数人に限られる。
年間計画は4月当初に決まっていて文化祭の日程も分かっていたから、夏休み中に準備を始めるためにも、ホームルームでの文化祭の話し合いは、夏休みに入る前にしておけば良かったと昌郎は後悔した。
しかし、そんなことを言っても時間が前に戻ることはない。
今できることを一つずつ積み上げて行くしかない。
昌郎は、そう自分に言い聞かせた。
夏休み明けの一週間で、文化祭までのスケジュールを生徒会役員を中心として昌郎は綿密に練り上げたが、それは日程的にハードな計画だった。
それに加えクラスの展示も今までにない企画で、それぞれが、きちんと仕上げられるかが心配だ。
2年生一人一人の展示は、写真を中心にして模造紙にまとめることになった。
クラス皆の学習風景は勿論のこと、働いているところや家の手伝いをしているところ、それぞれが夢に向かって自分の好きなことに打ち込んでいる様子など、昌郎が写真を撮って回ることになった。
昌郎自身の一日を紹介する展示物も作らなければならない。
考えただけでも目が回りそうだった。
しかし、クラスの皆にスナップ写真は任せろと言ってしまった手前、昌郎は、もう後には引けないと思った。
また彼は、前日祭で披露する定時制の展示物紹介のスライドショーを万里と一緒に作らなければならない。
生徒達がどれだけ動いてくれるか心配だが、そんなことは言っていられない。
とにかく、生徒達を信じて、毎日毎日計画したスケジュールをこなして行くしかない。
昌郎は覚悟を決めた。
文化祭のクラス展示企画のことについて、昌郎は秀明に手紙を書いた。
秀明は、骨肉腫という難病と闘っている。
あの細くて小柄な体で、苦しい治療に耐え懸命に頑張っている。
その秀明が自己紹介の壁新聞を作ることが出来るかが心配だった。
無理をしなくても良い。
もし無理ならば、私が代わりに、秀明を紹介する壁新聞を作ってもいいと、手紙に書き添えた。
間もなく母親を通して秀明から返事が来た。
治療は一週間ほど続くが、その後は数週間休止となる。
その期間を利用して、秀明は壁新聞を作ることが出来るだろうとの返事だった。
ひ弱そうだけれども、何事に対しても前向きに取り組む秀明に、昌郎は逆に励まされる思いがした。
模造紙大の壁新聞でなくてもいい。
A4判のコピー用紙に纏めたっていい。
彼が病気と闘っている様子や、病からの復帰後に青少年赤十字活動と陸上の5000メートル競技に打ち込みたいと思う気持ちを伝えてくれるだけで良いと昌郎は思った。
 クラスの皆の職場や家そして大介が通うボクシングジムや万里が通う劇団、路上ライブの康男の様子など、彼等と日程を打ち合わせて写真を撮って回った。
忙しい日々の中での写真撮影だが、クラスの一人一人の今まで知らなかった側面をみることができた。
昌郎にとってそれは、クラスの生徒達をより深く理解する良い機会になっただけでなく、教員としての視点や生き方に大きな影響を与えた。
自分が高校生の時に通っていた学校にも、夜間の定時制課程が併設されていたことを、昌郎は思い出していた。
自分が日中学校生活を送っていた時、同じ年代の人達が仕事をしていたことに、昌郎は、改めて深く気が付いたのだった。




◆その177
文化祭(12)

 クラスの皆で、自分の日常を紹介する壁新聞を作ろうと意見が一致したものの、作ろうとすると、皆それぞれになかなか内容が決まらなかった。
つまり、自分の何を伝えたいのかが、漠然としているのだった。
伝えたいことが、自分の中で明確になっていなければ、壁新聞を作ったにしろ、無意味なものになってしまうだろうと昌郎は考えた。
それぞれ自分にはどんな特徴があるのだろうか。
自分は一体、未来にどんな夢を持っているのだろうか。そして、これから自分はどう行動して行けば良いのだろうか。
それぞれが前向きになって考えることによって、壁新聞の内容が決まってくるのではないだろうか。
その為には、どうしたらよいか。
昌郎は個々人が一人で考えるのではなく、何人かの仲間と話し合うことによって、自分の様々な面を見つけ出して欲しいと思った。
その人の生き方や価値感の答えは、その人自身の中にしかない。
その答えの一端を幽かにでも感じられるような壁新聞であって欲しい。
昌郎は、そう強く願った。
昌郎は、次の週のホームルームの時間と、本来ならば授業をしなければならないのだったが、その前の昌郎の授業時間を続けて使い、自分というものを見詰める作業をして貰うことにした。
まず、クラスを5人ずつの3つのグループに分けて、その中の1人ずつについて、互いに良いところと頑張っていると思うところ、そしてこうすれば、もっと良いのではないかというものを、グループ5人の真ん中に広げた模造紙に、付箋紙にメモして張り出して貰うことにした。
その作業の中での大切な約束を伝えた。
一つ目の約束は、決して他の人の意見を否定しないことだと話した。
否定するのではなく、そのような見方もあるのかと受け入れること。
二つ目の約束は、様々な答えは全てその人の中にあると言うことを認めること。
そして三つ目は、前を向いて互いに前進しようと心掛けること。
この3つを、守って話し合うことを伝えた。
クラスには男子9人と女子6人の15人いた。
丁度、1つのグループに男子を3人、女子2人が配置された。
このグループ作りは、くじ引きで決めた。
皆、わいわいとくじを引き、それぞれのグループに分かれた。
話し合いになると、互いに見知った中なので、自然に各グループの中でリーダーシップをとる者が出て来た。
話し合いをして行く中で、クラスには15人しかいないが、互いに知らないことが多いと彼等は気が付いた。
そして自分自身が、クラスの皆から、どのように見られているのかについても、知ることが出来たようだった。
それらのことを総合して、自分はどんな良い点を持っているのか、どのようにこれから進んで行くことが良いのか。
前向きな考えが彼等の中でまとまっていったように昌郎は思った。
このやり方は、昌郎が夏休みに参加した青少年赤十字の指導者研修会の中で経験したことだった。
皆がこの話し合いによって、どのような答を見出したのか、それが壁新聞の中に現れることを昌郎は期待した。




◆その178
文化祭(13)

 文化祭までの日々は、目まぐるしく過ぎていった。
クラスの皆の今までにないような一体感が感じられた。
誰もが、自分の日常についての紹介を纏めた壁新聞の作成に向き合っていた。
彼等の壁新聞は、単なる平面ではない。
窓のような扉を付け、その中に写真やメッセージなどを入れたり、その窓枠が立体的に張り出しているものもある。
壁新聞の上部の両端を糸で結び、その糸に数枚の写真を下げたり、数枚の頁を捲るような仕掛けがあったりと、それぞれの壁新聞は、彼等ならではの工夫が見られた。
そう言う細工は女子の方が得意で、男子はどうしても単純な壁新聞になりやすいのだが、そんな面白みの少ないものに、女子達が様々なアドバイスをしたり、実際に作ってやったりしていた。
そんな作業をする放課後の1時間を彼等は楽しみにしていた。
皆の様子を見ていると、昌郎まで力が湧いてきた。
教師とは、生徒達のいきいきとした行動と笑顔、そして前向きに頑張る姿に支えられている仕事であることを実感するのだった。
昌郎は、クラスの生徒達の日常の写真撮影を出来るだけ引き受けた。
その中で、今まで知らなかった、生徒達の様々な側面を知ることが出来た。
寅司は、親方の家の離れで、五歳年上の先輩の大工と共同で暮らしている様子や大工の仕事場でいきいきと働いている様子を見ることが出来た。
隆也や譲は、都内の道路工事現場での交通整理をバイトでやっているが、その車の誘導の仕方の的確さに、昌郎は驚くと同時に彼等なりのプロ意識を感じることが出来た。
栄大は、おばあちゃん子であること。
母親は学校自体に大きな不信感を持っていると言うことは、昨年の担任であった福永から聞いていたが、昌郎が、家に行った時に、あからさまに「学校にも先生方にも、あまり期待はしていません。栄大の家での写真は、私が撮りますから、お帰りください」と言われ、学校に対する不信感の強さを実感することになった。
しかし、それはそれで受け止めなければならない事実であることを肝に銘じるきっかけになった。
陽明は精神疾患のある母親との二人暮らし。
母親は陽明に頼り切っている。
以前は家に引きこもっていて陽明が、母親の面倒のほとんどを見ていたが、今は、母親の病院と関係施設への定期的な入院と自宅での生活のバランスがとれ、以前よりも陽明の負担は減っているものの、やはり高校2年生の年齢での母親の面倒は、大変だと言うことも肌で感じた。
陽明と大介の母親同士が姉妹で、陽明にとって大介の存在は大きな力になっていることも良く分かった。
そして大介のプロボクサーになるための強い信念と努力の一端を垣間見ることも出来た。
ストリートミュージシャンの康男の活動を直に見ることも出来た。
路上に立って歌う康男は、格好良かった。
歌声も爽やかだと思った。
道行く人達に、彼の歌を立ち止まって聞いてくださいと声を掛けたくなるほどだった。
準一の母親は、昌郎が自宅に来ることを歓迎してくれたが、準一の今の姿とこれからの進路には大きな危惧を持っていること、そして自分の子どもが定時制高校に通っていることは本意ではないと思っていることを知った。




◆その179
文化祭(14)

 6人のクラスの女子についても、それぞれの家庭や職場等を訪問して、写真を撮らせて貰うことになった。
そのことを通して、学校では気が付かなかった彼女達の様々な事を知ることが出来たことは、文化祭のクラス展示の為だけではなく、これからの彼女達との接し方や指導の仕方に大いに参考となるところがあると、昌郎は思った。
 クラスで一番の年長、学校全体の生徒達としても最年長の桑山琴絵の職場であるドラッグストアーに行った時、いきいきとして働く彼女の姿に昌郎は、学校の中とはまた違う琴絵の責任ある社会人としての一面を見せてもらった。
今は、一店員として働いている彼女に、行く行くは1店舗を任せたいと、会社の方で思っているらしい。しかし彼女は、中学卒業の資格しかない。
店長になる為には、一般医療品を販売する資格「販売登録者」の資格を取得しなければならない。
その為にまず高校卒業の資格を取ることが必要で、今、定時制高校に通っているのは、「販売登録者」の取得試験を受けるにあたっての条件としての高卒の資格を得るためだと言うことを、新学期当初に行った個人面談の時に、昌郎は琴絵本人から直接聞いて知っていた。
琴絵は、その穏やかな人柄としっかりとした仕事ぶりで、店長を初め店舗のスタッフの人達から全幅の信頼を受け頼りにされていることが、職場を訪問してはっきりと分かった。
学校で「おかあちゃん」と親しまれて頼りにされている琴絵は、仕事場でも「琴絵さん、琴絵さん」と親しまれ頼りにされていることが、ひしひしと伝わってきた。
「おかあちゃん」だったら、最終的な目標としている薬剤師にも成れるだろうと昌郎は思った。
琴絵の家での様子は、息子が写真を撮ってくれるというので、彼女の家には行かなかった。
琴絵には、1人息子がいた。
その息子が大学に入学した年に、琴絵も鈴ケ丘高校の定時制に入学した。
同じ四年間で、琴絵は高校を卒業し、息子は大学を揃って卒業することを、先ずは目標の第一ステップとしている彼女は、学校でも勿論だが、職場でもいきいきとして働いていた。
高田律子は、何時も母親と一緒で、日中は家事を手伝いながら家にいて、バイト等はしていない。
彼女には年子の弟がいて、この弟は優秀で都内の進学校に入っているが、娘の律子は精神的に弱い子だと母親は思っているようで、常に自分の傍に置いておきたいと思っていることが、彼女の家庭を訪問して昌郎はぼんやりとだが感じることができた。
律子の母親は栄大の母親と同様に、学校に強い不信感を抱いていることも分かった。
先生は、今年教師になったばかりで何も知らないだろうがと切り出して、玄関先で昌郎に長津山教頭の悪口を並び立てた。
長津山は生徒に厳しすぎると言うのだ。
娘の律子は精神的に弱い子なのに、過呼吸で試験を受けられなくなっても追試験を許可してくれなかった。
それで如何に自分の娘が傷付いたかと、くどくどと話した。
しかし昌郎は、律子は精神的に弱いとは思っていなかった。
友達も彼女を精神的に弱い子だとは思っていないだろう。
彼女は真面目に授業を受けていたし、成績も悪くはない。
ただ、いざという時、本番に弱いところがあると、昌郎は感じていた。




◆その180
文化祭(15)

 文化祭までの日々は、目まぐるしく過ぎていった。
クラスの皆の今までにないような一体感が感じられた。
誰もが、自分の日常についての紹介を纏めた壁新聞の作成に向き合っていた。
彼等の壁新聞は、単なる平面ではない。
窓のような扉を付け、その中に写真やメッセージなどを入れたり、その窓枠が立体的に張り出しているものもある。
壁新聞の上部の両端を糸で結び、その糸に数枚の写真を下げたり、数枚の頁を捲るような仕掛けがあったりと、それぞれの壁新聞は、彼等ならではの工夫が見られた。
そう言う細工は女子の方が得意で、男子はどうしても単純な壁新聞になりやすいのだが、そんな面白みの少ないものに、女子達が様々なアドバイスをしたり、実際に作ってやったりしていた。
そんな作業をする放課後の1時間を彼等は楽しみにしていた。
皆の様子を見ていると、昌郎まで力が湧いてきた。
教師とは、生徒達のいきいきとした行動と笑顔、そして前向きに頑張る姿に支えられている仕事であることを実感するのだった。
昌郎は、クラスの生徒達の日常の写真撮影を出来るだけ引き受けた。
その中で、今まで知らなかった、生徒達の様々な側面を知ることが出来た。
寅司は、親方の家の離れで、五歳年上の先輩の大工と共同で暮らしている様子や大工の仕事場でいきいきと働いている様子を見ることが出来た。
隆也や譲は、都内の道路工事現場での交通整理をバイトでやっているが、その車の誘導の仕方の的確さに、昌郎は驚くと同時に彼等なりのプロ意識を感じることが出来た。
栄大は、おばあちゃん子であること。
母親は学校自体に大きな不信感を持っていると言うことは、昨年の担任であった福永から聞いていたが、昌郎が、家に行った時に、あからさまに「学校にも先生方にも、あまり期待はしていません。栄大の家での写真は、私が撮りますから、お帰りください」と言われ、学校に対する不信感の強さを実感することになった。
しかし、それはそれで受け止めなければならない事実であることを肝に銘じるきっかけになった。
陽明は精神疾患のある母親との二人暮らし。
母親は陽明に頼り切っている。
以前は家に引きこもっていて陽明が、母親の面倒のほとんどを見ていたが、今は、母親の病院と関係施設への定期的な入院と自宅での生活のバランスがとれ、以前よりも陽明の負担は減っているものの、やはり高校2年生の年齢での母親の面倒は、大変だと言うことも肌で感じた。
陽明と大介の母親同士が姉妹で、陽明にとって大介の存在は大きな力になっていることも良く分かった。
そして大介のプロボクサーになるための強い信念と努力の一端を垣間見ることも出来た。
ストリートミュージシャンの康男の活動を直に見ることも出来た。
路上に立って歌う康男は、格好良かった。
歌声も爽やかだと思った。
道行く人達に、彼の歌を立ち止まって聞いてくださいと声を掛けたくなるほどだった。
準一の母親は、昌郎が自宅に来ることを歓迎してくれたが、準一の今の姿とこれからの進路には大きな危惧を持っていること、そして自分の子どもが定時制高校に通っていることは本意ではないと思っていることを知った。



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