[連載]

 181話 〜 186話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その181
文化祭(16)

 栄大や律子の母親に、彼等の家での写真は此方で撮ると言われれば、今の時代、それが可能であるから、家の人に家庭での様子を写真に撮って貰うのが一番だと、昌郎は思った。
沼崎百合と花戸玲そして大西芽衣也に家での写真を家の人にとって貰うかと聞くと、彼女達は、昌郎に家に来てもらって撮って貰いたいとのことだった。
彼女達の母親が、娘の担任である昌郎と会って話を聞くことも出来るからと、訪問して写真を撮って貰うことを希望してくれた。
 百合の父親は全盲で左足も不自由で、介護が必要な状態なので、母親と百合がそれにあたっていた。
百合には名古屋に、既に結婚し2人の子どもがいる少し年の離れた姉がいたが、夫の勤務の関係で東京を離れてから随分長くなり、名古屋に戸建ての家も構えてしまっていたから、行く行くは百合がお婿さんを迎え自分達と一緒に暮らして欲しいと、両親は考えているようであった。
父親が全盲で足も不自由といっても、母親は大らかで明るい人で、百合の性格は母親似だと思えた。
その母親が、自分の娘のことを
「この子は浮き世離れしたところがあって、先生にもお手数をお掛けしていることが多いと思います」
と笑いながら話した。
「浮き世離れ」という古めかしい言葉を使っていたが、なにか百合にはぴったりだと昌郎は感心した。
確かに百合は、一般的にちょっと変わっている子と言うところだろうが、明るい性格で人に対する思い遣りもあるので、クラスの皆からも好かれていた。
昌郎は、百合が父親の介護をして散歩をするところや母親と一緒に食事の支度をするところなどを写真に納めた。
玲の父親は下町にある町工場で働いている。
母親は食品会社のパートに出ていたが、昌郎が写真を取りに行った日には、パートの時間をずらして家にいてくれた。
小学2年と5年の弟がいるが、どちらも学校から帰ってきていて、その弟達と一緒に遊んでいるところを中心に写真を撮った。
玲はファミレスでアルバイトをしているので、店の許可を貰って、その様子も写真に納めた。
大西芽衣也の母親は、小さなスナックを経営していた。
芽衣也は母親とよく似ていた。
若い感じの母親で、今までに会った母親達とは、醸し出す雰囲気が全く違っていた。
午後に尋ねて欲しいということで午後2時頃に訪問した。
その時には既に母親は身支度を調え、濃い目の化粧をしていた。
店に行く前に突き出しの買い物をして行くと言うことだったので、短時間で写真を撮って帰ろうと昌郎は思った。
母親と自分がソファーに並んで座っているところの写真だけを芽衣也は希望したので、その構図で5枚ほど写真を撮った。
帰り際に、芽衣也の母親が「うちの芽衣也は、高校を卒業したら、私の店を手伝って、店をもっと大きくしたいと言っているんですよ」と嬉しそうに話した。
昌郎には強い印象として残った。
そしてもう一つ、芽衣也が少し席を外した時、芽衣也に聞こえないように、声を潜めながら昌郎に言った。
「去年退学した黒森という女の子が学校に行くかも知れませんが、芽衣也には会わせたくないので、宜しくお願いします。芽衣也も彼女のこと嫌いなのですが、芽衣也に纏わり付いてくるようで、何か誘われると断り切れないようです」
初めて聞く名前だった。
芽衣也が写真を撮って貰うために髪を整え終えてリビングに戻って来たので、母親の話もそこで止まってしまった。
雰囲気から、その黒森という女の子のことは、芽衣也の前では話題にしない方が良いのだろうと昌郎は思った。
学校に帰って、黒森という女の子のことを福永に聞いた。
黒森の名前は、綾という。
彼女は、去年の秋にこの鈴ケ丘高校定時制を1年の途中で退学した女の子だった。
退学理由は一身上の都合ということで定かではないが、どうも援助交際などをしているというような噂を聞いているたと福永が言った。
生徒達は、一様ではない。
様々な彼等なりの人生を抱えているのだと、各家庭や職場を訪ねたことで、昌郎は生徒達の様々な面に触れることができたと思うのだった。



◆その182
文化祭(17)

 今回の文化祭の前日祭で定時制のピーアールビデオを作ろうと言いだしたのが、小枝万里。
彼女は、昼はスーパーマーケットでバイトをして、夜は定時制に通っている。
スーパーのバイトは早番で、午後の学校が始まる前に劇団に行く。
時には、学校が終わってから、稽古場に行くこともあるらしい。
正にハードなスケジュールだ。
昌郎は、万里の体力が持つのか、何時も心配している。
時々、顔色が優れないことがあり、疲労が溜まっている様子も見えた。
そんな時の彼女は、いらいらしていて誰彼構わず当たり散らすことがあるので、クラスの皆から少し距離を置かれていた。
それでも万里は、自分の夢に向かって劇団の活動には手を抜かなかった。
土曜日・日曜日にも劇団の活動が入ることが多いらしいので、何時息を抜くのかと昌郎は心配していたが、今のところは、彼女を見守るしかなかった。
万里は、担任の昌郎に対しても、結構ぞんざいな物言いをして、心配されることを嫌がっている様子だった。
昌郎はそんな彼女の気持ちを汲んで、万里は万里なりに頑張っているのだから、担任としては、彼女の思いを大切にして、まずは見守ろうと思っていた。
その万里が、今回は珍しく、彼女の方から昌郎との距離を縮めて来た。
毎年、文化祭は、全定合同で開催されるのだが、全日制の展示や発表に定時制の生徒達が行っても、定時制の方に全日制の生徒達が来ることは少なかった。
確かに、定時制の展示や発表は全日制のものと比べれば魅力的なものが少ない。
それに費やす時間や労力が絶対的に定時制の生徒達の方が少ないから仕方ない。
しかし、文化祭という機会を使って、定時制に集う生徒達が、日中どんな過ごし方をしていているのか、また夜間の学習と仕事を両立させるためにどのような努力をしているか。
そのようなことを紹介する展示があれば、全日制の生徒達が定時制の展示の方へも来てくれるのではないだろうか。
前日祭に行う定時制の展示・発表の紹介の時に、定時制の生徒達の日々の生活の紹介を中心としたスライドを作成して上映したらどうかという万里の考えにクラスの皆は賛成し、生徒会執行部の生徒達も賛同した。
ただし、1年・3年・4年の生徒達は、クラス展示を自分達の日常の紹介ではないもの、例えば家庭科の時間に作ったものとか授業で作成した美術や書道の作品展などで済ませる計画だった。
だから、2年のクラスの生徒達日常の紹介のスライドを中心として、前日祭の時の定時制の展示や・発表展示紹介に使用するスライド・ショーの作成を生徒会の執行部は万里に一任したのだ。
万里は、その大役を引き受け、担任で生徒会の指導担当でもある昌郎に手助けを頼んだ。
勿論、昌郎は万里に全面的に協力した。
 一番最後に万里の一日を紹介する写真撮りをすることになった。
午前9時から万里のスーパーのアルバイトが始まる。
スーパーでの写真撮影の許可を万里は事前にとっていた。
昌郎は店長に挨拶をした後で、万里のスーパーでの勤務の様子のスナップを撮った。
万里は学校にいる時とは全く違った雰囲気で、てきぱきと仕事をしていた。
中学を卒業してからすぐ、スーパーでのバイトを初めて今年で3年目になる彼女は、店長にも当てにされる存在だった。
万里の仕事の様子を撮っている昌郎のところに店長がやって来て、そんな話をした。
彼女は先輩職員の40台と覚しき女性と二人で野菜の売り場で働いていた。
その先輩も手放しで彼女を褒めた。
万里ちゃんがいなかったら、野菜部は回らないとまで言った。
万里は学校では見たことがないような笑顔を絶やすことなく働いていた。
昌郎は、そんな明るく闊達な万里の働く姿を見て驚きながらも感嘆せずにはいられなかった。



◆その183
文化祭(18)

 昌郎は、万里がスーパーの仕事を終えるのを待ってから、二人で慌ただしく菓子パンと牛乳で昼食をとった後、急いで劇団の稽古場に行った。
その稽古場は南新宿にあり、昌郎の部屋からは、それほど遠くはなかった。大体のところ南新宿と北参道の間といっていいだろう。
昌郎は毎日、小田急線の北側を中心に生活しているから、方向から言えば全くの逆側になる。
それほど離れてはいないと言っても線路を挟んだ反対側にその稽古場があるから、行ったことのない所だ。
街並みも、昌郎が住んでいるところと大分雰囲気が異なる。
その稽古場は古めかしいビルの1階のワンフロアーを使っていた。
昌郎と万里が稽古場に到着すると、既に稽古は始まっていた。
中心で大声を上げて指揮している男がその劇団の主宰者で、昌郎は、まずこの男性に挨拶をした。
「ああ、小枝さんから聞いてますよ。彼女の活動を中心として写真を撮るということですね」
「はい、ご多忙のところ、誠に申し訳ありません。練習の邪魔になるようなことは致しませんので、宜しくお願い致します」
「小枝君を被写体にして写真を撮るのは、何も問題ありませんが、これから発表する劇の様子をとることは避けて下さい」
 それだけ言うと、劇団員達の指導に戻っていった。
 稽古場での万里はスーパーでの様子と一変していた。
今回の演劇における万里の役柄は、一度一寸だけ舞台に出る『客』の一人。
台詞は『これ、幾ら』の一言だけだった。
あとは裏方として小道具や大道具の準備や据え付けが主な仕事だ。
彼女の場合、稽古と言っても一瞬だけで、ほぼ裏方の仕事が中心と言って良さそうだった。
小柄な体型で、目鼻立ちもこぢんまりとしている。
普段、街の中を歩いていれば人波の中に埋もれてしまうような目立たない存在だろう。
そんな万里に回ってくる役柄は、いつもちょい役で主要な登場人物ではない。
しかし、万里の演劇にかける熱意は半端なものではなく、気迫さえ感じられる。
長い髪を後で無造作に束ね、パーカーとジーパンで、忙しく動き回る万里は、先輩達から怒られながらも懸命に働いていた。
ひきつったような表情で、必死に立ち働く万里の姿をカメラ越しに見ながら、昌郎は痛々しささえ感じた。
万里の表情は、常に苦虫を潰したような状態で眉間に皺を寄せていた。
万里は、この劇団での活動を本当に心から楽しんでやっているようには、見えなかった。
それよりも苦悩に満ちた表情だと昌郎には思われた。
俳優としての花も、万里からはほとんど感じられなかった。
ただ、彼女の痛いほどの一生懸命さだけは強烈に伝わって来た。
その日は、教頭の許可を得て、何時も行われる3時からの職員打合せを免除して貰っていて、始まりのホームルームに間に合って出勤すれば良いことになっていた。
昌郎と万里は、学校へ行く途中にあるチェーン店の牛丼屋に寄り、少し早めの夕食をとった。
牛丼を食べながら昌郎は、万里に聞いた。
「万里、本当に演劇活動に遣り甲斐を感じている?」
え、意外なことを聞くというような顔を昌郎に向けて、万里がきっぱり言った。
「勿論だよ。嫌々やっていないよ。今の私から劇団での活動をとったら、何も残らないよ。空洞になっちゃう」
「でも、今日一日、万里の様子を見ていると、スーパーで働いている方が楽しそうだった」
「そりゃあ、スーパーの仕事は楽しいよ。店長も、おばさんも良くしてくれるから。反面劇団の活動は叱られることの方が断然多い。頂く役も一言でも台詞があればいい方。役を貰えない時だってあるんだから。でも劇団にいる時は、一瞬一瞬が貴重な経験なんだ。どんな辛い仕事でも、必ず後々の演技に役立つと思うから」
そう話す時の万里の瞳は、輝いていた。



◆その184
文化祭(19)

 2年生のクラス全員の家庭や職場、そして活動場所でのスナップを撮り終えた昌郎は、データをプリントアウトして各自に渡した。
その写真をどのように使用して自分の日々の様子を紹介する壁新聞を作るのか楽しみだった。
クラスの全員は、毎日放課後の1時間ほど学校に残り、その制作を行った。
自己紹介の壁新聞作りが始まってからは、クラス一丸となって文化祭の準備に取り組んでいるという雰囲気が感じられた。
その相乗効果だろう。
皆は授業にも積極的に参加するようになった。
授業を受け持つ福永や川北など教師達も口を揃えて、2学年のクラスの雰囲気が変わったと言った。
昌郎は嬉しくなった。
授業中の居眠り常習の隆也や譲そして芽衣也もきちんと起きて授業を受けるようになった。
好きなこと、集中できること、目的があることが彼等の授業に対する取り組み姿勢を改善させていると昌郎は思った。
昌郎が高校時代、応援団活動に専念できたからこそ、自分の青春の日々が充実していたと思えるのと同じことだと思った。
昌郎の父親は、
「人様に迷惑がかかることや悪事・悪意が無い限り、自分の好きなことを徹底的にすることは大切な事だ」
と常々話していた。
そして昌郎の応援団活動にも理解を示し、親として様々な協力を惜しまなかった。
今、自分が受け持っているクラスの生徒達も、今回の文化祭に展示する壁新聞作りに打ち込むことによって、学校生活の他の面についても真剣に取り組む気持ちになったのだろう。
昌郎にはそう思えた。
クラスの皆が一緒に集まって作業することで、それぞれが色々なアイデアを出し合い助言し合うことが出来た。
そんな様子を見ている内に昌郎は、作成する壁新聞が例え出来がそれほど良くないにしても、それは問題ではないと思えるようになっていた。
個性派だらけのクラスだが、このことがきっかけで、クラスのまとまりが出来るような気がした。
実際、今までにはなかったクラスとしての連帯意識が育まれているようだ。
昌郎も彼等がいる教室で万里と一緒に、前日祭で上映する定時制の展示・発表の紹介スライドを作成していた。
2学年の皆が、どんな夢や希望を抱きながら、どのような定時制ライフを送っているのか、2学年の展示を中心に据えて1・3・4年生の展示、少ないながらも存在する文化部の作品発表、そして秀明の思いを繋いで玲が立ち上げた青少年赤十字同好会のトレセン報告などもスライドの中に組み込むことにした。
しかし昌郎は、不慣れなパソコンの操作に苦労していた。
そんなスライド作成に苦戦している昌郎のところに天宮準一が寄ってきて
「先生、ここはこうした方が良いです。その操作は違うと思います。こんな感じでスライドを印象づけることも出来ます」
などと教えてくれた。
昌郎は、準一だったら良いスライドを作ってくれるのではないかと思った。
「準一、スライド作りを手伝ってくれないか。内容の構成とスライドの説明は、万里がする。手伝うと言うより準一にやって貰いたいと思うんだが、どうだろう」
そう言う昌郎の話を聞いて、万里は勿論クラスの皆も、準一にやって貰おうと賛成した。
準一は嬉しそうに快諾した。
更に、スライドショーに使うBGMは俺にさせてくれないかと、康男が申し出てくれた。
彼は、路上ライブで自分が作った曲を歌っている。
康男は歌に人一倍の思い入れがある。
そんな自分の思いをこのスライドに籠めたいと言った。
「そうだ、康男にやってもらおう」
この康男の申し出も、クラスの皆に受け入れられた。
皆の得意とすることを結集して作ったなら、それこそ、このスライドは彼等皆のものになる。
きっと、この経験は彼等のこれからの人生の励みになるだろう、昌郎はそう強く思った。
そして、学校とは、ただ学力向上だけではない役割や使命、そして価値があるのだと深く胸に刻んだ。




◆その185
文化祭(20)

 康男の編集力は目を見張るものがあった。
様々なツールを駆使しながら、スライドが編集された。
その中には、文化祭の展示や発表の準備をしている生徒達の様子も、動画で挿入されていた。
スライド紹介をする百合の語りも、落ち着いていながらも熱意を感じるものだった。
BGMも康男のオリジナルで若い感性に溢れていると昌郎は思った。
生徒一人一人が何かしら好きなもの、得意なものを必ず持っていると言うことを、そして彼等のこれからの人生の中で、それらは必ず力になるだろうと、昌郎は思うのだった。
 前日祭の3日前に、余裕を持ってスライドが完成した。
まず、このスライドを定時制の生徒達に見て貰うことになり、職員室の隣にある図書室に生徒と先生達が集まった。
この図書室は窓側と廊下側の2カ所の出入り口の所を除いた全ての壁が天井までの本棚になっていて、そこに蔵書が収まっていた。
普通教室2つほどの広さになっているので、定時制の全生徒と先生方が一堂に集まっての様々な行事が行えた。
本棚には白いカーテンが掛かっていて、集会の時や会議の時には、カーテンで本棚を隠すようになっていた。
その白いカーテンをスクリーンとしてスライドを上映することになり、折りたたみの机を壁際に寄せて広くして、生徒達は各自の椅子を持参し集合した。
全生徒と言っても56人、それに先生方も入ると丁度皆が椅子に座って映像を見ることが出来た。
初めに、皆から、まんチャンと呼ばれて親しまれている4年生の生徒会長岩村満(みつる)が挨拶をした。
満は、前日祭の時に、定時制の展示や発表をアピールするスライドを作ったこと、そして、その制作を引き受けてくれたのが、2年生の万里や準一そして康男であることを皆の前で紹介した。
満の挨拶の後すぐに、スライドの上映となった。
夜、薄暗い住宅街の中に、そこだけ煌々と明かりが灯る教室の窓が連なる定時制の建物の映像から始まった。
そして校舎の中にカメラが入り1年生から4年生までの授業風景が映し出された。
続いて2年生を主体にした職場や家庭、学校外での活動風景が映し出され、定時制の生徒達は、どんな風に学業と仕事や家事などを両立させ、その上で更に夢に向かった活動をしているかが紹介された。
映像はインパクトのあるもので、万里のナレーションも歯切れが良く好感が持てた。
また、康男のギター演奏による歌も、適所で効果的に使われて、見る者を一層映像に引き付けた。
今回の定時制の展示・発表の準備風景と、それを担当している生徒によるコメントも収められていて、5分間という制限時間をフルに活用していた。
スライドを見終わった生徒達から、自然と拍手が湧き起こった。
先生達も、よくできたと口を揃えて褒めた。
4年生の担任の絹谷美代などは「感動したわ。良い物が出来たわね」と目にうっすらと涙すら浮かべていた。
副校長の長津山も「なかなかの力作だ」と万里や準一、康男そして昌郎を労った。
 全・定一緒に行う前日祭には、日中に仕事や家事の手伝いなどがある定時制の生徒の参加は10人あまりしかいなかった。
定時制生徒会長の満は、家業の仕事を休ませて貰って前日祭に参加した。
彼は、定時制のビーアールスライド上映の前に、定時制の生徒を代表し、定時制の校舎の方にも是非足を運んで展示・発表をご覧下さいと挨拶をした。
仕事と学業を両立して来た4年生だけあって、落ち着いてしっかりとした挨拶をしていた。
何時もはにこにこして優しげな満が、きりっとした表情で、堂々と挨拶している姿に、昌郎は感動を覚えると同時に、体育館の舞台に立つ長身の満を格好いいとも思った。
 文化祭当日、全日制の方には多くの参会者が来ていたが、定時制の校舎の方には、全日制の三分の一程度の見学者しか来なかった。
しかし、定時制の先生方は、去年の倍までは行かないが、例年に比べれば見学者は多くなったと言った。
定時制の建物は、体育館の裏手にあり目立たない。
来年は、校門や全日制の昇降口から定時制の校舎までの通路に、何か工夫が必要だと昌郎は思った。
期待していたより参会者は少なかったが、生徒達が1つにまとまって準備が出来たことを、昌郎は大きな成果だと思うことが出来た。



◆その186
学校訪問(1)


 文化祭が終わり定時制も、また何時もの日常に戻った。
しかし、文化祭の前と後では、昌郎が受け持つ2学年のクラスの雰囲気が大分変わった。
以前は、クラスとしてのまとまりが余りなかったが、文化祭でのクラス展示を皆が協力し合って作り上げて以来、クラスにまとまりが出てきた。
それは、昌郎だけが感じていることではなく、1学年の時の担任だった福永や「国語総合」を担当している絹谷、そして授業をもっていない事務主査の所沢も含め、定時制の全職員が感じていた。
以前は、毎日のように2学年のクラスには一人二人の欠席者がいた。
始まりのホームルームに昌郎が行くと必ず空席があった。
遅刻でもいいから、帰りまでにクラス全員が登校して欲しいと昌郎は毎日思った。
しかし、途中から全員が揃ったと喜んでいても早退する者が出てきて、帰りのホームルームも全員が揃うことはあまりなかった。
そんな毎日の中で、始まりのホームルームに来ていない生徒達に昌郎は、必ず連絡を入れていたが、電話やメールが繋がらないことも多かった。
文化祭が終わり全日・定時制とも月曜日が振り替えの休みで、火曜日からの出校となった。
その日、昌郎が始まりのホームルームの為に、2階の教室に向かった。
階段を上り2学年の教室の前に来ると、賑やかな話し声が聞こえて来た。
今までには、ないことだった。
以前だったら、ぼそぼそという話し声が聞こえても、こんなに賑やかな話し声が聞こえてくることはなかった。
昌郎は何時もとは違う教室にでも入るような気持ちになって戸を空けた。
生徒達が一斉に入ってくる昌郎を見ると、話し声がぴたりと止んだ。
こんな事も以前にはなかった。
クラス担任の昌郎が教室に入っていっても、生徒の中には、後の席の生徒とのおしゃべりを続けていたり、机に突っ伏したまま寝ていたりで、注意されてからやっと前を向くという塩梅だった。
しかし、その日は今までと違って昌郎が教室に入ると、全員がおしゃべりを止め、前を向いた。
昌郎は驚いた。
そして、更に驚いたことに、寅司が「起立」と声を掛けると全員が一斉に立ち上ったのだ。
狐に抓まれたような思いで昌郎が教卓の前に立つと、今度は寅司の号令に合わせて皆が一斉に礼をしたのだ。
何が起きたのだろうかと、昌郎はきょとんとした。クラスの皆は着席して、そんな昌郎をじっと見ていた。
そして突然、生徒達が一斉に笑い出した。
隆也と譲が、昌郎を指差しながら「先生、やっぱ吃驚している」と更に笑い転げた。
「皆、今日はどうしたんだ。突然の変わりようで驚くじゃないか」
昌郎は、率直に言った。
すると何時も余り目立たない百合が、代表するように立ち上がって言った。
「今まで、きちんと始まりの挨拶をしていなかったから、きちんと挨拶をしてからホームルームを始めようと、私が提案したんです」
百合の母親は、浮き世離れした子だと百合を称していたけれど、とても真面目な面があり、多少皆から煙たがられていた百合だったが、そんな彼女の提案に今は皆が賛同したのだろう。
それは正にクラスが一つにまとまってきたことの表れだと、昌郎は思った。
それからは毎日、始まりのホームルームだけではなく、各教科の時間の最初でも、皆できちんと挨拶をしてから授業が始まるようになったのだ。
授業中に居眠りをする者もいたが、互いに注意し合うようになっていた。
授業だけでなく、文化祭などの行事の大切さを昌郎は身を以て知ることが出来たのだった。




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