[連載]

 11話 〜 20話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その11
最後の砦(11)

 何があろうとも、人々は最善を尽くして困難を乗り越え、そして生きて行かなければならない。
此の世に生を受けたと言うことは、そういうことなのだと思う。
だからこそ、人は危機に直面すると、無意識のうちに生きると言うことを選択して行動する。
たとえ狼狽えても、どうにか知恵を絞って生きようとする。
ついさっきまで、日常の生活の中で、不満だらけで文句を言いながらも、温ま湯に浸かっていたような気持ちで暮らしていたのに、一遍にして張り詰めた気持ちになる。
今何をするべきなのかを考え始める。
必死になって藻掻きながら、少しでも良い方向へと歩もうとする。
そして、ふと立ち止まった時、人間は大自然の力の前では、なんと無力なのだろうと思い知るのである。
昌郎は、道路の上にぽっかりと空いた空間にそそり立ち林立する超高層ビル群を見上げた。
人間は凄いと思った。しかし、これほど科学や技術が発達しても、人間の力は大自然には適わないのだと再認識した。
昌郎は、自然の驚異に畏敬の念を感ぜずにはいられなかった。
彼は、再び歩き出した。そして甲州街道を進んだ。
 参宮橋の自分の部屋に着いたのは、夜の七時を少し過ぎた頃。
両隣の部屋から慎ましい明かりが洩れていた。
きっと部屋の中で次の余震がいつ来るのかとまんじりともせずに身構えているに違いない。
部屋に入って電気を点けた。部屋の中が明るくなった。
本棚は倒れていなかったが、中の本が下に落ちて散乱していた。
しかし、それぐらいのもので、被害と言うようなことは何もなかった。
様々な物が床に落ちて散乱しているだろうと思っていた昌郎は、ほっとした。
しかし、考えてみれば散乱するほどの物が、彼の部屋にはなかった。それに気付いて彼は小さく笑った。
人はどんな状態でも笑う種があるものだと思った。



◆その12
最後の砦(12)

 この超大地震は、東北から関東の太平洋側沿岸に巨大津波を発生させ、沿岸地域に膨大な被害を引き起こした。
陸前高田や釜石等々の東北地方の太平洋沿岸の町は巨大津波によって大きく破壊され、壊滅的な状態となった。
そして、多くの尊い人命を奪われた。
更には、その巨大津波によって福島第一原子力発電所への被害が出るという最悪のシナリオが日本を襲い、放射能汚染という危機に人々は翻弄された。
放射線という目に見えない恐怖が、更に様々な憶測を呼んで人々は身を震わせた。
飲み水の放射能による汚染が取り沙汰され、ミネラルウォーターが売り切れになった。
シーベルトやベクレル等という聞き慣れない単位が身の回りに溢れたが、それらの数値が一体何を意味するのか誰も分からなかった。
それでも、その数値が毎日のように、テレビ・ラジオそして新聞などで取り沙汰された。
日本を脱出しようとする外国人が多数いた。
日本は未曾有の災難に晒され、人々は右往左往した。
 青森市の昌郎の実家では、地震直後から停電になり、ファンヒーターが使えなくなったが、物置に昔使っていたポット式石油ストーブが2台あり、それを使って寒さを凌げた。
ただ、夜は暗い中ローソクや懐中電灯に頼らざるをえなかった。
テレビは勿論使えない。
電池式の古い携帯ラジオが役に立った。
だが、電池は家電販売店でもスーパー・コンビニでも売り切れた。
幹線道路が東北各地で寸断され、また主要な港も津波の被害に遭い使用不可能に成って、ガソリンの輸送が遮断され、車社会に大打撃を与えた。
勿論、灯油も同様で品不足となった。
ガソリンや灯油不足に青森の人達の不安は募った。
水道は地域によって多少の違いはあったが早く復旧した。
 大震災はあったが、春は確実に巡って来る。
日差しが微笑み、桜は蕾を膨らませ、日本は美しい四月を迎えた。
新学期の開始である。



◆その13
最後の砦(13)

 ビルや住宅が密集した地域にある鈴ケ岡高校に、木村昌郎は赴任することになった。
この高校は全日制に定時制が併設されている学校で、昌郎は定時制の勤務だった。
教職員の異動発表の一週間ほど前に、内示と言うことで勤務校を知らされていたが、定時制と言えば夜間に学校で勉強すると言うことしか、昌郎には思い浮かばなかった。
定時制とはどんな学校なのだろうか。
思いも寄らなかった勤務校に、昌郎は期待よりも先に不安が募った。
自分が今まで経験したことのない世界に飛び込んで行くような気持ちだった。
内示を貰ったその日、新任校の鈴ケ岡高校に電話を入れた。
そのように教育委員会事務局から指示されていた。
電話に出た女性は事務的で無機質な調子で、四月一日の八時半までに学校へ来て下さいと伝えると、早々に電話を切った。
取り付く島がないとは、正にこのことだと苦笑するより他なかった。
 赴任する前に一度、下見を兼ねて昌郎は鈴ケ岡高校に行ってみた。
参宮橋の部屋から電車と地下鉄を乗り継いで五十分ほどで着いた。
 都内の街中にある鈴ケ岡高校の校舎は六階建てだった。
四方を細い道路に囲まれた真四角な敷地の周りは、三階建てくらいの高いフェンスが張り巡らされている。
そして周囲には更に高いビルが林立していた。
青森にある昌郎の母校港北高校の校舎の周りには、グラウンドや野球場、ラグビー場やテニスコートまであり、広大な敷地に校舎が悠々と建っていた。
地方の高校と都心にある高校を比較すること自体意味のないことなのだが、鈴ケ岡高校の校舎は昌郎が今まで考えていた高校とは全く別の外観を呈していた。
グラウンドは学校の周りの何処にもない。
屋外でスポーツが出来る所と言えば、テニスコートが二面あるだけだった。
その横で体育館の後ろ側に部室か何かだろうと思われる三階建ての小さな建物があった。
そしてその横に二本の古い桜の木があり、道に大きく枝を伸ばして爛漫と花をつけていた。
二本しかないが、昌郎はその桜を見てほっとした。
昌郎が通ってきた学校には、幼稚園、小学校、中学校、高校とも、どの学校にも桜が何本も植えられていた。
特に母校の港北高校の敷地内には五十本以上の桜の木があり、近所の人達も港北高校の桜を毎年楽しみにしていた。
青森の桜は丁度、ゴールデンウィークあたりに満開となる。
学校が休みの日は、近所の人達が家族連れでよく花見に訪れていた。
昌郎が所属していた応援団は、連休中も午前中は練習を行った。
練習が終わると仲間と一緒に、大きな桜の木の下で弁当を食べたり、語らったものだ。
都内にある出身大学の敷地内にも、桜の木は何本もあった。学校には桜の木が付き物だ。
昌郎は、鈴ケ岡高校にある桜の木によって、此処は確かに学校なのだと納得することが出来た。
その桜を見ていると、何故か力が湧いてきた。
昌郎はそっとその桜に誓った。
良い先生になります。
一体どのような教師が、良い先生なのか分からないが、胸の内に沸き上がった思いは、良い先生になりたいと言うことだった。
良い先生とはどんな先生なのか、高校時代に指導してくれた先生方に、その手本があるような気がした。
高校時代に応援団の指導をしてくれた「鬼の笹岡先生」や自分達と一緒になって応援団を盛り上げてくれた「辻先生」。
良い先生の原型が、この二人にあるような気が昌郎にはした。



◆その14
最後の砦(14)

  四月一日の朝七時半に、昌郎は鈴ケ岡高校に出勤した。校門を入るとすぐ右側が体育館になっている。
校舎の案内図を見ると、二階にはプールがあり、三階は一階の体育館よりも少し小さめの体育館になっているようだ。
左側の建物が校舎で、教員用の玄関と生徒昇降口が並んであった。
昌郎は、教員用の玄関に入った。右側に受付窓口があった。
彼は、事務室の中に声を掛けた。
「はーい」
のんびりした声が返って来た。
そして、気の良さそうおじさんと言うよりおじいさんと呼んだ方がいいような人が受付窓口に顔を現した。
「はーい。何のご用でしょうか」
「自分は木村昌郎と言う者で、この度こちらの学校に赴任することになった者です。あ、定時制の方です」
「ああ、新任の先生でいらっしゃいますね。一寸お待ち下さいますでしょうか」
丁寧な言葉遣いでそう言いながら、おじいさんは事務室の奥にある湯沸かし場のようなところで仕事をしている女性に声を掛けた。
「光子さん。新任の先生がお見えですが、どちらにご案内すればよろしいでしょうか」
「え、もう見えられたの」
「はい、もうお見えになりました」
そんな彼等のやり取りを聞きながら、余りにも早く来すぎたのだろうかと、昌郎は内心不安になった。
ばたばたとサンダルの音を立てながら、光子と呼ばれた女性が事務室から玄関に出てきた。
「おはようございます」
女性は深々と頭を下げて挨拶をした。昌郎も丁寧に挨拶を返した。
「この度、此方の定時制の方で勤務させて頂く、木村昌郎と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「ああ、定時制の木村先生ですね。どうぞお入り下さい。内履きはお持ちですか」
木村先生と呼ばれ、昌郎はくすぐったいような気持ちになった。
「はい、持ってきました」
「それでは内履きに履き替えられ、靴は一応こちらの下駄箱に入れて下さい」
おじいさんとは違って、てきぱきとした受け答えだ。
光子は昌郎が内履きになるのを待って、新任の先生方の控え室になっている応接室に案内した。
その部屋は校長室の隣りのようだった。
「こちらで、少しお待ち下さい」
そう言うと光子は事務室に戻り、折り返しお茶を持って来た。
そして、入り口近くに直立不動で立ったままの昌郎を見て驚いた。
「まあ、遠慮なさらずに、どうぞ椅子にお座り頂いて、お待ち下さい」
それでは失礼いたしますと言って椅子に腰を下ろした昌郎を見て、光子は微笑んだ。




◆その15
最後の砦(15)

 応接室の中央には、楕円形の大きな机があり、その回りに十五脚ほどの椅子が置かれている。
昌郎は、入り口に一番近い椅子に腰掛けた。
応接室の壁の上部には、ずらりと連なって歴代校長の写真が二十枚ほども掲げられていた。
最初に掲げられている一代目の校長は、立派な髭を蓄え山高帽を被りモーニング・コートを着ていた。
伝統のある学校だということがその写真からも分かった。
流石に山高帽を被った校長の写真は、それ一枚だったが、古い写真だと覚しき白黒の肖像が十枚ほど続いて飾られている。
その後はカラー写真となっていた。
歴代校長の表情も今現在に近付くに従って居丈高な感じが薄れ、親しみやすい表情になっている。
歴代校長の写真を見ているだけでも時代の流れが感じられた。
このような伝統校に勤務できることを昌郎は、有難いと思った。
春休みの最中で、しかし朝早いこともあり生徒は登校していないのだろう。
校内は深閑としていた。
応接室で待つうちに、一人二人と新任の先生が集まり八時半少し前には新任教師全員が揃った。
定刻の八時半きっかりに、三人の先生が応接室に現れた。
四十代と見える教員と五十代後半と覚しき人が二人。
四十代の教員が口火を切った。
「おはようございます。
私は、全日制の教務主任をしています野田と申します。
こちらは、全日制の栗島教頭、そしてこちらは定時制長津山教頭です。
よろしくお願い致します」
全日制の教務主任の野田と教頭の栗山は中肉中背、野田は黒い髪がふさふさして、栗島は頭の前方が大分後退している。
どちらも眼鏡を掛けて先生らしい風貌。
一方の定時制の教頭長津山は、ごま塩の髪を角刈りにしていた。
顔は厳つく体型は大柄、先生と言うよりも工事現場の総監督という風貌だった。
しかし昌郎は、長津山教頭に親近感を感じた。
なんとなく、この教頭先生も学生時代は応援団に所属していたのではないだろうかとさえ思えるのだった。
「それではこれから先生方を会議室にご案内いたします。先生方は、それぞれの全日制と定時制それぞれの教頭先生の誘導でお進み下さい」
全日制教頭の方に十人ほどの新任の先生達が寄って行った。
定時制教頭の方に行ったのはたった一人。昌郎だけだった。
栗島教頭が手元の名簿らしきものを見ながら、そこに書かれている順番通りに先生方に並んで貰い整列したところで歩き出した。
後に続いて先生方がぞろぞろという感じて付き従った。その後に長津山が続いた。
定時制の新任教員は昌郎一人、別に並びを確認する必要もない。教務主任の野田が昌郎のさらに後についた。
会議室は、長い廊下の一番奥の突き当たりにあった。
教頭に連れられて、新任の先生方が会議室に入って行った。
昌郎は、緊張した。長津山教頭に続いて昌郎は会議室の中に入った。
昌郎は、入り口を入った所で一旦立ち止まり、深々と頭を下げた。
誰も、そんなことをして会議室に入らなかったが、応援団仕込みの昌郎は自然にそうしていた。
会議室に居並ぶ先生方の視線が、一斉に昌郎に集中して止まった。
その雰囲気を察知して長津山教頭が後ろを振り返った。
丁度、昌郎がお辞儀をした頭を上げた時だった。昌郎と長津山の目が合った。
長津山は、厳つい顔にうっすらと笑みを浮かべて昌郎を見ていた。なんとも優しい目だった。
昌郎は、まだ緊張しながらも何故か気持ちが落ち着いた。



◆その16
最後の砦(16)

 会議室では、校長・教頭・事務長そして新任者の席が決められていた。
その他は、各分掌毎に座るらしく分掌名が書かれた紙が、所々の机の前に貼られている。
昌郎の席は、上座の一番端にあった。
彼は自分の名前が記された札を見て、この学校で勤務することを実感した。
 教職員は全体で百人近くいたように思う。
入り口に一番近い一画に定時制と書かれた貼り紙があり、数人の先生方が座っていた。
あの先生方と一緒に仕事をするのだと思いながらも、あまりじろじろとそちらを見ることも出来ず、昌郎は、少し伏し目がちに視線を机の上に戻した。
 全日制・定時制の全教職員が揃ったことを確認して、栗山教頭が校長を迎えに行った。
栗山教頭の誘導で、小柄で丸顔の男性が会議室に現れた。
どうやら彼が校長らしい。
やけに胸を張った歩き方だった。
そしてその後ろに、ひょろりと背の高い何処か飄々とした感じの男性が付き従っていた。
ロの字に並べられた机の前を横断するようにして、彼等は上座の席に向かった。
小柄な校長の後に背の高い男性が続き、いやが上でも二人の身長の差が強調された。
小柄な男性は校長と書かれた席に座った。
背の高い男性は事務長らしく、その席に着いた。
校長は、会議室に居並ぶ先生達を睨め回すようにぐるりと見てから、栗山教頭に顎を上げて合図を送った。
どうやら、会議開始の合図らしい。
それを確認すると栗山は軽く頷き、手元のマイクを取り上げた。
「それでは、これから新年度初の全日制・定時制合同の職員会議を始めます」
全日制教頭の栗山が司会を行って会議が始まった。
「初めに、校長先生からご挨拶を頂きます。校長先生、お願い致します」
栗山は、そう言って隣の校長に頭を下げた。
校長が立ち上がった。
しかし、座っている時と余り差がない。
彼は、一層胸を張りコホンと一つ咳払いをしてから挨拶を始めた。
誠に簡単な挨拶である。
新年度を迎え、皆一致団結して努力し生徒の為、学校の為に頑張って欲しい。
後ほど本年度の学校経営方針について細かく説明し指示するので、良く聞いて欲しい。
それで、校長の挨拶は終わりだった。
 続いて、新任者紹介となった。
初めに全日制の新任の先生と事務職の紹介を栗山教頭と事務長がそれぞれ行った。
教員七人、事務員二人が紹介された。
いよいよ、定時制の番である。中津山教頭が立ち上がった。
昌郎も彼に従って立った。
「それでは、定時制の新任の先生をご紹介します。木村昌郎先生です。彼には二年担任、分掌は生徒指導そして教科は地歴・公民を中心に担当し貰います」
 昌郎は、自分の担当をその時初めて認識したが、それはさておいて自分からも挨拶をした。
「ただいま紹介頂きました木村昌郎です。どうぞよろしくお願い致します」
 会議室一杯に響き渡る声で、挨拶をした。
朝早くに始まった会議で何となくぼんやりとしていたが、昌郎の一声で会議室の空気がぴりりと締まった。
先生達は、はっとして昌郎を凝視した。
隣にいる長津山は、こいつは元気が良いなと内心嬉しかった。



◆その17
最後の砦(17)

 本年度の学校経営方針が校長から示され、全定合同の会議は一旦終了した。
その後、全日制と定時制が別れて教職員会議が行われることになり、全日制の先生方は、その場に残り、定時制の先生方が教頭を先頭に会議室を退出することになった。
出入り口近くに定時制の先生方の席があったのは、このためだったのかと昌郎は納得した。
廊下に出ると教頭の長津山の外に四人の先生方がいた。
男性三人と女性一人である。
「これから、定時制の職員室に行って会議だ。
皆にはその時ゆっくり木村先生のことを紹介するから、よろしく」
昌郎だけでなく、他の先生方にも伝えるようにそう言うと、先頭を切って長津山は歩き出した。
彼等は長い廊下を職員玄関に向かった。
一旦外に出るらしい。皆は内履きを脱いで外履きの靴に履き替えた。
昌郎も倣った。
「内履きは持って行くのよ」
女の先生が言った。
そして更に付け加えた。
「全日制と定時制は、生徒の昇降口も先生方の玄関も別々になっているから、明日からは真っ直ぐ定時制の方へ来て下さいね」
全日制の職員玄関を出ると真ん前が体育館になっている。
そのことは昌郎も既に知っていたが、その体育館の横に細い通り道が学校の塀伝いに延びていた。
体育館の方に気を取られていて、通路があったのを昌郎は見過ごしていた。
それほど目立たない通路だった。
そして着いた所は、事前にこの学校を見に来た時、部室棟と思っていた三階建ての建物だった。
この建物は、部室棟ではなく定時制の校舎だったのかと、昌郎は初めて分かった。
この建物の横に二本の桜の木があった。
事前に来た時は満開だったが、その日はもう弱い風に花びらを間断なく散らしていた。
小さな職員玄関の横に、此処もまた並んで生徒昇降口が付いている。
それらの入り口の前に桜の花びらが散り敷き、まるで薄紅の絨毯を敷いたようだ。
「綺麗ですね」
昌郎は、思わず呟いた。
彼の言葉に長津山を初め先生方が足を止めた。
そして散り敷いた桜の花びらを今更のように眺めた。
「本当に綺麗ですね」
女の先生が言った。他の人達も頷いてその美しい桜の絨毯を眺めた。
ほんの短い時間だったが、先生方が心を一つにして眺めているように昌郎には感じられた。
「さあ、いつまで眺めていてもきりがないから、中に入りましょう。
職員室からも十分に桜吹雪が見られますよ」
長津山が、そう言って先生方を校舎の中へと促した。
「今の時期は、毎年こんな風に綺麗に散り敷くんです」
昌郎の横にいた男の先生が言った。
「本当に綺麗ですね」
昌郎は、その先生の方へ顔を向けて同意した。三十歳前後と覚しき先生だった。




◆その18
最後の砦(18)


 定時制棟の職員玄関を入ると、隣の生徒昇降口の方と中が繋がっていて、一つの玄関になっていた。
その玄関から上がると少し広めのホールになっている。
そして、そこを抜けると廊下が奥に続いていて、その左側が職員室等になっていることが、入り口にぶら下がった表札で確認できた。
階段は、廊下の奥の方にあるらしい。
先生方の後について、昌郎は職員室に入った。
真っ正面に机が有り、そこに教頭の長津山が座った。
先ほどの三十代と覚しき男の先生が、昌郎の席を教えてくれた。
入って左側の窓側から二番目の机だった。
そして昌郎の隣がその先生の席。
昌郎は、ほっとした。
年齢的にも自分に一番近い先生で気さくで明るい性格だろうと思えた。
昌郎達の机前には、小さな応接セットが置かれている。
そしてその向こうに、昌郎達と対面するように二つ机が並び、窓側に女の先生、その隣に四十代くらいの男の先生が座っていた。
もう一人、やはり四十代と思われる男性の席は入り口に一番近い席で、玄関ホールに向かって開かれた受付用の小窓が机の横に付いていた。
机は、窓を背にした教頭の席を囲むようにコの字型に配置されていた。
全員が席に着いたことを確認すると、女の先生が立ち上がって皆に声を掛けた。
「それではこれから、定時制の職員会議を行います」
 教頭の長津山初め他の先生方も自席の所に立った。
昌郎も先生方に倣った。
「よろしくお願いします」
 女の先生のその言葉に合わせて、先生方が一礼した。
そして座った。
「まず、教頭先生からご挨拶をお願いします」
 長津山が立ち上がって、挨拶を始めた。
「新年度が今日から始まりました。本年度は、フレッシュな新卒の先生を迎え、この定時制教職員の平均年齢もぐっと若くなりました。まあ、平均年齢をぐっと押し上げているのは私ですが」
 先生方から、小さな笑いが洩れた。長津山はユーモアを交えながら和やかな挨拶をした。
先生方も、先ほどの全日制と合同の職員会議とは違って、打ち解けた雰囲気の中で教頭の挨拶を聞いていた。
昌郎にも、その雰囲気が伝わってきた。
このような先生方と一緒に仕事が出来ることに、ほっとしていた。
「それでは、新任の木村先生を教頭先生から紹介して頂きます」
 長津山が再び立ち上がり、昌郎も立ち上がった。
「木村先生は、この春に大学を卒業され、この鈴ケ岡高校の定時制に赴任されました。専門は地歴・公民です。出身は青森と聞いています。漏れ聞くところによりますと、木村先生は高校、大学を通して応援団員だったと言うことです。
先ほどの全定合同の職員会議の折の、元気の良い挨拶を聞いて、なるほどと思いました。私が紹介できるのは、このぐらいですね。あとは、本人に自己紹介して貰いましょう。木村先生お願いします」
 昌郎は、木村先生と呼ばれても、なかなか自分のこととは思えなかった。
しかし、此処には木村と呼ばれるのは自分しかいない。
俺は、先生になったのだと改めて肝に銘じた。そして自己紹介を始めた。



◆その19
最後の砦(19)


 昌郎は、自己紹介と言っても何を話せば良いのか戸惑ったが、先ほど教頭にも紹介して貰ったので、応援団活動を高校、大学を通して七年間やって来たこと、その中から様々なことを学ぶことができたことを話した。
「それでは、木村先生に私達も簡単に自己紹介しましょう。まずは、木村先生の隣の机の福永先生、お願いします」
 隣の席の福永が立った。
「福永進です。一年生の担任で、教科は理科です。分掌は木村先生と同じ生徒指導です。此処に来て今年五年目になります。先生よろしくお願いします」
 福永は、そう言うと隣の席に座っている昌郎に頭を下げた。
昌郎は、慌てて立ち上がって礼を返した。
「此方こそ、何も分からない新米ですので、よろしくご指導下さい」
 福永は満面の笑みで、昌郎に手を伸ばし握手を求めた。
昌郎は驚いたが、直ぐに福永の手を握った。
二人はしっかりと握手をした。
昌郎は嬉しくなった。
多分、自分より十歳ほど年上の三十代前半だろうと思われた。
この先輩教師と一緒に仕事が出来ると思うと、不安な気持ちが少し和らいだ。
「うちの学校には個性的な生徒が沢山いて、色々と大変なこともあるでしょうが、福永先生と木村先生のコンビで生徒指導部、頑張って下さい。次に川北先生、お願いします」
 丁度、昌郎の真向かいの席の川北が立ち上がった。
クールな感じの男性である。
年齢は四十代と言うところだろうか。
「川北舜(しゆん)と言います。年齢は結構いっていますが、未だに臨時講師です」
 自虐的な雰囲気でそう切り出した。
「三学年の担任で、教科は数学です。分掌は進路指導と渉外です。この学校に勤務してから今年で四年目になります。臨時講師ですが結婚していて、子どもが一人います」
 また川北は、臨時講師と言うことを強調した。
川北の言葉を補うようにして司会をしている女の先生が言った。
「川北先生は、優秀な先生です。この定時制になくてはならない存在です」
 川北、その言葉の聞きながら小さく頭を下げて座った。
「次に所沢さん、お願いします」
 職員室の入り口に一番近いところに席がある所沢が立った。
「私は、事務職です。昨年度、此処に転勤して来て今年二年目になります。事務全般をしています。年齢は四十歳ジャストです。結婚していますが、まだ、子どもはいません。今年は頑張りたいと思っています。よろしくお願いします」
 物言いが優しく、性格ものんきな感じの男性だった。
「有り難うございます。それでは私も自己紹介をさせて頂きます。絹谷美代と言います。シルクに谷、美しいに代表の代です。ご覧の通り美の代表になど成れません。名前負けしています。しかし親が付けてくれたのですから仕方ありません。誰にも責任はありません」



◆その20
最後の砦(20)


 絹谷のユーモアたっぷりの自己紹介が続いた。
「教科は国語ですが、漢字の書き順を時々教頭先生にご指導頂きます」
 絹谷は、教頭の方を向いて一寸頭を下げた。
「年寄りは、漢字の書き順に煩いのですよ。本当に申し訳ない」
 長津山は、厳つい顔に親しみを込めて絹谷に謝った。
この二人のやり取りに昌郎は親しみを感じた。
絹谷は、昌郎の方に向き直って自己紹介を続けた。
「四学年の担任で、教務と進路指導を担当しています。あ、それから皆さんの親睦会の幹事もしています。会費をばっちり頂きますので、気持ち良く払って下さい。此処に来てから七年目、一番の古株です。年齢は女性ですのでシークレットです。何となく知られてしまったら、それは仕方ありませんが、私に確認はしないで下さいね。何時までも二十代前半、木村先生と同年代だと自分では思っています。この頃少し無理があるように感じることがありますが、強い意志でそれを吹き飛ばしています」
 教頭や福永、所沢は時々くすっと笑いながら聞いていたが、川北だけは醒めた様子だ。
「他に非常勤の先生や全日制の先生方がそれぞれの授業の時間に合わせて来て下さいます。その先生方がお出でになった時に、またご紹介します」
 一通り自己紹介が終わると、長津山教頭から、本年度の指導方針が提示され、続いて教務の絹谷から勤務時間表、時間割、年間行事予定、各分掌の担当と仕事内容などが確認された。
次に教務、生徒指導、進路指導、渉外の各分掌から本年度の重点目標が示された。
そして、最後に長津山の言葉となった。
「今、皆さんから報告された重点目標に向かって本年度もご尽力下さい。ところで、この頃よく『定時制は最後の砦だ』と言うことを耳にします。そう話す人達の意識の中には、どの高校にも入ることが出来ない子ども達が定時制に来ているとの考えがあると思います。確かに、様々な理由で全日制から定時制に転入してくる生徒もいます。また、初めから全日制に入れないから定時制に来たと言う子どももいます。しかし、定時制は最後の砦などと言われるような悲壮感の漂った学校ではないのです。様々な理由があるでしょうが、彼等は全日制、定時制、通信制という色々な形態の高校の中から定時制を選んだのです。それは、好むと好まざるとに関わりなく、彼等の選択です。自分には全日制での勉強が合わないと考えて定時制を選んだのです。定時制は高校教育における駆け込み寺ではありません。全日制の高校と同様に、自分の夢を叶えるための場です。一流の選手やミュージュシャンになるため、日中はそれらの練習に費やし、夜間に高校教育を受けるという人もいます。また、家庭の経済状況を考えて定時制を選択した子どももいます。自分の置かれた条件に応じた選択なのです。最後の砦などと言っては、今一生懸命に定時制で学ぶ生徒達に失礼です。まるで、土壇場に立った者だけが通う学校だと思っているのでしょうか。善意や思い遣りのつもりで、そう言っているのであれば、それはその人の思い上がりです。子ども達は未来に向かって定時制で勉強しているのです。その事を忘れないで下さい」
 長津山の言葉は、示唆に富んでいた。
昌郎は、勤務初日から強い衝撃を覚えた。 




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