[連載]

 191話 〜 200話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その191
学校訪問(6)

 教育委員の学校訪問の期日としては余り聞いたことがないが、12月24日となっていた。
クリスマスイヴの日だが、鈴ケ岡高等学校定時制課程の2学期の終業式の日でもあった。
教育委員を迎えるにあたっての日程を絹谷と副校長の長津山が検討し、1・2校時に平常どおり授業をした後で、全校生徒(とは言っても全員で56名)図書室兼会議室に集合し、定時制の2学期の終業式を行うこととした。
まず、教育委員を全日制校舎の校長室の隣にある応接室に通し、そこで、校長の西山と副校長の長津山、そして教務の絹谷が来訪のお礼と挨拶を交わし、一息ついて頂いたのち定時制の概要について長津山が話した後で、その日の日程について絹谷から説明する。
その後、定時制の校舎に移動して、2校時の授業を参観しながら、校内も視察する。
引き続いて終業式を参観して頂き、それが終わり生徒達を帰えし、定時制の図書室兼会議室で、教育委員の方の講評を頂き、日程終了というスケジュールに決まった。
2校時目の1年生から4年生までの授業の指導案と、終業式の次第、そして当日のスケジュール表を校長の西山に副校長の長津山から説明したが、西山からは、然したる注意や訂正もなかった。
ただ、恥ずかしい場面だけはお見せしないようにと、長津山に言った。
その言葉に長津山は質問を返した。
「校長、恥ずかしい場面とは、一体どのようなことでしょうか」
「それは、だらしない恰好や授業態度ですよ。特にこの度の訪問では、終業式も見て頂くことになっていますから、集会時の私語や整列の仕方ですよ」
「ああ、そのようなことですか。それなら大丈夫です。校長は、一度も定時制の全校集会に参加されたことがなかったので、心配されているのでしょうが、定時制の生徒達は、きちんと整列し私語をすることはありませんよ」
それは意外だというように、西山は言った。
「本当ですか。私の印象では、終業式自体、ちゃんと成り立つかどうか心配です」
「校長、印象だけで物事を断定しないで下さい。定時制の生徒達も、きちんと場を弁えて行動しています。その点は保証します」
「そうですか、それなら良いのですがね」
西山は、半信半疑という面持ちだった。
そして突然、スリッパのことを言いだした。
「ところで、副校長、教育委員が使われるスリッパですが、新しいものを整えましたか」
今度はスリッパの心配かと、些かがっかりしながら、長津山が言った。
「新しいものではありませんが、定時制で使用している一番綺麗な来賓用のスリッパを用意しています」
「そうですか、新しいものではないんですか、まあ、綺麗な物ならば良いでしょう。同行される教育庁の方のスリッパも綺麗な物を吟味して使って下さい」
呆れながらも、長津山は承知していますと答えた。



◆その192
学校訪問(7)

 教育委員の学校訪問の3日前の西山校長と長津山副校長の何時もの打合せの時だった。
西山が突然、激しい口調で言った。
「ここ数日、定時制の生徒の服装など見ているが、だらしないというか、落ち着きがないというか、とにかく高校生らしい服装ではない。定時制では容儀指導は、どうなっているのかね。あれでは、恥ずかしい」
「定時制には服装などの校則はないのです」
「服装についての校則はない?」
「はい、ありません」
「それは、初耳だ」
「そうでしょうか。校長が此方の学校に転勤されて来た時、私は定時制のことについて資料を揃えて説明しました。
その折にも、服装についての校則がないことを伝えていましたが。お渡しした資料を具に見て頂いていると思いますが、服装に関することについては、学業の妨げにならないような服装で登校するようにと書いてあるだけです」
「副校長、私はこの窓から、毎日、定時制の生徒達が登校する様子を見ているが、茶髪もあれば、化粧の濃い者もいる。ダボシャツや膨らんだズボンをはいてくる者もいるじゃないですか」
「校長、お言葉ですが、あのダボシャツやズボンは、彼等の仕事着なんですよ。彼等は仕事場から真っ直ぐ学校に来るんです。家に帰って着替えする時間なんて無いのです。それほど、ぎりぎりまで仕事をして疲れた体で登校しているんですよ。学校に来た時の彼等の手をご覧になったことがありますか。真っ黒です。先生方は、彼等の手を洗わせてから、ホームルームを始めます。彼等の服装は、仕事の誇りでもあるはずです」
西山は少し言葉に詰まった。しかし、なおも言った。
「それじゃあ、あの茶髪や化粧も仕事場からの帰りなんですか。一体、どんな仕事をしているんですかね」
「スーパーやコンビニなどの店員が多いです」
「その店では、あんな様子で仕事しているんですか」
「その店では、それでいいのだと思います。彼等は日中、社会人として働いてします。多少のお洒落もしながら、彼等なりに服装も考えています」
「しかし、高校生らしさが無いじゃないですか」
「高校生らしさとは、どのようなものですか」
「そりゃあ副校長、全日制の生徒達のような服装ですよ」
「全日制には、制服がありますからね。それを着ることが校則にも定められていますから。それはそれで良いと思います。しかし、全日制の基準で、定時制の生徒達をみることは出来ないでしょう」
「同じ高校生じゃないですか」
「確かに、高校生としては対等です。しかし、全日制と定時制の生徒を単純には比較できません。ところで校長、全日制の生徒達の中にも茶髪や化粧をしている生徒達もいると思いますが、如何でしょうか。そこら辺の指導はどのようにしているのですか」
「教育委員会の方々の学校訪問の折には、髪を黒くさせ、化粧をしないようにと先生方に言っています」
「そうですか。しかし、ありのままを見て頂き、理解して貰うことも必要かと思いますが」
「そんな、きれい事を言ったって、世の中は、そうはいきませんよ」
「校長、こんな世の中だからこそ、学校ぐらい、きれい事を言ってもいいじゃないですか」
そう言う長津山の顔を、西山は苛ただしいげに睨めつけた。



◆その193
学校訪問(8)

 12月に入ると、東京の様々な街は、クリスマスと新年に彩りを添えて皆で祝おうと、競い合うように美しいイルミネーションで飾られる。
表参道の欅並木、六本木のけやき坂は通りも輝くばかりのイルミネーションとその真っ正面にはクリスマスツリーの様な東京タワーが展望できる。
上野恩賜公園の桜並木は、正に桜色のイルミネーションのトンネル、丸の内仲通りのシャンパンゴールドの光のページェントも見事だ。
こんな美しいイルミネーションの下を由希と一緒に歩けたなら、どんなに幸せだろう。
昌郎は、この季節が来る度に、そう思うのだった。
しかし、それは叶わぬ事。
昌郎が高校2年の時、由希は、小さな男の子をバイクから庇って死んでしまった。
初めて好きになった2歳年上の由希。
彼女が亡くなってから5年が過ぎた今でも、昌郎の心の中に由希は鮮明に生き続けている。
そして、辛いときや悲しい時には励ましてくれ、楽しい事や嬉しい事を共有してくれる。
毎年、12月24日の夜に昌郎は、イルミネーションの美しい街並みを1人で歩くことにしていた。
いや、1人ではない。側に寄りそう実態としての由希はいないが、心の中には必ず、由希がいた。
西国巡礼に「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉がある。
それは、弘法大師と一緒という意味だろうが、昌郎にとっての同行二人は正に由希であった。
しかし、今年の12月24日、クリスマス・イブには夜間定時制の教諭として、昌郎には勤務があった。
そして、その日には、鈴ケ丘高等学校定時制に教育委員の来校が予定されていた。
定時制高校の生徒達には、クリスマス・イブでも土日でない限り学校がある。
それが定時制の実際。
今回の12月24日は金曜日にあたっていて2学期の終業式の日でもある。
昌郎は、明日25日の夜に1人でイルミネーションを見に行くことにした。
今年、教員になったばかりの昌郎にとって、教育委員の訪問は初めてだった。
他の先生達も教育庁からの訪問は経験しているが、教育委員の訪問は経験したことがなかった。
副校長の長津山は、訪問を迎入れる準備を指示しながら、鈴ケ丘高等学校定時制のありのままの姿を見て頂くことが大切。
何も取り繕うことなく普段の様子を見て頂いた上で、感想を伺い、指導を頂けば良いとのだと定時制の教職員に話していた。
そして、普段の先生方の教育に自信を持つようにとも話した。
生徒達は、西山校長が心配していた何時ものとおりの服装で登校した。
しかし、校舎内は何時も綺麗に整頓されている。
昌郎が、今年の4月に新採用で赴任した時、清掃の行き届いた綺麗な学校だと思った。
それは、日々の先生方の生徒に対する指導のたまもの。
服装は自由だったが、整理整頓は徹底して指導していた。
教室内の生徒一人一人にあてがわれている個々人の棚も、きちんと整理されていた。
勿論、昌郎が受け持つ、やんちゃな隆也や譲、そして芽衣也の棚も整理されていた。
昌郎は、当初そのことに吃驚したが、今では、整理整頓されていることが、当然だと思うのだった。
ホームルームが始まった。
全員が登校していた。
職員室の生徒の登校状況欄には、欠席の者が一人もいなかった。
出席率100%。昌郎は嬉しかった。
これが、自分達の普段の指導の成果かも知れないと思った。



◆その194
学校訪問(9)

 始まりのホームルームが終わり、通常のように夕方5時45分から、1校時目が開始された。
12月の日暮れは早く、学校は既に夜の気配に包まれていた。
計画では、この時間は全日制の校舎にある校長室で、西山校長そして定時制副校長の長津山、教務主任の絹谷が、学校の概要と今年度の学校運営、そして在籍生徒の状況と近年の卒業生の進路結果などを、教育委員に説明し、その後、定時制の校舎に移動して2校時目の授業を参観し、続いて1学期の終業式の様子を見てもらうことになっていた。
訪問した教育委員は、小柄な年配の女性で年齢は七十代ということだった。その教育委員は若い時、結婚するまでの10年間ほど実際に教員として教壇に立っていた人であるとの情報を教育庁の担当者から学校側に伝えられていた。
名前は「田口たえ」。
実際に会うと、確かに田口教育委員は、それなりの年齢の方であったが、しっかりした態度や落ち着いた印象の老夫人で、偉ぶった様子のない庶民的な人だった。
彼女は、校長の学校概要説明を真剣な眼差しで聞いていたが、夜間定時制の教育に実際に拘わっている長津山や絹谷の説明には更に強い興味を示して、メモをとりながら更に熱心に耳を傾けた。
そんな田口に長津山、絹谷は親近感を覚えた。
絹谷から視察日程の説明を受けた時、2校時目の授業参観を、田口がとても楽しみにしていることが、彼女の真剣な眼差しで、絹谷に伝わってきた。
やはり、何十年も前とは言いながらも、御自身も教鞭をとったことがあるからだろうと絹谷は思った。
渡された各学年の授業の指導案を熱心に見ながら、田口は鋭い質問をした。
「1年生から4年生までの、それぞれの授業担当の先生方は、そのクラスの担任でもありますか」
絹谷は、田口の的を射た質問に吃驚した。
確かに1〜3年生の授業は、担任が担当する教科を割り振っていた。
1年生は担任福永で理科基礎、2年生も担任の昌郎で世界史A、3年生も担任の川北で数学T。ただ4年生担任の絹谷は教務主任でもあり、今回の訪問日程全体を副校長と一緒に進める都合もあって、臨時講師菊池満の体育の授業になっていた。
そう説明すると田口は
「絹谷先生は教務主任ですから、今回の私の訪問の日程を遂行する役目ですもの、当然のことですね。今回は、お世話になります」
そう言って絹谷に頭を下げた。
それから、指導案を一枚ずつ丹念に見てから、授業を行う先生方の中で、今年、新規採用になった方はいますかと尋ねた。
中津山が答えた。
2年生の担任で、世界史Aを担当する木村昌郎先生が、今年大学を卒業し4月に教員になったばかりです。
田口は質問を重ねた。
どうですか、有望な先生ですか。
とても有望な若者だと思いますと長津山は即答した。
そうですか、それは、良かったです。
田口は笑顔で、そう言った。
そして、日程表にまた目を転じてから、終業式で私にも挨拶させて貰いませんかと、突然の申込みをした。
西山校長は勿論だが、長津山と絹谷も驚いた。
長い間、教員として勤務してきた校長の西山や副校長の長津山でさえ、教育委員が訪問に際して、生徒達に直接講話をすることなど聞いたこともなかった。
随行してきた教育委員会の職員も、田口の申し出に驚き、それはまた急なお話で、学校側としても式の進行や下校時間などの関係で対応できますか心配ですと、やんわりと田口の申し出を止めた。
校長の西山も慌てて田口の申し出を辞退した。
しかし、長津山は、田口の申し出を受け入れたいと言った。
「校長。とても有難いお話ではありませんか。滅多にない有難いことですから是非お願いしたいと思います。生徒達にとっても、とても良いことだと思います。終業式の時間は余裕を持ってとってありますから、田口先生の御講話が数分程度であれば、生徒の下校時間には全く影響がないと思います」
その言葉を聞き、田口は長津山に礼を述べた。
「突然の申し出に、快く応じて頂きありがとうございます。ほんの少しの時間だけ頂きます。長いお話しはしませんから」
教育委員会の職員は勿論のこと、西山も渋い顔をしたが、そうして田口が終業式で生徒に話すことが決まった。



◆その195
学校訪問(10)

 2校時目が始まる時間となった。
長津山を先頭に、田口教育委員、西山校長、絹谷と続いて、定時制の校舎に向かった。
先生方も緊張気味だったが、昌郎は一層緊張していた。
採用されてから今まで、校内で副校長長津山や絹谷、福永、川北などの先輩教師の授業参観を受けたことが何度かある。
その度に様々な視点から教授法などについてアドバイスを受け、指導力を高めることが出来るから、昌郎は進んで先生方に授業参観をお願いしていたし、先輩教師の授業も見せて貰っていたが、自分の授業を見て貰うのは何度やっても緊張する。
だが今回の緊張は、今までのものとは違った緊張感があった。
大人数の教職員がいる全日制に比べると、定時制は生徒数が少なく教職員の数も少ない。
その分、一人一人の教師の指導力や組織としての先生方のまとまりが、生徒達に色濃くそして直接的に反映されてしまう。
だから、新米の自分といえども責任が重大だと昌郎は思うのだ。
長津山や諸先輩のアドバイスを充分に参考にしながら、教師として、鈴ケ丘高等学校定時制教員として必死になってやって来たが、何せ、採用されてからまだ九ヶ月ほどしか経っていない新米教師である自分が、この定時制高等学校の足を引っ張ってはならないというような気持ちがあったから、大きく緊張するのだった。
そんな昌郎の教育委員訪問当日の緊張は、授業を進めていく内に徐々に薄くなっていった。
生徒達は、教育委員の学校訪問に然したる緊張もせず、何時ものとおりに振る舞っていたから、昌郎の緊張も和らぎ平常心を取り戻すことができた。
特に担任の2年生達は、文化祭以降、落ち着きが出て授業中の私語や居眠りも、殆ど無くなっていた。
たまに、おしゃべりなどをしている者がいると、クラスメートが注意し合うようになっていたし、居眠りも以前であれば、机に突っ伏して寝る者もいたが、今は、そんな不遜な態度で居眠りをする生徒はいなくなった。
正面を向いて船を漕ぐような様子で、必死に睡魔と闘っているというような健気な様子はあるものの、完全に授業を放棄しているような態度での居眠りはなくなっていた。
必死に眠気を堪えている生徒を見ると、注意はするものの、昌郎は彼等の日中の仕事の大変さを考えるのだった。
文化祭でのクラス発表のために、生徒達の1日を取材した事は、昌郎にとっても生徒達の理解に繋がっていたのだ。
2校時目の授業が始まって10分ほど経過した時、教室の後の戸が開いて、長津山副校長、田口教育委員、教育委員会職員そして西山校長が、静かに入ってきた。
その時はやはり緊張した。
昌郎は、生徒達の落ち着いた態度を感じ、平常心を保ちながら授業を進めることに専念した。
田口教育委員は手元の指導案を見ながら、教室の後から、熱心に授業の様子を見ていたが、昌郎を見る目には温かみがあった。
授業に専念している昌郎は、田口委員を直接見ることはなかったが、視界の端に捉えられた田口委員は、思っていたよりも小柄な女性だという印象を抱いた。
年齢は七十代前半ということだから、その年齢の女性としては、平均的なのかも知れない。
教育委員という立派な肩書きから、高級な服をぴしっと着て、真珠のアクセサリーなどを着けた体格の良い女性を想像していた昌郎は、視界の端に捉えた、そんな小柄な田口委員の姿に、何故か安堵した。
1年〜4年までの授業を均一に視察するから、それぞれの学年では、大体10分ぐらい見ることになるだろうと言われていたが、田口委員は2年生の授業に20分以上いた。
随行してきた教育委員会の職員に、あと三学年と四学年の授業も参観しなければなりませんので、そろそろ次の教室の方へ移動して下さいと言われ、田口委員は2年生の教室をあとにした。
教育委員が退室して教室の後の戸が閉められると、ふーっと大きな溜息が聞こえてきた。
芽衣也だった。
皆は声を立てずに顔を見合わせた。
ホッとしたという雰囲気が昌郎に伝わってきた。
昌郎は、皆も、それなりに一生懸命やってくれたんだと嬉しくなり、ふと微笑まずにはいられなかった。
そして、そんなに年が離れてはいない生徒達を、とても愛おしく感じた。



◆その196
学校訪問(11)

 2校時目終了のチャイムが鳴った。
5分間の休み時間のあと、生徒達は図書室兼会議室となっている広い部屋に集合した。
何時ものように、窓側から廊下側に1年生、2年生、3年生、4年生と各学年毎に3列に並んだ。
全員が整列し終わると、校長を先頭に、田口委員、そして長津山が入ってきた。
生徒達が整然と並び、私語一つ無い状況に、校長の西山は驚いていた。
定時制のことだから、どんなにか雑然とした並び方で、当然私語も覚悟しなければならない恥ずかしい状況だろうと思っていたが、そんな先入観が良い意味で覆されて、驚きと共に大いに安堵するのだった。
長津山が言っていたとおり、集会における生徒達の態度は全日制よりも、しっかりしているかも知れないと思った。
窓側の前に教育委員、校長、副校長と並び、廊下側の横に、定時制職員が教務の絹谷を先頭に並んだ。
絹谷が一歩前に出て終業式の始まりを告げた。
そして校長の訓話となった。
定時制において、生徒達を前にして西山が話をするのは、全定合同の入学式そして卒業式以外、彼が鈴ケ丘高等学校に赴任して以来初めてのことだった。
生徒達は校長の西山を、あまりお目にかからない珍しい人でも見るような気分で眺めていた。
西山の話は、冬休み中は事故や怪我に充分気を付けて過ごし、三学期には元気にまた登校するようにと言うような、おざなりの話だった。
次に、田口教育委員が紹介され、生徒達の前に立った。
彼女は、生徒一人一人の顔を確認するように全体をゆっくりと見回してから、徐に話し始めた。
一瞬、田口の視線が自分を捉えて少し微笑んだように昌郎は感じた。
何処かで、お会いしたことがある様な、そんな親しげな気持ちがした。
「皆さん、こんばんは。少しだけお時間を頂き、お話しさせて貰います。私は昭和14年の生まれで今年72歳に成ります」
田口は、小柄な老婦人だったが、足腰がしっかりとしていて年齢よりも若く見えた。
「丁度、第二次世界大戦が勃発した年に生まれ、私が6歳の時に東京大空襲がありました。父は戦争にかり出され、私は母と4歳年上の姉の3人で、頼る田舎もなく、疎開をせず東京で暮らしていましたので、東京大空襲をもろに受けました。今、思い出しても恐ろしい体験でした。母は病弱で10歳の姉と6歳の私は、母を庇うようにしながら燃えさかる火の中を逃げ回っていたのですが、途中で、疲れ切った母は動けなくなってしまいました。火の手は、私達に迫って来るのですが、どうすることも出来ず、逃げ惑う人波の中で、3人は固まって震えているだけでした。母は、あなた達だけで逃げなさいと言うのですが、そんなことは出来ません。その時、中学生くらいでしょうか、痩せていましたが背の高い男の人が、母が病気で動けないことに気付いて、僕がお母さんをおんぶして行くから、一緒に逃げようと言ってくれたのです。痩せているのに、やはり男の人は力があるんですね、母を軽々と背負うと、さあと言って私達姉妹を安全なところに導いてくれたのです。その方のお陰で九死に一生を得た私達ですが、気が動転していたこと、幼かったことで、その方のお名前を聞くこともなく、きちんと御礼を述べることも出来ないまま、別れてしまったのです。後になって母は、せめてお名前だけでも伺っておくべきだったと、気を失いかけていた自分を責めていました。そのことは、今でも悔やまれます」



◆その197
学校訪問(12)

 田口の話は、もう少し続いた。
その言葉は、生徒一人一人に話し掛けるような優しい響きを持っていた。
「長く生きていれば、様々な事に遭遇しますね。今年3月の東日本大震災でも恐ろしい思いに身も心も縮む思いをしました。皆さん方は、何処で地震に遭われましたか。私は、姉と2人で掛り付けの病院に行っていた時に、あの揺れに襲われました。強く大きく長い揺れは長く生きている私にとって、初めて経験する大地震。まるで生きた心地がしませんでした。病院からタクシーで帰ろうとタクシー会社に連絡をとってもらったのですが、やっと通じた電話で、何時行けるか分からないとのことでした。1時間待っても来なかったので、家まで1キロ以上の道でしたが、姉と2人で歩いて帰ることにしたのです。四谷駅前から新宿に向かって人波の中を歩いていたのですが、暮れなずんでくる中で、足元が覚束なくなった姉が転んでしまいました。大きな怪我はなかったのですが、何時ものように歩けずに難儀している時、若い男性が心配をして声を掛けてくれました。そして、足を痛めた姉をおぶって家まで送ってくれたのです。その時私の胸に、東京大空襲の時の事が甦りました。姉の心の中にも、同じ記憶が甦ったに違いありません。猛火の中、病弱な母をおぶり、私達を安全なところまで導いてくれた若者がいました。感謝しても感謝しきれなかったのですが、混乱の中、名前を聞かずにその男性とはぐれてしまった苦い記憶が、心の中に甦りました。今度こそは、名前をお聞きして、落ち着いたら、きちんと御礼を言わなければならないと強く思いました。私達を無事に家まで送り届けてくれた若者は、そのまま立ち去ろうとしました。私達は慌てて、その方のお名前を伺いました。その方のお名前と、道々交わした短い会話の中から、その男性を探し当てることが出来ました。しかし、まだきちんと御礼を言っていませんので、これから、東京大空襲に助けて頂いたあの中学生の方への御礼も籠めて、御礼を述べたいと思っています」
そこまで話を聞いた昌郎は、フラッシュが光るように思い出した事があった。
今年3月11日、東京都の教員に採用されことになったことを、由希に報告しようと、彼女が事故で亡くなった新橋駅前の交差点に行った時だった。
突然大きく長い揺れの地震に見舞われた。
余りにも大きかった地震で、全ての電車が止まってしまい、参宮橋の部屋まで歩いて帰えることになり、大勢の人波の中、昌郎は勘を頼りに部屋のある参宮橋を目指して四谷まで来ると、道端で人波を避けるようにしてしゃがんでいる二人の老婦人に遭遇した。
その内の一人は転んでしまったらしく歩ける状態でなかった。
昌郎は、見かねて声を掛けた。
家までは、長い距離がある様だった。
普段通り歩けたとしても、家に辿り着くまでは大分遠く、足を痛めた老婦人には、到底歩いて帰ることなど出来ないと思われた。
そこで、昌郎は、足を痛めた老婦人を背負い、もう一人の老婦人の誘導で、彼女達を四谷の自宅まで送り届けたのだった。
その記憶は、今の今まで思い出すこともなく、記憶からも消えそうになっていた。
しかし、今、田口の話を聞き、昌郎の脳裏にその出来事が甦った。
そして、その記憶は昌郎の胸で鮮明さを取り戻し、目の前にいて話をしている人が、あの時の転ばなかった方のご婦人であることに昌郎は気が付いたのだった。
「本当に、ありがとうございました」
田口は深々と頭を下げた。
居合わせた生徒達そして先生方は、なぜ、此処で御礼を述べるのだろうかと訝った。
昌郎は、自分に礼を述べられたことに思い当たった。
しかし、その言葉に返す挨拶は、この場ではないと思った。
お帰りの時に、ご挨拶をさせて貰おうと昌郎は思った。



◆その198
学校訪問(13)

 田口教育委員の御礼が自分に向けられたものであることに昌郎は気が付いた。
しかし、生徒達も先生方も、そのことには全く気付いていない。
皆は、心の中にいる人に向かって田口が礼を述べたのだと解釈しているようで、ざわつきも何も起こらなかった。
昌郎は自分の耳が火照るのを感じながらも、大きく安堵していた。
田口が、ありがとうと言って深々と頭を下げたあと、顔を上げてから話題を一転させた。
「あと少し、お話しさせて下さい。私は、皆さんと同じく定時制で学びました」
生徒達の所々から、え、と言うような声が洩れた。昌郎は勿論、西山や長津山はじめ、先生方も驚いた。
「何も、吃驚することではありません。私は定時制で学んだことを今でも誇りに思っています。昼間の様々な用事や仕事を終えて、夜、学校へ来ることは、若い皆さんにとっても楽なことではないと思います。でも、学べることの素晴らしさを、常に心の中に刻んで下さい。私は定時制で学んだことを心の底から誇りに思っています。皆さんも、此処で学ぶ事へ誇りを持ち、そして夢を持って下さい。定時制に通っていた頃、晴れた日の夜に下校するときは何時も、昇降口の前で立ち止まって夜空を見上げてから帰りました。東京の空にも星が見えるのですよ。街の明かりが輝いていても、よく目を凝らして見上げれば、星は幾つも瞬いているのが分かりました。それは今でも変わらない。私は、四谷に暮らしていますが、小さな庭から見る夜空に、目を凝らせば幾つも瞬く星が見えます。その輝きは、私が定時制に通っていた時と、全く変わっていません。私は、その星空を見ながら、定時制の生徒であった若い時の自分を思い出す度、その時には気が付かなかった若さの素晴らしさや大切さを愛おしまずにはいられなくなります。辛いことや苦しいことは、夢を持って頑張っていれば、全て若さが癒やしてくれます。星は公平に輝いています。ビルに囲まれたこの校舎の上の小さな夜空にも星は輝いています。目を凝らせば、小さな星空が見えます。それは、希望だと思います。今夜はクリスマス・イブ。良く晴れた夜空が広がっています。街のクリスマスのイルミネーションも綺麗ですが、小さな夜空に瞬く星は、それとは違った温もりと心を癒やす瞬きを放っています」
そこで田口は深く息を継いだ。
部屋の中がしーんとしていた。
耳が痛くなるくらい。
少しの間があった。
それから、そっと田口が話の最後を締めくくった。
「少し長くなりましたが、最後まで静かに良く聞いて下さいました。ありがとうございます。こんな後輩が定時制にいることを、とても心強くそして嬉しく思います」
話し終えた田口は、また深々と生徒達に頭を下げた。
また、しんと音がなくなった。
そして生徒達の間からぽつぽつと拍手が起こった。
それに呼応して長津山が大きな拍手を送った。
それを機に生徒達そして先生達が一斉に拍手を始めた。
勿論、昌郎も盛大な拍手を送った。
拍手はうねるように大きくなって長く続いた。
田口が正面から横に移ると、拍手は静かに終わった。
誰も私語をする者はいなかった。
絹谷が終業式のお仕舞いを告げた。
生徒達は、少しざわつきながら、笑顔で各自のクラスに戻って行った。
そしてホーム・ルームで、冬休み中の諸注意などを受けて帰路に着いた。
彼等は、ほぼ皆、校舎を出たあとで、昇降口の前で立ち止まり、夜空を見上げて星を探した。
目を凝らせば確かに、星が幾つも瞬いているのが分かった。
本当だ、星が見える。
小さな星空が見える。
彼等は、そう言って帰って行った。



◆その199
学校訪問(14)

 田口教育委員の帰りの時間が遅くなると言うことで、講評は、校長の西山と長津山副校長に委ねられた。
そして、帰りのホームルームの間に、田口は帰路に着いた。
ホームルームを終えて先生方が職員室に戻ってきた。
先生方が全員揃うのを待ってから、長津山から田口教育委員の講評が、先生方に伝えられた。
講評は、定時制の行き届いた教育活動の一端を見せて頂き、本当に感謝していますとの内容で、細かな指摘や注文などは一切なく、これからも定時制教育をよろしくお願いしますとのことであった。
明日から冬休みとなり生徒達が登校しなくなる。
定時制の先生方の勤務も、全日制の先生方と一緒の時間帯となる。
明日は、定時制の先生方も朝からの勤務だから、早めに帰宅したいと思っていた。
更に、今夜はクリスマスイブ。
先生方の帰りを家族が待っている。
一緒にクリスマスケーキを食べるために。
独身の福永は、付き合っている女性とこれから食事に出かけると言い、慌てて帰って行った。
他の先生方や主事の所沢もクリスマスイブを家族と過ごすために家路を急いだ。
そんな中、長津山と昌郎が一番最後の帰宅となった。
皆が帰宅して、昌郎と二人になった時、長津山が昌郎に一通の手紙を手渡した。
それは、田口たえからのものだった。
長津山は、田口が話した青年が昌郎であることを、手紙を預かった時に彼女から、耳打ちするようにそっと教えられた。
丁度、西村と随行の教育庁職員が席を外した時だった。
長津山は、手紙を昌郎に手渡しながら
「木村先生、良いことをしましたね。田口教育委員のお話の中に出て来た青年が木村先生であることを教えて貰い吃驚しました。しかし、木村先生らしいとも思いましたよ」
そう言った。
「その手紙は、小さな星空から降ってきた、クリスマスプレゼントだね。部屋に帰ってゆっくりと読めば良いよ。さあ、今夜はクリスマスイブだ。早く帰ろう。部屋で恋人が待っているかもね」
昌郎は、そんなことはありませんと言おうとして、その言葉を飲んだ。
なぜなら、今夜は由希が部屋で待っているような気がした。
由希が生きている時、二人でよく手紙の遣り取りをした。
その手紙の束は、今も大切にしまってある。
由希が小さな星空からこの手紙を運んでくれたのかも知れない。
今夜は、この手紙を読み、由希から貰った手紙を読み返しながら由希と一緒に過ごそうと思った。
昌郎は、そんな思いを胸にして長津山に、無言のまま笑顔を返した。
「さあ、急いで帰宅しよう」
長津山は、そう言って昌郎の肩を優しく叩いた。
昌郎と長津山は入口の戸締まりをしてから、昇降口の前で夜空を仰ぎ目を凝らした。
田口が言うように小さな星空が、頭上にあった。
「静かな夜ですね」
長津山の言葉に、昌郎は心から頷いた。
彼等二人の頭上に、都会のビルに枠取られた「小さな星空」が皆を励ますように慎ましく存在していた。



◆その200
父子の約束(1)

 12月26日の東京の街は、昨日までのクリスマスの装飾から、一晩で新年を迎える飾り付けに変わっていた。
昌郎は12月28日まで勤務があった。
29日、一日掛けて洗濯や掃除そして冷蔵庫の中の整理など、年末らしい家事に精を出した。
3時過ぎに、新宿まで出掛け、帰省の為の土産を買った。
30日午後、東京の空は晴れ渡って雲一つ無かった。
その分、冷え込んだ。
青森の寒さに比べれば、寒さは一段緩いのだが、東京の生活に慣れてしまった昌郎にとって、いくら青森生まれの青森育ちといっても、寒いなと思う。
着るものも青森ほど厚着をしていないし、室内の暖房もエアコンで済ましているからだと思う。
しかし、青森に帰るとなれば、厚着をして寒さに備えた服装となる。
お土産で膨らんだ大きな荷物を持ち、厚着で出て来た昌郎は、新宿から乗った中央線の電車の中で、うっすらと汗をかいてコートを脱いだ。
東京では、それで丁度よかった。
やはり東京は暖かいのだ。
新青森までの新幹線のキップは、予め買っていたから、出発の時間に間に合えばよく、座席取りなどで早くから並ばなくてもよかった。
しかし、久し振りの帰省で気持ちが浮き立ち、東京駅には予定の1時間ほど前に着いてしまった。
大きな荷物を抱えて駅の外に出るのは大変だ。
東京駅地下1階のグランスタの銀の鈴がある待合所で、本でも読みながら時間を調整することにした。
待合の広場には、多くのベンチがあったが、年末の帰省ラッシュが始まって満員状態だった。
10分ほど太い柱の近くに立って人の流れを見ていた。
大勢の人が行き交い、見飽きることはなかった。
殆どの人が年末年始を故郷で過ごそうという帰省客で、昌郎と同じように大きなお土産袋を持っている人達でごった返していた。
グランスタには、沢山のテナントが入っていて、銀の鈴付近には、和・洋菓子店が軒を並べている。
お土産をそこで調達する人や、更にお土産を買い足そうとする人達が、それらの店に群がっていた。
柱の近くのベンチが一つ空いた。
昌郎は、そこに座って持ってきた文庫本を広げて読み始めたが、程なくして眠気を感じた。
ウトウトとして夢を見たような見ていないような、ぼんやりとした気分だった。
やっと冬休みを迎えたという安堵の気持ちが大きく、雑踏の中の騒音が徐々に遠離っていった。
自然と目が閉じられ、眠りに落ちた。
隣に座っていた人が立ち上がった気配と、手に持っていた文庫本が手元から床に落ちた音で、昌郎は浅い眠りから醒め、はっと思った。
新幹線の乗車時刻が過ぎてしまったのではないだろうか。
慌てて腕時計を見た。
随分居眠りをしていたように感じたが、実際には10分ほど。
寝過ごしていないことにほっとして胸を撫で下ろした。
このまま、此処に座っていると、また居眠りしてしまうかも知れない。
予約した新幹線の出発時間には、あと30分ほどあったが、新幹線のホームに上がり、そこで待つことにした。
多くの人がホームを行き交い、新幹線の列車に乗り込んでは出発して行った。
2本新幹線をやり過ごした後で、昌郎の乗る東北新幹線「はやぶさ」がホームに入ってきた。
多くの人達と一緒に昌郎は「はやぶさ」に乗り込んだ。
予約した席は3人掛けの真ん中だったが、年末年始のこの時期に指定席がとれただけでも有難かった。
程なくして発車のベルが鳴った。
そして「はやぶさ」は、滑るようにして東京駅を出発した。
新幹線は地下に入り上野に着いた。
地上の上野・御徒町は、年末ともあって大層な人出に違いないのだろうが、地下深くにある新幹線ホームの乗客は疎らな感じだった。
殆どの人が東京駅から乗車するからだろう。
上野を過ぎると新幹線は地上に出る。
そして北区を抜けて、一直線に北を目指した。
見る間に新幹線は東京を離れて行く。
故郷を目指す嬉しさとともに、今現在の自分の生活の場である東京から離れることの寂しさも感じた。
シートに腰が落ち着いたあたりで、昌郎は上着のポケットから一通の手紙を取り出した。
それは、田口たえ教育委員からの手紙。
田口は今年3月11日大震災の日に、偶然出会った老婦人だった。
まさか、都の教育委員だとも知らず、聞かれるままに、今年4月から新採用で都立高校の教師になることを話した。
それを田口が覚えていて、教育庁を通して昌郎の勤務校を調べてもらい、田口は昌郎が勤務する定時制高校への訪問を実現させた。
その田口も、定時制高校の出身だという。
何かの縁を昌郎は感ぜずにはいられなかった。
田口からの手紙は何度も読み返した。
手紙の内容は、田口の定時制の生徒に対する愛情に満ち溢れていた。
そして、定時制こそ教育の原点だと思うと書かれていた。
教科の成績だけで生徒を判断しないこと。生徒の置かれている環境を知り、深く理解すること、それをお願いしたいというものだった。
昌郎は、教師としての自分の在り方や進む道を示唆するものとして深く受け止めた。



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