[連載]

 191話 〜 194話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その191
学校訪問(6)

 教育委員の学校訪問の期日としては余り聞いたことがないが、12月24日となっていた。
クリスマスイヴの日だが、鈴ケ岡高等学校定時制課程の2学期の終業式の日でもあった。
教育委員を迎えるにあたっての日程を絹谷と副校長の長津山が検討し、1・2校時に平常どおり授業をした後で、全校生徒(とは言っても全員で56名)図書室兼会議室に集合し、定時制の2学期の終業式を行うこととした。
まず、教育委員を全日制校舎の校長室の隣にある応接室に通し、そこで、校長の西山と副校長の長津山、そして教務の絹谷が来訪のお礼と挨拶を交わし、一息ついて頂いたのち定時制の概要について長津山が話した後で、その日の日程について絹谷から説明する。
その後、定時制の校舎に移動して、2校時の授業を参観しながら、校内も視察する。
引き続いて終業式を参観して頂き、それが終わり生徒達を帰えし、定時制の図書室兼会議室で、教育委員の方の講評を頂き、日程終了というスケジュールに決まった。
2校時目の1年生から4年生までの授業の指導案と、終業式の次第、そして当日のスケジュール表を校長の西山に副校長の長津山から説明したが、西山からは、然したる注意や訂正もなかった。
ただ、恥ずかしい場面だけはお見せしないようにと、長津山に言った。
その言葉に長津山は質問を返した。
「校長、恥ずかしい場面とは、一体どのようなことでしょうか」
「それは、だらしない恰好や授業態度ですよ。特にこの度の訪問では、終業式も見て頂くことになっていますから、集会時の私語や整列の仕方ですよ」
「ああ、そのようなことですか。それなら大丈夫です。校長は、一度も定時制の全校集会に参加されたことがなかったので、心配されているのでしょうが、定時制の生徒達は、きちんと整列し私語をすることはありませんよ」
 それは意外だというように、西山は言った。
「本当ですか。私の印象では、終業式自体、ちゃんと成り立つかどうか心配です」
「校長、印象だけで物事を断定しないで下さい。定時制の生徒達も、きちんと場を弁えて行動しています。その点は保証します」
「そうですか、それなら良いのですがね」
西山は、半信半疑という面持ちだった。
そして突然、スリッパのことを言いだした。
「ところで、副校長、教育委員が使われるスリッパですが、新しいものを整えましたか」
 今度はスリッパの心配かと、些かがっかりしながら、長津山が言った。
「新しいものではありませんが、定時制で使用している一番綺麗な来賓用のスリッパを用意しています」
「そうですか、新しいものではないんですか、まあ、綺麗な物ならば良いでしょう。同行される教育庁の方のスリッパも綺麗な物を吟味して使って下さい」
呆れながらも、長津山は承知していますと答えた。



◆その192
学校訪問(7)

 教育委員の学校訪問の3日前の西山校長と長津山副校長の何時もの打合せの時だった。
西山が突然、激しい口調で言った。
「ここ数日、定時制の生徒の服装など見ているが、だらしないというか、落ち着きがないというか、とにかく高校生らしい服装ではない。定時制では容儀指導は、どうなっているのかね。あれでは、恥ずかしい」
「定時制には服装などの校則はないのです」
「服装についての校則はない?」
「はい、ありません」
「それは、初耳だ」
「そうでしょうか。校長が此方の学校に転勤されて来た時、私は定時制のことについて資料を揃えて説明しました。
その折にも、服装についての校則がないことを伝えていましたが。お渡しした資料を具に見て頂いていると思いますが、服装に関することについては、学業の妨げにならないような服装で登校するようにと書いてあるだけです」
「副校長、私はこの窓から、毎日、定時制の生徒達が登校する様子を見ているが、茶髪もあれば、化粧の濃い者もいる。ダボシャツや膨らんだズボンをはいてくる者もいるじゃないですか」
「校長、お言葉ですが、あのダボシャツやズボンは、彼等の仕事着なんですよ。彼等は仕事場から真っ直ぐ学校に来るんです。家に帰って着替えする時間なんて無いのです。それほど、ぎりぎりまで仕事をして疲れた体で登校しているんですよ。学校に来た時の彼等の手をご覧になったことがありますか。真っ黒です。先生方は、彼等の手を洗わせてから、ホームルームを始めます。彼等の服装は、仕事の誇りでもあるはずです」
西山は少し言葉に詰まった。しかし、なおも言った。
「それじゃあ、あの茶髪や化粧も仕事場からの帰りなんですか。一体、どんな仕事をしているんですかね」
「スーパーやコンビニなどの店員が多いです」
「その店では、あんな様子で仕事しているんですか」
「その店では、それでいいのだと思います。彼等は日中、社会人として働いてします。多少のお洒落もしながら、彼等なりに服装も考えています」
「しかし、高校生らしさが無いじゃないですか」
「高校生らしさとは、どのようなものですか」
「そりゃあ副校長、全日制の生徒達のような服装ですよ」
「全日制には、制服がありますからね。それを着ることが校則にも定められていますから。それはそれで良いと思います。しかし、全日制の基準で、定時制の生徒達をみることは出来ないでしょう」
「同じ高校生じゃないですか」
「確かに、高校生としては対等です。しかし、全日制と定時制の生徒を単純には比較できません。ところで校長、全日制の生徒達の中にも茶髪や化粧をしている生徒達もいると思いますが、如何でしょうか。そこら辺の指導はどのようにしているのですか」
「教育委員会の方々の学校訪問の折には、髪を黒くさせ、化粧をしないようにと先生方に言っています」
「そうですか。しかし、ありのままを見て頂き、理解して貰うことも必要かと思いますが」
「そんな、きれい事を言ったって、世の中は、そうはいきませんよ」
「校長、こんな世の中だからこそ、学校ぐらい、きれい事を言ってもいいじゃないですか」
そう言う長津山の顔を、西山は苛ただしいげに睨めつけた。



◆その193
学校訪問(8)

 12月に入ると、東京の様々な街は、クリスマスと新年に彩りを添えて皆で祝おうと、競い合うように美しいイルミネーションで飾られる。
表参道の欅並木、六本木のけやき坂は通りも輝くばかりのイルミネーションとその真っ正面にはクリスマスツリーの様な東京タワーが展望できる。
上野恩賜公園の桜並木は、正に桜色のイルミネーションのトンネル、丸の内仲通りのシャンパンゴールドの光のページェントも見事だ。
こんな美しいイルミネーションの下を由希と一緒に歩けたなら、どんなに幸せだろう。
昌郎は、この季節が来る度に、そう思うのだった。
しかし、それは叶わぬ事。
昌郎が高校2年の時、由希は、小さな男の子を車から庇って死んでしまった。
初めて好きになった2歳年上の由希。
彼女が亡くなってから5年が過ぎた今でも、昌郎の心の中に由希は鮮明に生き続けている。
そして、辛いときや悲しい時には励ましてくれ、楽しい事や嬉しい事を共有してくれる。
毎年、12月24日の夜に昌郎は、イルミネーションの美しい街並みを1人で歩くことにしていた。
いや、1人ではない。側に寄りそう実態としての由希はいないが、心の中には必ず、由希がいた。
西国巡礼に「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉がある。
それは、弘法大師と一緒という意味だろうが、昌郎にとっての同行二人は正に由希であった。
 しかし、今年の12月24日、クリスマス・イブには夜間定時制の教諭として、昌郎には勤務があった。
そして、その日には、鈴ケ丘高等学校定時制に教育委員の来校が予定されていた。
定時制高校の生徒達には、クリスマス・イブでも土日でない限り学校がある。
それが定時制の実際。
今回の12月24日は金曜日にあたっていて2学期の終業式の日でもある。
昌郎は、明日25日の夜に1人でイルミネーションを見に行くことにした。
 今年、教員になったばかりの昌郎にとって、教育委員の訪問は初めてだった。
他の先生達も教育庁からの訪問は経験しているが、教育委員の訪問は経験したことがなかった。
副校長の長津山は、訪問を迎入れる準備を指示しながら、鈴ケ丘高等学校定時制のありのままの姿を見て頂くことが大切。
何も取り繕うことなく普段の様子を見て頂いた上で、感想を伺い、指導を頂けば良いとのだと定時制の教職員に話していた。
そして、普段の先生方の教育に自信を持つようにとも話した。
 生徒達は、西山校長が心配していた何時ものとおりの服装で登校した。
しかし、校舎内は何時も綺麗に整頓されている。
昌郎が、今年の4月に新採用で赴任した時、清掃の行き届いた綺麗な学校だと思った。
それは、日々の先生方の生徒に対する指導のたまもの。
服装は自由だったが、整理整頓は徹底して指導していた。
教室内の生徒一人一人にあてがわれている個々人の棚も、きちんと整理されていた。
勿論、昌郎が受け持つ、やんちゃな隆也や譲、そして芽衣也の棚も整理されていた。
昌郎は、当初そのことに吃驚したが、今では、整理整頓されていることが、当然だと思うのだった。
ホームルームが始まった。
全員が登校していた。
職員室の生徒の登校状況欄には、欠席の者が一人もいなかった。
出席率100%。昌郎は嬉しかった。
これが、自分達の普段の指導の成果かも知れないと思った。



◆その194
学校訪問(9)

 始まりのホームルームが終わり、通常のように夕方5時45分から、1校時目が開始された。
12月の日暮れは早く、学校は既に夜の気配に包まれていた。
計画では、この時間は全日制の校舎にある校長室で、西山校長そして定時制副校長の長津山、教務主任の絹谷が、学校の概要と今年度の学校運営、そして在籍生徒の状況と近年の卒業生の進路結果などを、教育委員に説明し、その後、定時制の校舎に移動して2校時目の授業を参観し、続いて1学期の終業式の様子を見てもらうことになっていた。
 訪問した教育委員は、小柄な年配の女性で年齢は七十代ということだった。その教育委員は若い時、結婚するまでの10年間ほど実際に教員として教壇に立っていた人であるとの情報を教育庁の担当者から学校側に伝えられていた。
名前は「田口たえ」。
実際に会うと、確かに田口教育委員は、それなりの年齢の方であったが、しっかりした態度や落ち着いた印象の老夫人で、偉ぶった様子のない庶民的な人だった。
彼女は、校長の学校概要説明を真剣な眼差しで聞いていたが、夜間定時制の教育に実際に拘わっている長津山や絹谷の説明には更に強い興味を示して、メモをとりながら更に熱心に耳を傾けた。
そんな田口に長津山、絹谷は親近感を覚えた。
絹谷から視察日程の説明を受けた時、2校時目の授業参観を、田口がとても楽しみにしていることが、彼女の真剣な眼差しで、絹谷に伝わってきた。
やはり、何十年も前とは言いながらも、御自身も教鞭をとったことがあるからだろうと絹谷は思った。
渡された各学年の授業の指導案を熱心に見ながら、田口は鋭い質問をした。
「1年生から4年生までの、それぞれの授業担当の先生方は、そのクラスの担任でもありますか」
絹谷は、田口の的を射た質問に吃驚した。
確かに1〜3年生の授業は、担任が担当する教科を割り振っていた。
1年生は担任福永で理科基礎、2年生も担任の昌郎で世界史A、3年生も担任の川北で数学T。ただ4年生担任の絹谷は教務主任でもあり、今回の訪問日程全体を副校長と一緒に進める都合もあって、臨時講師菊池満の体育の授業になっていた。
そう説明すると田口は
「絹谷先生は教務主任ですから、今回の私の訪問の日程を遂行する役目ですもの、当然のことですね。今回は、お世話になります」
そう言って絹谷に頭を下げた。
それから、指導案を一枚ずつ丹念に見てから、授業を行う先生方の中で、今年、新規採用になった方はいますかと尋ねた。
中津山が答えた。
2年生の担任で、世界史Aを担当する木村昌郎先生が、今年大学を卒業し4月に教員になったばかりです。
田口は質問を重ねた。
どうですか、有望な先生ですか。
とても有望な若者だと思いますと長津山は即答した。
そうですか、それは、良かったです。
田口は笑顔で、そう言った。
そして、日程表にまた目を転じてから、終業式で私にも挨拶させて貰いませんかと、突然の申込みをした。
西村校長は勿論だが、長津山と絹谷も驚いた。
長い間、教員として勤務してきた校長の西村や副校長の長津山でさえ、教育委員が訪問に際して、生徒達に直接講話をすることなど聞いたこともなかった。
随行してきた教育委員会の職員も、田口の申し出に驚き、それはまた急なお話で、学校側としても式の進行や下校時間などの関係で対応できますか心配ですと、やんわりと田口の申し出を止めた。
校長の西山も慌てて田口の申し出を辞退した。
しかし、長津山は、田口の申し出を受け入れたいと言った。
「校長。とても有難いお話ではありませんか。滅多にない有難いことですから是非お願いしたいと思います。生徒達にとっても、とても良いことだと思います。終業式の時間は余裕を持ってとってありますから、田口先生の御講話が数分程度であれば、生徒の下校時間には全く影響がないと思います」
その言葉を聞き、田口は長津山に礼を述べた。
「突然の申し出に、快く応じて頂きありがとうございます。ほんの少しの時間だけ頂きます。長いお話しはしませんから」
教育委員会の職員は勿論のこと、西山も渋い顔をしたが、そうして田口が終業式で生徒に話すことが決まった。



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