[連載]

 201話 〜 210話     ( 佳木 裕珠 )


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◆その201
父子の約束(2)

 昌郎は、初めて新しく出来た新青森駅に降り立った。
高校時代、応援団の周年行事の実行委員になった時に、幹事校での会議があり、その高校の最寄り駅が新青森駅だった。
その当時の駅は、ホームが1本と小さな落書きだらけの待合室があるだけの、うらぶれた駅とでも言うようなものだった。
夏草が繁茂する無人駅の片隅に、未来の新青森駅の予想図が立て看板として立っていたが、本当にこのような駅が出来るのだろうかと、思って眺めた記憶があるが、東北新幹線が新青森まで伸び新に建った新幹線の駅舎は、その看板に描かれていたように綺麗で立派なものだった。
八戸までしか開通していなかった東北新幹線が、新青森まで伸びたのは、1年前の12月。昌郎は、大学3年の夏休み以降、大学時代もやっていた応援団活動や就職活動そしてアルバイトのために、また大学を卒業して教員になり初めてのことだらけで右往左往して、今年のお盆にも故郷青森に帰っていなかった。
今回初めて、東北新幹線で青森に帰省し昌郎は、その変わりように驚いた。
新青森駅の新幹線のホームに降り立つと、既に夕暮れの暮色に包まれていた。
故郷に帰ってきたという安堵感がある反面、東京のあの雑踏に慣れた昌郎は一抹の淋しさも感じていた。
それは、ノスタルジュアとでも呼ぶものだろうか。
暖かな新幹線の列車から降りた瞬間に、空気の差すような冷たさを感じたからだろうか。
ああ、青森に帰って来たのだと強烈なパンチを食らったように昌郎は感じた。
青森駅は、奥羽本線に乗り換えて新青森駅から一駅先にある。
新幹線のホームから在来線に乗り換えするための在来線の新青森駅のホームは、新幹線のホームと立体的に交差した下にあった。
そこのホームも新しくなっていたが、新幹線のホームに比べると照明が一段暗くなっているように感じた。
そのせいもあるのだろうか。
在来線のホームには以前の面影が色濃く残っているように思った。
そして、徐々に懐かしさが募ってきた。
在来線に乗り継いだ。
人影も疎らな電車の窓には夕暮れの中に点在する青森の灯が見えた。
青森駅に到着した。
降り立った青森駅のホームは、以前のままだった。
薄暗く長いホームは思い出が一杯詰まっている。
小雪が舞っていた。
青森駅ほど雪の似合う駅は無いのではないだろうか。
昌郎は、改札口に急ぐ人達から、ぽつんと一人取り残されたように、旅行鞄を持ったまま、ホームに突っ立っていた。
高校一年の3月、昌郎は、このホームから就職のために上京する由希を見送った。
青森から由希がいなくなると思うと、とても淋しかった。
しかし、由希が上京してからは手紙という形で由希と繋がっていた。
その繋がりは彼等に夢や希望を与えてくれた。
しかし、由希が、青森に戻って来た時の悲しさは筆舌に尽くしがたいほどの大きく強烈な痛みがあった。
なぜなら、由希の帰省は、遺骨としての帰省だったのだから。
由希が戻ってきたのではない。
彼女の亡骸が運ばれてきただけだった。
あの日も、このホームに小雪が舞い落ちていた。
目を閉じると恰も昨日の如くに思い出される光景。
そのホームに、今、昌郎は立っている。
いや、立ち尽くしているのだった。
由希が死んでから、もう5年以上も過ぎてしまったが、由希の亡骸を涙のエールで出迎えた時の激烈な悲しみや苦しみを、昌郎は沸々と思い出していた。
立ち尽くしている昌郎の頬に、一片の雪が落ちた。
昌郎は、その静かで冷たい一片の雪に、悲しい思い出から立ち戻った。
そして彼は改札口を目指して歩き出した。



◆その202
父子の約束(3)

  青森駅を出て右側にある交番の斜め前で、車を止めて兄達が昌郎を待っていた。
車に気付くと兄達が車の中から手を振った。
昌郎は知らず知らずの内に小走りなって車に近付いていた。
車の所へ昌郎が来ると、助手席にいる次兄が車を降りて弟を迎えた。
「おう、待っていたぞ。昌郎、後ろの席に乗れ」
ぶっきらぼうな言い方だが、温かな笑顔で、そう言いながら昌郎の肩を包むように叩いた。
「迎えに来てくれて、有り難う」
「昌郎、お帰り」
長兄が運転席から、声を掛けて寄越した。
「只今」
少し照れながら、次兄が開けてくれたドアから後部座席に入った。
「待っていたぞ」
長兄も、車に乗り込む昌郎を温かな笑顔で迎えた。
「久し振りだな、元気にしていたか」、長兄が車をスタートさせながら聞いた。
「元気にやってます」
「我が家から先生が出るとはな。お袋、ご近所の人達に自慢しているぞ」
「学校の先生なんて沢山いるから、別段、自慢にもならないよ」
「いいんだよ。お袋が喜んでいるから。自慢させておけば」
次兄が言った。
「親父もお袋も、今頃、首を長くして、お前が来るのを待っているぞ」
久し振りに三人顔を揃えた兄弟は、幼い頃に戻ったような懐かしい親しみを感じていた。

「昌郎が帰ってきたぞ」
家に着き、玄関の戸を開けながら次兄が奥に声を掛けると、居間から転がるようにして母親が出て来た。
「お帰り。疲れただろう。青森は東京に比べたら本当に寒いべさ。さあ、さあ早く上がって暖まりへ」
母親は、昌郎の袖を引っ張るようにして居間に導いた。
居間の戸を開けると、沢山の御馳走が並んだテーブルの前に、父親が座って昌郎の到着を待っていた。
「帰ってきたか。久し振りだな。昌郎」
そう言って、まじまじと自分の末息子を見ながら、安堵したように大きく何度も頷いていた。
「父さん、ただいま。夏に帰れずに済みませんでした」
昌郎は、そう言って父親に挨拶をして居間に入った。
部屋の中は、暖房が効いていて温かかった。
「ささ早ぐ中さ入って。今日の昌郎の席は父さんの横だはんで」
母親が急かせた。
こんなに自分の帰省をまっていてくれたんだと、昌郎は、つくづくありがたく思った。
二人の兄達も、居間に入ってきた。
久し振りに家族全員が揃った。
暖かな家族に囲まれて、
昌郎は気持ちが大いに安らいだ。
そして家族の温かさを感じ、幸せを噛みしめるのだった。
自分は、この両親に慈しまれて育った。
兄達も、弟の自分を理解してくれた。
だからこそ、自分は頑張って来られた。
そして、これからも頑張って行ける、昌郎は強く、そう思った。



◆その203
父子の約束(4)

  故郷で過ごした年末・年始、昌郎は、高校時代に一緒に応援団をやっていた友達や後輩達と毎日のように会って旧交を温めた。
高校時代、同じ応援団で活動した同期の3人の親友。
山村は、高校を卒業してから、県内の土建関係の会社に就職した。
そして3年後、彼の父親が経営する土建会社に転職して、今は父親の片腕として働いている。
卒業後すぐ父親の経営する会社とは違う所に就職したのは、そこで他人の釜の飯を食って苦労し修業することが目的で、それが父親の会社で働く為の山村父子の約束だった。
その約束を果たして、山村は現在に至っている。
彼は、大柄な猛者で、応援団員であることが似合っていた。
そして今、応援団で鍛えた声と物怖じしない性格で、若いながらも会社では、皆から頼りにされていて、将来の社長の器だと評価されているらしい。
お調子者的なところのあった真治は、高校を卒業してすぐ、大阪の料理専門学校に入り2年間学んだ後に、青森の老舗ホテルに料理人として勤務している。
今の職場でみっちりと経験を積み、行く行くは自分の店を持つことが夢だと熱く語っていた。
引っ込み思案だった克也は、高校卒業後仙台の福祉専門の大学に進学した。
そして順調に大学を卒業し、市の職員に採用されて生活福祉部という部署で働いている。
一見、ひ弱そうな印象があったが、内面は芯のしっかりとした所があると昌郎は思っていた。
久し振りに克也に会うと、そのしっかりした芯の部分が良い意味で、表面に滲み出ているように感じた。
高校時代の昌郎は、山村、眞治、克也と何時も一緒に居た。
純粋な気持ちで、接することが出来た。
悩みを共有する仲間だった。
そして喜びも分かち合った。
高校生時代、彼等と共に過ごした日々は、今でも心の中で輝いている。
それは昌郎だけではなく、彼等一人一人が等しく思っていることだった。
高校を卒業して、それぞれの道を歩み出した。
今、昌郎以外の3人は青森にいる。
しかし、それぞれの仕事の都合で、なかなか会えないらしい。
年末・年始の休みを、青春真っ只中だった高校時代の仲間達と過ごすことは、ただ単に楽しいだけではなく、今の自分を見直す良い機会ともなった。
今も変わらずに無二の親友だと、久し振りに会った彼等は強く感じた。
昌郎達の集まりに、応援団の一年後輩だった夏目冬人や対馬賢一そしてマネージャーだった戸山睦子、佐々木ひとみも加わることもあった。
彼等は、昌郎達のことを先輩先輩と呼んでいた。
そのことについて、何となくくすぐったいような思いがした昌郎は、彼等に提案した。
もう先輩と呼ばずに、名前のさん付けでどうだろうか。
山谷や真治も克也も、その提案に大賛成だった。
そこで、彼等はこうすることにした。
昌郎は「まささん」、山村は「山さん」、真治はそのまま「真治さん」(当初「真さん」としようしたが、当の真治が、「辛酸を舐める」や「新参者」に聞こえるから、そのまま真治さんとしてくれと言うことで決まった)、克也は「克さん」。
しかし、そう4人の呼び方を決めた当初は、まだ先輩と呼ぶことがあった。
しかし、昌郎が上京する頃になると、さん付けで呼ぶことも定着した。
なんとなく、彼等とも同等の大人の付き合いが出来るような気持ちになった。



◆その204
父子の約束(5)

  1月3日の朝、山村そして真治と克也が、上京する昌郎を青森駅に見送りに来てくれた。
新幹線で上京するという昌郎に、山村は父親の車で新青森駅まで送って行こうと提案した。
しかし、昌郎は青森駅から出発したかった。
青森駅には沢山の思い出が詰まっている。
楽しい思い出もあったが、深く悲しい思い出もある青森駅。
しかし、昌郎は青森駅が好きだった。
新たな年を迎え東京に向かう出発は、やはり青森駅でなくてはならなかった。
大晦日から新年三が日、青森は小雪が舞うくらいで、冬には珍しく穏やかな日が続いた。
長い青森駅のプラットホームに、冬の弱い日差しが満ちていた。
何時ものように、陽気な仲間達に見送られて昌郎は列車に乗り込んだ。
一駅で新青森駅に着き、新幹線に乗り継ぐのだが、昌郎は、このまま東京まで直行するような気分で、列車の中から山村や真治そして克也に手を振った。
時刻通りに列車が動き出した。
底抜けに明るく手を振る彼等を見て、昌郎は少し淋しくなった。
もう少し、彼等と一緒に居たいと痛切に思った。
列車は、速度を上げあっという間に、仲間達の姿が見えなくなった。
青森駅を出発すると列車は、たかだか5・6分で新青森に着く。
昌郎は、そこで新幹線に乗り換えた。
新青森駅は、始発駅。
車内は、半分ほど埋まっていた。
三が日の午後から、帰省していた人達が首都圏に帰り始め混むことが予測されるから、三が日の午前中の指定券を昌郎はとっていた。
二人掛け座席の窓側の席に座った。
新青森駅を出発する時は、隣の席は空いていたが、八戸駅から大学生らしい男性が座った。
その若い男性は、寝坊をして朝ご飯を食べずに家を出たのだろう。
席に着くなり、鞄から大きな握り飯を出して食べ始めた。
その仕草が何とも微笑ましく昌郎には映った。
昨年の3月に大学を卒業したばかりの新米教師の昌郎と、その男性とは、そんなに年が離れていないだろうが、学生と社会人の気持ちに大きな差があるように昌郎は思えた。
握り飯を食べ終えた学生と覚しき男性は、目をつぶると間もなく、浅い寝息を立て始めた。
程なくして、昌郎もその男性の寝息に釣られて、眠くなり目を閉じた。
すると実家で過ごし高校時代の友達と過ごした楽しい年末年始が瞼の内側に甦り、充実した気持ちのまま寝入った。
大宮に着いた時、隣りに座っていた学生だと思われる若い男性が、慌てて降りる気配で、昌郎は目が覚めた。
もう大宮なのかと、新幹線の速さに、今更のように驚いた。
大宮からは勤め人風の男性が隣の席に座った。
昌郎は、すっかり目が覚めた。
窓外には、途切れることがなく街が続いていた。
今朝まで青森に居たことが夢の中のような感覚で思い出された。
それは既に思い出色になっていた。
昌郎の気持ちの中に、自分が担任をしているクラスの子達が現実のものとして鮮明な輪郭をなしていた。
クラスの生徒の一人一人の顔を思い浮かべた。
勤務は明日から再開する。
そして8日から、また学校が始まる。
昌郎は、早く生徒達の元気な顔を見たいと強く思った。
東京駅に、新幹線が着いた。
昌郎は、充実した年末年始を青森で過ごして東京に戻ってきた。
また、頑張るぞと昌郎は誓った。



◆その205
父子の約束(6)

 定時制の授業は、松の内が明けた1月8日から再開された。
その日、昌郎達は通常のとおり午後から学校に出勤し、職員の打合せ会議の後に、分掌の仕事や授業等の準備をしながら、生徒達に久し振りに会うのを心待ちにしていた。
その反面、担任を持つ2年生全員が、きちんと出席するだろうかという心配もあった。
最初のホームルームの時、教室の戸を開けて一番最初に生徒達が全員揃っているかを目で確認するのが、昌郎の習慣になっていた。
2年生は、全員で15人だけだから、教室の戸を開けて室内を一瞥しただけで全員揃っているのか、欠席者がいるのかがすぐ分かる。
ホームルームが始まってから駆け込んでくる者がいたとしても、クラスの全員が揃って、登校時のホームルームが始められことを、昌郎は、毎日、期待してホームルームに出向くのだ。
欠席や遅刻をする時には、学校に電話を入れることになっているのだが、無断欠席や遅刻も間々ある。
欠席や遅刻の電話がないからと言って、全員が登校しているとも限らない。
ホームルームが始まるのは5時半。
その30分ほど前に、小山田秀明から電話があった。
彼は、大腿骨に腫瘍が発生する骨肉腫となり治療のため学校をずっと休んでいた。
その秀明から、1月15日には、学校に行けるようになるだろうとの連絡が入ったのだ。
電話口の秀明の声には、以前のような明るさと力強さがあった。
順調に治療が進んで効果が表れていることを、昌郎も感じ取ることが出来た。
元気そうな秀明の声を聞いて、昌郎は本当に嬉しかった。
教え子と言うよりも弟のように思える秀明。
そんな思いは、三男で末っ子の昌郎だからかも知れない。
彼からも色々なことを教えて貰えた。
その一番は青少年赤十字だ。
その青少年赤十字を通して赤十字の存在に興味を持った。
そして昌郎は、献血の大切さを知り、今、定期的な献血を心掛けるようになっていた。
自分の献血が、回り回って秀明の治療に役立つと思えた。
秀明が治療の為に欠席した期間に夏休みもあったので、1月15日から出校すれば、彼一人の個人的な補講を、体調を見ながら行うことになる。
具体的には、学校が始まる一時間程前に登校して貰い、一人補講を行うなどしながら、授業の時間数を確保すれば、秀明はクラスの皆と一緒に3年生へ進級出来るだろうと、副校長の長津山と教務の絹谷は考えている。
早速、絹谷が秀明の一人補講のスケジュールをたてることになった。
勿論、プリントなどでの家庭学習も考慮に入れ、春休みの数日間も利用して個別指導をすることになるだろう。
しかし、クラスの皆と一緒に3年生に進級できることが、秀明の希望でもあったので、職員全員で、秀明のサポートをすることで意見が一致していたのだ。
いよいよ、秀明が復活する。
そんな秀明の電話が、終わってから立て続けに、長山寅司から電話があった。
電話口に出た昌郎の耳には、何時も闊達で明るい寅司の、今までに聞いたこともないような暗い声が届いた。
昌郎は、彼の身上に何か重大なことが起きたことを察した。
「寅、どうした」
昌郎はそう声を掛けた。
「あ、先生、寅司です」
「分かっている。寅だな。一体どうしたんだ。何か心配なことがあるのか」
ただならぬ寅司の声に、昌郎は不安を覚えた。
「先生、俺、当分、学校を休ませて貰います」
今まで、若干の遅刻はあったが、学校を休んだことのない寅司だ。
「寅司、休む理由は何だ」
そう昌郎が聞くと、電話口で急に寅司は泣き声になった。
そして告げた。
「親父が、死んだんです」
え、昌郎は一瞬自分の耳を疑った。



◆その206
父子の約束(7)

 晴天の霹靂とは、正にこのようなことを言うのだろう。
年も改まり、秀明の学校への復帰も見えてきて喜んでいたというのに。
寅司は、既に親方と一緒に山梨の実家に帰っていて、そこからの連絡だった。
実家と言っても彼の父親が一人で住んでいる小さなアパートだった。
父親も、大工として働いていた。
腕も良く働き者の父親だったが、大きな借金を抱えていた。
それは、彼の責任ではない。
彼の父親、つまり寅司の祖父が残した大枚な借金だった。
祖父は、身の丈に合わないような多額の株に手を出しては失敗し、彼方此方に膨大な借金を作って、10年ほど前に、ぽっくりと死んでしまったのだ。
それからの日々、寅司の父親は、懸命に働いて借金の返済を続け、半分ほどの返済が終わっていた。
あと半分だ。
寅司の父親は、そう言って自分を鼓舞した。
寅司は年末大晦日と正月元旦・2日の三日間、山梨に帰り父親と一緒に過ごし、4日から仕事が始まるので、3日目の昼過ぎに東京に戻って来ていた。
父親の方の仕事始めは、今手掛けている新築戸建ての家のキッチンや洗面台などの入荷が5日に決まっていたので、寅司より一日だけゆっくりして5日からの開始になっていた。
寅司は予定通り、4日から現場での仕事が始まった。
そして、5日の10時頃だった。
寅司が屋根の上で先輩の大工と一緒に仕事をしている時、下の方から親方に呼ばれた。
寅司に、下に降りてこいと言う。
何か不手際があるのだろうかと思った。
先輩に断りを入れて、寅司は足元に気を付けながら下りた。
下の方では、親方ともう二人の大工が働いていた。
その二人から少し離れた所に立っていた親方が、こっちに来いと手招きをしている。
何だろう。
指示されたことは、しっかりとこなしていると思っていたけれど、何か不手際があったのかもしれないと、寅司は心配しながら親方の所へ駆け寄った。
親方は、何時もとはまた違った神妙な表情で寅司に向き合うと、先ず開口一番こう切り出した。
「寅、驚くな」
そう言われて、寅司は何のことか分からないまま、はいと返事をし親方の次の言葉を待った。
親方は、単刀直入に言った。
「寅、しっかり聞け。お前の親父さんが死んだ」
「え」寅司は一瞬、親方の言葉の意味が分からなかった。
「親父って、俺の親父ですか」
「そうだ、お前の親父さんだ」
「嘘でしょう。3日まで一緒に居て、親父、びんびんしていましたよ。死んだなんて信じられません」
「俺も信じられないよ。しかし、山梨の小林建設の社長から電話があったんだ。今朝、仕事現場に時間になっても、寅司の親父さんが現れない。ケイタイに電話してみても出なかったので、具合でも悪くなって寝込んでいるのかと、心配しながら小林社長が親父さんのアパートに行ってみると、鍵がかかっていて、呼び鈴を押しても中から何の返事もなかった。もしかしたら部屋の中で倒れているのじゃないかと思い、理由を言って大家さんに鍵を開けて貰ったら、部屋の真ん中で親父さんが倒れていたんだそうだ。慌てて、傍に寄って声を掛けてみたが、何の反応もなかった。急いで救急車を呼んで、病院に運んだそうだが、もう死んでいたらしい」
そこまで聞いて、寅司は、親方の言っている内容が、自分の父親の突然の死を伝えていることを朧気に理解した。
しかし、信じられない。
あまりにも突然のこと、つゆほども予想していなかった父親の死。
つい一日前まで、あんなに元気だった親父が、こんなに突然、死んだなんて信じられるものではなかった。
「嘘だ。信じられない」
「俺も信じられない。寅には話していなかったが、お前が、こっちに戻って来た晩、俺の所に、親父さんからお前のことを宜しく頼むと電話があった。元気な声でな。そしてお前が一段と頼もしく成長していることを、とても喜んでいた。そんな親父さんが亡くなっただなんて、俺にも信じられない。とにかく、山梨に行こう、こっちの仕事は奴らに任せておけば、何とかなる。俺の車で、一緒に山梨に行こう。まず家に帰って色々と準備をして、昼前には出発だ。俺が運転する」
親方の言葉を聞いて、寅司は「すいません」と機械的に深く頭を下げたが、何をどうしたらよいのか寅司には全く分からない。
しかし、親方を頼るしか無いことだけは、彼にも充分に分かった。



◆その207
父子の約束(8)

 冬休み明けの初のホームルームの時間、寅司と秀明を除いて2年生は、皆、顔を揃えていた。
男女合わせて15人しかいないクラス。秀明の席はまだ空席のまま。
寅司の欠席は誰の目にも歴然としている。
何度か遅刻はあったものの、高校に入って一度も学校を欠席したことのない寅司。
昌郎が教壇に立ち始まりの礼が終わると、担任の話が始まる前に、芽衣也が遠慮のない声で質問をしてきた。
「先生、寅は休み?」
クラスの皆も、心配そうな目を昌郎に向けている。
まず、今分かっていることを伝えようと昌郎は思った。
「寅は、今日から1週間ほど休みになる。さっき、寅から電話があった。彼の親父さんが亡くなったと言うことだ」
ウソという声が聞こえた。
「いや、嘘じゃない。寅は親方と一緒に山梨に帰っている」
クラスメート達は、ざわつきながら顔を見合わせた。
「私達が、此処で心配しても、何も始まらないが、せめて、寅の親父さんのご冥福を祈ろう」
昌郎は、そう言って「黙祷」と号令をかけた。
教室は突然、無音となった。
その静寂を破るように隣の教室に遅刻して駆け込んで行く、男子生徒の慌てた足音が聞こえてきた。
しかし、クラスの誰一人として黙祷を中断する者はいなかった。
生徒達より少し早く昌郎は瞑目を終えて、クラスの皆を見た。
神妙な顔をして皆が黙祷を捧げていた。
昌郎は、そんな彼等の純真な姿に触れ、一種の感動を覚えた。
定時制に通っているとか、彼等の身なりによって随分と偏った見方をされているが、彼等は若者の純粋さを失ってはいない。
今の自分から一歩でも前に進もうと、藻掻き続け、頑張っている。
冬休みが明けて、久し振りに彼等に会ったという思いもあるのだろうが、彼等に対する愛おしさが募った。
そして昌郎は、クラスの一人一人の夢への応援を、精一杯して行きたいと心の底から思うのだった。
「黙祷を終えてください」
昌郎は、静かに言った。
「みんな、有り難う。みんなの気持ちは、寅に、そして親父さんにきっと届くと思う」
昌郎は、
気を取り直して言った。
「今度は、嬉しい知らせだ。秀明が、来週の月曜日から、登校を再開する。ただし、毎日、最後の授業までいられるか、その時の体調によるらしい。彼が登校してきたら、体調を気遣ってあけて欲しい」
「大丈夫。先生、任せて。ね、みんな」
玲が、胸を張ってそう言いながら、皆を見渡した。
皆は、それぞれに頷いた。
「宜しく頼む」
昌郎は、心強く思った。
人生は、良いことばかりは続かない。
良いことのすぐ後に嫌なことが隠れていて、隙を狙うようにして悪いことが起こるようだと昌郎は思った。
でも、悪いことの後には良いことも隠れている。
そのことを忘れなければ、人生は決して悲観するものではない。
ようは一つ一つのことに、きちんと向き合って善処しようとすることが大切なのだ。



◆その208
父子の約束(9)

 三学期が始まった初日、何時ものように授業が終わり生徒達が下校すると、校内は一挙に静かになった。
それは淋しいくらいの静けさだった。
夜の9時半を過ぎ、先生達も帰って行く。
副校長の長津山も、彼にしては珍しく9時半には帰宅をした。
最後に、昌郎だけが職員室に残った。
彼は、自分の机の前に座って、寅司との面談した時の記録ノートを読み返した。
寅司は、父一人息子一人の二人家族。
母親は、彼が小さい時に離婚しているらしいが、寅司はその理由について何も話さなかった。
昌郎も敢えて聞くことはしなかった。
寅司の母親は生きているらしい。
小さい時に別れたまま、一度も会っていないし、会いたいとも思わないと言っていることで分かった。
寅司の祖父が残した大きな借金を返すために必死に働きながら、父親は男手一つで寅司を育ててきた。
寅司は小さい頃から、食事の支度を手伝っていた。
だから、料理は得意だと面接の時に明るく自慢していた。
特に肉じゃがが得意らしい。
寅司は小学校まで鍵っ子で、夕飯を作って父親の帰りを待つのが日常だったが、中学校に入ってからバスケット部に入ると帰宅が遅くなり、先に帰っていた父親が夕食の準備をすることが多くなったが、それでも学校が休みの時などは、彼が以前のように食事の支度をしていたらしい。
中学に入学した頃、借金の返済もある程度目処が付いたようで、寅司も部活に精を出せる環境になったらしい。
中学卒業後、寅司は父親の縁故を頼って、今の親方の所に、大工の修行も兼ねて世話になることになった。
寅司が、東京に来ることが決まった晩、父親と色々なことを話した。
その時、父親と一つの夢を語った。
今は、他人の家を造っているが、将来寅司が一人前の大工になった時に、山梨に戻り父親と大工をやりながら、二人で一緒に自分達の家を建てようと話したのだった。
寅司は物心が付く頃から、ずっと借家住まいだった。
父親が大工をしているのに、なぜ自分達には家がないのだろうと、寅司は子ども心にも不思議に思っていた。
小さい時、自分達の家を建ててくれと父親にせがんだことがあった。
その時に父親は、寅司を自分の膝の上でぎゅっと強く抱きながら、何時か必ず建ててやる。
その時は、お前も手伝うんだよと言ったことを、鮮明に記憶していると寅司は言った。
父親は格好良かった。
幼い寅司のヒーローだった。
そんな父親と同じ大工になることが、何時しか寅司の夢となった。
中学を卒業して、東京に出る段になった時、寅司はとても悲しかった。
山梨の工務店に就職して、父親と一緒に暮らしたかった。
しかし、父親は、若いうちに一度は他人の家の飯を食って、修行することの大切さを息子に、重々諭し納得させた。
本当は父親も、寅司と一緒に居たかったが、息子の事を考え敢えてそうしなかった。
寅司は、東京で8年間頑張ってから、山梨に帰ろうと考えた。
なぜ8年間と決めたのかと、昌郎は寅司に聞いた。
寅司は、胸を張って答えた。
「先生、俺、大学に行きたいんです。大学に行って学付けたいんです。定時制を4年で卒業し、その後に大学の2部に4年間通う。計8年でしょう」
寅司は、そんな夢を昌郎に語ってくれた。
二人で家を建てること、寅司が頑張って大学を卒業すること、それが父親の約束だと、2年生に入って直ぐ行った個人面談の折に寅司から聞いたことを、昌郎は思い出していた。
そして、そんな父親を亡くした寅司の、悲しみの深さに思い至るのだった。
由希を亡くした時の絶望にも似た底なしの悲しみ経験した昌郎には、寅司の深い悲しみを容易に想像することが出来るのだった。



◆その209
父子の約束(10)

 1月9日、三学期が始まって2日目。
定時制職員のその日の打合せ会議が終わってから間もなくのことだった。
秀明の母親から電話があった。
昨日、15日から登校すると秀明本人から連絡があったばかりなのに、今度は母親からの連絡? 何だろうと思いながら電話に出た昌郎は、15日から秀明君が登校することを昨日本人から連絡を受けて、とても嬉しく思っていることを、まず伝えた。
それに、有り難うございますと答えた後、母親は、今後の秀明のことについて、少しお話ししておきたいことがありますので、これから伺っても宜しいでしょうかとの電話だった。
秀明が登校した時、何か気を付けて欲しいことなどを話してくれるのだろうと思いながら、お待ちしておりますと昌郎は答えた。
母親は、十分後には伺いますとのこと。
秀明の母親は、既に学校の近くまで来て連絡を寄越していたのだった。
昌郎は少し不安になった。
昨日の電話での彼の声は明るかった。
治療も順調に進んで回復しているのだと安堵していたが、もしかしたら、何か困難なことを抱えているのかも知れない。
秀明は、昌郎に心配をかけまいと、敢えて明るい声で話していたのかも知れない。
そんな不安もよぎったが、まずは、お母さんの話をじっくりと伺ってみようと心に決めて、秀明の母親を待った。
電話で話していたとおり、きっかり十分後に母親は学校を訪れた。
職員室に隣接する図書室兼会議室にお母さんを招き入れ、そこで話を聞くことにした。
広い部屋だったが、冬の日差しと適度な暖房で、心地良い温みがあった。
絹谷がお茶を運んできてくれた。
去年、担任だった福永も一緒に顔を出してくれた。
秀明の母親は、昌郎や福永、絹谷に、非常にお世話になっていると懇意を籠めてお礼を述べた。
福永と絹谷は、秀明の様子を聞いたが、母親からは芳しい返事はなかった。
彼等は、何となく察した。
まず、木村先生とじっくりと話し合って貰おうと考えて、すぐに退室した。
母親は、気持ちを落ち着けるように座り直してから、今までの治療の経緯と今後のことについて、木訥と話し始めた。
秀明の骨肉腫の発見が早期だった事は不幸中の幸いだったが、やはりこの病気は非常に重いもので、今以てその原因も特定できていない。
しかし、主治医の先生は、今できる最善の方法で誠心誠意治療に当たってくれ、本当に素晴らしい先生に恵まれたと思っている。
その主治医の先生とよく話し合いながら、秀明本人の気持ちを大切にして治療を進めている。
この病には様々な治療方法があるが、本人と家族、医師とで一致して選択したのは、患肢温存法。
それは、その言葉が示すとおり、肉腫が発症した所を大きく切除してしまうのではなく、患部の形を残して治療する方法。
現在は、この方法が主流になってきているらしい。
秀明の骨肉腫は初期であり、病巣も広くないことから、この患肢温存法による治療が、本人や家族の希望にも添う最も良い方法だということになり、治療が進められている。
下肢温存法でも治療のための手術は必要である。
その術前の療法として、患部に対する放射線照射や抗がん剤の投与がなされた。
これは患者にとって決して楽なものではなく、病人には大きな苦痛が伴う。
それを定期的に継続して行う。
その治療に秀明は耐えなければならない。
秀明は良く耐えてくれた。
ここまで一気に話すと、お母さんは目頭を押さえて話を少し中断した。
きっと想像を絶するほどの苦しい治療に耐え続けてきた我が子のことを思いやって、胸が痛んだのだろう。
そして思わず落涙したのだろう。
激烈な苦痛を伴う治療に耐えた我が子を思う母親の気持ちが、昌郎には痛いほど察せられた。
そんな術前の化学療法の時期を終えて、いよいよ原発巣の外科治療となった。
この時の施術は、血管柄付移植術、処理骨移植などの生物学的再建と人工関節の装着であった。
大きな苦痛を伴いながら、予定した治療が順調に進んだ。
そしてこれからは、術後の化学療法に入ることになる。



◆その210
父子の約束(11)

 「ここまで、やっと漕ぎ着けました。でもこれからの化学療法は、術前の化学療法と同か、それよりももっと過酷で辛い副作用があるそうなのです。その上、感染や骨折、骨癒合不全などの合併症にも最善の注意を払わなければならないと聞いています。昨日、秀明が、15日以降、学校に来られるようになると電話で話していたのを傍で聞いていて、私は胸が痛くなりました。15日から、秀明の体調の回復と気持ちを落ち着けるために、一端治療が休みになります。2・3週間ぐらいの期間だと思います。きっと、その間に秀明は出来る限り学校に来たいと思っているのでしょう。でも実際には、本人の希望に反して、学校を休む方が多いと思います。そして術後の治療が始まれば、また長期の休みを頂かなくてはいけなくなるでしょう。秀明自身も、そう考えているに違いありません。でも、秀明は、登校することに拘りたいのです」
秀明のお母さんは、そこまで話すと、大きく息を吐きながら俯いた。
そして、溜息をつくように、また話し出した。
「一連の治療が成功したとしても、近い将来に『脚長差』の為に、また手術することになるそうです」
「脚長差?」
「ええ、秀明はまだ、成長期の途中ですから、足も成長に伴って長くなります。でも、病気を発症して施術をした方は、成長が止まってしまうのです。そこで、成長して長くなった足の長さに、病気を発症した方の足の長さを揃えるための手術をしなければなりません」
「そうですか」
母親の話を聞くだけで昌郎には辛くて、それだけしか言えなかった。
秀明の宿痾との、これから続く果てしない戦いを思うだけで、胸が痛み母親にかける言葉が直ぐには見つからなかった。
壮絶な秀明の闘病生活と今後継続して行われる過酷な治療のことを話し終えた母親に、昌郎はやっとの思いで労りを籠めて言った。
「分かりました。非力な私ですが、少しでもお役に立てるように頑張ります。副校長を初め他の先生達も、全面的なサポートを約束してくれています。しかし、出席日数が足りなくなって多くの教科の単位がとれなければ、留年と言うこともありうることになります。そうならないための方策、例えば補講、レポートでの対応、定通併用や大検で単位取得などフルに活用したいと先生方で話し合っていますが、いずれにしても秀明君の体が、それらのことに耐えられるかが、鍵になります」
心苦しいと思ながらも、昌郎はそう伝えた。
「先生がお話になったことは秀明も充分に承知しています。しかし、秀明は父親との約束を果たすためにも、精一杯、努力したいという気持ちも強いのです」と母親は何度も頷きながら言った。



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