[連載] | |
21 話〜 30話 ( 佳木 裕珠 ) |
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四月二日・三日は、土日で学校は休みだった。 「花をお届けに参りました」 「史記」管晏列伝の中で管仲(かんちゅう)は、こう言った。 「私を生んだのは父母だが、私を本当に知っているのは鮑叔(ほうしゅく)だ」 昌郎が敬愛する橘俊五郎先輩が、二人の交友の深さを見て、お前達の関係は正に「管鮑(かんぽう)の交わりだ」言ったことがあった。 そして、管仲と鮑叔の話を教えてくれた。 それまで、昌郎も凌仁(りょうじ)も、「管鮑の交わり」と言う言葉を知らなかった。 史記に書かれた管仲と鮑叔の逸話と同じような交友ではなかったが、管仲が言った先の言葉のように、自分を本当に知っているのは、正に昌郎であり凌仁であると互いに思った。 橘俊五郎は昌郎よりも一学年上で、同じ青森県の出身である。 彼は、大学に進学して東京に出て来ている。 入った高校は違ったが、応援団員として、また人間として、昌郎は彼を深く敬愛し、大きな影響を受けた人物である。 俊五郎は、青森県内でもトップクラスの進学校の生徒で、勉強と応援団活動を両立させて、県内の応援団関係者の間では、よく知られた生徒だった。 昌郎が高校二年生の時、高等学校体育連盟応援団部会五十周年記念大会があり、彼は生徒実行委員会の委員となったが、その実行委員会の委員長が俊五郎だった。 その委員会で、初めて昌郎は俊五郎と出会った。 そして、彼の男らしい態度や大きな人柄に触れ、憧れにも似た尊敬の念を抱いた。 その俊五郎の小さい時からの夢は、東京六大学の応援団が一堂に会し演技発表等が行われる「六旗の下に」のステージに立つことであった。 その為に六大学の何れかに入り、応援団活動をしたいと思っていることを昌郎は聞いた。 俊五郎が、熱く語る「六旗の下に」のことを聞き、昌郎も、その舞台に立ちたいと思うようになった。 高校入学当初は、卒業後は兄達と同じように、家業の自動車整備工場で働くと思っていた昌郎だったが、東京の大学、それも六大学に入りたいと言う思いが強くなり、両親に相談した。 二人の兄は、どちらも高校卒業後、すぐ実家の自動車整備工場で働いていたが、兄弟に一人ぐらい大学を出た者がいても良いだろうと言うことになった。 後は、昌郎が、どれだけ勉強を頑張れるかだった。彼は頑張った。そして応援団活動と勉強を両立させた。 昌郎は、当初俊五郎と同じ大学に受験しようと思っていた。 しかし、同じ六大学でありながらも、大学が違えば、当然応援の仕方も違う。 俊五郎と違う大学の応援団に入り、彼と連絡を取りながら情報交換が出来れば、活動が更に広がるのではないだろうかと昌郎は思った。 そのことを俊五郎に相談した。俊五郎も、昌郎の考えに賛成してくれた。 だが、俊五郎と同じ大学に行かなかったのには、もう一つ理由があった。 それは、同じ大学の応援団にいれば、自分は俊五郎先輩を頼ってしまうかも知れない。 俊五郎先輩に、いらない苦労をかけることになるだろう。 俊五郎から、大学の応援団の練習や組織そして旧態依然としたしきたり、厳しい上下関係などのことを聞き、自分が俊五郎と同じ大学の応援団に入れば、先輩に負担をかけてしまうことになるだろうと思ったのだ。 ◆その24 無骨なフラワーアレンジメント(4) 昌郎は、大学受験に上京した時、久し振りに俊五郎と再会した。 東京駅まで出迎えてくれた俊五郎を、昌郎は遠目から見て全く分からなかった。 しかし、東京駅の人波の中に立つ学生服で、昌郎は俊五郎を確認した。 久し振りに再会した俊五郎は、痩せていた。 痩せていたと言うよりも無駄な肉が一切削ぎ落とされていると言う感じだった。 そして、引き締まった男らしい顔に更に精悍さが加わっていた。 彼は洗い立てのようなびしっとした学生服を着ていた。 先輩は、また一回り大きくなったと昌郎は思った。 俺も先輩のようになりたいと、昌郎は痛切に思った。 昌郎は、俊五郎とは違う六大学の一つに無事入学することが出来た。 昌郎は、大学の入学式の日に応援団に入った。 講堂の地下に応援団の部室があると聞いた昌郎は、地下への入り口を探した。 講堂の周りを一回りしたが、地下への入り口はなかった。 建物の中から入るのだろうと思い、講堂の出入り口の扉を開けようとした時、彼と同じ新入生と一緒になった。 野武士のような無骨な印象の男子だ。 昌郎は、ぴんときた。 こいつも応援団に入部する気だな。 相手の男も昌郎を見て同じことを思った様だった。 二人同時に聞いた。 「応援団に入るのですか」 あまりにもぴったりと声が重なったので、彼等は互いに見合った。 そして二人一緒に頷いた。 それが、昌郎と凌仁(りょうじ)の初めての出会いだった。 彼等は、一緒に地下への階段を降りていった。 凌仁は高校時代、野球部だった。 彼は野球部で、それなりに活躍していたが、彼の入った野球部は強い方ではなかった。 どちらかと言えば、弱い方だ。 そんな野球部でほどほどにやっていても、大学の野球部では通用しないことを彼も分かっていた。 下級生の頃は、スタンドでよく応援団と一緒に先輩達の試合を応援した。 その時の高揚感が忘れられなかった。 そして彼は大学に入ると、迷わずに応援団に入ることにしたのだ。 昌郎達の学年の新入部員は四名だった。 彼等は、入った途端に辞めたいと思った。 それは、昌郎も同じだった。 しかし、彼は辞めたいと思っただけで、決して辞めなかった。 大学の応援団の厳しさについては、俊五郎から聞いて十分に分かっているつもりだったが、それは想像以上のものだった。 後輩は先輩に対して絶対服従である。 立っていろと言われれば、何時間でも不動の姿勢で立っていなければならない。 何があっても逆らうことは出来ないのだ。先輩に話をする場合は、腹の底から声を出し大声で話さなければならない。 力強く長い応援に必要な体力作りのためのトレーニングも生半可なものではなかった。 高校時代、鬼の笹岡先生に特訓させられたが、そんなものではなかった。 こんな練習を乗り越えてきたと思うだけで、一層笹岡先生を尊敬した。 ◆その25 無骨なフラワーアレンジメント(5) 応援団の練習では、殴られることは常識だった。 一年生がしっかりしないのは、二年生の責任であり、一年生、二年生がしっかりしないのは三年生の責任なのである。 三年はその責任をとって幹部の四年生から叱責を受ける。 蹴られることもあれば、殴られることもある。直接、一年生や二年生が殴られることもある。 通常は竹刀で尻や太腿などを叩かれる。常に、尻や太腿に痣がある状態が続く。 幹部が帰るまで、三年生以下は帰れない。 幹部が帰った後で、幹部室の掃除が始まる。塵一つあってはならないのだ。 幹部室の掃除が終了すると三年生は帰宅する。二年生以下で部室の清掃をしなければならない。 部室の掃除が終われば、二年生が帰る。その後で、一年生は、明日の準備をしてから帰路に就く。 大学を夜の九時に出られれば良い方である。 精魂を使い果たして帰るが、明日もまた、その辛い部活が待っているのだ。 昌郎達の新入生で応援団に入ったのは四名だったが、連休明けに二人辞めてしまった。 後に残ったのが昌郎と凌仁(りょうじ)だった。 昌郎は、凌仁と知り合ってからすぐ、こいつは俺の親友になる奴だと直感した。凌仁も同じ思いだったろう。 彼等は互いに励まし合って部活動を続けた。 昌郎は思った。凌仁がいたから、自分は四年間応援団を続けることが出来たと。 凌仁も、昌郎がいたからこそ応援団を辞めずに四年間やり通すことが出来たと思った。 入部してどうにか東京六大学野球の春季リーグ戦の応援を終えた六月の第二土曜日、昌郎は久し振りに俊五郎と新宿のスタバで会うことになった。 その時、凌仁を同行し俊五郎に彼を紹介した。 「こいつは、同じ応援団の源藤凌仁という者です」 凌仁は、畏まって頭を深く下げた。 「源藤凌仁です。よろしくお願い致します」 つい何時ものように大声で話をしそうになったが、俊五郎に制されて、凌仁は普通のトーンで自己紹介をした。 大学が違うからと言っても応援団の二年生だ。 こうして向かい合って座りながら話すことなど出来ない。 昌郎の高校時代からの先輩ということもあって、このようにさせて貰っているという分別が凌仁にはあった。 昌郎と俊五郎は、先輩後輩の立場を守りつつも、本当に親しく話すのを見て、凌仁は好ましく思った。 話の中で昌郎が言った。 「まだ、出会って二ヶ月程ですが、この凌仁は俺の親友です」 ◆その26 無骨なフラワーアレンジメント(6) 応援団では、夏休みと春休みを利用して年二回の合宿がある。 夏の合宿は二週間、春の合宿は一週間の日程だ。 一年生の夏の合宿は、本当に大変だった。 死ぬかと思ったほどだ。 一日に何十キロも走ったり、何時間も続けて腕立て伏せや腹筋運動のメニューが毎日繰り返された。 へとへとの状態で夜を迎える。 もう風呂に入る気力もなくなっていた。 しかし、次の日も朝早くから晩遅くまで、体力作りのメニューをこなさなければならないのだ。 風呂に入いるよりも睡眠をとり明日に備えることを優先した。 しかし、それほど辛い合宿も、昌郎と凌仁は互いに励まし合いながらやり切った。 昌郎は合宿が終わって部屋に辿り着いた時は、充実感で全身が満たされた。 そして、倒れ込むようにして只ひたすら眠り続けた。凌仁も同じようだった。 夏の合宿を乗り越えた時、彼等は応援団を四年間やり通すことが出来る自信が付いた。 何があっても、応援団を続けていこうと昌郎と凌仁は誓った。 春の合宿も厳しい合宿だったが、期間は夏の合宿の半分の一週間、それに一年間鍛えられた後なので、夏合宿のように死ぬかと思うほど辛い合宿ではなかった。 そして、この春の合宿を無事終えれば、応援団の金バッジが支給されるのだ。 一年生達は、応援団に入り活動を続けていても、まだ正式に応援団員とは認められない。 彼等は一年間やり通して春の合宿を越えてから、初めて正式な応援団員として認められる。 その証が、応援団の金バッチなのだ。昌郎と凌仁は、金バッジを貰った時は、天にも昇るほど嬉しかった。 先輩達から受け継がれてきたバッジを、彼等は仏具を磨く時に使う研磨剤を付けて、丹念に磨いた。 凌仁の父親が、これを使って磨けと教えてくれたのだ。 彼の父親は、息子が応援団に入ることに猛反対した。 息子に応援団の厳しい練習が勤まらないだろうと思ったからだ。 しかし、凌仁は父親の反対を押し切って、応援団に入った。 彼は、意地でも応援団を辞めることが出来なかったのだ。 歯を食いしばって頑張った。その頑張りも昌郎がいてくれたからだと思った。 ぴかぴかに光る金バッジを彼等は互いの学生服の胸に付け合った。 彼等の学ランは、高校生が着る標準タイプだったが、その金バッジを付けると、一段も二段も格が上がったような気持ちになった。 そうして二年生に進級した。 新学期を迎えて、幹部から新入部員を少なくとも二十人は確保しろとお達しが出た。 しかし、六人しか入らなかった。 だが、その六人という人数は、ここ十年の中では最大の人数だった。 そして、彼等の二年目の応援団活動が始まった。 そうして彼等は、四年間互いに励まし合いながら応援団活動をやり通し、友情を深めていった。 その凌仁から、彼の一番最初のアレンジの花籠が、昌郎のもとに届いたのだ。胸がじーんと熱くなった。 頭を掻きながら照れ笑いする無骨な凌仁の顔が見えるようだった。 土日の花屋は忙しい。昌郎は、月曜日の夜に礼の電話をすることにした。 そして、ふと思った。 このアレンジの花籠を、鈴ケ丘高校定時制の生徒昇降口に飾らせて貰おう。 ◆その27 新学期 (1) 四月四日、昌郎は鈴ケ丘高校に朝の七時に着いた。 定時制の職員玄関は、まだ鍵が開いていなかった。 全日制の職員玄関は開いていた。 昌郎は事務室の受付窓口から「おはようございます」と声をかけた。 返事もなしに六十がらみの無愛想な男性の顔が受付窓口に、にゅっと表れた。 怪訝そうにそして不機嫌そうに「何だね」と木で鼻を括ったように言った。昌郎は、少しどぎまぎして自己紹介しながら尋ねた。 「自分は、今年度から定時制に勤務することになりました木村昌郎と言うものですが、定時制の職員玄関の方へ行ったら閉まっているので、鍵を開けて頂けるでしょうか」 「今、七時になったばかり。こんなに早くから勤務するのかね」 何とも偉そうな口振りで話しながら、ぎろりと昌郎に意地悪そうな視線を投げつけた。 「今日は何時からの勤務だい」 「定時制の授業が始まっていないので、全日制の先生方と同じ八時十五分からの勤務です」 「そうかい。定時制の勤務が八時十五分からだと聞いてなかったなぁ。まあいいさ、定時制の職員玄関の鍵は、ここにある。今日はセキュリティの解除の仕方と鍵の開け方を教えるから、定時制の方の玄関に行って待ってな。こっちの玄関の鍵をかけたら、そっちに行くからさ」 なんとも横柄なおじさんだったが、昌郎は別段気にもならなかった。 人間、色々な人がいる。横柄な人もいれば、親切な人もいる。 この土日で大分花が散って、葉が芽吹きだした桜の木の下で待っていると、ほどなく、先ほどのおじさんが現れた。 そしてセキュリティの解除方法と鍵の開け方を教えてくれた。「有り難うございました」昌郎は深く頭を下げた。 おじさんは、少し驚いた風に昌郎を見てから、初めて笑顔になって言った。 「これは、俺の仕事だから、いいってことよ」 べらんめい調だった。昌郎は気持ちの中で、江戸っ子おじさんと呼ぼうと決めた。そう思うと楽しかった。 「木村先生といったかい」 「はい、木村と申します」 「あんた見込みあるわ。精々頑張ってくれ。この頃の先生は柔なものが多いが、あんた根性ありそうだ」 「今年大学を卒業したばかりで、自分に教師は務まるかと心配しています」 「ああ、勤まるさ。俺は、関って言うんだ。定時制の子ども達をしっかりと導いてやってくれよ」 関はそう言うなり昌郎にくるりと背を向けて、全日制の校舎の方に帰って行った。 ◆その28 新学期 (2) 職員玄関の鍵を開けて定時制の校舎に入った。 校内は、しーんと静まり返っていた。この校舎で、教員として生徒達を指導して行くのだと思うと、昌郎は、身の引き締まる思いだった。 玄関には、教頭や他の先生方の下駄箱に並んで、昌郎の名札が貼られた下駄箱があった。 それを見て、ああ、俺は本当にこの学校で勤務するのだと思った。 職員室に入り、鞄を自分の机の上に置いてから、昌郎は窓のカーテンを開けた。 途端に踊るようにして朝の光が差し込んで来て部屋の中を明るくした。 昌郎は、自分に割り当てられた机の前に座った。 そして、机の抽斗(ひきだし)を開けた。四月一日の会議の折に渡された様々なプリントや資料が入っている。 その中から生徒達の名列表を取り出して眺めた。 一年生二十人、二年生十五人、三年生十二人そして四年生が九人、合計五十六人の名前が学年毎に並んでいる。 昌郎は、二年生の担任である。 二年生十五人の内訳は、男子が九人、女子は六人だった。 男女別にアイウエオ順に並んでいる。 男子は天宮準一、小山田秀明、杉原陽明、千谷栄大、飛田康男、長山寅司、町井大介、南隆也、村井譲の九人で長山寅司が二十歳で男子では一番の年長。昌郎と二歳しか離れていない。 女子は、大西芽衣也(めいや)、桑山琴絵、小枝万里、高田律子、沼崎百合、花戸玲の六人。女子では四十五歳の桑山琴絵が年長者で、彼女は定時制の生徒の中でも一番の年上だ。 昌郎は、彼等について何も知らない。 生徒達の年齢は自分の倍以上も年上の四十五歳から十六歳までまちまちだが、二十歳が一人あとは全員十代で、通常の高校二年生の十六歳の生徒は男子と女子で各々三人ずつ。 年齢を見ただけでも多様で、全日制高校とは全く違った。彼等の昨年度の担任は福永だった。 彼と昌郎は机が隣同士だから、何かにと生徒のことでも相談に乗ってくれるだろうと思いながらも、昌郎は二年生の生徒達に会うのがとても楽しみな反面、自分が担任としてちゃんとやって行けるのだろうかという不安も大きかった。 自分が担任する二年生が一年生の時は、今年度の一年生と同じように二十人いたらしい。 しかし、この一年間に六人も退学したと福永から聞いた。 学年の人数は、上の学年ほど少なくなっている。 どの学年も二十人前後でスタートしているが、結局、中途退学者があって、現在の四年生は九人しか残っていない。 色々な理由で学校を去って行く人達がいるのだろうが、やはり夜間に学校へ通うことは容易なことではないのだろう。 自分が過ごしてきた高校生活からは想像も出来ないことが、沢山あるだろうと昌郎は思った。 七時半少し過ぎに、教頭の長津山が出勤してきた。彼は、自分よりも早く昌郎が出勤していることに驚いた。 「おはよう。何時も私が一番乗りだが、今日は木村先生に先を越された」 明るい声で、長津山教頭が昌郎に声をかけた。 主査の所沢、絹谷、川北、福永が五・六分間隔で出勤し八時前には全員が揃っていた。 ◆その29 新学期 (3) 八時十五分きっかりに、職員朝会が始まった。 昌郎は長津山に許可を貰って、次の日に凌仁の作ったアレンジの花を学校に持って行った。 大きなアレンジの花籠を抱えて、昨日よりも早く朝の五時半前に部屋を出た。 なるべく混雑を避け、人目に付かない時間帯に学校まで行きたいと思った。 部屋から参宮橋の駅までの道程は、朝早いこともあって人出が少なかった。 小田急電車も座席に座れた。 しかし、新宿の駅に着くと、日中よりは少ないものの、それでも多くの人達が行き来していて、大きなアレンジの花を持っている昌郎に通行人の視線が集まった。 花を持っていること自体全く似合わないことは、昌郎自身でも重々分かる。 大学時代、学生服を着て街を歩いたが、それは別段恥ずかしいとは思わなかった。 しかし、花を持って歩くことは、あまりにも自分に似合わず非常に恥ずかしかった。 新宿で地下鉄に乗り換えた。幸い地下鉄も空いていた。 とは言っても誰もいないわけではない。 少し離れた席に座っている人達が、ちらちらと此方に視線を送っているのが分かった。 昌郎は少しうつむき加減で座っていた。 六時半前に、学校に着いた。校門の門扉は開いていた。 昌郎は、真っ直ぐ定時制の職員玄関まで行き、その前に花を一旦置いてから、全日制の校舎に行った。 昨日と同じように職員玄関に入り事務室の受付窓口で、おはようございますと中に声をかけた。 はーいと昨日とは違うおっとりとした声が返って来た。 そして、ゆったりとした足取りで窓口まで来た。 昌郎の顔を見ると優しく笑いながら、昨日よりも早いですねと声をかけて鍵を手渡してくれた。 このおじさんは、四月一日初めて、この学校に来た時にいた人だと分かった。 そして、あの時ものんびりとした調子だったと思い出した。 昨日の朝は江戸っ子おじさんの関さんが対応してくれ、このおじさんはいなかったはずなのに、俺が昨日の朝に来た時間を何故知っているのか疑問だった。 礼を言って鍵を受け取り定時制の校舎に行った。 昨日江戸っ子おじさんから教えて貰った手順で、セキュリティを解除し鍵をあけた。 そして早速、生徒昇降口の下駄箱の上に、凌仁が作ってくれたアレンジの花籠を置いた。 決して出来の良いアレンジではなかったが、生徒昇降口がぱっと華やいだように感じた。 凌仁の花は、彼の性格のように大らかな花だったから、狭いところよりも広いところに置く方が引き立った。 そう思いながら花籠を見ていると、凌仁が花屋を継いだことが良かったのだと思えた。 昨日の夜、凌仁に電話をして礼を言った。 彼は、しきりに照れていた。 送るかどうかと迷ったが、昌郎の教師としての出発を祝うために、思い切って送ったと言った。 そして、今度、花を送るのは昌郎が定年退職の時だななどと冗談を言った。 久し振りに凌仁と話したことで、束の間、大学時代に戻ったような気分になった。 職員室のカーテンを開け、部屋の隅にあるガスレンジでお湯を沸かしてポットに入れた。 そして自分の机の前に座わり、抽斗からまた生徒の名列表を出した。 一年生から四年生までの名前が書かれていたが、二年生の生徒達の名前が他のものよりも浮き上がって見えた。 |
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