[連載]

 51話 〜 60話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その51
始業式の日(14)


 初めてのロングホームルームである。
始業式の前には通り一遍の簡単な自己紹介しかしていない。
昌郎はまず自己紹介から始めた。
出身地は青森県だと話すとクラスが一瞬ざわついた。
長髪で茶髪の南が後ろの席から言った。
「町井と同じだ」
昌郎は驚きながら町井大介の方を見た。
「町井君も青森県出身か」
そう聞かれた町井は、憮然とした表情のままこくりと頷いた。
彼の目は細かったが視線に鋭いものがあると昌郎は感じた。
やはりプロボクサーを目指してトレーニングしている男の目だと思った。
「青森県の何処ですか」
「八戸です」
 小柄な体型だが線は決して細くない。
無駄なことはあまり口にしないタイプのようだ。
「そうですか。私は青森市です。青森県は日本海側と太平洋側では、気候は大変違います。青森市は、どちらかというと日本海側で冬には毎年1メートル以上の雪が積もります。しかし、八戸は太平洋側でほとんど雪は降らず積もりません。ねぶたといえば青森市ですが、八戸市の夏祭は三社大祭という祭りです。方言も違います。なあ町井君」
 町井は、はいとしっかりした声で答えた。
 昌郎は、高校そして大学とずっと応援団をやって来たことを話した。
クラスはまだざわついた。ウソーと言う声も聞こえた。
「なんで、そんなダサいものやっていたの」
大西芽衣也が、思ったまま単刀直入に聞いてきた。
「私も初めはダサくて嫌だと思いましたが、今では格好いいと思います。応援団をずっと続けてやって来て良かったと思っています」
「先生、一つここで応援をやってみてよ」
思ったままを口にする芽衣也がまた言った。
「両隣の教室まで響いて迷惑をかけるので今日は止しておきますが、何時かは是非みんなにも応援の演技を披露したいと思います」
「えー、つまんない。いいじゃん、今やってよ」
 だだっ子のように口をとがらせて、やってよやってよと言う芽衣也を、桑山が静かに窘めた。
「芽衣ちゃん、先生の仰る通りだと思う。今日のロングホームルームは新年度最初のロングホームルームだから、そこのところを考えてあげましょう」
フンというように横を向いたが、それ以上芽衣也は駄々を捏ねなかった。



◆その52
始業式の日(15)

 昌郎の自己紹介が終わり、学校の年間行事計画や時間割そして教科のことなどを連絡した後で、今年度のクラスの係分担を決めることになった。
 まず、クラス長と副クラス長を決める段になったが、これは直ぐ決まった。
クラス長は長山寅司。彼は二十歳の大工で皆から「とら」と呼ばれている。
副クラス長は、四十五歳の桑山琴絵、彼女は日中ドラッグストアーで働いていて、学校では「おかあちゃん」と呼ばれ皆に慕われている。
順当な人選だと昌郎は思った。
全ての係がスムーズに決まったわけではなかったが、時間内には無事に全部の係が決まった。
その日、ロングホームルームの後、1時間だけ授業があったが、昌郎の担当する科目の授業はなかった。
生徒達が帰えると急に学校は静かになった。
先生方は明日の授業の準備や校務分掌などに追われながら慌ただしく仕事をこなし九時半過ぎには帰宅し、教頭の長津山が帰ると、職員室には福永と昌郎だけが残った。
隣の机から福永が昌郎に話し掛けた。
「木村先生、今日初めて二年生に会って様々な個性の生徒達がいて吃驚したでしょう」
「そうですね。正直に言って吃驚することが多かったです。特に大西さんがトイレで飲食していたことには面食らいました。他にもトイレで飲食する生徒はいるんですか」
「いや、いません。大西だけですよ。何度も現場を見られ私を初め他の先生方からも注意されて、やらなくなったなと思っていたんですがね」
「不思議に思っていることがあるんです」
「何ですか」
「大西さんがトイレに行きたいと言って教室を出た時は、何も持っていなかったんです。一体何処からパンやジュースを持ってきたんでしょうね」
「ああ、彼女は学校に来た時すぐ三階のトイレに行って個室のドアの所に付いているフックにパンやジュースが入っているレジ袋を掛けておいたんですよ。去年の途中から、それが分かりました。彼女は授業中に時々、トイレに行くんです。そして十分ぐらいしてから教室に戻って来ます。何時もお腹の具合が悪くてずっとトイレにいたと言うので、最初はその言葉を真に受けていました。しかし、何回かそんなことが続いて変だなと思ったんです。或る日、校内を巡回していた教頭先生が三階の女子トイレの個室のフックにレジ袋が掛けられていて、その中にパンとジュースが入っているのを見付け職員室に持って来ました。そして、次の授業時間中に教頭先生が再度校内巡回をした折りに、芽衣也が三階に登って行くのを見掛け、後を付けて行くと女子トイレに入って行ったので、芽衣也が授業中にトイレに行きたいなどと口実をつけては授業を抜け出して、誰もいない三階の女子トイレで飲食していたことが分かったんです」



◆その53
始業式の日(16)

 大西芽衣也はあまり家にいないらしく、学校へも遊び友達の所とか街のゲームセンターなどから学校に来るらしく、夕食をとらずに登校するようだと福永は話した。
「彼女は遊びに夢中で学校が始まるぎりぎりに登校してくるから、夕食はほとんど食べていないそうだ。本校の休み時間は五分しかないから、ゆっくり食べていられない。しかし、腹は空く。そこで彼女が考えたのが、授業中にトイレに行くと言って中抜けし、普段あまり使われない三階の女子トイレでパン等を食べることだったんだろう。しかし、先生方にその手口がばれてしまってからは、やらなくなった。今日は始業式や対面式などがあり教頭先生の校内巡回もないから、三階のトイレで飲食しても大丈夫だと思ったんでしょう。木村先生が探しに来るなどとは思いもしなかった。彼女も木村先生に見付かって吃驚したでしょう」
「いいえ、私に見付かっても大西さんは平然としていましたよ」
「それは、彼女の強がりでしょう。内心はしまったと思っていると思いますよ。彼女は、ああ見えても先生方の受けを気にしているんですよ。気にはするのですが、周りのことも考えずに自分の思うように行動してしまうんです」
「ああ、それで突拍子もないところで突然大きな声で質問したりするんですね」
「これからも、そんなことがちょくちょくありますよ。その時には、まず一呼吸置いてから静かに答えることです。へんにその場限りの回答をすると、また質問を重ねてきますが、答えなくて良い場合もあります。それは、授業や今話している内容と全く関係のない質問をした時です。そんな時は、ちゃんと質問内容を確認し然るべき時に答えるようにすればいいと思います」
「とても参考になります」
 福永の言葉の一つ一つが、昌郎にとって貴重なアドバイスになった。
「これから思いも掛けない色々なことがあると思いますが、木村先生だったら乗り越えられないものはないと思います。そう言う点では、定時制は全日制よりも大変なところがあると思いますが、それだけ遣り甲斐があります。私の初任校は全日制でしたが、定時制の方が自分に向いているような気がします。生徒達は様々な課題を持って入学してきます。だからこそ、生徒達とのふれあいが深くなって行きます。教育は、人間にしかできない仕事だと思います。その為にはどれだけ生徒達の持っている課題に向き合い、時には共有し怒ったり、笑ったり、泣いたりしながら一緒に成長できる仕事だと思います」
 福永はそう言って照れたように笑った。
 昌郎は、そんな福永の言葉に勇気付けられた。
そして福永を眩しい光りでも見るように見詰めた。



◆その54
個人面談(1)

 始業式の次の日から土・日と休みが続いた。
当初の予定では、週明けの月曜日に生徒会主催の新入生歓迎会があり、土日も休み返上で午後から学校に出て、福永や生徒会役員達と一緒にその準備をすることになっていたのだが、火曜日に予定されていた健康診断が、学校医の都合で月曜日に繰り上がり、新入生歓迎会を火曜日にすることになった。
しかし、対面式の時に全生徒の自己紹介がなされているから、歓迎会はなしでも良いのではないかと言うことになり、生徒会役員達が話し合った上で中止となった。
歓迎会と言っても部活動の紹介ぐらいなもので、それはプリントとポスターで十分だと福永も判断した。
福永がそう判断した訳は、生徒会役員の自主的な活動を促したいためでもあった。
生徒会役員達は歓迎会の進行プログラムも顧問の福永に頼りっぱなしなのである。
先生がシナリオを作ってくれることが当然のことのように思っている。
それであるならば、生徒会が主催して歓迎会をする意味がない。
それよりも、各部活の内容を聞き出して、生徒会役員達にチラシを作らせる方が彼等の生徒会役員としての自覚を持たせることができると福永は考えたのだ。
教頭の長津山も福永の考えに同意見だった。
 土曜日の朝、七時に携帯電話の目覚ましが鳴った。
布団の中から手探りで携帯電話を探してアラームをオフにした。
そしてもう少し眠りたいと思って目を閉じたが、その時ふと凌仁のことが頭を掠めた。
彼は大学を卒業して家業の花屋を継いでいる。
花屋の朝は早いと聞いていた。
自分が寝ているこの時間に、彼は既に働いているのだと思い当たった。
自分だけ惰眠を貪っては申し訳がない。そんな思いで昌郎はむっくりと起き上がった。
カーテンを開くと、朝の光が踊るように部屋の中に飛び込んできた。爽やかな春の朝だ。
四月になって何もかも新しくなったように感じる。
学生から数日の内に一挙に社会人となった。
そんな気持ちだ。
つい一週間ほど前まで大学生だったと言うことが信じられないほど、学生時代が遠く懐かしい。
土曜日や日曜日には、部屋の掃除をして洗濯をすることが、学生時代から身に付いた習慣だ。
昌郎は手早く着替えて牛乳とパンで簡単な朝食を済ませると、それらの仕事に取り掛かった。
掃除をし洗濯物をベランダに掛け終えてから、昌郎は授業の予習と準備に取り掛かった。
学校では、校務分掌の生徒指導や生徒会の仕事そして生徒達に拘わることで、授業の準備をする時間は殆どない。
彼は、土・日の大半を授業の準備に費やした。
 新学期が始まった二週目は四校時目の授業をカットし放課後に個人面談が行われることになっていた。
二年生は十五人、一日三人ずつ面談すれば丁度金曜日で個人面談が終わることになる。
月曜日は授業の合間を縫って身体測定や健康診断なども行われる。
新学期早々にはやらなければならないことが沢山あった。
様々な仕事をこなしながら、授業をして生徒達に拘わってくれた先生方に頭の下がる思いを感じた。



◆その55
個人面談(2)

 昌郎が勤務する定時制は、17時40分からショートホームルームが始まる。
1校時目は17時50分から18時35分まで。
1校時は45分間で授業の間の休み時間は5分間だけしかない。
そうしないと生徒達の下校時間が遅くなってしまうからだ。
それでも、四校時目が終わるのが21時05分で帰りのショートホームルームと清掃をすれば、早くても21時15分の下校となってしまう。
それから一人15分ずつ面談したとしても三人目の生徒が終わるのは22時。
年度当初の個人面談は、一人一人時間を掛けて行いたい。
そこで、4校時目をカットしてできるだけ21時30分までに生徒達を帰宅させたいという苦肉の策である。
 四月第二週目が始まった。
月曜日は身体測定と健康診断。
全日制の養護教諭が全面的に協力してくれた。教務の絹谷が総指揮を執りながら身長や体重、視力・聴力検査などを昌郎達常勤の教師が行う事になるので、変則的だが非常勤講師の授業でその日の時間割を作っていた。
身体測定も健康診断も、授業には関係なく学年順に1年生から行われるので、その時は授業が中断されることになるが、各学年の生徒数が少ないために長い間の中断はなかった。
昌郎は身長・体重測定の係をした。全生徒でも56人だけしかいない。
測定になれてきたところで身体測定が終了した。
健康診断も早めに終わり、3校時目の授業は中断されることなく進すみ、ショートホームルームと掃除が済んで予定どおり20時30分から個人面談が行われた。
個人面談初日の月曜日は、一人目・二人目は、女子の名簿順に大西芽衣也と桑山琴絵、そして三人目は男子名簿一番の天宮準一。二学年は女子が六人いる。
月曜日に女子二人の面談をして、火曜日以降は女子一人ずつを一番目に行う。
後は男子二人ずつ面談すれば九人の男子も五日間で終えられる。
一日三人で一人当たり20分の面談時間が取れて丁度金曜日までに二年生全員の個人面談を終えることができることになる。
女子の面談を早めの時間帯にやることを昌郎は福永からアドバイスを受けていた。いくら定時制高校の生徒だからと言っても9時以降あまり遅い時間に帰すことは控えたい。
昌郎は福永の気配りに感心すると、自分も先輩の先生方から教えられたんだと話し、3年生担任の川北も4年生担任の絹谷もそうしていると教えてくれた。
 3校時目が終わって昌郎が帰りのホームルームに行くと大西の姿が見えなかった。
初めのホームルームの時には大西は勿論2年生15人全員がいた。身体測定を大西は受けていたのだが。
昌郎は生徒達に大西のことを聞いた。
「3校時目が終わると、直ぐ教室を出て行ったけど。そのまま帰ってしまったんだな、きっと」
「何か知らないけれど、帰りを急いでいたから」
そんな答えが返ってきた。



◆その56
個人面談(3)

 芽衣也は無断早退をしていた。
一日3人面談をして今週中で2年生15人全員を終わりたいと思っていた昌郎は急遽、女子の名簿3番目の小枝万里に予定は明日なのだが今日できないかと聞いてみた。
「先生、今日は無理です。公演が迫っているから三時間で授業が終わる今週は明日を除いて、早く稽古に行く約束をして、他の団員の人達もそれに合わせてくれているから」
「万里ちゃん、私の前に面談をしてもいいけれど。それでもだめ?」
 桑山琴絵が、そう提案してくれた。
しかし、三分でも五分早く行きたいとのことだった。
 小枝万里は、毎日朝早くから昼過ぎまで、地元の格安スーパーマーケットでアルバイトをしている。
それが終わってから劇団に行き稽古を積みながら女優を目指している。
彼女は中学を卒業してから直ぐバイトをしながら劇団に通い始め高校には進学しなかったが、高校だけは出ていた方がいいと劇団の先輩達に言われ、二年遅れたが定時制高校に入学した。
今年で18歳になる。
女優を目指しているが小柄であまり目立たない容姿だ。
しかし、セリフの練習が役立っているのか、滑舌が良くはっきりとした物言いをする。
「それでは、女子で誰か今日の面談出来る人はいませんか」
 昌郎は、女子生徒達に聞いた。
「先生、私は今日でも大丈夫です」
 長い髪を金髪にしてギャル風の派手な化粧をしている花戸玲が手を挙げてくれた。
ホームルームを終え清掃した後に、教室で個人面談が行われた。
最初は、クラスの皆から『おかあさん』と呼ばれている桑山琴絵だ。
 彼女は45歳。
落ち着いてしっかりした態度の彼女は、クラスの誰からも頼りにされていた。
日中はドラッグストアーのパートとして働いているが、行く行くは正社員として働きたいと思っている。
しかし、販売登録者の資格がないのでこのままで正社員になったとしても、店長にはなれない。
昌郎は、販売登録者と言葉を初めて聞いた。
それはどのような資格なのですかと聞くと、桑山は丁寧に教えてくれた。
ドラッグストアー等で一般医薬品を販売できる資格で、都道府県の行う試験に合格しなければならない。
その試験は高卒の場合、薬剤師等の指導の下での実務経験が一年以上あれば受験することができる。
中卒でも四年以上の実務経験があれば受験はできるが、試験は年々難しくなってきているので、高校で一般的な知識も身につけた上で、卒業したら直ぐに販売登録者となるために受験したいと考えていると、桑山は目を輝かせて昌郎に話してくれた。
どうして中学を卒業して直ぐ高校に入らなかったのかと遠慮気味に昌郎が聞くと、女には教育はいらないという父親の考えが強く、それを押し切ってまで高校に入れなかったと教えてくれた。
しかし、桑山の表情には、父親を恨むような様子は微塵も感じなかった。



◆その57
個人面談(4)

 失礼しますと言いながら花戸玲が教室に入ってきた。
外見とは違って彼女の言動は礼儀正しく落ち着いている。
金髪や厚化粧をしていなければ目上の人に引き立てて貰えるだろうと昌郎は残念に思った。
彼女は、午前11時から午後4時までファミリーレストランのウエートレスとして働いていた。
家族は両親と小学2年生と5年生の二人の弟。父親は小さな鉄工所で働き、母親も食品加工会社でパートをしているが、生活は楽でないらしい。
彼女は一年間バイトをしてお金を貯めてから一年遅れてこの高校に入っていた。
一通りの面談を終えてから帰り際、玲が言った。
「先生、この金髪と化粧は四年生になったらやめます」
 突然のことで昌郎はどう返事してよいのか戸惑っている間に、玲は深々と頭を下げてから教室を出て行った。
彼女の言動に爽やかなものを感じた。
その日の面談の最後は天宮準一。
彼もまた礼儀正しく「失礼します」と言って教室に入ってきた。
彼は今年度転入してきたばかりの生徒だ。
昨年度までは都下でも有名な公立の進学校に通っていたが、今年度この定時制高校に転校してきたのだ。
福永の話によると勉強について行けずに2年生への進級が危ぶまれていたが、転校を条件に1年生の過程を修了させて貰ったらしい。
そんなこともあるんですかと昌郎が聞いた。
「ただ、受け入れてくれる高校を自分で探すことも条件で、色々なところにあたってみたらしいが、どの公立高校でも受け入れてくれず、かといって私立高校には金がかかり転校できない。
そこで、本校の定時制に転校することになったんだ」
「そうですか。転校に際しても試験のようなものがあるのですか」
「ああ、転入試験と言うものがある。三月下旬に行われた。英語、数学、国語の三教科の筆記試験と面接試験をするのだが、彼は前の学校では良い成績を取れなかっただろうが、有名な進学校に入れるんだから、やはり学力は高くて英・数・国の三教科とも満点だったよ。我々も彼が望むなら個別指導をして著名大学に試験で合格させたいと思っているんだ。その時は、木村先生にも協力して貰いたい」
 天宮の個人カードを見ると彼には一人兄がいて、年齢は二十歳、職業等の欄に『東京大学在籍』と書かれていた。
昌郎は天宮に聞いた。
「お兄さんは、東大生ですか。秀才ですね。何年ですか」
「兄は現役で東大に合格しましたから、今は3年です。先生は東大生の知り合いはいますか」
そう聞かれて、昌郎は、大学時代に何度か話したことがある同学年の東大応援団の団長だった男を思い出した。
目つきの鋭い如何にも秀才という男だった。
「私と同じ学年だった東大応援団の団長とは何度か話したことがありますよ」
「東大に入って応援団ですか」
天宮は理解し難いという表情をした。



◆その58
個人面談(5)

 各担任は午後9時半には個人面談を終えて職員室に戻って来た。
「個人面談はどうだった」
「今日一番最初に大西さんの面談をする予定だったんですが、帰りのホームルームに大西さんがいなかったんです」
「先生に断らずに早退したんですね」
「早退になりますか」
「勿論です。初めのホームルームは時間どおりに来なければ遅刻です。それと同じです。授業だけ出ていれば良いというわけにはいきません。帰りのホームルームにもきちんと出なければ早退です。ただし常習でない限り事前に許可を得てくれれば、学校としては早退にしない方向で扱っています。しかし無断でホームルームに出なかったら、それは早退扱いにします。そのことは、芽衣也も知っています。ところで、彼女の代わりに誰を面談したんですか」
「花戸さんが、今日面談をしてもいいと言ってくれたので、彼女の面談をしました」
「玲らしいな。彼女は色々と気遣いのある子ですよね」
「はい、助かりました」
「で、芽衣也の個人面談は何時」
「当初予定していた花戸さんの順番ですので、面談最後の日にします」
「それがいいですね。それから芽衣也には明日厳しく注意した方がいいですよ」
「はい」
「彼女、木村先生を試しているのかも知れません。ここで、変に寛容な態度をとれば、彼女は無断早退は勿論、無断欠席もしますよ」
「試している?んですか」
「多分、そう思います。木村先生、生徒達と最初に接する時は厳しくした方がいいよ。生徒との関係を良くしようとして最初甘くしたなら、それが普通になります。そんな関係で何かあって叱ったりした時には、あってなんで叱られなくちゃいけないんだと、逆に反発されますよ。最初厳しくしていて、ある時にふと褒められたり優しくされると、生徒達は何時もは厳しいけれど優しい人なんだと思いますよ。だから、最初から是々非々で厳しくすることは、教育にはとても大切なことだと思います」
 福永の話に昌郎は深く頷いた。
高校時代に応援の基本や演技を叩き込んでくれた鬼の笹岡と呼ばれた先生のことを思い出していた。
最初は厳しくて嫌な先生だった。しかし、厳しい分、様々なことを教わり身につけることができた。
そんな厳しい笹岡先生に褒められた時、天にも昇るほど嬉しかった。そのことを昌郎は久し振りに思い出していた。



◆その59
個人面談(6)

 火曜日、授業前のショートホームルームに2年生全員が遅刻せずに登校していた。
大西芽衣也は昨日無断で早退していたが、彼女はそれについて担任に謝るわけでもなく言い分けするでもなく、何時ものとおりで何事もなかったという風だった。
昌郎は全員の出席を確認した後で、芽衣也に言った。
「大西さん。無断で早退してはなりません」
芽衣也は、何それといった顔をして昌郎を見返して言った。
「私、皆に断ったわよ。ねえ、みんな」
 一瞬、沈黙があった。
昌郎がクラスの生徒達を見回したが誰も芽衣也の話を肯定する者はいなかった。
ただ、南隆也と村井譲はニヤニヤしていた。
「隆也と譲は聞いていたわよね」
「知らねえな。譲、聞いたか」
「俺も、知らねえ」
「何言ってんのよ。あんた達、分かった分かったって言ってたじゃない」
「芽衣也、おっちょこちょいだからさ、何かの間違いじゃねえか」
 彼等の間で険悪な空気が流れ出した。
「誰かに言うのではなく、どうしても早退しなければならないのなら、例え帰りのホームルームであっても、人に頼むのではなくて、きちんと私の方に連絡しなければなりません。昨日は無断早退として扱います。今後、このようなことがないように。それに昨日は、放課後に、大西さんの個人面談があることもはじめのホームルームで確認していました。大西さんが帰ってしまったので、代わりに急遽花戸さんに残って貰って面談をしました。花戸さんにお礼を言っておいてください」
「え、なんで私がお礼を言わなきゃならないのさ。暇だったんでしょ。だったらそれでいいじゃん」
 昌郎は、芽衣也の言動が腹に据えかねたが、感情を抑えて言った。
「無断早退はしないこと。花戸さんにお礼をいっておくこと。大西さんの個人面談は金曜日の放課後にします」
 芽衣也は、ふて腐れた態度で返事をしなかった。
「今のことは、クラスの皆も聞いていることです。大西さんだけが聞かなかったとはいきません」
「いちいちうるさいよ。聞こえているよ」
 芽衣也は聞こえよがしに、そんな捨て台詞を吐いた。
「うるさいは余計です」
昌郎は語気を強めてそう注意をした。




◆その60
個人面談(7)


 火曜日放課後の個人面談は、小枝万里から始まった。
 彼女は、長く伸ばした髪を後で無造作に束ね、少し厚手の黒色のパーカーにジーパンという格好だった。
その格好は先週から同じで、着ているパーカーも穿いているジーパンも同じだと思われる。
女優を目指す若い女性にしては、化粧っ気がなく、あまりにも身なりに無頓着な印象だ。
面接が始まると直ぐ小枝が言った。
「先生、きちんと二十分で終わって下さい。劇団で皆が私が来るのを待っています。私が行かなければ稽古が進まないんです」
「あ、分かりました。二十分の時間は守ります。きっと小枝さんは主役級の役についているんですね」
「いいえ、ほんの端役。でも、重要なセリフがあるんです」
「そうですか。頑張って下さい」
「先生、演劇は好きですか」
 小枝はそう質問をしながら、昌郎の返事も待たずに演劇の面白さや素晴らしさをとくとくと話し続けた。
昌郎は途中で、何度か面談の流れに持って行こうとしたが、途中から小枝の演劇談義を聞くことで彼女を理解しようと思い直し彼女の話を聞くことに徹した。
そして、あっという間に20分が経過した。
小枝は、教室の後ろの壁に掛けてある時計を見てもう時間だわと言った。
それで、小枝の個人面談が終了した。何を聞いたのか昌郎はよく分からないまま、小枝は帰って行った。
これから毎日会うのだから、焦ることもないだろうと昌郎は思った。
 二人目は男子の名簿二番目小山田秀明。
彼は生徒会の会計をしている。
中学生だと言っても通るような小柄な体型で眼鏡を掛けている。
ひ弱そうなイメージの男子生徒だ。
小山田は昌郎に好感を持っているようで、自分から色々なことを話した。
中学の頃いじめにあっていたこと。
それで学校を休みがちになり中学三年生の時は登校してもほとんど保健室かまたは皆と離れカウンセリング室で一人で勉強していたこと。
だから、ほとんどの教科の基本的な学力が身に付いていないこと。
しかし、高校に入ってからは一度も休みがないこと。
自分は、この高校に入って本当に良かったと思っていることなどを息もつかずに話した。
小山田の場合も昌郎は聞き役に徹したが、どうして高校に入ってからは一日も休むことなく学校に来ることができているのかと聞いてみた。
「だって、この学校では誰もいじめたりしないから、休む必要はないんだ」
 昌郎は、この学校ではいじめがないと福永が話していたことを思い出していた。
その理由は、この高校に入ってくる生徒達の多くは程度の差こそあれ小中学校で何らかのいじめにあっていて、いじめられる側の悲痛な気持ちが分かっているからだと福永は付け加えた。



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