[連載]

   1話〜10話( 如 翁 )


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◆その1
 「歳はとっても」

 第一線を退き、悠々自適の日々を過ごしている身ではあるが、それでも自分なりに大事な決断をしなければならない場面に遭遇する。
 様々な経験を積んできた老体であれば、迷いもなくすんなりと道を選択するのだろうと思われるかも知れないが、どうしてどうして。
 二十数年前、本当に「不惑」を経験したのか、我ながら疑わしい。
 「老人とは何歳からですか?」と問えば、六十歳の人は「七十五歳から」と答え、七十五歳の人は「九十歳くらいかな」と答えるそうであるから、人間いくつになっても精神年齢は生物年齢よりも若いらしい。
 そのくせ、自分より若い世代に対しては「一日の長」をひけらかしたがるものだから、高齢者という存在はやっかいである。
 「老婆心ながら」などと遠慮がちな表現を用いつつ、ついつい“積極的関与”のきっかけづくりをしてしまう私なども反省の日々である。
 ところで、すんなり決断できない時、どうやって気持ちを納めるか。
 そんなとき、私は『君子危うきに近寄らずんば、虎児を得ず』という“故事成語”を思い出すのである。



◆その2
 「農業と健康の深〜い関係」

 近年食品に対する消費者の意識が鋭敏になっている。
 一昨年のBSE騒動以降のことと思うが、特に農産物に対する主婦層の“選球眼”はイチロー並みだ。
 今や中国産のホーレンソーなど見向きもされない。
 そんな中、青森県の農産物は農薬散布回数が少ないことなどもあって、安全・安心を前面に出してPRがなされているようだ。
 また、ナガイモ、ニンニク、リンゴなど健康によいとされる作物も青森には数多い。
 ところが、気になるのは、そんな安全・安心県、健康作物県なのに県民の平均寿命が男女とも全国最下位という事実。
 これでは県産農産物のPRに“真実味”を感じてもらうことは難しい。
 「一日一個のリンゴは医者を遠ざける」という諺を引用してリンゴの効用を謳ってみても、目の前に青森県産と長野県産のリンゴが並んでいれば、全国一の長寿県である長野ものをついつい選択してしまうのが人情というものではないか。
 農業振興と県民の健康福祉問題は、関係なさそうで、その実深いところでしっかりと繋がっているようだ。
 この辺の機微をお役人は認識しているのだろうか?



◆その3
 「新聞記者は法体に!」

 江戸時代まで、医師は方外=階級外の世捨て人、とみなされてきたそうだ。
 通常の身分制にとらわれていれば、みかどや将軍などのお側近くに寄り、お脈などはと
れないから、方便としてそのような扱いとしたらしい。
 その印として彼らは頭を丸めて法体となった。 
 さて、今の時代、もちろんそんな欺瞞的な約束事などないが、あえて「方外」にふさわしい存在を求めれば、それは新聞記者ではないだろうか。
 まず、若僧記者でさえいっぱしの顔をして、普通は近づけない一国の総理や政府高官などに張り付いて“職務”を遂行していることに、類似性が感じられる。
 次に、彼らは“絶対間違いのない記事”を書き続けているし、加えて社会の木鐸として世の凡人たちを教え諭さなければならない、という使命感まで有しているらしい。
 あれやこれやで、新聞記者はまさに“神様”のような位置にあり、これほど「方外」にふさわしい存在はない、と言える。
 よって彼らには是非とも頭を丸めて法体になってもらいたいものだ。
 そうすれば、ひねくれた記事や的はずれな記事を書かれても、どうせ彼らは“階級外の世捨て人”だから、と腹も立てずに済むはずだ。



◆その4
 「経済効果?」

 世の中眉につばを付けたくなることは多々あるが、「経済効果」というのもその一つ。
 最近では、“阪神タイガースの優勝で何千億円の経済効果”というのがその事例。
 18年ぶりの阪神の優勝は確かに目出度いことには違いない。
 しかし「経済効果」云々というとその分日本経済が拡大し、儲けたような気にさせてくれるが、本当にそうなのか。
 現実の経済というのは、阪神の優勝を含めて無数のそんなことによって形づくられているのではないか。
 例えば、隣家のご子息が大学合格したことによる「経済効果」、どこぞで選挙があったことによる「経済効果」、気温が1度上がったことによる「経済効果」等々日々の出来事全ての「経済効果」の総体が一国経済なのではなかろうか。
 結局のところ「経済効果」というのはどの視点から経済を見るかという相対的な問題であり、決して経済全体を説明するものではないと考えた方がよいと思うのだが。
 加うるに、老婆心ながら、それを知りつつ特定の目的のために「経済効果」を持ち出す輩が多いから、気をつけた方がよいぞ。
 それじゃ今日も翁なりに「経済効果」を生み出しながら一日を過ごすとするかの。



◆その5
 「癖は歴史とともに」

 30年ほど前、少年たちが親指の上で鉛筆を“くるくる”とヘリコプターのプロペラのように回していたのを覚えているだろうか? 誰が考えたのかは知らぬが、この遊びはたちまち全国の小中学生に蔓延し、一世を風靡したものだ。
 その動作を今でも時折見かけることがある。ただ当時と異なっているのは筆記用具を回しているのが紅顔の美少年ではなく、ただの中年男ということだ。
 その昔、勉強しながら“くるくる”やってたその遊びが「癖化」し、身体に染みついてしまったのだろう。
 彼らは大学受験の時にも回していたろうし、新入社員として初々しく働いていたときも回していただろう。
 そして今、デフレに苦しむ日本経済を背負って立つ中堅戦士として悩み多き仕事に没頭しながらも“くるくる”やっているのだろう。
 さらには、あまり想像を逞しくしなくても、30年後も彼らは回し続けているに違いない。
 老人となった彼らが鉛筆を回している様子を想像すると、そこに我が国経済社会の一断面が歴史を刻んでいく壮大なドラマを見るような気がして感動すら覚えるのである。こりゃちょっと大袈裟か。



◆その6
 「城中お歴々」

 日本史上、最もばからしい出来事の一つとして徳川5代将軍綱吉による「生類憐れみの令」を挙げることができよう。
 世継ぎが生まれないのは前世に殺生を行ったからだ、という怪僧隆光の説に従い、生類、特に犬の殺生を厳禁した犬公方綱吉の暴政により、庶民は大迷惑を被ったのだが、結局は24年の長きにわたり継続された。
 「こんな政策は……」と誰もが思いながらも、途中、諫める者も苦言を呈する者もいなかったのである。
 綱吉が死ぬと直ちに廃止されたというから、悪政という認識は幕府幹部の間でも共有されていたのだろう。その後、6代将軍家宣の下、新井白石がいわゆる「正徳の治」を敷き世直しを図った。
 さて、この辺の事情は現在もまったく変わらないようで、ごく身近な地域社会においても似たような事例を連想することができるのではないか。
 こちらの方は、どうやって世直ししていくのか、翁も興味津々なのじゃが、どうも“すっきり”とはいってないようじゃ。
 果たして「前の殿様」お一人の力でその政策が具体化できたのかどうか、その辺の検証と、そして“城中お歴々”の“最小限の倫理観”が今求められると思うがの。



◆その7
 「子供の国」

 「子供の国」というと、遊園地や子供向け施設に“言葉”としてよく使われるが、ある意味で“実在”している、と言えるかもしれない。
 昔々、翁が紅顔の美少年であった頃、小中学校のクラスというのは、一つの「政治体制」だったような気もするのである。
 学級委員長を選ぶ手続きはまさに「選挙」であって、「派閥」もあったし、中には“公職選挙法”に反するような“買収”行為をする不敵な「候補者」もおった。
 一方他のクラスに対しては、徒党を組んでケンカを仕掛けたり、和平を模索したりと、そこにはちゃんと「外交」もあった。
 おそらく子供たちはこうした体験を経て次第に成長し、分別をわきまえ、大人となって、本物の「国家」の構成員となっていくのであろう。
 ところが世界はやはり広い。
 中には、“子供”のままで国家を形成している「子供の国」があるらしいのじゃ。
 その国は非難の言葉以外知らず、不都合・不具合は全て他国のせい。
 ケンカの訓練怠らず、それでいて援助をもらうのは当然と開き直る。
 まったくもって常識が逆立ちしている、としか思えない。
 こんな国は「ガリバー旅行記」の中だけにしてほしいもんじゃの。



◆その8
 「度量衡でひとくさり」

 米に関する度量衡のこと。
 今の若い人でも1升が10合であることくらいは知っているだろう。
が、10升で1斗、10斗で1石、となると、ほとんどが習ったことも、使ったこともないのではないか。
 ついでながら1石は2.5俵で、1俵60キロだから、1石は150キロということになる。
 米が1石あれば、今の4人家族なら1年近くもつかも知れない。
 さて、この換算レートで、平成14年の青森県の石高を計算してみたところ、その年の水稲収穫量は約29万9千トンだったから、ざっと200万石ということに相成った。
 青森二百万石。
 江戸時代だったら加賀百万石を凌駕する超大藩だ。
 今とは違って、“青森藩”の殿様は官位も高く、発言力もさぞかし大きかったに違いない。
 もう一つ。江戸時代、御府内のある橋の両側にそれぞれ後藤という名の2つの商家があったそうだ。
 そこでその橋につけられた名前が「一石橋」。
 お分かりいただけたろうか? 江戸時代の人たちのユーモア感覚は大したもんだ、と感心する次第。
 以上、ただの老人の戯言として聞いてくださって結構。



◆その9
 「転換点」

 世の中、先を見通すことは難しい。
 政治状況にせよ、経済状況にせよ、有為転変、同じ状態はいつまでも続かない。
 「禍福はあざなえる縄の如し」「まだはもうなり、もうはまだなり」などの名言も用意されているが、その転換点を見極められないのが人間の愚かさと、ある意味での“尊さ”なのかもしれない。
 そこから人生の喜劇も悲劇も生まれてくるわけだが、翁のように人間を長く続けていると、確かに何度かの“波”を経験したということだけは断言できる。
 そして、いつの場合も、後になって、もしかしたらあのときがターニングポイントだったのかも知れない、と気づくのである。
 ただ、経験上言えることは、いずれの場合も、転換点の前に、それを引き起こす要因が予め仕込まれていた、ということである。
 真夏の暑さは、気象学的には、ほぼ2カ月前の、昼が最も長く、夜が最も短い夏至によってもたらされているのであり、蝉しぐれがやかましいさなかには、北半球は既に着々と冬への歩みを進めているのだ。
 そう、「今」があなたの転換点かも知れない。以上、老婆心ながら。




◆その10
 「無機質ネーム」

 「ワドナ」「アウガ」、こうした施設名を聞くと、青森、特に津軽の人たちの言語感覚の鋭さに感心してしまう。
 もちろん、ワドナは「我ど汝」、アウガは「逢うが」という津軽弁が基となっているが、それぞれ“WADONA”“AUGA”と横文字表現できるのもミソとなっている。
 津軽弁の朴訥さを、あえて無機質なカタカナもしくは横文字に変換して、意味と語感が右脳と左脳の間を行き来するのを楽しむ、そんな感じだろうか。
 Jリーグにおいても「アビスパ」とか「サンフレッチェ」など、わけの分からないチーム名がついているところをみると、青森におけるこの種の命名も若者の言葉遊びの一環として位置づけられるのかも知れない。
 そこで若者に負けじと、この翁もいくつか施設名を考えてみたのである。
 原子力施設「マイネ“MAINE”」、津軽海峡大橋「ワイハ“WAIHA”」、終着駅「ヘバナ“HEBANA”」、 政治家矯正学校「メグーセ“MEGUSE”」。
どうじゃ。
 ついでにもう一つ。大規模集会施設「クルナ“KURUNA”」。これじゃ誰も「コネガ“KONEGA”」!






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