[連載]

   121話〜130話( 如 翁 )


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◆その121
 「田舎のネズミ」

 青森県が行った自給自足デモンストレーションの記事を先日読んだが、なんでも青森県はカロリーベースの食料自給率が全国の39%を大きく超える118パーセントで、全国第4位。
 しかも秋田県や山形県と違って米だけでなく、野菜、果実、畜産、水産物の自給率も高く、非常にバランスのとれた生産県だとのこと。
 であればこそ、青森県産の食材だけで商品として出して恥ずかしくない昼食メニューを作れる、というのがデモンストレーションの趣旨であった。
 同時に、自給率1%の東京都の場合、どんなメニューがつくれるか、も紹介しておったが、大根とほうれん草、トマトそれぞれ一切れに、あさり2個でつくったスープ一皿、これで1日3食分だとのこと。
 これでは猫の一食分にもなるまいて。
 我が世の春を謳歌している東京都ではあるが、はなはだ危うい基盤の上に成り立っている都市であることがよく分かる。
 さて、田舎に遊びに行った都会のネズミが、あまりの退屈さに一度都会にお出でよ、と田舎のネズミを誘った。
 都会に行った田舎のネズミは有り余る多彩な食物に目を見張るが、危険と隣り合わせの実態を知り、「さようなら。私は質素でも安全安心な暮らしを選ぶ」と言って田舎に帰っていったという寓話。
 今一度よく噛みしめてみなければならぬのお。



◆その122
 「〈放火〉と〈腹話術〉」

 新聞ネタを一つ。
 しばしば「こうしたA社の対応は国民から批判を浴びそうだ」といった類の記事が登場するが、よく考えるとこれは誠に不思議な表現じゃ。
 というのは、その時点では国民はまだ批判をしていないのである。
 批判するかどうか不明であるのに、誰がそうした見通しを立てることができるのか? 
 それはその記事を書いた新聞記者本人と言わざるを得ないが、実のところ記事は「予測」ではなく、記者の「願望」を書いていると解釈するのが妥当だろう。
 A社を批判したいのは本当は記者本人なのである。
 ただ、客観性を旨とするジャーナリストとして、個人の思いを訴えるわけにはいかないから、「国民」という漠たる主体に仮託するわけじゃが、新聞を読んだ国民がその記事に「誘導」されて本当にA社を批判するようになることも、まま起こるから事はやっかいである。
 結果として正しい予測となってしまうわけじゃ。
 同様に、取材で「Bさん。○○とは思いませんか?」と聞かれて、Bがそれを否定しなかった場合、「B氏は○○と判断」と書かれることも覚悟せねばならぬ。
 要は新聞記者というのは「自分の思っていることを如何に誰かに言わせるか」のプロなのじゃ。
 その昔、佐藤栄作総理が退任の際の記者会見で、「新聞は事実を書かないから、テレビ局以外は出て行ってくれ」と主張したエピソードを懐かしく思い出すわい。



◆その123
 「常夜は続くよ」

「朝の来ない夜はない」というのは、「希望」を象徴する確かドストエフスキーの言葉じゃが、最近「朝が来ないうちに日が暮れてしまった」という誠に珍しい現象が起きてしまった。
 何のことはない、我が国の経済の話じゃ。
 何でも、日本は平成14年1月から景気拡大が続き、戦後最長を記録したということなのじゃが、その間、一般の家計や地方は景気拡大の恩恵に何ら与ることはなかった、というのが実感ではなかったか。
 そうしたら、何と平成20年のはじめには既に景気後退局面に入っていた、というのが最近の政府の見立てである。
 これでは一般家計や地方にとって夜が明けない「常夜」状態が続いていたということになるのではないか。
 竹中某などに代表される、いわゆる「上げ潮派」の主張は、「まず大企業が利益を上げれば、それは雇用者の賃金に反映され、家計を潤し、消費を拡大し、日 本経済はハッピー、ハッピー」という、上の滴が垂れて下を潤していく「トリクルダウン理論」なるものに依拠しているとのことなのじゃが、その伝でい くと、「滴」なるものは一体どこに垂れて行ってしまったのだろう?
 それとも垂れる前に「蒸発」してしまったのか?
 そんな事を考えていると、「夜」だらけなのに眠れなくなってしまう今日この頃なのじゃ。




その124
 「お化け屋敷」

 先日、孫を引き連れて、というか引き連れられて、東京ディズニーランドなるところに行ってきた。
 休日だったせいもあってか聞きしに勝る混雑ぶりじゃった。
 シャッター街と言われて久しい青森のストリートに、あの人混みの1%でも分けてやりたいくらいであったぞ。
 それはともかく、さすがは夢の国と言われるだけあって、園内は非日常性の権化のようであった。
 多種多様なアトラクションはもちろんのこと、かのディズニーランドでは大勢の観客自体も、「夢」の舞台を構成する大事な要素なのであり、また、人気アトラクションを待つ長い長い待ち時間さえ、「夢」の過ごし方の一方法であるということがよく分かった。
 150分待ちの「プーさんのハニーハント」なるアトラクションに並んだときはさすがに足腰にダメージを受けたが、それでも平素の、2時間待ちの3分診察という病院通いとは充実感が全く違っておったわい。
 本当によく出来たレジャーランドであった。
 とは言え、園内を出て、宿に戻りテレビのニュースを見ると、そこにはまた別の意味での非日常性が渦巻いておった。
 子殺し親殺し、無差別殺人、メラミン混入、汚染米、米転がし、巨大金融破綻などを見ると、現実社会も、ある意味〈ディズニーランド〉なのやも知れぬな。
 それともお化け屋敷かの。



◆その125
 「欲望学者」

 経済とは、世の中を治め、人民の苦しみを救うことを意味する経世済民に由来する言葉とのこと。
 ならば経済学とは経世済民を追求するための学問ということになろうが、昨今の米国の状況などを見ていると、看板に偽りあり、と言わざるを得んな。
「新自由主義」なる一派が幅をきかせ、その理論を錦の御旗に金融業界はやりたい放題。 
 サブプライムローンと言う粗悪融資案件を組み込んだ毒入り饅頭のような金融偽装商品を開発して売りさばき、挙げ句の果てが、リーマンブラザースの破綻など百年に一度あるなしの金融危機を招来し、全世界を震撼させておる。
 かのウォール街では、疑心暗鬼に陥っているせいか、ちょっとした情報にも過敏に反応し、それが株価を乱高下させているようじゃ。
 いずれカラスが東西どちらへ飛んで行ったか、とか、誰それが豆腐の角に頭を打ちつけて死亡した、とか、そんな事象まで株価の行方を左右する材料とされるやも知れんな。
 ともあれ、「世の中を混乱させ、人民を苦しみのどん底に突き落とす」行為をどうして「経世済民」と呼べようか。
「経済学」から「欲望学」へ名称変更すべき時が来ているのではないか。
 同時に、米国経済モデルを盲信し、喧伝した竹中某など「一流の欲望学者」にも、そろそろ退場してもらいたいもんじゃ。



◆その126
 「名探偵」

 先日新聞を読んでいて驚いたことがあった。
 同じ日の讀賣新聞の「編集手帳」と毎日新聞の「余録」にまったく同じ挿話が引用されていたからじゃ。
 それは東京都内で妊婦が7つの病院に受け入れを断られ、死亡した事件を扱ったものであったが、両紙ともメーテルリンクの童話「青い鳥」を素材に論を展開しておった。
 妊婦死亡を取り上げたというところまでは重複もあり得ると思うが、「青い鳥」までというのは合点しがたい。
 同日の朝刊であるから、どちらかが真似をしたということもあり得ない。解釈としては、1.やはり単なる偶然 2.新聞記者は似た発想をする 3.両紙の執筆者同士が友人で、示し合わせて書いた、などが挙げられようが、どれも外れだろう。
 そこでこの翁がにわか探偵となって推理してみた…。
 コラムニストは件の事件について何か書きたいと思った。
 しかし気の利いた挿話が思い浮かばない。
 そこで目の前のパソコンで、例えば「あかちゃん」「死」「童話」などと入力し、検索した。
 そうしたら、メーテルリンクの「青い鳥」が出てきた。
 これは行ける、と思いそれぞれ「青い鳥」を引用した。
 どうじゃ。
 シャーロックホームズ顔負けの名推理ではないか。
 尤も、仮に当たっていたとすれば、大新聞のコラムニストの安直さにいささか幻滅じゃがの。



◆その127
 「歳時記」

 どこかの国の昔話じゃ。
 ある村の村長さんが誕生日を迎えたので、村人達がお祝いにワインをプレゼントすることにした。
 用意した樽に各人が自家製のワインを注ぎ合い、満杯となったので贈呈したところ、飲んでびっくり村長さん。
 樽の中味はただの水であった。
 なんのことはない。
 村人みんなが自分一人くらい水を入れてもばれないだろう、と吝嗇根性を丸出しにした結果だった、という話じゃ。
 この昔話を思い出したのも、ここ青森の晩秋の〈歳時記〉というか〈風物詩〉ともなっているワラ焼きに参っておるからじゃ。
 お岩木山も霞んで見えなくなるほど立ちこめるスモッグ、住民の健康に良い訳がないし、車の運転にも差し支える。
 他県では聞いたことがないし、まさに青森特有の「公害」と言ってよい。
 発生した稲ワラをどう処理するかが地域の民度を計るバロメータだとすると、最下位レベルじゃな。
 何故焼くのかと問えば、他のみんなも焼いているから、と答えるに相違ないが、根源には自分一人くらいが焼いても、さしたる影響もあるまい、という無責任さが横たわっていたのではないか。
 尤も、昔話とワラ焼きに共通しているのはどちらも「農民」の所作であるということだが、そこに深い意味はないだろう、ということだけは言っておかねばなるまいて。



◆その128
 「美人局」

 一国の総理大臣が「踏襲」を「ふしゅう」などと読み間違え顰蹙(ひんしゅく)を買っているが、一方で読みの難しい漢字があるのも事実じゃ。
 例えば、「秋」と書いて「とき」とも読むが、「冀くは」「雪ぐ」「抑抑」「就中」などはいかがであろうか。
 すんなりと読める御仁はなかなかおらぬのではないか。
 こうした難しい読みは漢文文化に起因しているものも多いと思われるが、中には訳の分からぬケースもある。
 例えば「流石」。
 何でこれで「さすが」と読むのか。
 というより「さすが」に「流石」を当て字したらしいのだが、それにしても何で「さすが」が「ローリング・ストーン」なのか、皆目分からん。
 そんな疑問の最右翼が「美人局」である。
 読みが分からずとも、なにやら妖しい雰囲気を漂わせる漢字の配列ではある。
 そのとおり「つつもたせ」と読む。
 中国の元の頃、悪漢が娼妓を妾と偽って少年などを欺いた犯罪を称したのに由来するとのこと。
 幸いにして翁の人生において遭遇したことのない災難事であるが、その表現には「流石」は漢字の国じゃ、と妙に感心してしまうわい。
 ちなみに、先ほどの読みの答えは、それぞれ、「こいねがわくは」「そそぐ(すすぐ)」「そもそも」「なかんずく」じゃ。
 かの総理が果たして読めるかどうか、甚だ疑問であることは確かじゃな。



◆その129
 「女性金銭考」

 男女共同参画社会のご時世に言うも憚られる話なのじゃが、ここだけの話として聞いてほしい。
 津軽弁に「おなご勘定」という言葉がある。
 重複する金の貸し借りを一気にではなく、一回一回の事実を踏まえて現金のやりとりをしながら清算する行為を言う。
 確かにそんな場面にも出くわしたこともあり、「言い得て妙」という気もする。
 まだるっこいやり方、という揶揄するニュアンスで使われることが多いようだが、暗算が得意とか不得意とかのレベルではなく、そこには女性特有の人生哲学が潜んでいるような気がするのじゃ。
 思うに、金のやりとりを数字上で相殺してしまうことに、女性は地に足がついていないような非現実感を抱いてしまうのではないか。
 一対一の対応関係をしっかりと確認したい、という欲求は確かに時間はかかるが、着実でもある。
 母性をも具有する女性たちは長い長い歴史の中で、様々な経験を積み、学習し、「おなご勘定」的DNAを創り上げてきたのであろうから、それはそれでよいのではないかの。
 なんとなれば、「自分の金は自分の金。亭主の金も自分の金」という規律が貫徹され、ひとたびむしり取られた金は永遠に戻っては来ぬ定めの金銭文化圏にある我が家から見れば「おなご勘定」など、清算の一つのスタイルに過ぎんのじゃから。



◆その130
 「○中△あり」

「平成」という年号の考案者としても知られる碩学、かの安岡正篤先生に「六中観」というものがある。
「忙中閑あり。苦中楽あり。死中活あり。壺中天あり。意中人あり。腹中書あり」
という味わい深い箴言じゃが、最初の「忙中閑あり」などは人口に膾炙しているのではないか。
 そこで、この翁も新しい「中観」に挑戦してみた。

「憎中愛あり」
 可愛さ余って憎さ百倍というやつじゃな。

「熱中冷あり」
 心頭滅却すれば火もまた涼し、の快川和尚の境地かな。

「虚中真あり」
 ほんまかいな?

「貧中豊あり」
 そうそう、昔はみんなひもじい思いはしておったが、心は確かに豊かであったなあ。

「老中若あり」
 わしもそうありたいものじゃが、近頃はさっぱりじゃて。

「核中和あり」
 うむ、これが国際政治の実態なのであるな。

「石中玉あり」
 玉石混交ってやつかの。

「夢中現あり」
 正夢じゃな。

「報中嘘あり」
 最近のマスコミのレベルの低さかな。

「騒中静あり」
 岩にしみ入る蝉の声ってやつか。

「災中幸あり」
 災難の中には幸せの芽が潜んでいるとも言うな。

「線中点あり」
 いわゆる数学の連続の概念かしら。

「虐中悦あり」
 SMの世界か。

 最後に、「濫中粗あり」。
 翁の「中観」づくりは粗製濫造に終始してしまった、ということじゃな。
 失礼をばいたしました。




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