[連載]

   131話〜140話( 如 翁 )


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◆その131
 「高下在心」

 最近読んだ本の中で、「自己実現的予言」という興味深い概念が紹介されておった。
 簡単に言えば、自分で予言したことは、実現してしまう、という謎めいたことなのじゃが、わかりやすい例を挙げてみよう。
 わしはゴルフはやらんのだが、池越えのショットというやつは甚だ難しいものらしい。
 池を前にしたゴルファーは、「池に入れてはいけない」とか「もしかしたら池に打ち込んでしまうのでは」という心理に陥るらしい。
 すると本当に「池ぽちゃ」のショットをしてしまうのだそうだ。
 無意識のうちに体が池に打ち込む動きをしてしまうらしい。
 すなわち「予言したことが実現してしまう」のじゃ。
 これは人間が生きていく上で、誠に重要な教訓ではないか。
 敷衍(ふえん)すれば、与えられた局面を悪く捉えれば悪くなるし、良く捉えれば良くなるなら、良い方に捉えるべき、ということ。
 そういえば、楽天の野村監督が移籍希望の中村紀洋選手に「高下在心」と書いた色紙を渡しておったが、その意は「状況を良くするのも、悪くするのも心の持ち方次第だ」ということであった。
 例えば、「神は自ら助く者を助く」もそうじゃが、このことは、長い人類史において、様々な形の智恵として語り継がれてきた。



◆その132
 「眉に唾」

 テレビで或るコメンテーターがアメリカという国は「自由」という言葉に弱い、と言っておった。
「弱い」というのは、それだけは譲れない、という程の意味だと思うが、なるほど、と感心したわい。
 なんとなれば、第2次世界大戦に参戦したのもファシズムから「自由」を守る名目であったし、アフガニスタンに侵攻したのもテロの脅威から「自由」を守るためというお題目であった。
 自ら「自由」の保護者を任じているのだろう。
 翻って、我が日本国は何という言葉に弱いのであろうか。
 いろいろあろうが、ぴったりなのは「改革」ではないだろうか。
 なにしろ江戸時代から「享保の改革」、「寛政の改革」、「天保の改革」、と改革づくめであったし、最近も「改革なくして成長なし」と叫んだ首相を国民は熱狂して支持した。
 しかしながら江戸時代の改革の正否は別としても、今次の「平成の改革」はいただけぬのお。
 他の条件にして、たまたま経済成長が続くと「成長は改革のおかげ」、これまた他の条件にして成長が行き詰まると、「経済の低迷は改革が足りないから」、と 子供だましのような呪文を念じ続けることが果たして「改革」の名に値するのであろうか。
 その結果何が起こったか、をよくよく検証してみれば、「自由」とか「改革」といった美しい言葉は眉に唾して聞かねばならぬわい。



◆その133
 「草食男」

 世の中不思議なことが流行することがある。
 以前、若い女性たちの間で顔を黒く塗りつけたり、だふだふのソックスを履くということが流行ったことがあった。
 感心はせぬものの、そんなこともあろうかな、と思ったものじゃが、何と今、若い女性達が戦国武将にはまっているというのじゃ。
 武将達をモチーフにした携帯ストラップやネクタイ、タイピン、Tシャツなどの戦国グッズや戦国ものの小説を扱う専門店が彼女らで大盛況だという。
 真田幸村とか、上杉謙信、長宗我部元親などの武将が人気なのだそうだが、中でも一番人気は片倉小十郎景綱だという。
 知らぬ人も多かろうが、伊達政宗の家臣で、後に陸奥白石城主となった人物じゃ。
 戦国ものというと、中高年男性の守備範囲とばかり思っておったが、時代が変われば変わるもんじゃ。
 何故若い女性の間でこんなブームが起こったのか、というと、ゲームソフトのキャラクターとして戦国武将が取り上げられているからではないか、とのこと。
 また、彼女らが生死をかけて戦う戦国武将に理想の男性像を見ているのではないか、という説もある。
 確かに、草食系男子と称されるひ弱な若い男性が増えている中、こうした解釈も真実味を帯びて聞こえるわい。
 情けない話ではあるがのお。



◆その134
 「政治家は世につれ…」

 08年9月のいわゆるリーマン・ショック以降、世界の経済は大混乱。
 信用の収縮、株価の暴落、消費の低迷などなど、世はまさに1929年の世界恐慌以来の経済危機にある。
 まさに混沌と混迷の真っただ中で、まったくもって見通しが利かない。
 こういう時にこそ、世のリーダーたる政治家たちがしっかりせんといかんのであるが、もーろー会見で辞職した大臣は言うに及ばず、テレビのバラエ ティ番組やワイドショーに出演してそれが政策論争であるかのように、ただただ喚き立てる若手国会議員たちを見ていると、テレビで顔を売って次の選挙を 有利に戦おうという底の浅い知恵が丸見えで情けなくなってしまうわい。
 いつからこんな子供のような政治家が増殖し始めたのであろう。
 しばらく前までは気骨のある、おっかなそうな政治家がおったもんじゃがのお。
 田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、野中広務など、それぞれ毀誉褒貶もあったが、毅然としたその姿は、確かに指導者としての風格を感じさせたものじゃ。
 時代が政治家を生み出すのか、政治家が時代をつくっていくのかは分らぬが、少なくとも後藤田正晴氏がまだ健在で、彼ら尻の青い政治家たちを一喝してくれたら、もう少しましな世の中だったろうに、と思うのはワシだけじゃろうか。



◆その135
 「むがしっこ 偽金編」

 むがしむがし、あるどこさタヌキがつくった新しい国があったど。
 はじめは立派だ「建国の理念」ばつくってタヌキだちも一生懸命まじめに働いだんで、だんだんタヌキの国、豊かで強ぐなって、そのうち世界で一番金持ちの国になったんだど。
 したっきゃ、タヌキだち、まじめに働らぐよりおらだぢ大金持ちだはんで、必要だモノあればよその国がら買えばいいでばな、って思いはじめだんだど。
 して、タヌキだちみんな贅沢三昧したんだど。
 したっきゃ、そのうちだんだん金っこねぐなってきたんだど。
 このままだば、よその国がらモノ買えねぐなる。
 どすべって寄り合い開いだんだど。
 したっきゃ、一匹のタヌキが、
「なんぼでも落ぢでるそこらへんの葉っぱばお金にせばいべな。おらだぢ世界一の金持ちだはんで、おらだぢがこれはお金だって言えばお金になるんだね」
ってしゃべったっきゃ、みんな
「んだな、そすべしそすべし」
って賛成したんだど。
 アイデアだしたタヌキが、って魔法ばかげでつくったお金で何食わぬ顔してよその国からモノ買い続げだり、貧乏だタヌキでも立派だうぢっこ建てだりしたんど。
 したばって「天網恢恢疎にして漏らさず」。最後になったっきゃ、偽金の正体ばれでただの葉っぱだらけの国になってまったんだど。どっとはらい。



◆その136
 「サラミの残量」

 ある識者が「北朝鮮は、一度殴ってからプロポーズする国家である」と新聞に書いておったが、蓋し名言である。
 ただし名言と言っても内容に感心しているわけではもちろんない(近頃はだいぶメッキもはげてきたが)。
 世界の覇者たるアメリカと直接交渉したい。
 けれどもアメリカは他に忙しくそれどころではない。
 なれば、ミサイルの一発でも打ち上げて、無視できない危険国家であることを知らしめ、自分の方を振り向かせたい。
 そうした瀬戸際外交を表現したのが冒頭の“名言”であろう。
 その思惑通り事が運ぶかどうかは不明だが、そうした危険な「火遊び」しか選択できないのも今の貧困独裁国家、北朝鮮の実情なのであろう。
 ところで、もう一つ北朝鮮に関して“名言”がある。
 彼の国は交渉して譲歩するにしても、「その譲歩はサラミをうすーく、うすーく切るようなものでしかない」というものである。
 そしてその一枚のうすーく切ったサラミを取引材料として「食糧を援助しろ」とか「重油を寄こせ」とか居直り強盗的な要求を突きつけるのである。
 北朝鮮がサラミの薄切り名人であることは分かった。
 それは分ったが、問題は危機という名のサラミがあとどれくらい残っているかではないだろうか。
 まさか、北朝鮮がサラミづくりの名人とまでは思いたくないが……。





その137
 「欲の戦場」

「もうはまだなり、まだはもうなり」とは、とりとめなく、変化の激しい株相場の機微を表した格言であるが、株の用語には他にも言い得て妙なものが多い。
 例えば、「地合い」は相場の状況を指し、「もみあう」は売り買いが錯綜し小幅な変動を繰り返すこと。
「甘い」は相場が下落することで、「小甘い」は相場がいくらか安い状況。
 また「軟調」は買い気が乏しく小安い状況で、「嫌気」はそんな相場の先行きに悲観的になること。
 一方で、「底堅い」は相場が下がりそうで下がらず、「確(しっか)り」は相場が上昇傾向にあること。
 また、「行って来い」のように、相場がある水準まで上(下)がった後に元の水準まで下(上)がること、といった風変わりというか即物的というか、そんな表現もある。
 そもそも株式とはイギリスの東インド会社が、香辛料貿易に要する莫大な資金を広く大勢の人から集め、そのリスクを分散させるために考案したものだという。
 儲かるかもしれないし、損するかもしれない。
 この世の先は全くもって不透明ではあるが、明るい未来を期待して一枚の「紙」を購入する。
 経済新聞に掲載される平均株価の「神経質な」上下動を見るにつけ、株式市場とは何百年も前から変わらぬ人間の欲望がせめぎ合う戦場である、とつくづく思わざるを得んわい。



その138
 「迷タイトル」

「チーズはどこへ行った」「バカの壁」「竿竹屋はなぜつぶれないのか」など、風変わりなタイトルの本が出版され始めたのはここ10年ほどのことであろうか。
 思うに、中身ももちろん素晴らしいのだろうが、珍奇なタイトルの本が売れた現象に各出版社が便乗して珍名本が次から次へと出版されている、というのが実態に近いのではないか。
 そんな流れの中、最近目につくのが命令口調のタイトルである。
 例えば、「お金は銀行に預けるな」「千円札は拾うな」「会社の電気はいちいち消すな」、中には「借りた金は返すな!」など、勇ましいものや、最近は「地団駄は島根で踏め」というけったいなものまで現われておる。
 余計な御世話じゃ、と翁的には気に食わないが、せっかくじゃ、出版を予定している人のために、老婆心ながらひとつタイトルの案を提供してみようかの。
「アメリカは反省しろ!」〜ふむふむ。
「落とした本地は拾え!」〜反省しきり。
「掘った芋いじるな!」〜What time is it now ?
「割り勘は払うな!」〜これでは友達を失くすな。
「おならは我慢するな!」〜臭ってきそうじゃの。
「吸った息は吐くな!」〜死んでしまうわい。
「買った本は読むな!」〜こんな流行りが本離れを招かぬことを願うのみ。
 要するに「変なタイトルはつけるな!」ということじゃな。



◆その139
 「生誕百年騒ぎ」

「選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり」
 今年は太宰治の生誕百年ということである。
 翁もその昔、黒と白の斬新な図柄をモチーフにした新潮文庫で、『晩年』や『走れメロス』、『ヴィヨンの妻』といった小説を読んだものじゃ。
 一般的には『斜陽』や『人間失格』などが太宰の代表作のように言われているが、翁としては「かちかち山」などの昔話を解釈し直した『お伽草子』の短編がお気に入りであった。
 が、傑作中の傑作は、やはり『津軽』ではないかな。
 全編ユーモアあふれる秀逸な文章じゃが、特に、蟹田でのSさんの歓待ぶりや、小説最後の場面、小泊村での「たけ」とのやりとりの描写など素晴らしいの一言じゃな。
 その太宰生誕百年を記念して、というか活用して地域の活性化につなげようと、今地元自治体などが大張り切りらしい。
「太宰ミュージアム」をつくったり、「現代の『津軽』の旅推進事業」や「太宰のガイド育成研修事業」などを行ったり、終いには「太宰検定」まで行われるそうな。
 誠に結構至極なことじゃと翁も賛同するものであるが、ただあの世からこうした喧噪ぶりを見て太宰本人がどう思っておるか気になるわい。
 きっと「おいおい、生きている間にもう少し大事にしてくれてもよかったんじゃないか」と苦笑しているのではないかな。



その140
 「究極の選択」

 北朝鮮の「飛翔体」騒ぎが一段落したと思ったら、今度はメキシコに端を発する新型インフルエンザのまん延である。
〈トン(豚)フルエンザ〉は瞬く間に世界各国に広がっていったが、その対応にはお国柄がくっきりと反映されておった。
 我が日本国では、とにかく国内に侵入させるな、と水際作戦に大々的に取り組んだことと、感染者が出た地域での一斉マスク姿が独特の光景であった。
 几帳面な国民性とも言えようが、集団が「右向け右」とばかりに同一行動をとる様は山本七平氏の『空気の研究』を思い起こさせ不気味な面もあるのお。
 ところで、お役所言葉にはその表現があまりに直截に過ぎ、不評を買うことがしばしばある。
 「後期高齢者」などはその最たるものじゃが、今回のインフル騒ぎでも「濃厚接触者」という妖しくも不気味な専門用語が登場した。
 感染者の半径2m以内でその飛沫を云々、というのが定義らしいが、翁などはついつい思考の回路があらぬ方向に向かってしまうわい。
 今回のウイルスは弱毒性のものらしいが、いずれヒトヒト感染が懸念される強毒性の鳥インフルエンザは「くわばらくわばら」じゃ。
 が、不幸にして感染が避けられぬのならば、せめて吉永小百合様との「濃厚接触」の結果感染し、逝きたいと願うのはこの翁だけであろうか。



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