[連載]

   171話〜180話( 如 翁 )


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◆その171
 「老いらくの」
 先日新聞の人生相談に、70代後半の女性が亭主の浮気に悩んでいる旨の投稿をしておった。
「いくつになっても男と女」というフレーズが新聞の広告欄に載ることがあるが、やはりそうなんじゃろうか。
 長寿国日本においては高齢者の「恋愛」がますます重い問題となるかもしれぬな。
 実際、中高年のそれをテーマとした『黄昏流星群』なる漫画も長く連載が続いているし、つい最近は『高く手を振る日』という古希を過ぎた男と女の「純愛」を描いた小説も現れた。
 随分と昔にその類の世界から「解脱」したつもりの翁ではあるが、それを読んでみて胸に迫るものがあったわい。
 そんな折、江戸時代後期の歌人、禅僧として名高い良寛の女性を巡るエピソードを知る機会があった。
 それは文政9年(1826)のこと、良寛の書や和歌に感動し、私淑していた貞心尼という尼さんが良寛を訪ね、いわば弟子入りしたという。
 その時、良寛70歳、貞心尼30歳であった。
 歳の差40の二人が今でいうところの恋愛関係にあったとは言えまいが、二人の間で交わされた和歌には熱い想いが読み取れるという。
 4年間の「交流」を経て良寛74歳の臨終の際、貞心尼に詠んだ句は「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」だったそうな。
 言うなれば“プラトニック・ラブ”。
 羨ましいかぎりじゃ。
 おっと、山の神の足音が聞こえてきたわい。
「くわばら、くわばら」



◆その172
 「天下泰平」
 今度の12月4日、東北新幹線が青森までやって来る。
 まずは3時間20分で東京と結ばれるとのことで目出度い限りだが、ようやくというか、やっとというか完成まで長い年月を要したものじゃ。
 いろいろ紆余曲折があったようだが、盛岡以北の基本計画が決定してから38年、待っている間にワシも爺になってしまったではないか。
 そういえば、今年は東北本線が青森まで開通して120年目に当たるそうじゃ。
 干支がちょうど二回りする年に新幹線が開通するというのも何かの奇縁かもしれぬが、当時と大きく異なるのは日本国の大動脈である「東海道」との「時差」である。
 驚くことに、東北本線は東海道本線に遅れることわずか2年で完成したという。
 それに対し、今回は東海道新幹線に遅れること「46年」である。
 この違いは一体何なのであろうか。
 おそらくは、緊迫した軍事的事情が絡んでおるのじゃろ。
 当時はロシアが最大の仮想敵国であり、北海道への兵站(へいたん)として東北本線の重要性は誠に大きく、とにかくその整備が急務だったのではないか。
 今の八戸駅が海岸部から5qほど内陸にあるのも、艦砲射撃から逃れるため、と聞いたこともある。
 となると、今回の両新幹線完成の時差に関しては、地政学的にも、国家経済的にもそんなに急ぐこともないほど、今は泰平の世であるということの裏返しであると欺瞞的に納得するしかないのかも知れぬな。



◆その173
 「むがしっこ 中華思想編」

 むがし、むがし、それこそ昔むがしがらあった古い国あったど。

 昔むがしはその国羽振りいくて、我の国が世界の中心だってえばっていだんだど。
 それが四千年続いたんだど。
 したばって、だんだん他の国が強ぐなって、その国ば戦争で負がせで、自分だちのものにしてまったんだど。
 それが二百年続いだんだど。
 そのうち或るえらい人が出てきて、「白い猫でも黒い猫でも鼠ば捕る猫がいい猫だ」って喋って貧乏から抜け出すべって頑張ったんだど。
 その国、人の数だけはもの凄く多がったし、隣の国から巨額の援助ば当だり前だけんに、つけらっと貰ってだし、商売の約束事ば無視して恥じるごとねがったし、そのうぢだんだん金っこ貯まっていったんだど。
 したっきゃ、その国、まだおらの国が世界の中心だって自惚れはじめだんだど。
 昔むがしは、「礼」だの「仁」だのって説く偉い人もいだんだばって、調子こさのって「我のものは我のもの、隣の国のものも我のもの」って居直り強盗だけんたに態度がでけぐなったんだど。
 厚顔無恥は本性だんだべの。
 したばって、「天網恢々疎にして漏らさず」って言うんだが、「亢竜悔いあり」って言うんだが、他の国がらすっかど嫌われ者になってまって、国の中で「皇帝」ば変えねばまいねって戦争おぎだんだど。
 最後は二千四百年時間もどってまだ「しゅんじゅうせんごくじだい」になってまったんだど。

 どっとはらい。



◆その174
 「袖振り合うも…」

 思い出すと今でも恥ずかしくなり、穴があったら入りたくなることがある。
 この翁、50歳の頃まで「順風満帆」をずーっと「ジュンプウマンポ」と読んでおった。>
 ある時、知人から、「もしかしてそれはジュンプウマンパンのことか?」と指摘され、初めて気がついたのじゃった。
 おお、今でも冷や汗が出てくるわい。
 ところが、最近また新たな思い違いが見つかってしまった。
「袖振り合うもタショウの縁」をずーっと「多少の縁」と思い込み、「袖が振り合うのもちょっとした縁」と理解しておったが、本当は「多生の縁」であって、「袖が振り合うようなことでも前世からの深い縁で起こる」というのが正しい意味だということが分かったのじゃ。
 すべては理由のない偶然ではなく、縁によって定められた必然ということじゃな。
 となると、ましてや、同僚とか友人になる、となれば、これは前世からの強い繋がりの成せる業、ということになろうが、そんないろんな縁の中でも最も強固な縁が夫婦関係ということは衆目の一致するところじゃろう。
 その伝で我が身を振り返ってみれば、今の恐るべき「山の神」とも前世からの深い縁で結ばれていたということなのか?
 来世ではも少し淑やかな女性と結ばれたいと願っておる翁ではあるが、まさか前世で「結ばれぬ仲」であった二人が来世を誓って結ばれたのが現世のわしら夫婦、などということはないだろうな




◆その175
 「大政奉還」

 慶応3年(1867)10月15日、徳川15代将軍・慶喜は朝廷に大政を奉還し、徳川幕府260年の歴史に終止符を打った。
 結局薩長に屈することとはなるが、この時点の大政奉還は、仮に政権を奉還しても強大な徳川家のリーダーシップなくして日本の政治は立ちゆかないとい う自信と、倒幕派公家の岩倉具視らの倒幕密勅に対し先手を打つことにより討幕の名分が失われるという深謀遠慮に基づく強かな政治判断であった。
 翻って、今の我が国の政権というか最高権力者だが、誠にもって頼りないし、そもそも国家としての「意志」というものが感じられない。
 外交においては同盟国アメリカとの連携弱体化、尖閣諸島における中国漁船衝突事件での船長処分や流出ビデオを巡る対応の稚拙さ、北方領土へのロシア 大統領訪問に関する判断の甘さ、一方、内政においては、大見得を切ったマニフェストを持てあます計画性のなさ、「一に雇用、二に雇用」と言いながら一向に 改善しない雇用状勢、失言相次ぐ軽量大臣などなど、まさに内憂外患の極み。
 最高権力者もかつての闘士の姿などみじんも感じられず目も虚ろな状態が続いておる。
 もはや「大政奉還」すべき時期を迎えているのではなかろうか。
 尤も、慶喜の時と異なるのは、強かな深謀遠慮も伴わないし、どこに大政を奉還するか、その対象も見当たらないところが今の日本の最大の悲劇かも知れぬな。



◆その176
 「韓国語的CM」

 最近津軽弁をあたかもフランス語のように洒落(しゃれ)て聞かせるトヨタのCMが話題になっておるようじゃ。
 ワシも2、3度見かけたが、都会っぽいかわいい女性が「ワノ、カデパン、シケルメニ、…」と話しているのを聞くと、当方津軽弁を知っているからこそのアンバランス感が滲み出ていて確かに面白いわい。
 御丁寧にテロップまで流れておるから、知らぬ人は本当にフランス語に聞こえるかも知れぬな。
 以前より津軽弁の「だびょん」とか「んだおん」といった言いぶりがフランス語の鼻母音のようだ、とは言われていたが、全国CMに使われるとは意外であったの。
 一方で、昔、雀荘で麻雀をしていた津軽出身の4人組が韓国の人と間違われたという話も聞いたことがある。
「ロン!「スツァー!」
 などと威勢よくやりとりしている様が目に浮かぶのお。
 同じ津軽弁でもフランス語にも韓国語にも聞こえることがあるというのも興味深いが、今度は是非とも韓国語的な津軽弁CMをつくって欲しいものじゃ。
「ロ、ヘグ乗レジャ!」「チョトマダナガ!」「マネ!」
「ナシヤ!」
「ワ、イソンデランダネ!」
「ワイハ!ナンボキミチカダガサ!」
「イデバナ!ワハワダネ!」
「ワガタジャ! スグ乗ラネ!」
 てな感じだろうか。
「!」が肝になるんじゃろうが、出演はやはりかわいい女性ではなく、「本官は」で知られる津軽出身の男優あたりにお願いせねばなるまいて。



◆その177
 「坂の下の『?』」

 つい先だって寅年に因んでタイガーウッズの話題を書いたと思ったら、あっと言う間に1年が経ち、平成23年の到来、干支は「卯」、兎年である。
 それにしても期待した割には去年も冴えない1年であった。
 例外はWCサッカーと「はやぶさ」の帰還くらいじゃろうか。
 平成になってそろそろ四半世紀になるが、何か浮揚感に欠ける歳月がだらだらと継続しているような気がしてならぬ。
 そこで、この翁、試みに明治元年から四半世紀の間に起こったことを振り返ってみた。
 2年の東京遷都、4年の廃藩置県、5年の学制発布、6年の地租改正、15年の日本銀行設立、22年の帝国憲法発布、23年の帝国議会の開設と府県制・郡制公布等々、矢継ぎ早の国づくりが進んでおった。
 当時の日本はやはり誕生したばかりの若い国家であり、遮二無二に「坂の上の雲」を目指していたんだのお。
 それに対し平成に入ってから一体何があったか。
 バブルの崩壊、山一証券破綻、失われた10年、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、和歌山毒入りカレー事件、ライブドア騒動、秋葉原事件、年越 し派遣村開設、政治の迷走、等々思い出すのも億劫になる事柄ばかりのような気がするが、これも日本という国家が老いてしまった、ということなんじゃろう か。
 いずれ、時代の坂は下っているようだ。
 坂の下には何があるのか恐ろしくもあるが、せめて「脱兎」の如く坂を下っていくのではなく、「処女」のようにたおやかにいって欲しいものだ。
 寂しい年頭所感ではあるがな。



◆その178
 「トップノート」

 平成22年12月4日、県民の待望久しい東北新幹線がようやっと青森市にやってきた。
 当日は大変な荒天であったが、なんとか一番列車も定刻に出発し、いろいろなセレモニーも無事終了したようだ。
 難産の子は丈夫に育つ、というから東北新幹線も東北地方を貫く大動脈として大いに発展していってもらいたいものだ。
 翁も鶴首しておった県民の一人として、先日新青森から八戸まで往復してみたが、驚いたわい。
 出発してわずか25分で八戸駅に着いてしまった。
 東京との時間距離が短縮されたことももちろん大きな効果ではあるが、青森−八戸間が30分を切るというのも青森県にとって歴史的な意味を持つのではないか。
 これで津軽と南部の“心理的障壁”もぐっと低下していくのではなかろうか。
 ところで、帰路、新青森駅に戻り、エスカレーターを下って「旬味館」にも立ち寄ってみたのだが、これまた様々な県産品やら郷土料理やらの店舗がところ狭しと並んでいて、ある種壮観な光景であったが、同時に気づいたのは焼き烏賊の匂いが漂っていたことであった。
 例えば、神戸におけるパンの香りのように、その街に着いて初めに感じる匂いを「街のトップノート」と呼ぶらしいが、その伝でいけば青森のトップノートは焼き烏賊の“香り”ということになる。
 モダンな駅舎とは違和感もないではないが、何故か好意を持って納得してしまった翁であった。



◆その179
 「別世界」

 トップを決めるのは難しい。
 知事や市町村長であれば、選挙で白黒をつければよいのだが、省庁のトップとか企業のトップとなると、本人の実力・力量に加え、性格とか人間関係とか、曰く言い難いプラスアルファの要素が物を言うのであろう。
 一方で選出の客観性を担保するために第三者委員会が設けられている組織もある。
 NHK(日本放送協会)の経営委員会が代表例であるが、今般、その「客観性」が疑われるような事態が発生した。
 合意を得たとして委員長が要請した人物に対し、当の委員会が適格性に疑問を呈し、怒り心頭に発したその人物が就任拒否会見まで開いて迷走が始まったという件の事件である。
 メディアによれば、やはりNHKのトップには財界人が就くべきだが、3千2百万円という低い年俸がネックとなってなり手がなかなか見つからない、との解説。
 ほどなく別の人物で決着したようだが、「財界人」というのは一体どれほどの年俸を得ているのか、改めて“別世界”というものは存在するのじゃな、との思いを持った。
 23年度予算で少し戻ったらしいが、我が国の税制は高額所得者に甘い体系になっている。
 今の日本の苦境に鑑みるならば、是非とも累進税率を強化し、格差是正や若者の就労対策に充てるべきではなかろうか。
 少なくとも「財界人」たちがNHKの会長になりたいと思う世の中が正常に思えるのじゃが、如何なものか……。



◆その180
 「ええじゃないか」

 寅年が終わろうとする間際に、「タイガーマスク」現象が湧き起こり越年の上、まだ続いているようである。
「伊達直人」を名乗る人物が児童養護施設にランドセルをプレゼントしたのがきっかけで、それがマスコミに報道されるや、全国各地で同様の行為が続 発、最後まで同様の行為が発生していなかった青森県でも何件かの行為があったとの報道を目にしたときには思わず「ほっ」とした程のフィーバーぶりであっ た。
 一過性の現象なのか、継続していく可能性もあるのか、詳らかではないが、「今の我が国を覆っている閉塞感のようなものを突き破りたい」という社会心理の発露のような感じがするわい。
 ところで、慶応3年(1867年)夏、今は愛知県の三河の国で、「ええじゃないか騒ぎ」が発生した。
 ペリー来航以来、大地震、津波、大雨、コレラの流行などが次々と発生、社会不安が高まる中、世の中の変革を潜在的に望む大衆心理に、神符の降下という瑞祥が火をつけた、と言われているが、人々は「ええじゃないか、ええじゃないか」と高唱しながら集団で乱舞したという。
 まもなく徳川幕府が終焉したことから、結果として世の変わり目に起きた社会現象となった。
 この「ええじゃないか」と今回のタイガーマスク現象の間には何ら関連性もないが、伊達直人の“善行”は、少なくとも多くが貯金に回ってしまう「子ども手当」よりは、ずっと「ええじゃないか」な。



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