[連載]

   71話〜80話( 如 翁 )


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◆その71
 「名人芸」
 先日東京に行ったときの話じゃ。
 御存知のとおり、都内のJRをはじめとする主要鉄道は自動改札化されていて、各人が乗車券なり、定期券なりを投入口などに入れて通っていく仕組みになっている。
 乗り越しがあったり、何らかの不備があったりすると、改札の扉は開かず通過はできない。
 その出来事は、ある駅から電車に乗る際、ワシが3人目として改札を通ろうとしたときに起きた。
 直前の、歳の頃、60代半ば、ちょうどワシぐらいの婆さんがその前を行く紳士にスーっと接近していったと思うや、その紳士と一体となって改札を通って行ったではないか。
 改札の扉が開いて閉じるまではせいぜい1秒弱、一人が通るのが精一杯の時間だ。
 もちろん近づき過ぎると紳士に気付かれてしまうし、離れすぎると扉は閉まってしまう。
 絶妙のタイミングと間合いで、まんまと「無賃乗車」に成功したわけじゃ。
 目の前で繰り広げられた一瞬の「妙技」に、反社会的行為という価値基準を超えた次元で、貴重なものを拝ませてもらったと、いたく感嘆してしまった次第。
 あの婆さん、今度は降りる時に、新しい「相方」を見つけて、また一緒に「通過」していくのだろうな。
 そう思うと、なぜかしらその技が無事成功するよう祈る気持ちになってしまった翁であった。


◆その72
 「マスハラ」
 セクハラというのは本人がセクハラと感じればセクハラなのだそうだ。
 なにやら、出来の悪い法律の文章みたいだが、ワシも気をつけねばならんの。
 もっとも周りにはそんな可能性を秘めている女性はとんとおらんがな。
 さて、セクハラのハラとは「ハラスメント」の略で「苦しめること」とか「嫌がらせ」という意味らしい。
 最近では類語が増えて、上司が部下を虐める「パワハラ」とか、医者が心無い言葉を患者に投げつける「ドクハラ」なんていう言葉もあるそうな。
 ならば、この翁は「マスハラ」という新語を提案したい。
 つまり、マスコミが取材対象者に言葉の暴力を浴びせることじゃ。
 よく不祥事の際の会見などで、謝罪を繰り返す経営者などに、死者に鞭打つような、いたぶるような質問をぶつける記者がおるじゃろ。
 そりゃ、不祥事を起こしたことは責められるべきであろうが、何もマスコミが法律でその権限を与えられているわけではない。
 本人達は「ジャーナリズム」という錦の御旗の下、容赦のない「暴力をふるう」ことを当然の権利と思っているようだが、「人は宗教的信念に基づく時ほど残虐になれることはない」というパスカルの言葉を何故か思い出してしまうわな。



◆その73
 「人生の分かれ道」 
 唐の時代のある詩人が旅の途中、分かれ道に臨んで詠んだ七言絶句だったか、こんな詩があった。
「目の前の2本の道のうち右を選ぶか、左を選ぶか、まさに人生の岐路だ。どちらかを選べば、別の道を往ったときに得られるであろう人生を捨てなければならない。なんと悲しいことだろう」
 といってさめざめと泣いたというのだ。
 確かに、人生は分かれ道の連続であり、この詩人はそうした人の定めを中国的誇張でもって詩に昇華させたのであろう。
 一方、最近ある学者がこんなことを言っていた。
 つまり、人生においては100パーセント正しい選択というものはそもそもあり得ない。
 要は、与えられた運命は運命として前向きに捉え、そこに意義を見出せるかどうかこそが重要なのだ。
 例えば、ペニシリンの発見など多くの科学的発見も、失敗を失敗として片付けず、そこに何かがあるかも知れない、と着目することによって得られたものなのだ、と。
 なるほど、と思ったわい。
 読者諸兄よ、唐の詩人のように運命を受動的に捉えるか、この学者先生の言うように能動的に捉えるか、それこそが人生の分かれ道のようだの。
 うむ今回は久しぶりに老婆心を発揮できたようじゃ。




◆その74
 「峠越え」

 先日NHKで1966年のビートルズ来日の際、宿泊や警備等いろいろな分野で彼らに関わった人たちの当時の様子を映した番組が放送された。
 そうじゃのお、あれからもう40年も経ったのか。「プリーズ・プリーズ・ミイ」「抱きしめたい」「シー・ラブズ・ユー」、その他諸々の曲が、この翁の脳みそにも今もあの頃と同じように鳴り響くわい。
 とにかくビートルズは斬新だった。
 大学生だった頃は、小遣いを切り詰めて、あのリンゴのデザインが施されたLPレコードを次から次へと買い求めたものじゃ。
 ビートルズはまさに翁の青春だった。
 ところで、その番組が放送されてしばらくしてから、確か朝日新聞に、「番組を見て当時の生き生きした様子がすばらしかった。
 あの頃に青春を送った人たちが羨ましいと思った」という若い人の投書が掲載されておった。
 それを読んで翁は考え込んでしまった。
 これまでは未来の世代は過去の世代より幸せになるのが当然であった。
 経済的にも文化的にも、日本が成長していたからだ。
 しかし、見えないところで時代は本当に変わったらしい。
 単なるノスタルジーの次元を越えて「過去」の方が羨望される。
 我々はいつの間にか一つの峠を越えてしまったのかもしれない。
 そんなことを実感させられた出来事じゃった。



◆その75
 「勝負の綾」
 それにしても今年の夏の甲子園大会は面白かった。
 王者駒大苫小牧をあと一歩のところまで追いつめた山田高校の戦い。
 そして早実と苫小牧の決勝引き分け、再試合じゃ。
 ハンカチ王子・斎藤投手と仁王・田中投手の投げ合い。
 まさに手に汗握る試合展開。26年前の三沢高校と松山商業の決勝戦のことがまざまざと蘇った。
 あのときもテレビに釘付けとなって三沢高校を応援したものだ。
 それにつけても思ったことは、あの当時、斎藤投手がベンチで吸っていた酸素ボンベや、再試合に備えて使ったという高気圧カプセルなどの機材が あったならば、太田幸司は再試合も相手を完封し、三沢高校が深紅の優勝旗を青森県に持ち帰ったのではないか、ということだ。
 まあ、それはさておき、力が均衡する対戦ほど、勝負の綾というものが浮かび上がる。
 今年の決勝戦でもいくつかのポイントがあった。
 その「勝負の綾」というと、某名監督の「負けに不思議の負けなし。勝ちに不思議の勝ちあり」という言葉を思い出す。
 負けるときにはそれなりの要因がある、という戒めなのだが、よく考えると「不思議の勝ちを収めた」ときの相手チームは「不思議の負け」ということにはならんのだろうか。
 不思議じゃ。



◆その76
 「深謀遠慮」
 先般プラハで開催された国際天文学連合総会で、初めて惑星の定義が明示され、その結果冥王星が惑星からはずされた、というニュースが大きく報じられた。
 冥王星には行ったことも、見たこともないが、その昔、理科の授業で「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」と丸暗記したものだ。
 確か、軌道の関係で、一時期「海」と「冥」が入れ替わったことがあった、という記憶もある。
 いろいろ人騒がせな星だが、翁としては今回の一連の議論の流れに非常に興味があるのじゃ。
 というのも会議では最初3つの星を加えて惑星を12個とする案が提示された。
 が、それだと将来新たな星が発見された場合、惑星に追加される可能性も残り、とり止めがなくなる、ということで反対論が続出し、甲論乙駁の末、それじゃ冥王星を落として8個としましょう、ということに相なった、という経緯だ。
 じゃが、最初からそこが着地点で、12個案は「当て馬」だったのではないか。
 つまり最初から8個案を提示すると冥王星発見者を生んだアメリカの学者達が反対する。
 そこで誰もが賛成しない12個案を最初に出し、本命を待機させた、という推測じゃ。
 深読みに過ぎるかも知れぬが、もしそれが真相なら天文学者にしておくにはもったいない政治家がシナリオを書いた、ということになろうかの。



◆その77
 「蝉の穴」

 夏もその盛りを過ぎて、あれほど騒がしかった蝉の声もまばらになり始めた。
 昨日散歩をしていたら、道ばたに間もなく生を失うだろう一匹の油蝉がひっくり返って6本の足をもがかせておったが、この歳になると、その姿はとても人ごと(蝉ごと?)とは思えんかった。
 翁の人生の秋、もしかしたら晩秋がその蝉に投影されてしまったのじゃ。
 思えば、おぎゃ〜、とこの世に生を受けてから長い長い年月が経過した。
 幼少時代から、少年期、青年期、そして壮年期と、今思い出せばもちろん楽しいこともいっぱいあったが、長い道のりには辛かったこと、悲しかったこと、悔しかったことも満ち溢れていたような気がするのお。
 人間の脳の中にはそうした大小無数の出来事の記憶が、迷宮の如く、重畳と折り重なっているのかも知れぬな。
 ところで、誰かの句に「再びは 帰らず深き 蝉の穴」というのがあったが、考えてみれば、わしもそうやって数十年の時空を、意識することもなく、蝉の幼虫の如くに掘り進んできたのかもしれない。
 そして背後には二度と戻ることのない、いや戻ることの出来ない「自己という軌跡」の穴が延々と続いているのだろう。
「来し方を 思う涙は 耳に入り」か。
 いや〜、今回は秋ということで珍しく感傷的になってしまったわい。



◆その78
 「沈黙は金」

 いつぞや不祥事を追求する時のマスコミの横暴を指摘したことがあったが、取材を受ける側にもいろいろと対策があるようじゃ。
 その代表例が「もの言わぬこと」ではないだろうか。
「訴状が届いていないのでコメントできない」とか「現在捜査中なのでコメントできない」「担当者が不在なのでコメントできない」「社長と連絡がとれないのでコメントできない」などなど「コメントできない」のオンパレード、読者もよくお聞き及びではないだろうか。
 察するにこれらはすべて方便であって、はなからコメントするつもりなどないのだ。
 マスコミもマスコミで、訴状が届いた後のコメントを求め報道した事などついぞ聞いたことがない。
 けだし、移り気なマスコミの本質を見抜いた賢い対処方法なのだろう。
 ましてや今のように次から次へと事件事故が発生し、ワイドショーのネタが尽きないような時代であればこそ、「沈黙は金」。
 一時嵐が通り過ぎるのを待って次の「生贄」にバトンタッチするのが戦略的な考え方というものだろう。
 ところで、翁は昨夜たまたま悪友と、老いも忘れてキャバ何とかに行ったのだが、そこでもらった何とかちゃんの四隅が丸い名刺を今朝山の神に発見されてしまったのじゃ。
 そのことについてコメントを求められているのだが、沈黙を貫くよい知恵はないじゃろうか。



◆その79
 「くわばら、くわばら」

 これも東京に行ったときのことだが、朝の中央線電車内の出来事じゃ。
 吊革につかまりながら窓の外の流れゆく高層ビル群を眺めていたところ、にわかに車内が騒々しくなった。
 喧嘩でも始まったのだろうか、とそちらの方を振り返ると、なんと一人の女性が「あんたが触ったんでしょ!」と若い男のネクタイをむんずとひっ掴んでいるではないか。
 男は「やってねえよ」と抗弁するが、女は容赦しない。
 次の駅に着きドアが開くと、哀れ、男は、ドナ・ドナ・ドーナの子牛のように女に引きずられていってしまった。
 痴漢騒ぎだったのじゃ。
 真相は分からん。
「真犯人」であれば刑事罰を受けるし、誤解だとしても冤罪を証明するための長い長い戦いを続けなければならない。
 いずれにせよ、一人の人間の運命が暗転してしまった瞬間であり、周りの者にとっても時の流れが一瞬止まったような恐ろしい場面であった。
 電車が動き出すと、車内はすぐにまた何事もなかったかのような平凡な通勤電車の風景へと戻っていったが、翁は老いぼれであることも忘れ「くわばら、くわばら」と呟きながら、すぐ側に立っていた若い女から遠ざかったのであった。



◆その80
 「慣れ・飽き考」
 翁が大事に大事に使わせていただいている福沢諭吉先生の1万円札も、20年ほど前、聖徳太子様に代わって初めて登場したときは、子供銀行のお札のようで、有り難みに欠けていたものであった。
 それがいつの間にか貫禄を身につけ、今では押しも押されぬ最高紙幣の地位を不動のものとしておる。
 また、十数年前から天気予報で「ミリバール」に代わり「ヘクトパスカル」が使われるようになったときも、初めのうちはどうもしっくりこなかったが、今ではすっかり耳に馴染む単位と化した。
 どうやら人間は、時間とともに最初の違和感を消していく能力を身につけているようじゃ。
 そうでもなければ、取り巻く環境に絶えず気を遣い、疲れ果ててしまうのではないか。
 そういえば、誰かが「美人は3日で飽きて、ブスは3日で慣れる」ということを言っておったが、蓋し名言じゃ。
 人間、美醜など本質的な問題ではない。
 問われるべきものは正に内面である、という道徳律をこの「平準化作用」が担保してくれているのであろう。
 もっとも、個人的なことを言わせてもらえば、この翁、一度でいいから美人に「飽き」てみたいものじゃて。




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