[連載]

   81話〜90話( 如 翁 )


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◆その81
 「ちょい悪知恵」

 最近「ちょい悪オヤジ」なるフレーズを耳にすることが多いが、翁にはなかなか意味深に思えるぞ。
 某外務大臣あたりがその典型例のようじゃが、要は人畜無害のオヤジよりちょっとばかり危険な香りの50〜60代の男の方が格好良い、ということらしい。
 当然に女性にもモテるということが含意されておるのじゃが、果たしてこれは当の女性方から言われ始めたことなのだろうか。
 翁はこれは巧妙な世論操作ではないか、と疑っておる。
 というのも確か十年ほど前に「不良中年」という言葉が流行ったことがあったが、なにやらそれと共通するものを感じるのだ。
「ちょい悪オヤジ」は、当時の「不良中年」の世代が、女性たちへのアピールを狙って再度十年後にマスコミ等を通じて社会に仕掛けたワザなのではないか。
 この推測が当たっているとすると、端倪(たんげい)すべからざる知恵者がその世代におるということになるが、その御仁は十年後には「極道爺」とでも銘打ってさらに世の女性にモーションをかけるのだろうか。
「不良中年」でも、「ちょい悪オヤジ」でもなかった、ただの「ひねくれ爺」としては、そのとき草葉の陰から羨望の眼差しを向けるしかないわい。
 返す返す無念じゃのお。



◆その82
 「コスミダ! おばさん」
 しばらく前、関西の方で「騒音おばさん」なる傍迷惑な女性が話題になったが、日本の近所にもそんな国があるのお。
 ミサイルは発射するわ、地下核実験は行うわ、偽札は印刷するわ、覚醒剤は横流しするわ、やりたい放題やり放題、全くもってならず者国家なのだが、彼の国民は将軍様に心酔しきっているようだ。
 本心からそう思っているなら気の毒だし、心酔のふりをしているだけならもっと気の毒だと同情せざるを得ない。
 それを思わせる代表例が朝鮮中央テレビでニュースを読み上げる、あの民族服を着たやや小太りのおばさんじゃ。「○×コスミダ!」と肩を怒らせて日本を非難するその口調に、以前は嫌悪感しか持てなかったが、最近少々印象が変わってきた。
 そこはかと無く、愛嬌というか、いじらしさを彼女に感じるようになったのじゃ。
 理由は定かではないが、もしかすると、ある種の「無理」が透けて見え始めたのかも知れぬな。
 望むらくは、いつか将軍様の御代でなくなったときに、是非とも来日して様々なエピソードを聞かせてほしいものじゃ。
 民放各局のワイドショーやトーク番組に引っ張りだこ、疑いなし。
 翁も「古くからのファン」としてサインをもらいに行くでよ。



◆その83
 「ヤラセ」考 
 最近タウンミーティングでの「ヤラセ」などが問題になり、我が青森県でも物議を醸しておるが、翁のみるところ、これは二重の意味で国が悪い。
 一つは、弱い立場の地方に発言者を確保しろとか、参加者を集めろ、等々あれこれ役割を押しつけて共犯に巻き込んだこと。
 二つは、もっと根が深いが、今回の出来事は、国の仕事の進め方の本質がはしなくも現れたという事じゃ。
 例えば、内閣府の経済財政諮問会議や財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会の存在などはその最たるものじゃが、第三者の意見を厳かに伺うという体裁 はとっているものの、メンバーを見れば、体制に阿りたい財界人や御用をよく聞く学者がほとんどで、それら会合は自分に都合のよい方向を打ち出すための腹 話術の人形に過ぎない。
 こうしたメンバーの選定そのものを「ヤラセ」と呼ばずして何と言うのであろう。
 「一品を盗めば盗賊と呼ばれ、一国を盗めば英雄と呼ばれる」というが、巨悪というものは誠に見えにくい。
 ワシら庶民は、人身御供にされやすい身近の小役人をいじめることで溜飲を下げるのではなく、その陰に潜む本当の悪を糾弾せねばならぬ。
うむ、今日は松本清張モードで書いてみたわい。



◆その84
 「くわばら、くわばら、パート2」

 「すずめ、めじろ、ろしや、やばんこく、くろぱときん、・・・、のぎさんが、がいせんす、すずめ、…」
 随分と古い尻取り歌を紹介してしまったが、最近何故かこの歌を思い出すのは、やはりロシア絡みの物騒な事件が多発しているからじゃろ。
 体制に批判的なジャーナリストが射殺されたり、英国に亡命した元情報機関職員が訳の分からぬ放射性物質で暗殺されたり、と怪しい出来事が続いておる。
 15年前にソ連が崩壊し、選挙で選ばれた大統領が統治するロシアという民主国家が誕生したとばかり思っておったが、翁の勘違いであったらしい。
 そもそも昔から日本人は彼の国を「赤蝦夷」と呼んで恐れてきたが、北方四島の火事場泥棒的強奪や、昨今の出来事等、そのなす事・起きる事を見ていれば「むべなるかな」と得心する。
 帝政ロシアからソ連、そして今のロシア、と国家の表看板は掛け替えてきても、所詮ロシアはロシア。
 DNAはしっかりと引き継がれておるようじゃ。
 老婆心ながら、まだ中世そのものの国と見なした方が間違いが少ないと思うぞ。
 おっと、少々口が滑りすぎたようじゃわい。
 元KGBなんぞ、近くにおらんじゃろうな。「くわばら、くわばら」じゃ。



◆その85
 「未来の味」

 世の中、いざなぎ景気を超える戦後最長の好景気なのだそうだ。
 翁の財布は全くその恩恵に与っていないのだが、一体誰が儲けているのだろう。
 どうやら特定の部門に富が集中し、庶民一般のところまで行き届かないというのが近頃の経済構造のようだ。
 ところで、最近気になるのは、企業の人使いの荒さ、無神経さ、じゃ。
「負け組」とか「ワーキングプア」とか、いやな言葉が流行しておるが、これも突き詰めれば極力人件費を抑えて利益確保に執着する企業の了見が生み出している現象ではないのか。
 そのためには給与は上げぬわ、正社員は減らすわ、偽装請負という非合法の禁じ手まで使うわ、と全く羞じるところを知らない。
 こんな状況では現役世代が日本の将来に期待を持てず、子供を生まない選択をするのも無理はない。
 少子化はますます進み、日本の総人口は激減し、国力は衰退していくじゃろ。
 その一方で儲け組のサークルである財界のお偉方たちは、教育制度がどうの、税制がどうの、地方制度がどうの、と近頃とみに〈聖者〉ぶって政治に容喙する姿勢が目立つ。
 だが、彼らがやっていることと言えば、それは「高い志」と「社会責任」を忘却し、単に日本の未来を先喰いしているだけではないのか。
 財界のお偉方に聞いてみたいもんじゃ。
「日本の未来は美味しいですか?」とな。



◆その86
 「後知恵の誘惑」

 だいぶ前のことだが、テレビで「遠山の金さん」を見ていたら、金さん役の松方弘樹が「朝の来ない夜はないって言いますぜ」と宣ふておったのには驚いた。
 それは確かドフトエフスキーの小説の中のフレーズで、金さんが知っているわけがないだろうに。
 もう一つ、これも何かの時代劇だったが、登場した旗本か御家人が「徳川三百年の、云々」と見栄を切っておった。
 何故江戸時代の人間が徳川幕府が三百年続くということを知っていたのか、予知能力でも無い限りあり得ない話なのだがの。
 いずれもテレビドラマの話で、まあご愛敬というところだが、それで済まぬのは例えば天気予報じゃ。
 いつぞや暖冬少雪を予報していながら豪雪になった冬など、「偏西風が予想以上に蛇行したのが豪雪の原因です」などと気象予報士が訳知り顔で解説しておったが、その偏西風の動きを正確に予想するのが天気予報というものではないか。
 予測は結果に媚びてはならぬ。
 誘惑に負けてはならぬのじゃ。
 もっとも翁にそんなことを言う資格は無いかも知れぬな。
 なにせ、後知恵は蜜の味とばかりに、「老婆心ながら、あれこれ」などと説教することに生き甲斐を感じておるのだからな。
 反省、反省じゃ。とな。



◆その87
 「白痴製造機」

 納豆を食べれば痩せる、という実験を信じて納豆を買い、何分もかき混ぜて食べた人の何と多かったことか。
 関西テレビも罪深い。
 だが、テレビは今後も相も変わらずおちゃらけた番組を作り続けるだろう。
 なぜなら視聴者がそれを求めるからじゃ。
「供給」があるから「需要」があるのではなく、「需要」があるから「供給」がある。
 どのチャンネルを回しても朝から晩まで、同じ類の与太話やゴシップネタに溢れていることが、そんな下らぬものを見たがる人間が如何に多いかの証明だろう。
 その昔、テレビが出現したとき、国民の「一億総白痴化」を懸念した評論家がいたが、その慧眼に今更ながら驚かざるを得ない。
「国民はそのレベルにふさわしい政治家しか持てない」という格言があるが、もはや「視聴者はそのレベルにふさわしい番組しか持てない」のではないか。
 享楽を求める視聴者、売らんかなのスポンサー、公共財たる電波を私物化するテレビ局、そしてそれらを結ぶ虚構のマーケットを牛耳る広告代理店、およそ知性以外のものに依拠した経済活動の総体を一手に引き受けているのがテレビの世界なのじゃ。
 よし、決心した。
 この翁も今日からこれまで毎日12時間は見ていたテレビ視聴を止めよう。
 まあ、これが何度目の決心だったか「白痴」してしもうたがの。



◆その88
 「法は三章のみ」

 「人を殺した者は死罪に処す。人を傷つけた者、物を盗んだ者はその程度によって罰する。法はこの三章にとどめる」 
 漢の高祖劉邦が秦を滅ぼした後、宣言したのが、この「法は三章のみ」じゃ。
 秦の悪政に苦しんでいた民衆は大いに喜んだという。
 今の世の中、もちろん法は三章では成り立たないが、それにしても法律は七面倒臭い。
 また、よく法律論を振りかざす輩がおるが、そんな人間も好きになれぬのお。
 まあ、この翁、大学の法学部なんぞとても入れる実力はなかったから、コンプレックスの裏返しかもしれぬが、それにしてもそんな法律人間がよく使う、あの言い回しだけは止めてほしいものだ。
 例えばじゃ、「甲を規則が定める筆頭の者と認める」という文章をそのまま読めばよいものを、「規則が“てい”める」とか、「“しゃ”と認める」とか、音読み訓読みをわざと引っ繰り返す読み方、聞いたことがあるじゃろう。
 他にも「掲げる」を〈けい〉げる、「新規」を「あらき」などと言ったりするが、いかにも自分が法律の専門家であることをひけらかしているようで好かぬ。
 この翁、本を〈どく〉みながら、酒を〈い〉んだり、つまみを〈しょく〉べる、などと言おうものなら〈とう〉がこんがらかってしまうのじゃ。



◆その89
 「合成の誤謬」
 経済学の用語に「合成の誤謬」というものがあるそうじゃ。
 個々の主体がよかれと思ってやっていることが全体ではマイナスに作用してしまうことを指すようで、例えば不況の時に人々は出費を抑えるためいろいろ節約するが、そのことが社会全体では消費を落ち込ませ不況に輪をかけてしまうというような事らしい。
 「個」とその総体としての「全体」では道理の次元が異なるようだ。
 最近この言葉が頭に浮かぶようになったのは、政府が設置した教育再生会議の迷走ぶりに原因がある。
 様々な問題を抱える日本の教育を再生するために、ノーベル賞受賞者をはじめ、翁好みの美形スウィマーまで、それこそ教育のエキスパートと目されるメンバーが各界各層から選ばれておる。
 これだけの有識者がそろえば、素晴らしい政策があっという間に打ち出されるだろうと、期待したのだが、あに図らんや、議論は百出だが、肝心の答えが出てこない。
 優秀な人材を集めてチームをつくれば強いチームが出来る、とは単純に行かないところが人間社会の面白いところじゃの。
 まさに組織版「合成の誤謬」、「船頭多くして」の典型じゃ。
 あるプロ野球監督が「ドライバーばかりではゴルフは出来ない」と宣もうたそうじゃが、蓋し名言じゃのお。




◆その90
 「桃李成蹊」

 「桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自ずから蹊(みち)を成す」
 桃や李(すもも)は何も言わないけれども、花の美しさや実を求めて人が集まり、その下には自然に小道ができる、との意で、徳のある者は自ら求めなくても自然に人が慕い集まることの譬えとして使われる。
 成蹊大学の名前の由来ともなっておるようじゃ。
 まこと、春の駘蕩たる田園風景と桃李の甘い薫りが漂ってくるような格言ではないか。
 それにしても、今の世の中、ここに謳われるような徳の高い人物が少なくなってしもうたの。
 事を成そうとする者は金やポストといった物欲で人心を買っておるし、また、世間も現世利益をもたらさない行為には見向きもしなくなっておる。
“ものを言わなければ「蹊」ができない”社会。
 いったい何時の頃からこんなさもしい世の中になってしまったのだろう。
 人間は本来欲深い動物ではあるが、翁の見るところ、その「欲」を前提として、というかむしろ「善」として構築された市場万能主義をモットーとする経済学が幅を効かせるようになってからではないか、と思っておる。
 まあ、一種の金銭欲望擁護宗教の全盛時代じゃな。
 いずれにしても、金も権力も、ましてや徳もない翁のような爺には生きにくい世の中であることは確かじゃな。




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