[連載]

   91 〜 100       ( 鳴海 助一 )


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◆その91
 『えどおじ』

 名詞。えどおじ。昔、花の大江戸に、相撲修行に行ったもの、つまり江戸推進相撲の力士を、「江戸相撲」といった。 その江戸相撲が、修行早々、もしくは途中で、何かの都合で郷土へ帰り、そのまま上京せず、田舎で、宮相撲とか、いわゆる草相撲などで、素人と一緒になって 角力をする……。江戸では「野郎コ」でも、村では大いばりである。その「江戸帰りの相撲」を津軽では「えどおじ・江戸落ち」という。
 なにしろ「すまふ」といえば、野見宿弥(ノミノスクネ)と当麻蹴速(タイマノケハヤ)の大昔から(十一代垂仁天皇の頃)、江戸の大相撲の開祖、明石志賀 之助、両国梶之助など、そうして昭和の初め頃までは、我が唯一の国技として、上は天覧相撲から、下は夜宮相撲に至るまで、盛大を極め、少し誇張して言え ば、いわゆる三才の童子も血を湧かして「ヤンヤ」と喜んだものである。古来、本県は相撲に強く、特に「津軽ずもう」の名声は高く、今一々述べるまでもなか ろうが、筆者七・八才の頃は、部落附近だけでも、数名の「えどおじ」がいた。そして特に「髪結った相撲」だとなると、観衆は熱狂し万雷の拍手で迎えたもの である。旧暦七月、すでに豊作も決ったお盆の頃、鎮守の森で行われる「神楽相撲」のあの敬ケンなそして、あの純朴な平和な光景は、なかなか忘れ難いものが ある。外来の競技も、大いに可とするも、やはり「すもう」のよさには、限りない愛着をもつ。年のせいか……。



◆その92
 『えどごろ』

 名詞。アクセントは、えどころ。「居場所・居間・台所」の意。津軽農家の住居の研究は、貴重にして、かつ興味深い ものがある。新生活運動の基盤も、大かたは、ここから出発してもらいたいところ。今詳説する要もなかろうが、とにかく。最も基本的な普通の建て方(構造・ 間取り)として、まず、@ドゴシ(戸口・入口)。Aはいって左がマヤ(馬屋)。B突き当りがニラ(作業場)。C石がえどごろ(付流し場)。D台所の右 側の小部屋がネドゴ(寝所)。Eサマコ(台所に取りつけた障子)。分家した小数家族で、しかも貧しい者といえども、これだけは、最小限度必要なようで ある。馬をかわない場合は、Aを物置き・納屋等として使用する。またAのマヤの上に、大ていマゲ(間木)つまり粗末な二階を作る。次に、やや中どころと なって、えどごろ(台所)の奥が「ジュエ(常居・重居)」。ジュエの右側には縁側があり、床前をつけることもある。
 さて「えどごろ」には、入口近くにシボド(いろり)があり、これが生活の中心となる。食事、客の接待・針仕事・一家団らん・子供の勉強等々、小家で は、一切がっさい、みなこの「えどごろ」が使用される。最近大いに改善されて、否、心の持ち方が変ってきて、田舎といえども、極めて文化的、合理的に造作 するようになったことは喜ばしい限である。

※ヨベラ、ヨッテシマテ、えどごろサ、ゴロントネダキリ、アサママデシラナェデェダ。
○ゆうべは、ひどく酔って、台所に「まる寝」したまま、朝まで気がつかなかったよ。

※バゲカダネナッタラ、ハヤグキテ、えどごろハェダリフェダリサナェバマエナェデァ。
○夕方になったら、早く帰って、台所を掃いたり、ふいたりして、手伝わなければいけませんよ



◆その93
 『えなばら』


 名詞。えなばら。大きな堰や、小川などの岸の、水にエグリ掘られて、深く入り込んだところを「えなばら」という。主として、川や堰の「ジャコ」取りをする場合に用いられる。
 昔は、夏から秋にかけて、魚釣りの外に、「えなばらサガシネ行グ」あるいは「ナマズトリニ行グ」といって、フンドシ一つの若者達が、網も何も持 たずに、「手さがし」でとりに行ったものである。筆者も、かなり上手であった。首っきりからだを沈めて。深いえなばらに、静かに両手をさし込んでいく。ナ マズが、ダマ(一かたまり)になっていることがある。荒立てては逃がしてしまう。せいぜい一ぴき。ナマズは、腹の方は鈍感である。背へ手をふれたら だめ。腹の方からいともやわらかに、そして早く。にぎったら静かに手を引いて陸へ投げてやる。これを繰り返すのである。



◆その94
 『えなべ』

 名詞。えなべ。農家の「ニラ(作業場)」の片隅、または片側に、一坪か二坪位に仕切った「稲置場」、つまり、「稲 部屋」のこと。「イナベヤ」の「ヤ」が略されて、「イナベ」それが訛って「エナベ」となったもの。一語ずつ言う時には、「イネ」「ヘヤ」だけれど も、これを結合して呼ぶときには「イネ」は「イナ」となり、「ヘヤ」は「ベヤ」となる。「ネ」が「ナ」になるのは音韻学上、音通格(五十音図の縦の行の 音が合い通じる)ことであり、「ヘ」が「ベ」と濁るのは、連濁格(二語が結合する場合に、下の語の音声が濁音に変ること)の現象によるのである。くどく ど言うよりも、実例を示せば早分かりであるが、例えば、風と車。苗と代・声と色・種と物等が、カザグルマ・ナワシロ・コワイロ・タナモノとなり、声・ 坂・立・厚等が、歌ゴエ・下りザカ・献ダテ表・カンバラ(蒲原)となるように。
 さて、「えなべ」は、稲や籾を入れておく場合に、土間では、湿気がするので、床板を敷き、周りも天井も、板又はトタンなどで作り、ネズミなどが防げるように出来ている。これがまた、「ヘロ」「モミグラ」土蔵などに発展するのである。

※えなべノ「シコロ」ネズミァクテシマタ。
○稲部のシコロ(稲の屑)ネズミが食べてしまった。

※オヤジァマダ、ヨッテゴンボホテ、ヨベラフトバゲえなベサカグェデラネ。
○うちの亭主が、またよってきて、乱暴するもんだから、ゆうべひとばん、物置きに隠れていましたよ。

▲山形県の貴賜地方の方言では、「エナベヤ」といってやはり「稲置場」のことだそうだ。



◆その95
 『えばる』

 動詞ラ行四段活用。アクセントは「えばる」と「ば」を高くする。畑作業の中の、畝作りの一種に名づけたもので、畑 の畝を作ることにはちがいないが特に、底深く肥料を施すために、まず広く深い溝を作り上げる、長い畝を幾条も作る場合は特別の技両が必要であるが、この作 業を津軽ことばで「ハダギエバル・ウネエバル」という。

※ハダギノウネモ、えばえ(れ)ナェンタヨメダバ、フトリマエテェデバナ。
○畑のうね作りも出来ないような嫁なら、一人まえないではないか。(はした者、はんぱ者)

 若い嫁さんなど、昔は、この「うねえばる」のには泣かされたものらしい。邪けんな姑(しゅと)さまにかぎって、腕は素晴しいもので……。嫁から、バ クット鍬を取って、大股にうねをまたいで、カツッカツッと、溝の土をサバイていく、その手際のうまいこと…。ただし、それは二・三十年も多くご飯を食べ たからで……それを若い嫁コに望むのは「無理」というもの。
 筆者も多少腕に覚えがある。昭和十四・五年の頃、文理科講習で、青森師範学校に学んだことがあるが、農業科担当の小山田七次郎教諭(現十和田市長)に「うねづくり」では大ぶんほめられたもので……。



◆その96
 『えぱだだ』

 形容動詞。えぱだだ。意味は、妙な・変な・おかしな・怪しげな・不思議な・下品な。

※アノフトァ、えぱだだハナシバレシテ。
○あの人は、どうも、変な話しばっかりして。

上の場合は、話しが、うますぎる・眉つばもの・物知りぶる・でたらめ・ほらふき・下劣・ワイ談等。

※マダ、えぱだだテンキネナエシタデァ。
○また、変な空模様になってきましたねェ。

※ヨベラ、フットバゲウジえぱだだユメミデラ。
○ゆうべ一晩中、妙な(不吉な)夢ばかりみていたぜ。

※このクスリァ、えぱだだカマリァシテキタデァ。
○この薬は、変な匂いがしてきましたよ。

※マナグツギァ、えぱだだドゴデ、スグワガラエダ。
○目つきが変なものだから、警察にすぐ気づかれた。



◆その97
 『えぱだね』

 副詞。えぱだね。前の語の連用形だけれども、副詞としておく。意味は全く前に同じ。用法は、しかし、前の語は、主として述語になるのに対して、これは、副詞だから、主として、用言を修飾する。

※カスベノトモエェクタキャ、ハラえぱだねナタ。
○カスベ(魚)の「あえもの」食べたら、腹工合が変になった。

※タゲンダサベレバ、ハナシグジァえぱだねナル。
○だんだん話しているうちに、話しぶりが、変になってくる。(ちょっと頭にさわった人などの場合)

※アノオナゴァ、えぱだなカラコッペデ。
○あの女は、あまりに小癪すぎる。(さかしすぎる)

 上は、賢いようで、結局は、頭が少し足りないということになる。(過ぎたるは及ばざるが如し)

※アノオドゴァ、えぱだねハカラネヤッテアサェテルデバ、ナニガ、ワゲァアルベ。
○あの男は、近頃、妙にシャレて歩いているんだがねェ、なにかわけがありそうだぜ。

 上の「わけ」というのは、まず女関係、次が公金費消、軽いところで、親父か妻の眼を盗むという、まあ、その辺に相場がきまっているようだ。



◆その98
 『えぱだしけね いぱだしけだ』

 副詞。形動。これは、「しけ」という津軽特有の「小詞・接尾語」が入ったもので、前の二語と全く同じ。この「小 詞」等については、適当な機会に、相当の期間をあてて詳説するつもり。「しけ」は、例えば、「ばったり倒れた」というところを、「ばったらしけたおえだ」 というように、「強意」の役目をすることが多い。つまり力強く表現するために用いられる。小詞の種類は甚だ多い。

※カジャフェダキャ、ノドァえぱだしけで。
○風邪ひいたら、のんどが変になって。

※えぱだしけね、シンボダハデ、フトァツガナェ。
○あんまりケチだから、人が相手にしません。

▲「えぱだ」の語源については、私の研究では、残念ながら、公表するまでには至っていない。



◆その99
 『えびる』

 動詞ラ四。この語は、「いびる」という標準語が、少し訛っただけであるから、方言というほどのものでもないのだ が、一応取り上げてみることにする。意味は、津軽ことばでは特に、@人につらくあたる。意地悪くする。例えば「しゅうとめ」が「嫁」になど、A干魚など を、熱い灰に突込んで焼くこと。この二つに用いる。

※アノババ、アンマリヨメえびタキャ、ヨメモアニモネゲデェテ、エサコナェデ、フトリコエルド。
○あの婆さん、あんまり嫁さんを悪くしたので、嫁さんばかりでなく、あに(息子)も一緒に家出して、今はお婆さん一人で暮らしているとさ。

※スルメをえびる。カシベをえびる。

▲この語の本元は「イブキ・イブリ・息吹・息振」らしい。心の中に「不満」が蓄積して、それが発散もしくは爆発すること。火が燃えないで煙る・ふすぶ る・くすぶることを「いぶる」というのも同じ。魚の「クン製」の「クン」も「いぶす」であり、硫黄を「いぶし」て金銀にすすいろをつけた、いわゆる「いぶ し銀」などの「いぶし」や蚊やり、火を焚いて「蚊いぶし」というのも、みな同類の語である。いびるは、この「いぶる・いぶす」と同じ。転じて「生きている ものを苦しめる」意となる。なまのスルメを、火に突込むと、じりじりと音をたてて、縮んだりかがまったりする。そのさまは如何にも「ふすべる・さいなむ・ いぶす・いびる」の意にふさわしい。可憐な、そして年若い嫁さんなどが、海千山千の甲を経た「姑」などに、意地悪くされることも「いびる」という語がもっ とも当てはまるようだ。津軽ことばでは別に、「嫁もぐ(もむ)」ともいう。意味は全く同じ。「嫁えびる・嫁もぐ」は、誠にかあいそうなことで、現代では、 あり得べきことではないのだが、しかし、都市にも田舎にも、無知な露骨な形ではないにしろ、まだまだ残っていはしまいかと気にかかる。昔は実にひどかった らしい。昔の嫁が、不満をこらえにこらえて、とうとう、それこそ「えぶりだした」のが、かの有名な「新田の彌三郎」の、悲歌の文句ではなかろうか。

※…四ツァエェ、ヨクサアサクサ、カゲァナェドモ、ツケタェ油コモツケサセナェ……。
○四つには、夜草も、朝草も、一日も欠けなく刈っていくら働いても、つけたいと思う髪の油さえ、つけさしてくれません。(夜草も朝草も、普通の仕事の時間以外のもの。つまり朝暗いうちから、晩も暗くなるまで働くということである)この歌は十まである。

 さて「えびる」は、前の二つの意味の外に、からかう・ねだる(セビル)・油でいためる・ゆでる等、種々の意味で、全国各地の方言として使用されている。



◆その100
 『えびる・えびり』

 動詞・名詞。一つは、農耕作業の一種。一つは、その作業に用いる農具の名前である。前回の「えびる」にくどくど申 し述べたのも、この「えびる・えびり」との関係を考えたからである。水田作業の中で、最も大切なものは、いうまでもなく、「植えづけ」すなわち「田植え」 である。田植えに入ることを「五月サハエル」というのも、決して、おかしな言い方ではない。
 まず、田の水を切って「代掻き」を、縦横三回ほどする。次は、その高低を、鍬や熊手で均(ナラ)す。その次には、長さ五六尺、幅五六寸の板に柄をつけ た、いわゆる「えびり」なるもので、最後の地均しをする。田のミナグジ(水口)には、おミギ(神酒)に身欠き鰊を添えて家の主人が恭しくたてまつ る。そうして、いよいよ、水口の第一枚目から植えつけをするのである。(昔は、縄張りも、型ころがしもしなかった)その植えつけ直前の地均しをすることを 「えびる」または「えびりする」という。これは、第一番の腕ぎきがする。これを「タチト・立人」という。この人は大てい総指揮を兼ねる。植える人・代掻 き・苗運び・苗取り・炊事・食事の時間等々皆この「立人」の指図に従って仕事が進められていく。
 ところで、この「えびりすり」が下手だと、一枚の田に傾斜が出来る。水を入れた場合に大へんだ。高い所に適当にすれば、低いところが潜ってしまう。反対 にすれば、片方が露出する。水田の名は三・四ヶ月も水に頼るからの呼び名である。植えてからはどうにもならぬ。結局。作柄に大いに影響することになる。も ちろん代掻きの腕にも左右されるが、その田の土を高低を知っていて代掻きに指図する「えびりすり」に、やはり責任がある。(えびりは、「ルーラー」にも似 ている。)

▲でこぼこの土を、そっちへ押しやり、こっちへ引き寄せ、「えびり」で、高い所は強く押して、低い所では力を抜いて、その土をおいてゆく、その様子が、いかにも「えびる」という語にふさわしい。
 この意味に用いた方言は、わが津軽意外にはないようだ。敢えて、長々と申述べたゆえんである。



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