[連載]

  121 〜 130       ( 鳴海 助一 )


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◆その121
 『えでかッて、もごサきがなェ』

 得手・勝手は、向こうには効かない。これは、自分としては、最良の策・手・方法だと思っていても、向こう、つまり相手や先方では、簡単には、乗ってくれない。オイソレと手易く応じてくれない。まあ、それが世の中の習いだというわけか。
「得手」は自分の得意とするもの。これはすべて人間誰しも、最低一つは習得したきもの。これによって世に処し、生計の手頼りとする。また進んでは国・社会 に多少の貢献もできるというもの。これからやや転じて、相撲・柔道などの「手」となる。これも必要なことはもちろん。ただ、往々にしてこの「手」なるもの は、策謀・術策・不正手段の意味にもとられ易いが、これはいかんなことで、「勝手」もおそらく本元の意味は、「得手」に近いものであったろうと思うが、い つしか、自由・わがまま・自分勝手・ひとりよがり等と転意した。そこで、ここで紹介する「ことわざ」も生まれてくる。この場合の「得手・勝手」は、自分に のみ都合よくして、他人の利害を顧みないこと、という意味に解すべきことももちろん。すべて俚言(りげん)・ことわざのたぐいは、一面の真理・道理さえ含 んであれば、それでその語の役目はすむ。
 1、得手千人力(八人力)。というものもあれば 2、得手で鼻突く。3、得手物で損する。という戒めの言もある。「芸は身を助ける」かと思えば、「河童の水喰い」も大いにあり得るというわけで…。
 およそ世にある金言・格言・俚言・箴言(しんげん)のたぐいの真意を汲みとることは、時には容易のわざではないのだが、そのように、この世に処するの道もまた、微妙にしてかつ複雑なるものの如し。



◆その122
 『おォやぎ』(1)

 名詞。大家・豪農・金持ち・物もち等の意味で、標準語の言い方では「おおやけ」。
「おやぎのツボコ」(庭・植え込み・泉水)」「おやぎのアンコ(長男・総領)」等々。「おやぎ」といえば、なんとなく特別階級の否、全く別な人間のように、敬い、おそれ、そうして羨望のまと(的)でもあった。

※モゴォ、おやぎノダンナシュダシ、コジァソノシグラシノ、テマドリダネ…。
○向こうは(相手・先方)、大家の旦那さま(衆)だし、こっちは、その日暮の手間取り(日雇い人夫)だよ、太刀打ちも、比べることも出来ゃしなサ。

※おやぎノ、テンドリダキャンタナ、ガノモノァヨ。(「ガ」はお前・汝)
○大家の湯釜のようだねェ。あんたのあれは

※シネカラデバ、おやぎノシバシダケァンテヘ…。モット、コエラエナェナヘ…。
○お前の脛(スネ)は大やけの火箸のようだゼ、もっと太られナイカネェ。



◆その123
 『おォやぎ』(2)

 ▲「おおやぎ」の語源は、もちろん「大家・大宅」で「おおやけ」の訛り。「家・宅・館」等は、いずれも「やか・やけ」という古代語にあたる。万葉集の歌 人大伴家持は、「やかもち」とよむ。「宅」は「やけ・やか」とよむ場合もあるようだ。次に、王侯・貴族の住む建物は、かならず広壮・華麗であるところか ら、「おおやけ・大家」といい、そして、朝廷・幕府・お上・主人等、「わたくし」に対するいわゆる「おおやけ・公」の意味にも転じた。金持ち・豪農等に対 して、貧乏者や小作人どもは、やはりかならず、小さな粗末な家に住むから「コモノ・小者」とか、「コエコ・小家こ」などと人もいい、みずからもそう呼ぶの である。



◆その124
 『おが』(1)

 名詞(人称)。「お」は普通より低く、「が」は中高。主として、中年の「母・はは」の呼び名として用いる。母親・妻・嫁の呼称として有名な「あッぱ」と 共に、全県下に亘って広く用いられる。秋田県あたりもほぼ同じらしい。「あッぱ」は前に述べたが、「おが」等の説明の都合上、いくらか言わせていただく。 まず用例を二・三あげてみると、

※オマェマダ、おがナェダガヘ・・・・・・。メッタドホガノおがノハナシ、シネシ・・・・・・。
○あんたはまた、奥さんがいないんですかェ。(ないんですか)、いやによその奥さんのハナシをしますねェ・・・・・・。

 右は、汽車・電車のなかで、他人の「かかァ」などをむやみに噂さ(ほめる・品定め)している鼻毛の長い、助平らしい男に対して、そばに居合わせた中年の「おが」たちが、からかって言った場合。

※「オド」ド「おが」ドトンジネエタ。
○ダンナと奥さんと、湯治に行きました。

※ベジネ、ヨリニン、タノマナェシテモ、オヤノおがネキモラテ、「サェファェ」フテモラルデァ。
○(ちょっとした人寄せ・小宴に)特に料理人を頼まなくとも、本家の「おかあさん」に来ていただいて「指図」してもらいましょうよ。

 右の「サェファェ」は、「采配を振る」の「サイハイ」の訛ったもの。津軽ではよく使われることばの一つ。「さ」の部で詳しく



◆その125
 「おがしべャり」

 名詞。おがしャ(さ)べり。これは多弁家。じょう舌。おしゃべり。口が軽くて秘密を守れない人。「多くしゃべる」の名詞化であろう。

※アレァマダ、おがしャベリデ、ダマッテレバ、エジンジエッパェデモ、クジオガジネ、サベテル。
○あの人はまた、ずいぶん「おしゃべり」で、だまって聞いていれば、(たしなめなければ)、一日一ぱいでも、口に休みなくしゃべっているよ。

 前記の「クジオガジ」は、「口措かず」で、「おく」は「中止・止める・仕舞う・終わる」の意味の方言。標準語の「筆をおく」などの「おく」からきたものらしい。

※アレダキャ、おがさべりダオナゴダハデ、ナンダカンダ、アレァエダドゴネエデ、サベラェナェキャ。
○あの人は、口が軽い女だから、何もかもは(秘密なことは)、あの人の居た所では言われませんよ。

「おがしャべり」を略して「おが」ともいう。「アレァツトおがダンダ」といえば、「あいつは、ちょっとオシャベリなんでね・・・・・・」のこと。



◆その126
 「おかがる」(1)

 動詞(ラ行四段)。おかがる。「が」は通普の濁音。意味は1.寄りかかる。2.たよる(頼る)・たよりにする。3.任せきりに任せる。

※ナンドァ、オラェノカギギシサ、おかがれバマナェデァ。サワラ、グット、シンデシマタネソラ。
○お前ら、うちの垣根に寄りかかたらダメですよ。「サワラ」が、こんなに枯れてしまいましたゼ…。みなさいな。

※オドリミデラキャ、アノオヤジァ、ヨタフリシテ、オラサおかがッテキタモンダェ。
○盆踊りを見ていたらね。あの男が酔ったフリしてサわたしに寄りかかってきたんですよ…。(村の娘さんたちが、夜、踊りをみに行った場合など)

※ハシゴ、おかげデオグ。タデカンバンおかげデオゲシテンシャおかげれバマナェ。
○屋根に梯子をかけておく。立看板をよせかて置きなさい。ガラス戸に、自転車を寄せかければダメです。

「おかがる」は自動詞で、「おかげる」は他動詞。(自動詞・他動詞の説明は既出、第一巻三十四頁)

※マ、ナェシ、ドウグァナェシ、ゴグワジァ、オマェダツサ、おかがテシマエシジャ。
○うちではねェ、馬もなし、道具もなし、田植えは、あんたたちに、何もかもそっくりお願いすることにきめておりますよ。(たより切っています。)

※トナリグミノコトダバ、ミンナシテ、アノオドチャサ、おかがテシマルベシシ・・・・・・。
○隣り組みのことは、みんなで、あそこのとうさんにたよりましょうよ。(お願いして任せてしまいましょう。)



◆その127
 「おかがる」(2)

 ▲「おかがる」の語源についてかんたんに。
@寄り掛かる―よっかかる―おっかかる―おかがる。
A押しかかる(のしかかる)―おかがる。
B覆いかかる―おっかかる―おかがる。
Cおっかかる(「おっ」は接頭語として)

 右の四つの場合が考えられるが、恐らく@とC、特に@が最も有力らしい。「ヨ」が「オ」に通じることは、古語にも現代語にもみられる音現象である。現代では「こっちへよこせ」というが、古語では「こなたへおこせ」といった。かの有名な菅公の(菅原道真公)

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

の歌の「おこせよ」は、現代の「よこせ」にあたる。津軽ことばの「おごへ・おごせ」はこの古語の名残りである。それはともかくとして、まあ、以上のような理由から、「おかがる」は「寄り掛かる」の訛りにちがいない。



◆その128
 「おかェる」

 動詞(不完全なラ行四段)。「倒れる・転倒・ころぶ」の意。

※ヨッテ、グワチャメギサ、おきャェテキタデァ。
○酔っぱらって、水溜り(泥道)へころんできましたよ。(この場合、ころぶでも、倒れるでも、方言のようにはしっくりしないようだ。)

※アンマリ、ジギヘバ、エネァおきャェる。
○あんまり、肥料を施せば(窒素肥料)、稲が倒れる(倒伏する)

▲「おかェる・おきャェる」の語源は、おそらく「返る」かと思う。「ひっくり返る」という意味から転じて「倒れる・転ぶ」の意となったもの。「おっ」は前 項のCのような接頭語とみる。「ブッたまげる」「オッ初める」などの「ブッ・オッ」のたぐい。田舎の古老たちの間では、さらに荒っぽく「ぼツきャェ る」ともいう。これは、「折る」琴を『オッちょる』とも「ぼっちょる」ともいうのに同じ。「お」と「ぼ」も互に音転の現象がみられる。詳細省略。



◆その129
 「おがしコ」(1)

 名詞。これは「獅子舞」の道化師(道化づくり・津軽のドゲツグリ)の役を演じる者の名。
 総じて「獅子舞」は普通三人で舞う。雌獅子(めじし)が一人。雄獅子(おじし)が二人。また雄じしも一人で、中獅子が一人の場合もある。この三人の外 に、これを先導したり、その中を取りもったり、滑稽なシグサを演じて観客を笑わせたりする「舞い手」が一人ある。これを「おがし」という。また、奇妙・ 奇抜・おかし味たっぷりな「メン・面」をかぶる(冠る・つける)から、「おがしめんコ」ともいう。



◆その130
 「おがしコ」(2)

 獅子舞の歴史・沿革は相当古く、遠く平安時代の、雑芸・延年舞・散楽、あるいは「能楽」「神楽」、あるいは民間の諸行事・舞踊等にも関係があるらしく、 今詳説の暇もないが、古来津軽各地にも相当流行したものらしい。終戦前後から一時不振であったのを、最近再び勃興してきた。(ただし、自主性は失われて、 外部若しくは上部からの奨励・掛け声等に踊らされている感じがしないでもない。)それはそうと、我が集落(平賀町大光寺)の獅子舞は、由緒正しく古く、津 軽における屈指の格等をもったものであったらしいが、三十年前頃までは、年中行事の一つとして、最も重要なものであった。お盆から晩秋へかけて、集落に は、獅子舞の太鼓の音が響かない日はなかったくらいに。子どもらはもちろん、おとなたちも、いつも待ちかまえているものは、獅子舞の人気者であるこの「お がし・おがしめんコ」であった。
 その現われてくる時間や出方はさまざまで、ある時は待ちくたびれている観衆の、思いもよらない方面から、グーグと走って来て、女や子どもらをドー テンさせ、焚火を蹴散らして、オニャ(お庭・踊り場・舞台)の只中へ割込んで行く・・・・・・。それからの物真似・シグサ・道化が、奇妙・滑稽極まるも のであった。
 この「おがしめんコ」の名人?が、集落に五・六人はいたようだ。服装を替え、面をつけるから、子どもらには、自分の父であろうが、兄であろうが、分かろ うはずもない。いやおとなでも・・・・・・ヤンヤとはやして、後でその「おがしコ」が、自分の亭主であったり・・・・・・。筆者の父も下手だけれども一・ 二回は出たとか出ないとか・・・・・・その頃母が言っていた。恐らくは別人であろう。ただ、その着ていた「かねとり」が、父のソレ(作業用のカネトリ)に 似ていたとかで・・・・・・。この「カネトリ」は、上古からの「固織・堅織・かとり」の訛りらしい。「か」の部で述べる。

※コンニャノ、おがしめんコァ、アレァ、ダェダバ。メタネ、トロェナ・・・・・・。
○今夜の「おかしコ」は、あれは誰れだろう。ずいぶんノロノロしているゼ。(下手だよ。)

※オェノコレァ、キパシナェシテ、ヨグ、ドゲツグルハデ、シシノおがしサダヘバエデァ。
○うちのこの子は、しばしっこくて(敏捷)道化をするから、獅子舞の「おかしコ」に出せばいいですよ。(母親など、なかば自慢顔にいう。)

 さてこの「おがし」は、上代文学の理念といわれる『亜晴れ』「おかし」の「おかし」であり、俳優(ワザオギ)・俳諧・俳句・俳文の「俳」であり、い ずれも、滑稽・おかし味の意である。「笑い」と「人生」と・・・・・・。「おかし」は、日本文学・芸能、否日本民族性の一大要素であることを付記してお く。日本のあらゆるものに、ユーモアが欠けている、と西洋人が指摘したそうだが、それは的外れである。上代文学の中に、俗謡・民芸のなかに、また津軽あた りの諺・成句・軽口等のなかに、その他中世以降の俳諧・能狂言・狂歌・川柳・通俗読みもの等の中に如何に、笑いの要素が多く含まれているかを彼等は知らな いのである。機をみて詳説する。



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