[連載]

  141 〜 150       ( 鳴海 助一 )


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◆その141
 「おじ・おんじ」(2)

 ▲標準語の中に、漢語の「伯父・叔父」があるが、これは国語の訓み方では、どちらも「をぢ」である。現代仮名づかいでは「おじ」とかく。国語では、「父 の次の親しい・慕わしい人」という意味から、「をぢ・小父」といったのを、漢字熟語の「伯父・叔父」に当てたのである。「伯」と「叔」の意味につて少々。
1伯父(ハクフ)=自分の父の兄さんに当たる人。
2伯母(ハクボ)=自分の母の姉さんに当たる人。
3叔父(シュクフ)=父の弟さんに当たる人。
4叔母(シュクボ)=母の妹さんに当たる人。
わが国語では、父の兄、母の兄どちらも「伯父」というようだ。「叔父」も同じく父母の弟のこと。津軽ことばの「おじ」は、そのうちの「叔父」、特に分家して新しい家庭をもっている人のことにいう。
なお、漢字の「伯」は、「大・長・兄」の意があり、「叔」は「小・季・末」などの意味がある。



◆その142
 「おじよめ」

 名詞。おじよめ。これは「兄よめ」に対して、弟の「嫁・妻」のこと。「おばよめ・おば・おばコ」というのと、大たい意味は一致する。「おじよめ・おばよめ」という場合は、卑罵の意味も意味も多少は含まれる

※コシタ、カラキジモノダキャ、おンじよめデモエバテ…。ダンモ、モラテケルフトァナェツコドヨ。
○こんな、わがもの(娘)は、よその弟の嫁さんにでも、ありがたい仕合せだけれども……。誰も、もらってくださる人も、ないだろうってことよ。

※アコノムシメァ、シンボダシ、おンじよめコネダバエネシ…。エカマドモジデシァェ、アノムシメコァヨ。
○あそこのうちの娘さんは、器量は、勝れてはよくないけれども、(勝れてはいないけれども)性質・気だてがしっかりしているし、倹約(贅沢でない)だし、弟さんのお嫁さんには向きますねェ。家庭を上手にもっていきますよ。きっと。

 このように「おじよめ」というのは、半分はほめ、半分は多少けなしているような言い方である。長男の嫁に向くということは、まず器量がよいこと、(田舎 の農家あたりでも)性格も、もちろん大事にはちがいないが、なにしろシュウトさんがついていることでもあり、その他の家族たちと一緒だから、周囲の気がね やらなにやらで、かしこみ、つつしまやかにして過すうちに、いつしか嫁としての修業も板についてくる。「おじよめ」は、大てい器量が劣るものと相場がき まっていた。しかし、性格の方は、実は、『あによめ』よりもしっかりしていなければならない。それは、夫の外に監督というものがないからである。家計のヤ リクリなど、自由にやれる。少ししまりのない嫁だと、夫と二人で、ちょっとの間に、もらった財産もなくしてしまう、という心配も無きにしもあらずである。 故に「おじよめ」は、大てい勤勉で倹約で、すべてが控え目であることが、何よりも大切な条件とされているようだ。
クダクダしい言い方になったが、おおよそところ、結局「おじよめ(おばよめ)」は、「あによめ」より一段劣るもの、ということになる。だから「おじよめに 向く」云々は、自分の娘なら「謙遜した」ことになるが、他人の娘さんなら、居る前では特に、甚だ失礼なことになる。ただし、財産があっても、格式が高くて も、「あによめ」のような苦労はしたくない…。たとい財産が少なくても、分家して気兼ねなく暮せる「おじよめ」の方が、はるかに仕合せだ…とみる方も多い ので… 実はたしかなことは言えないわけで…。



◆その143
 「おじかまど」

 名詞(熟語名詞)。おンじかまど。これは、いわゆる「次男・三男」などが、分家して出来た新しい家庭のこと。何十年前に分家したのでも、そう呼ぶことも ある。「かまど」は「気間処」「煙処」「釜処」が本意で、「ひっつい」のことから転じて、一戸の生計とか、一軒の財産・くらし向きとかの意味。詳しくは 「か」の部で。

※オラダキャ、おンじかまどダハデ、かまどデバかまど……。「ナシノかまどコ」ダキャェンタモンデサネ
○おいらはねェ。本家から、ほんの少しばかり分けてもらって、やっと独り立ちしている「分家」だからサ……。「家庭」といえば「家庭」……。梨の実の核(カク・さね・たね)ぐらいの、ちっぽけなものでございますよ。

 「梨のかまど」というのは、梨を、丸いままで皮をむき、果肉を食べる際、核に近くなると、普通は食べられない部分が若干ある。核を中心に、やや楕円形の ものつまり捨てるところであるが、それを、東北地方や、関東地方の大部分では、「かまど・かまどコ」という。(「か」の部で詳しく。)津軽ではその「かま ど」が小さいことから、家庭の「かまど」にかけて、貧乏世帯とか、小さな家庭とかの卑称、または謙遜語としても用いるのである。

※おンじかまどジモノァ、ソレデオカダェモンダェ。
○分家した家庭は、小さいようでも、それでも、なかなか堅実なもんですゼ。

 これは、家柄とか、家の格とか、伝統や世間体や何やで、内輪でヘタにがまんしているうちに、表面に現われるやたちまち、大木の崩れるように破産してい く、いわゆる「本家・大家」に比べて、「別家」の堅実性を称賛したもの。家族全員が、怠惰で贅沢に生活しなれたのと、倹約で勤勉に働きなれてきたのとで は、一朝、事ある場合は、忽ち雲泥の相違が現われることもよくあることで……。

 なお、「おンじかまど」についてはその極めて悲惨な部面も、過去においては大いにあったわけだが、長くなるので、この項では省略することにする。



◆その144
 「おじけ」(1)

 名詞。おじげ。「げ」は普通の濁音。「おつけ」の訛語。「吸い物・汁」のこと。方言というほどのものでもないが、一応取り上げてみた。

※ワラシダジギァ、ナンデモ、おじげウッテノムンテナェバ、コエナェヤェ。
○子どもの時は、どうでも、吸い物(おつけもの)の汁をうんと飲むようでなければ、ふとらないゼ。

※ダェドメヘガラ、おじげわんこ、カテキタキャ、ガラット、ネヘモンデエタデァ。
○大道店から、吸い物椀(わん)を買ってきたら、いや、とんでもない偽せ物であったよ。

※エットマガ、ミナェデラコマェネ、ワラシァ、おじげなベカプタジャネソラ……。(やけどしたこと)
○ちょっとの間、目を放しているうちに、子ども(幼児)が、汁鍋をカブッたそうですよ……。



◆その145
 「おじけ」(2)

 ▲「おつけ」の「お」は接頭語だから、「つけ」が本体である。麺類(ソバ・素麺・ウドンなど)を食べるとき、「付ける」あるいは「漬ける」の「つ け」。「つけ汁」の「つけ」である。「つゆ・ひたし・たれ」というのも大たい同じとみてよい。それから転じて、「芋汁・ささげ汁・わらび汁」など、すべて 野菜等の煮ものをいうようになった。また「たら(鱈)汁」「肉汁」などとも……。屋内で普通食事をする場合、和食では、「めし・飯」に次ぐ大切なものが 「おじげ」である。めし茶碗に、おじげわん、それに「お香コ」の小皿と三つ、これが食膳の原則?であろう。
津軽のナゾナゾに次のようなのがある。
「おーもり、こもり、ちさェもりこ、えじまェたこね、しのぎァにほン、なーに。」
「大盛り、小盛り、小さな盛り、一枚田コに、檜(ひのき)が二本。なーに。(なんでしょう?)」
右の「もり」は「土盛り」のこと。このナゾの答えは、「じェんこ」(お膳のこと)である。めし茶碗とおじげ椀と小皿とを伏せた形が、大盛り、小盛り、小 さい盛りコで、一枚田コはお膳で、ひのき二本は、「箸二本」である。野原の景物(自然物)にたとえたところが、素朴で、なんとなくほほえましいものが感じ られる。
 さて、「おじげ」は津軽地方でも一般的な称呼であるが、その外にも、人により場合によっては、「しる・おつゆ・おひたし・おみおつけ・すいもの」などいろいろ

※おじげかでで、ウッテママカナェバオガラナエ。
○おつゆをかてて、うんとごはんを食べなければ、大きくなりませんよ。(幼童らにいう場合)

「かて」は「糧・料」で、主食に混ぜ合わせて食べるものをいう。津軽ではまた、「おじげ掛げで……」「しる掛げで……」あるいは、「汁かげめし」などとも いう。朝早く起き出でて、朝めし前の仕事を充分やってから「ギンめしに味噌じる」で、幾はいも食べられる、田舎の働く人たちは、なんとも羨やましい限り である。



◆その146
 「おじョむ・おンじョむ」(1)

 動詞(マ行四段)おじョむ。意味は、@おそれる(恐・怖)。A萎縮(イシュク)する。Bおじ気がさす。C尻込みする。D闘志を失うE意気ソ喪。

※1 ソゴダ!! なんでも、おじョまナェデカガレ。
○よしよし、そこだそこだ!! どうでも、おそれないでかかれ。(相手を呑んで。機先を制して)

※2 コノマ、フトナガサデファレバ、おじョんデマナェンダ。
○この馬は、人の大ぜい集まった場所へ出れば、人におそれて(おじ気がして)ダメなんですよ。

※3 バショナエナェバ、ドウヘモ、おンじョむ。
○場所に馴れなければ、どうしても、相手を怖れたり不安がったりして、気おくれがする。

※4 シアエサデファテ、おじョむフトァ、ソンダナ。
○試合に出て、意気負けする人は、損(不利)だね。

※4 フトナガサデファテ、おンじョむンダバ、ギインモナモ、ナナェデァ。
○人前に出て、おじ気がさすようでは、議員も何も勤まりませんゼ。(「ナナェ」は、「ならない」。)

※5 モゴデ、ダデファテモ、おじョめバマナェヤェ。
○向こうで誰が出ても、相手をおそれてはダメだゼ。

※6 ワラハドネ、おンじョめテ、オヘルセンセモナェバテ……。ヤッパリ、フトナガサデファレバナ……。
○生徒たちに、意地負けをしろッと、教える(指導する)先生もないけれども…。やはり、大勢の中に出ればね…。おとなだってそうなんだからサ。

 この用例の1は未然形。「ない」という否定(打消)の助動詞が下に来る。2は連用形。3終止形。4は共に連体形。5は已然形。6命令形。
 2の「おじョんデ……」の「ん」は、「み」の音便だから、マ行四段活用の各活用形が、「ま・み・む・む・め・め」と、完全に揃っていることになる。意味 の少しずつちがった、いろいろの内容を含んでいる。この「おじョむ」は、津軽ことばとして、残しておきたいものの一つである。



◆その147
 「おじョむ・おンじョむ」(2)

 ▲語源について考えてみよう。まず、太古の人々が、何かのために恐怖の念が起きた場合、または強く感動した場合、自然と口から発せられる音は、主として、自然音(母音)の「あ・う・お・い・え」等であった。
「おじョむ」の「お」は、そのうちの「お」であるとみる。それに、「すすむ・進」意味の「そ」がついて「おそ」となる。「そぞろに、すずろに、そそぐ」などの「そ」に同じ。
 次に、その「おそ」が、ラ行音に活用すれば「おそる・恐・怖」となり、マ行音にはたらけば「おそむ」となる。その「そ」が濁って「おぞむ」、訛って「おじョむ」となるのである。また、形容詞のシク活用となって「オゾマシ・オソロシ」という語も生まれてくる。

 ▲全国方語辞典には、おじョむ=青森県。佐渡島。とある。また別の項には、おそむ=@おそれる。おじける(尾張・富山)Aおどろく。(近畿地方)B目をさます。目がさめる。(九州地方)とある。平凡社の大辞典も大たい同じ。
 国語で「恐怖・驚がく」の意味に用いる語としては、前述の「お」に、サ行系統の音をつけたものと、タ行系統のつけたものと、二つの系統がある。その一 は、「おそる・おそむ」。その二は「おどろく・おどおど・おぢる」がその代表的なものである。また、「おどろく」が「目覚めること」「眠りから覚めるこ と」にも通用したのは、平安時代の国語では、普通のことであった。なお、津軽ことばでは、目が覚めるということを「おどがる」というが、これは、Bの九州 地方の方言と全く同じ意味であり、この北と南の方言に、平安時代の国語の意味がそのまま残っていることは、まことに興味深いものがある。「おどがる」は後 出。



◆その148
 「おしらさま」(1)

 名詞(偶像人称)。別に「おしなさま」ともいう。「な」と「ら」は相通する。(津軽ことばでは特に、魚のクジラをクジナ。山の果実の藤蔓・トウズラをトジナ。馬の手綱・タズナをタジラ・ハジラなどという)
 さて「おしらさま」とは、古来民間人の、信仰の対象となった「カミ様」の本体のこと。その神体は「桑の木」で作った棒で、長さは三・四十センチぐらい。 その上部が瘤(コブ)の形で、それに墨書きか、彫刻かで、人間の顔を作る。それに「センダク」を着せる。(「洗濯・センタク」の転用か)即ち衣裳のこ と。この「センダク」は、下着と上着とあって、下着は白絹。上着も、キンダン(金緞)とか極く上等のものを用いる。下着は、棒に堅く結びつけるように 着せ、上着は無造作にまと(纏)いかける程度にする。これが 「おしらさま」の本体である。男女二体で一組。
 ところで、これを司祭する人は、本来は盲目の巫女(みこ・いたこ)で、祭壇を設け、その前で、上着を除けた「おしらさま」を両手に持って、採物(とりも の)のように、振り方よろしく「口寄せ・神がかり・神遊び」を演ずる。(とりものとは、榊・篠・刀・ホコ・幣などで、神前で手にとりもちて、いろいろのシ グサをするに用いる。これを手にとれば、神の資格となるのだそうで……)筆者のぶらく集落にも、盲目のすぐれた「いたこ」が一人あった。十数年前に亡く なったが、今でもそこの家を「いだこいえ」と呼んでいる。
 なお、津軽各地の「いだこ」たちが、年に一度、中津軽郡久渡寺(丸山応挙の幽霊の絵で名高い)の祭礼に集まることは有名だが、その時は、特に各自のセン ダクに我劣らじと、競って豪華なものを用いた。昭和 二十六年刋行の、民俗学辞典(柳田国男)には、津軽の「おしらさま」のことが、写真入で大々的に紹 介されている。詳しくは、それらを参照されたい。



◆その149
 「おしらさま」(2)

 ▲「おしらさま」の語源はたしかではない。「お」は接頭語、「さま」は接尾語とすれば、「しら」が本元であるらしい。次の参考事項を若干掲げて、大方の教示を仰ぎたい。二ヶ所の……は、前に述べたのと同じ内容だから、省略したしるしである。

@オシラアソビ=標準語。正月十六日、おしら様の祭日に、「いたこ」と称する巫女が……儀式をいう。
Aオシラガミ=標準語。古くは全国的に民間で祀った神の名。何神かは、不動尊説、馬娘神説、盲巫山女説、北方神説、アイヌ神説などあり、何れとも決しがたい。紳体は……。
Bオヒラサマ=方言。男女二体の偶像の神(岩手県)
Cオシラ=方言。蚕(かいこ)のこと。(山梨県)
Dオシラサマ=方言。養蚕(ヨウサン)の神(群馬県多野郡など)
Eオシラサマ=方言。蚕のこと。(埼玉・神奈川・山梨・静岡各県の一地方)
Fキヌガササマ=方言。養蚕の神。(群馬県勢多郡)
Gシャアカミ=方言。養蚕の神。(八丈島)
Hオヒメサン=方言。蚕のこと。(静岡県の一部
Iオシラサマ・オシナサマ=津軽一帯。

 @からHまでは、全国方言辞典・同続編・平凡社大辞典による。前言の如く、「お」と「さま」をとれば、「しら」が問題の焦点となる。あるいは、真理は近 きにありで、「白」が本元かも知れない。白・姫・雛・蚕・絹・養蚕の神・巫女、並びに仏教渡来以前の、神に奉仕せる女、そして「いたこ」等々。そんなとこ ろから、「語源」も、その「いわれ」も導き出すことが出来るのではないか。



◆その150
 「おしらさま」(3)

 ▲序でに、総合日本民俗語の説明と、郷土史辞典(大塚史学会編)の記事とを紹介しておく。

 オシラサマ=農業。信仰。
@東北地方で広く信仰されている家の神。もと、オシラは「蚕」のことであったが東北では、蚕を飼わぬ地方に広く農神として崇められ、神体は、一尺内外の木 竹の棒で、北の方へ行くに従い、その棒に男女の顔が描かれたり、彫られたりしており、その上、オセンタク(着物のこと)と称して、布木綿の類を着せる習わ しがある。イタコという盲の巫女が、この木片を両手に執って、オシラサマの祭文を語る。そのことを、オシラサマを「ホログ」とか、「アソバセル」とか いう。
A関東中部では、「蚕神」のことである。長野県南佐久郡北牧村では、小正月に作る「繭玉」がオヒラサマである。東京付近では、掛軸を神体にするのが普通 で、桑の小枝をもった女人像、または馬鳴菩薩(メミョウボザツ)の馬上の姿を版にしたもので、これを養蚕する家々で、春の半ばに、女だけの講を営んで 祭っているのである。(以上、民俗語い・第一巻二四八頁)
 おしら~=オシラ様・オシラ仏ともいう。東北地方に多い民間信仰の神の一種で、普通は、イタコなどと呼ばれる盲目の巫女の司祭するところとなっている。 神体は男女二体一組、それぞれ一尺ぐらいの木または竹の棒の先端に、男女や馬の顔を彫刻し、あるいは墨で書き、それにオセンタクという布片を幾重にもかぶ せる。桑の木を用いることが多い。
 巫女はその祭日に、おしら神を両手にとり、おしら祭文を語りながら、「アソバセル」といいて、打ち振るのである。いまでは、農神・蚕神とされ、大てい は、村の旧家だけに残されている。福島県のオシンメ様、岩手・山形県のオクナイ様なども、同じものとみられる。しかし、関東の各県および山梨県などのオシ ラ様は、「蚕神」をいい、馬鳴菩薩の絵像を中心に、女たちがオシラ講を営むことが多く、巫女の関与はない。この点はオシンメ様も同様で、もとから巫女の司 祭ではなかったという一例と考えられている。
 いまでも巫女は、祭日だけアソバセルために訪れるのであるが、本来は、家の主婦の管轄下にあったものであろう。神体も今のようになったのは、一つの変 化であって、もとは、御幣や玉串に似たものだったといわれる。つまり、神の憑りたまう「依坐・よりまし」であったのである。
 参考文献=柳田国男「大白神考」昭和二八。日本常民文化研究所「おしらさま図録」昭和一八。
(以上、郷土史辞典・七四頁参照)



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