[連載]

  181 〜 190       ( 鳴海 助一 )


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◆その181
 「かェこ」

 名詞。かェこ。粥(カユ)のこと。「こ」は、津軽の「味噌こ・ダンブリこ」の
「こ」だから、それを省いて単に「かェ」ともいう。

※シネサンド、かェこニデ、カヘデエシタネソレ。
○日に三度、粥を煮て食べさせているんです。そんなに、(からだが)わるいんですよ。

※トッコノオジロ、エモクテかェクテ、ヤヘダモヤヘダ、○○マデヤヘダ。(下劣な馬鹿ばなしの文句)
○独孤の藤二郎、芋食って粥食って、瘠せたたも瘠せた○○まで瘠せた。(韻律・繰返しなどは妙)

 粥は、病人や身体虚弱な人が、ある期間中、または一日に一回だけは粥にするとか……して食べるのだが、凶作の年とか、ま た平年の場合でも、貧困な家庭では、米の粥や芋がゆその他の混食を、余儀なくされることもあろう。常食としては、やはり普通の「めし」よりは、栄養価値も 劣ることであろう。怠け者か何か知らぬが、独孤村の藤二郎なるもの、そのために、グット瘠せてしまって、○○まで、元気がなくなってしまった、というの である。
 この馬鹿ばなしは、津軽唄の「はやし」によく用いられ宴たけなわの折柄など、どっと笑いよどめく。なお、ついでに、津軽では、「唄より噺子」というが、事実「はやし」によって、唄が生きてくるし、酒席に興を添えるなど、効果は極めて大きい。

※お浜(大浜)の永吉ァ、ナマゴで損して、ヨワシで儲けた。あんまりキビァエシテ砂原ハケだけァ、まなぐ(眼)さ砂入って、今様のジャド(座頭・めくら)コ。三味線一つで、クジシゲァ(口糊・生活)ならなェ、テンコ?……。

 これは、津軽でも名高い噺子の一つで、八音・八音の繰返しで、キビキビした調子のよい文句である。この噺子は語る調子も拍子も、かの秋田音頭に似ている。(唄の噺子は、機をみて一括して拳げるつもり。)

「かェ」から、とんだ脇道へそれて恐縮千万。

▲津軽訛りでは「カイ・カエリ・カユ・カユイ・貝・返り・粥・痒い」など、すべての単音の(特別な拗音)のように発音する。「粥」の「かェ」もそれである。出雲地方では、「かいじゃ」というそうだ。


◆その182
 「かェぬしる」

 名詞。かェぬしる。粥の汁。粥に副えて食べる汁。粥汁。汁粥。一般に津軽地方では、現在でも、旧正月十六日と、春の彼岸 の中日には、この「かェぬしる」を食べる風習が残っている。その中身となる材料は、まず豆類を磨り砕いたのに、ワラビ・ゼンマイ・フキ・フキの皮・豆 腐・油揚ゲ・大根・人参など。とにくか、たくさんの精進ものばかりで、七種ぐらいを混ぜ合わせて作る。大きな鍋に、普断よりは大量に煮ておいて、二・三日 も続けて温めなおしては、これを食べるのである。食事の際の「吸い物・おずけ」は、普通「汁」といっていいわけだが、特に「粥の汁・かぇぬしる」というと ころに、伝統的ないわれがあるのであるが、以下少しばかり、その理由を述べてみる。
1. 上古において、支那大陸から渡来して、我が朝廷の風習行事の一つとなったものに、「七種の粥」というのがある。「ナナグサノカユ」と読む。これは、人間の健康・長寿に関係あることで、簡単に言えば米・粟・黍(キビ)・稗(ヒエ)
タケノコ・胡麻(ゴマ)・小豆(アズキ)等の七種を、一緒にして炊いた粥を、正月十五日に、主上を初め、群臣が食べる という慣例である。また、これから変わったと思われるものに、やはり「七草の粥」と呼んで、宮中を初め、一般庶民にまで行われたのである。それは、粥とは 別に、カユに副えて食べる汁としての汁粥であり、中味は、セリ・ナズナ・ヨモギ・タビラコ・ホトケノザ・アシナ・ミミナグサ等の、いわゆる春の 七草である。
2. 以上の粥汁は、毎年正月、即ち新春の初めに、これを用いることによって、万病(よろずのやまい)を防ぎ払うという意 味があったらしい。どちらも、五穀又は、春の若菜の類が主となっているのに注意したい。特に後者は、冬期間はとかく野菜に乏しいので、春先の若草の芽は、 上代とても同じこと、極めて珍重がられたにちがいない。また、米に混ぜて、あるいは、米カユの菜に数種の野菜類を混合して用いることも、科学的にも一応納 得できることである。(栄養という点においても)
3. 次に、「カユ」の語源と意味について。「カユ」は漢字の「粥・カユ」その他に当たるが、国語の語源としては「食湯カ ユ・炊き湯」であろうというのが、語源学者の通説である。「炊き湯」も、音韻転化の法則から、「カユ」となる。筆者は今、「食湯」の意味に賛成したい。さ てその「カユ」が、現在の普通の「めし」に当たり、別に、蒸して食べるのを、「堅カユ」といった。和名抄(千年前)にも、「加太加由・之留加由」とある。 つまり、鍋に米と大量の水と一緒にして、軟かく煮たのが「シルカユ」である。現代では、蒸したのが「コワメシ・オコワ」、鍋・釜で炊いたのが、普通の「メ シ」、「カユ」は特に軟かく炊いたものに限っていう。
4. さて「かェぬしる」は、極めて古い伝統を有する慣習であるが、旧正といっても、北国では冬のさ中だから平安時代の大 宮人たちが、春の雪間から芽を出したばかりの、若菜を摘んで、作ったであろうところの「七草カユ」とはちがうのも無理がないが、乾菜類や、土に埋めたのを 掘り出してきて、正月にこれを用いる、ということは、たしかに古代の名残りであろうと思う。




◆その183
 「かェり・けェり」

 名詞。かェり。西洋風の靴のこと。
 ※センセサマ(ヘンヘサマ)、キナ、オラェノワラシァ、ガッコネエデ、ケヤェリヌシマエダテ、エサ、ハダシネナテキシタネ。ナントガシテ、シラベデケヘジャ・・・・・・。
 ○先生、きのううちの子どもがねェ。学校で、クツを盗まれたといって、ハダシでうちへ帰ってきましたよ
 これは、珍らしい方言であるが、語源とか、類似語とかについては、長いこと研究しかねている。
 古語辞典、方言辞典、大辞典、または歴代古典のどれにも見当らないあるいは、アイヌ語ででもあろうか。アイヌ語だとすれば、古代から似た言い方でもありそうなものだが、どうもないらしい。
 木製・綿・絹製・藁製などの履物は、「かェり」とは言わないところをみると、やはりせいぜい近世中期以後のものではなかろうか。
 古代からのものとすれば、あるいは「蹴り」が、その本体であろうか。参考までに我が国古来の履物の名称を少々挙げてみよう。

1 「クツ」がその代表的なもの。漢字の沓・靴を当てる。革製も古代からあり、深靴・浅靴・半靴(ハンクワーハウグワーほうが)藁沓・鞋(ワラグツーワラウヅーワランヂーわらじ)
2 下沓(シタグツーシタウヅーしとうず)。これは今の足袋(タビ)に当たり、その語源は「旅」である。(旅沓の略)。「たび」は、皮・綿、絹等で作り、もとは旅行用(外出)のものであり、後世室内でも用いるようになった。
3 木履(ボクリ)木ゲキは、下駄・足駄の類。「ぞうり」は「草履」。枯草や藁で作ったもの。「雪駄」は、もとは雪路用のもの。
 裏に板や鉄を張りつけた。以下省略。
▲「かェり・けェり」は、要するに、アイヌ語か。「蹴り」からきたものか、浅学の筆者には不詳。田舎では今でも、「田さ、かェりはいで行ぐ」「ゴムがェり」「深がェり」などという……。




◆その184
 「がェり」

 接尾語(数詞の一部)。
がェり。「が」は普通の濁音。意味は、一度・二度、一遍・二遍、一回・二回等の「度・遍・回」に当たる。「帰り・還り、返り」の「カエリ」の訛りとみる。ある動作が、一回終われば「フトガェリ」、一往復すれば「フトがェり」一廻わりすれば「フトがぇり」である。
※オヤマサ、タッタふとがェり、エッタバエダ。
○岩木山に、たった一度、登っただけです。(お山参詣に行ったこと。)
※なんぼがエリモ、サェソグサエダバテ、ヤれナエ。
○何回も督促を受けたけれども、納められません。
※田トグェシテ、よッがェりアサゲバ、フルマネナル
○田が遠くて、四回往復すれば、お昼になります。
これは、秋の稲運びなどの場合で、遠くの水田を耕作している家では、秋の一日は、特に貴重な一日である。日が短かいのに、 雨が多い年などはなおさらのこと。朝めし前に「ふとがェり」運ぶといっても、なか容易なことではない。四往復といば、人一人の背で運ぶ場合は、男の人でも 一度に四マルか五マルだから、せいぜい二十マルかそこらである。一反歩で百二・三十マル(一マル十五把として)ぐらいだとしても、一人では一週間もかかる 勘定になる。その間、かならず雨が降る。
現今は農道が発達し、諸種の車が容易に(共同購入などでも)使えるようになったから、取り入れ時の苦労も昔日の比ではあるまい。
※アノフトァ、ふとがェりヨメネナタェダゾオン。
○あの女は、一度、結婚したことがあるんだとよ。



◆その185
 「かェりむこ」


 名詞。かェりもご。「帰り婿」のこと。
 嫁に迎えようとする娘の家へ、一度婿入りのようにして縁づいて、一年なり三年なり経てから、再びその妻と一緒に、男の実家に来て、そこで一生を過ごす、というような場合、「かェりもご」という。
「もご」は「むこ」の訛り。民族学研究所編、総合日本民族語い、第一巻三二〇頁(本書は、昭和三十年六月、平凡社発行のもの。以下「民族語い」と略していう。昭和二十七年発行の民族学辞典とはちがう)に、次の如く述べてある。
……青森県津軽地方における一種の労働婚の婿。秋田県鹿角郡では、嫁にもらおうという女の家へ、しばらく入婿になって働い ているのをケァリムコという。……青森県上北郡野辺地町付近では、これは、長女を別家させる場合などに行われる、……娘をくれる条件として、しばらぐ婿を 働かせる習慣があったのであろう。去々。
なお、津軽では、最初から婿にくれてやるつもりで縁づいたのでも、その後、種々の都合によって、こちらの家の相続をしてもらうために、夫婦とも引き取るという場合もあるようだ。




◆その186
「かェし」

 接尾語(数詞の一部)「返し」が元の意味帯をしめるのに、一まわりを「ふとかェし」といい、二まわりを「ふたかェし」という。
※フトジカェド、なんぼかエシモアサエタデァ。
○同じ街道を、何回も歩いたよ。
※かェし?、サベテヤタナテ、ワシエダジァネ。
○かえす?(くれ?も)言ってゃったんだけれども、忘れてきたそうだよ。

この「かェし?」は、副詞であるが、これらとも関係があるとみたので例示することにした。



◆その187
 「かェり・かェりこ」

 名詞。かェリ。かェりこ。意味は、@買いものをした場合などの釣り銭のこと。A余分。予定よりも超過した分。
※タバゴ三ッカテコエ。かェりこナネケルァネ。
○たばこ三つ買ってきてくれ、お釣はお前にあげるよ。
※タノムシサエタキヤ、ウッテノンデ、オマゲネ、かェりタナェデキタデァ。
○頼母子講へ行ったら、このたびは、うんと飲んだ上に、「返り」までもらってきましたよ。
右の頼母子講の「かえり」が、そもそも津軽に残った「かぇりこ(釣り銭の意味)」という語の本元であろう。田舎の頼母子講については、今詳しく述べる暇もないがその起源は、文献に見えた範囲内でも、遠く鎌倉時代(八〇〇年前)にさかのぼるという。
その目的は@貧困者救済。A相互扶助。@は貧困者又は、火事で家を焼いた者、不幸続きの者などが、その講親「宿主、たて 元」となって、一回目は講中から集った掛金をそっくりもらう無利子無担保で、二回目から毎回返していく。二回目からは「セリ」によって落札者をきめる。十 円掛金の場合五十人だと五百円になる勘定だが、どうしても入用の人は四百五十円とか、三十円とかの札を入れる。最低に落ちるのである。落札者は、次回から 十円なら十円払うから、三・四十回ごろになると、まだ落としていない連中は、一円か、五十銭で間に合うようになる。終り近くなると、入札者の金額より集ま る金が多い場合もあるからそれこそ「かェりたなェで」(かえり銭を持って)くることにもなるのである。
(タノムシについては「た」の部で詳しく)
※ワェンタモンサダキヤ、エシテ?、アマッテ、かェりァエグデァ。(衣服・道具・嫁・婿など)
○わたしのようなものには、好くて好くて身分に過ぎております。(たくさんで・結構で・不似合いなくらいで)。
「かぇりァエグ」は、標準語の言い方では、適訳が見当らない。「おつりがいくよ」の意味なのだが……。品物を買う場合、 相当した値段以上のお金を出せば、余計な分だけ「返って」くる。身分不相応(不釣合い)な場合も、その、何程かの「差」が、つまり「返り」「お釣り」であ る。
さて、津軽の「かぇり・かぇりこ」と、標準語でいう「おつり・釣銭」とを、比較してみるとき、そのいずれが、伝統的に、ま たは民族的に「妥当な語」であるか、容易に諒解できると思う。「釣り」は「ツル・ツルス・ツラ(蔓・連)吊」などの「ツリ」であり、第一期的語源は、「手 ル・取ル」に関係があるのであるが、一応の理由は成り立つとしても、「釣銭」と転用するに至った経過については、筆者は納得いたしかねる。しかし、いまさ ら方言復活などという考えは、もちろんあるわけもないのだから。




◆その188
 「かェんた」

 助動詞(比況)。かェんた。これは、津軽方言の中でも特殊な言い方の一つである。形容動詞(静かな・静かだ・あざやか な・あざやかだ等)に似ているが、独立性がないから、やはり助動詞とみる。その意味は、いわゆる、「比況」様子を表わす場合の「何々のような・何々のよう だ」の「ような・ようだ」に当たるここに独立性というのは、文法上、自立語、即ち「文節」を作ることが出来る語のことである。例えば形容動詞の「静かだ」 という語は、「静かな―部屋」「波が―静かだ」のように、他の語に附属しなくても、単独で「一つの文節(ひとくぎりの言葉)をなしているから、自立語であ るが、「ようだ」という比況の助動詞は、「ような―女房」「眼は―ようだ」といっても、さっぱり意味がわからない。ところが、これを他の自立語の下につけ て「仏のような―女房」「眼は―皿のようだ」とすると、意味がよく分ってくる。このように他の自立語にくっついてだけ、その役目を果たすことができる語 を、自立語に対して、付属語というのである。付属語としては文法上十品詞の中、助動詞と助詞だけ。他の八品詞は、皆自立語。
つまり、名詞(代名詞)・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞は、皆自立語だというわけ。
「かェんた」は、その付属語で、助動詞であり、意味は「比況」。「比況」とは、二つのものを比べていう、あるいは、あるものを、他のあるもに譬えていうことである。方言の例を挙げる。
※オドァマナグ、オヤノモジエネ、ヌシダジギノ、マナグダかェんたナ。
○お父さんのマナコ、本家の餅稲を盗んだ時のマナコのようだよ。
これは、有名な「ワラシァ、サガシバ、牛ァ売レナエ」という「ことわざ」の、あの「子ども」の言。
※シテンァ、オジダデァ……。ン、げァェんだエデァワドフタリシテ、タツクテレバ、エジバンエヤ……。
○試験が落ちたそうだよ……。(妻)あァ、却っていいサ。わたしと二人で、田作りしていれば、いちばんいいよ……。
これは、子どもの進学試験が失敗したときの両親の会話。夫は月給取り。
※エユコダ?。マルデゴグラグダかェんたナ。
○ああいいお湯だ……。まるで極楽のようだね。
※モゴガラキタエジァ、オラェノカカダかぇんたナ。
○向こうから来たのは、うちの女房らしいね。
※トナニノアニダかぇんな、エエフトネナレデァ。
○隣りの兄さんのように、善い人になってくれ。
「かぇんた」は、以上のような用法で、日常の会話の中に、おそらく、津軽人の八・九割までも、これを用いていると思われる。こんなのは、たとい国の法律で使用禁止したとて、三十年や五十年では、その撲滅はできまいと思うが……、詭弁だろうか……。




◆その189
 「がェんだ」

 副詞。がェんだ。この語には「どうも」と「却って」と、二様の意味がある。
これも特殊な言い方だが、使用範囲は狭く、老人達が、集落内で、あるいは家庭内で、ごくうちとけて話し合う場合に用いるようだ。
※がェんだアジマシグナエテンキダデァ。
○どうも気になる(降って来そうな)天気だねェ。
※がェんだ、ハラアバエエグナェドモタキヤ、ヨベラキノゴジルヤダラネクタオンナ。
○どうも腹工合が変だと思ったら、ゆうべ、茸汁を食べすぎましたォねェ。(ヤタラニ食べたォねェ)
※アスエンソグァ中止ダド。オオ、がェんだエデァ。
○明日の遠足中止だとよ。ああそう、じゃ、却って好都合だよ。
▲「がェんだ」の語源について。これは、「え」の部で取りあげた「えげェんだ」と関係があるらしい。この語の正体は、「如 何様な」である。だから、この「がェんだ」は、「えがぇんだ」の「え」が略されて、さらに意味も、連体詞から、副詞に変わったものであると考えたい。それ は「如何」という疑問の意味が、どの言い方にも、多かれ少かれ含まれている、という一事だけでも、理由になれると思う。
次に前項の「かェんた」も、語源ははっきりしないがどうも「如何様」あたりに、手掛りがありそうだ。ただし、今はなんとも 述べかねる。なおまた「かェんた」は如何なる場合にも、上に「だ」がついて「……だかェんた」となるから、あるいは、この形が本物で、したがって、「だ」 の部に入れるべきであるかも知れないが、これも今は断言しかねる。



◆その190

 「かおのげ」


 名詞。かおのげ。これは、文字の面では「顔の毛」だが、方言では、「眉毛」の意味である。普通「カミソリ」を当てる場合の「顔の毛」は、方言では「ツラノ毛」という。
※かおのげァオガテミタエグナエ、シッテコェデァ。
○眉毛が伸びて(広く)みっともないよ。そってきなさい。
▲「顔・カホ」の語源は、万葉集に「加保」とあり、形秀・気表・薫(カホ・カホ・カホ)であり、その本元は、「氣」であ る。「香・カホリ」の「カ」も、「気」かぐわしい(カグハシ)の「カ」も、「カビ」の「カ」も、みな「気」である。「顔」の場合は、人の気性・気質・気 心・気持ち等、皆、顔面に表われる、つまり、顔はその「人」の代表であるところから、名づけたものである。哲学上の理気の「気」、天文気象の「気」勇気の 「気」等、みな根本は同じ。
次に「毛」の語源についてこの「ケ」も「木」と同じく、根本は「氣」であるらしい。「カ・キ・ク・ケ・コ」の五音を含む国 語の中で、以上例示した語は、皆一連の同族語である。太古における、いわゆる第一期的原生語はその生成に際して、決して、深遠なる学術や、卓絶した科学の 力を必要としたものではなかった、ということは断言できると思う。太古において、かかる学理も科学もあるわけでもないからである。しかしながら、決っして 古代人の気まぐれからできたものと思われない。そこには厳粛にして神秘的なものさえ感じられるのである。「顔・毛・木」、その出所は同じものなりという。 不思議とも、また当然とも……。姉妹語、同族語等々、なるほど言葉は生きているものか。




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