[連載]

   11 〜 20       ( 鳴海 助一 )


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◆その11
 「あッぱ」

 名詞(人称)。あッぱ。農村の母親の呼び名として、津軽人には最もなつかしい名前である。「あぱ」が普通多く用いられる。

※あぱサカダテ、マチサエグ。
○おかあさんに連れられて、まち(弘前・黒石など)へ行く。母と一緒に町へ行く。
これは、田舎の農家の子どもらにとっては、一番うれしいことであろう。

※あぱサダガサテネル。あぱガラ、ジェンコモラル。
○おかあさんと一緒にネンネする。おかあさんからお金をもらう。
さて、子どもが自分の母を呼ぶことから、父もそう呼び他人も呼び、また転じて「妻・嫁」の意味にもなった。

※あッぱナェバ、フンジュダ……。
○かかァがなければ、不自由だ……。
これは、お山参詣の帰りの踊り(行進しながら)の囃し文句の一節である。つまり、あの「バタラバタラ」の文句である。

※アギァ、あぱドフタリ、トンジネエグァ。
○収穫が終わった秋には、女房と二人で、湯治に行こう。

※モゴロ、あぱモラテ、エタデデケルァ。
○来年妻をもらって、家を建ててくれよう。

 津軽のことわざに「あッぱよりわッぱ」というのがある。「わッぱ」は、現代の弁当箱にあたる。曲げ製のものであった。その「わッぱ」と語呂が似ているから、並べておもしろく言ったもの。色気よりも食い気が大事だ、というわけ。「花より団子」とも似た言い方だ。

△「あぱ」の語源について。種々の方面から考察されるようであるが、現在私のたどりついた結果のうち一説だけを要約して述べてみることにする。
 まず「あ」は、漢字音の「ア」からきたものとみる。これに相当する文字は「阿」であり、数種の意味があるが、そのうち「よる・たよる」と、人を呼ぶとき に、その語の上に冠して用いる、という二つの意味を基礎にして考えてみる。阿呆(教育する人)。阿父(父の親称)。阿爺・阿耶(あや・父のこと)。阿母 (ははのこと)。阿兄(あに)。阿妹(あね)。阿娑(あば・祖母)のこと。

 次に「ぱ」は「は」であって、「はは・母」の「は」と同じ。今のH音は、上代にはF音であり、太古ではP音であったことは断言できるが、今はそのことに は触れない。ところでその「は」は「はし・愛し」の意味で、「あいらしい・かわいい・したわしい」の内容をもつ音である。初めは小児が、この「は」を重ね て「はは」として、自分の親をしたしんで呼んだのだが、後には一般に用いられるようになった。威力のあるもの・霊力のあるものを「ち」といい、重ねて「ち ち・父」の意となったのと同じ。前の「あ」と、この「は」とで「あは」、そして津軽の「あぱ・あッぱ」となった。と結論づけておく。他の説については、今 はクドクなるので省略する。

 なお、津軽の「あぱ」に類する方言は、全国に亘っており、その数は百種以上に及ぶ(全国方言辞典等)国民の大多数が用いないから方言と卑しめられ、遂に はこの世から忘れられてしまう運命にあるが、実はこの「あぱ」は、きわめて由緒の正しい言葉であったのである。あや・ちち(父)・てて(父)・あば(老 母・祖母)等もみな然り。



◆その12
 「あッぺろ」

 名詞(サ変動詞とも)。あッぺろ。これは幼児語で、顔を洗う時のギ声語である。

※サァ、ハヤグあッぺろシテ、ママクヘ。
○さぁ、早く顔を洗って、ごはんを食べなさいね。

 筆者幼年の頃母から聞かされた「猿かに」のムガシコの中に、「アグコツケデモ、あッぺろかッぺろシテケバ、マェネ。ワンツカデモカヘナガ ヤェー」というところがあった。蟹が丹精のもち米で「餅」を作ってたべているところへ、怠け者の猿がやって来て、怠けた手前もあって、日頃の元気はどこえ やら、蟹に手を合せて「もち」をねだる場面である。「灰がついても何がついても、洗って食べればうまいから、どうか少しでいいからくださいな」というので ある。別の人からは、「ハナコツケデモ、ヨダリコツケデモ……」と聞いたこともある。なお津軽の田舎では、いやがる幼児の顔を一回手拭いでふくたび に、「あッぺろー」とはやしたりなどして、子どものきげんをなおすのである。



◆その13
 「あなこさへらえる」

 連語。あなこさへらえる。仕事におくれること。田植えの場合に、昔は苗を植える女達が、一枚の田に並んで入る時、一番腕ききが、畦のすぐ近くに入って先 導する。つまり腕のよいものから順々に内側に入って行くのである。そして、田の中心部で植え終る。その時、下手で遅い人は、みなに追いつかれて自分が植え て行く「ハガ」を失ってしまう。そんな時に「あなこさへらえだ」という。つまり「穴に入れられた」という意味。将棋の「雪隠詰め」に似た言い方である。 長野県の方言では、津軽と同じ意味で、「あなに置かれる」と言うそうである。津軽ことばはどうも下品だ。「入れる」と「ヘル」という。

 「ハガ」というのは、この場合は、一人四株の広さのこと。両脚の間が二株、右左が一株ずつ、現在ではほとんど型をころがすか、縄張りだから廻って植え ることはない。また、昔は後じさりに植えたが今は前に向かって進んで行く。昔は、曲がり角のところで特別に技術を要したから、初歩の若い嫁さんなどは、何 よりも、この田植えで追いまくられるのが辛かったらしい。しかも口さがない大ぜいの農婦達の中でのことだから。「あなこさへらえる」。この言葉も、いずれ はこの世から消え去って行ってしまう運命にある。



◆その14
 「あばかがり」

 名詞(サ変とも)。あばかがり。他人にうるさく言い寄る。から元気、虚勢を張って他人にからみつく等の意味。すべて、力とか技術(わざ)とか劣っていな がら、向こう見ずに、相手をからかって掛かって行く、というような場合によく用いられる。子供が年上の者に、半分は冗談のようにして喧嘩をふっかける時な ども。全国方言辞典には、意味は大たい同じで、岩手県平泉となっているが、津軽にもある。「あば」と標準語との関係は、いかんながら判断しかねる。「威張 る・あばれる」に関係があるか。

※ナンネモナネジ、あばかがりシテ、ナガヘラエダベ。
○なんにもならないのに、年上の者と喧嘩なんかしてとうとう泣かされたろう。(初めっから負けるに決まってるのに、つけあがって……)

※ササドモドテレバエジ、ミンナサあばかがりシテシマェノバジ、ウッテタダガェダジァネ。(宴会などで)
○さっさと早めに帰っておればよかったのに、酔ったまかせに、誰彼の差別なく虚勢張って(難くせ・悪口・空いばり)しまいには、皆に、うんとなぐられたそうだ。

 これもなかなか標準語には訳しがたいことばである。



◆その15
 「あばぐじ」

 名詞。あばくじ。わるぐち(悪口)。大言。悪まれ口。既出の「あっこもっこ」と、やや似ている。語源は、前の「あば」と恐らく同じものだと思われる。全 国方言辞典には、この語の意味として、@口の大きいこと。わにぐち。(仙台)A大言。豪語。(宮城県登米郡)Bにくまれぐち。悪口。(岩手県九戸郡)と あって青森県とも津軽とも記していない。しかし幸か不幸か、津軽にもちゃんとある。津軽の方言としては、右のAとBの意味をかねている。

※アマリあばぐじキケバ、アドカラシドェメニアウド。
○あんまりいい気になって、悪まれぐちをたたくと、あとで酷い目にあうゼ。(相手の感情を激発させる)

※コナシャマ、オヤサあばぐじキデ。
○まあこの子は、親に口答えして。(親を馬鹿にして)



◆その16
 「あばェけァなェ」

 連語(慣用句)。あばェけァなェ。味気が無い。あっけない。素気無い。物足りない。愛嬌がない等の意味。

※メタネあばェけァなェナ。ダシァアマェデナェガコレァ……。
○どうも、あまったるいですね。ダシ(つゆ)がアマイ(塩分が足りない)ンしゃないかね、こいつは……。

※アノフトァ、エジエギアテモ、あばェけァなェナア。
○あの人は、いつ会っても素気ないね。(冷淡・つれない・お世辞がない)

※アコノトババノオガ、あば、けァなェオナゴダデァ。
○あそこの、床屋のおかみさん、愛嬌のない女だね。

 その他、用法の範囲は広い。

△語源は、あんばい(塩梅)と、「気」と「無い」とが連語となり、それが習慣になって、いわゆる「慣用句」となったものとみる。「塩」は「エン・アン」の 音がある。その「アン」と、「梅」の「バイ」と、つまり、漢字の字音がそのまま国語化し、食べ物のあんばい・身体工合のあんばい・物事の調子・なり行き 等のあんばいなどの意味に広がっていくのである。

 結局語源は「塩梅」であり、つまり「しお」と「うめ」塩は「から味」梅は今の食酢の代用であったにちがいない。



◆その17
 「ええあんばェ」

 連語。ええあんばェ。これは「好い塩梅」で、やはり広く用いられるが、方言では、卑罵・皮肉の意味にも使われる。「そうれ見ろ・いいざまだ・ざま見やがれ」といったような、標準語の言い方にあたる。

※チョネン、りんごでエエあんばェシタオン。
○去年、林檎でもうかったよ。(大当たりしたよ)

※ええあんばエ、アダマクゎェデシマレバエジ。
○いい気味だ。頭がこわれてしまえばいいのに。

 上記は、わんぱくな子供が、何かねだりものでもするときなど、遊びにも出ないで、家の中で、わるふざけをしている際に、なにかの拍子に、ゴツンと柱に でもぶっつかって泣き出した場合、あきれていた母などが、自分の子に対しても、そんな風に叫びつける。「ええばじ(罰)・ええあんばェ」などと。



◆その18
 「ええあんばェ がにあんばェ」

 連語又は慣用句的な成語。ええあんばェがにあんばェ。「もっともうまいものは蟹の味だ」というのが初めの意味で、転じて逆に、前回のように、皮肉や罵倒する場合に用いる。
 「ええあんばェがにあんばェ」と、語呂と調子と繰返しとが、うまく出来ているから、悪くはやすのにはもってこいである。
 もちろん聞きよい言い方ではない。



◆その19
 「あべ」

 動詞性の連語。この「あべ」は、アクセントも、意味も、標準語訳も、極めて複雑であって、津軽ことばの中でも、特殊なものの一つである。
 まずアクセントは「あべ」と「べ」を高くするのだが、この高さには、二種あって、上の高さの方は標準語の「行け」の高さぐらい。も一つは、中の高さ(あるいは強さ)で、標準語の「サア行こう」の「こう」ぐらい。
 意味は、前の「あべ」は、「サア行きましょう・一緒に行きませんか」という程度の意味であり、相手を比較的軽くやさしく誘うとか、勧めるとかの場合に用いられる。
 も一つの「あべ」は、それよりかなり強い言い方で、「是非行こう・行かなければならない・当然行くべきだ」というような場合。
 つまり、アクセントによって、この二種の「あべ」は、ややはっきり区別されて用いられるのであるが、これは注意すべきことだと思う。

※ガッコサあべ。アシビネあべ。湯コサあべ。
○学校へ行きましょう。遊びに出ませんか。お湯へ行きましょうよ。

※コレァエグナェワラシダ。サァ警察サあべ。
○これァずるい子だ。さァ警察へ一緒に来い。

※サァ遠慮サナェデ、ミナあべあべ。
○さあ遠慮しないで、みんな行こう行こう。

 上のように、標準語に訳すには、どうも適当な言い方がないようだ。「あべ」は、一緒に行くことを、勧める・誘う・命令する・当然だというような、微妙な意味をもっているからであろう。

△語源について簡単に述べてみる。本家本元は、「歩く」と「べし」と二つらしい。「あるく」の方は、「アサグ・アグ・アガナェ」などの方言があるよ うに、結局は、昔の足(ア)が語源である。「べし」は、いうまでもなく、国語の品詞の一種「助動詞」である。この「べし」は、種々の意味を持つ語であっ て、それが東北地方の「ベェ言葉」の本尊でもあるのであるが、詳しくは「へ」の部で。

 標準語法の例をあげると
イ、人は礼儀を正しくすべし。
ロ、午前十時までに出頭すべし。
ハ、時機到来、まさに奮起すべき秋(とき)なり。
 この「べし」と「あるく」と結合すると、「あるくべし」となる。
 これが、あるくべし=あるくべい=あぐベエ=あべ と変化したものだと断言したい。本元が「足」と「べし」とだから「歩きましょう・歩くべきだ・行こ う・歩け・行け・来い」等の広い意味に用いられるのも当然である、なお津軽方言では、「かならず相手を、自分と一緒に行かせる」時だけに用いるのであっ て、そこが、この「あべ」の不思議な特徴である。



◆その20
 「あぺ・あっぺ」

 名詞(形容動詞とも)。「あぺ、あっぺ」と、「あ」を高く発音する。意味は、「あべこべ・くいちがう・うらうえ・反対・むじゅん(矛盾)」等。

※ナノシゴドァあっぺデマナェネ。
○お前のする仕事は、アベコベで駄目だよ。
(仕事の段取りや順序が、下手だとか反対だとか)

※ソレダバ、ハナシァあっぺデヘンナ。
○それでは、約束が違うんじゃありませんか。

※コレァあっペダ。
○ネジブタが合わない場合などもそういうようである。

※けェりあっぺネハイデラ。
○ゴムの長靴など、左右取りちがえてはいていること。

 なおはき物などの場合は、別に「とちがェばちがェ」という言葉もある。(後出)

△語源は「あべこべ」であり、そのまた本元は、「彼方・此方」である。「方・戸・部・辺」などの漢字を、国語で読むと、「へ・べ・ぺ」等になる。助詞の 「へ」は、この「方」であり、ユクエ(行方)マエ(前・目方)の「ヘ・エ」によっても分かる。そこで「彼方・此方」は「あべこべ」の語源ということにな る。その「こべ」が略されて、「あべ」となり「あぺ・あっぺ」と訛ったものだと私は考えたいのである。さらに、昔は「あぺこぺ」であったとも、アイヌ語 や、太古のP音と関係があるとも思われるけれども、今は触れないでおく。



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