[連載] | |
211 〜 220 ( 鳴海 助一 ) |
前へ 次へ |
その211 「かげご」 名詞。かげご。 漢字の「掛子・掛籠・懸籠にあたり、意味は、主として魚を入れる籠(カゴ)ビク(魚籠)のこと。 特に方言では、腰にさげる「ビク」を「かけご」というようである。 縄や竹などで作った「かご」の類を、太古の時代から「こ」といった。 籠む(こむ)という動詞の語根である。 「かご」の第一期的語根は、「こ」であるが、これから派生した語は、実に多種多様である。 まず、「掻き・構き(カキ)、あるいはカキと結合して、「掻き籠・かき籠」となり、それが略音によって「かご」となった、というのが一般の説である。 手に掲げるのか「手かご」。 鳥を入れれは「鳥かご」。 伏せて使えば「伏せかご」。 屑ものを容れれば「屑かご」等々。 また方言に「ネゴ」というのがあるが、「荷ない籠」の略語・訛語である。 その他、笥・箱(ハコ)・かわらけ等にも関係があるし、さらに、フゴ・モッコ等とも皆、同族語として関係がある。 なおまた、人を乗せる「駕」、石や土などを掻める「ジャカゴ」等々、極めて範囲が広い。 前の「びく」にしても、まず大小のちがい形状の相違、材料の相違(竹、糸、草、木皮)等によって呼び名も様々ある。 また、地方によってもいろ?の呼び名がある。津軽地方で「かげご」と呼ぶのは、それらのうち一つ、つまり前途のように、竹で編んだ「びく」であるが、その広いびくの口から、糸の網を袋状に長く続けたのなどは、「かけご」というには、ふさわしくない。 やはり、大きな網などを持った「ザッコ捕り」が、腰にさげて行くあの「びく」がもっとも、「かけご」の名にふさわしいようだ。 各県の方言その他、詳細省略。 その212 「かげじョ」 名詞。かげじョ。 これは、田舎で用いる簡単な「衣類掛け」のこと。 カゲザオ(掛竿)―カケジャオ―カケジョオ―カゲジョと訛ったもの。 戸口の戸袋や、納屋の壁・板や、台所の中へなど三尺―六尺ぐらいの「竹・竿」を横に吊して作業着や、荷縄、ワラジ、雪ぐつなどを、無雑作にかけておく。 ※かげじョガラ、ワラジエッソグハジシテケヘ。 ○かけざおから、わらじ一足、外して取ってくれ。 ※ビダビダド、シタサナゲデオガナェデ、クビマギデモ、サンジャグデモ、ガゲジョサ、チャンチャドカガゲデオゲ。 ソサナェバ、アサマネ、モノァネナェテサワグァ。 ○ゴジャゴジャと、ただ床(ユカ)の上に(たたみ・むしろ・板敷)投げ捨てておかないで、襟巻きでも、帯でもなんでも、チャンと(キチン〜と)、掛け竿に掛けておきなさい。 そうしなければ(でないと)朝、学校へ行く時に(仕事に出かけるときに)、それがみえないの、これがないのといってさわぐからねェ。 その213 「かげもそろ(もしろ)」 名詞。かげもそろ。 これは「掛げむしろ」のことで、戸・障子の代用である。 現在では、人の住む住宅(馬小屋・木小屋・納屋等でなく)では、見られなくなったが、昔は、中以下の家では、普通に用いられた。 お盆や、正月には新しいのに替えた。年中「むつろおり」をしていながら年に二回の新調さえ出来ないような家もあった。筆者の家なども……。 津軽の農家の副業として、昔、重要なものは、この「むしろ」織りであるが、叺(カマス)用やコンポウ(包装用)のむしろは、普通「もしろ」といって、仲買いに売るもの。 その外に、「敷きむしろ」(畳の代用)と、この「掛けむしろ」などがある。 自家用のものは、金にはならないから、なかなか大儀であるというわけ。 「かげもしろ」は、大てい、戸口の板戸の内側に一枚、台所への入口に一枚、納屋(ニラ)の入口に二枚。 一間(一ケン)だから。戸口のは、日中は板戸は明けっ放しにして、その「むしろ」だけで、内外の障子代りにする今のカーテンの役目。 (冬季間は別) ※かげもそろァ、バホラデバ、ウンジャラテシ。 ○かげむしろ(戸口の戸)が、バホラデバ(鳴れば)うんざりするよ。 (借金取りが来たのかと……) 津軽の成句に、「かげもそろそだじ」(掛けむしろ育ち)というのがあるが、これは、貧乏者の代名詞であり、戸を明(開)けても、あとを閉めない人の卑罵の語ともなる。 「かけむしろ」は、開け立てが要らないから、長い習慣から、そうなるのである。 「尻ぬぐわず」というのも意味は同じ。 その214 「かげのはな」(1) 名詞。かげのはな。 「げ」は、普通の濁音。 これは、囲炉裏(イロリ)の上に吊して、鍋や釜を掛けるに用いる「自在鈎・ジザイカギ」のこと。 その構造(仕かけ)の原理は同じでも、材料や形は、いろいろちがうのがあるようだ。 田舎の、最も原始的なものは、 1.そらかぎ。 2.こばしり。 3.かぎのはな。 4.かぎのお・つる・なわの四つから出来ていて、その1は、炉の一番上に吊した「シダラ」(三尺に四尺ぐらいの木ワクの中に、縦に三本の木を渡して組み合わせたもの。そのまん中の一本の中程に、この「そらかぎ」を吊す。)に下げる。 大ていは、樹木の枝のかぎ形をした手頃のものを用いる。つまり生の丸木である。 これに「かぎのお」を二重になるように掛ける。 片方の端には3の、鉄製のかぎを結いつける。 これに、鍋や釜の「つる」をかける。 片方の端は、他方の中程ぐらいの長さにして、その端に、2の「こばしり」あるいは「こざる」と称する木片(厚さ一寸、広さ三寸、長さ八寸ぐらい)をとりつける。 この木片は、両端に円い穴をあけて、4の「かけのお」を通すようにできているから、鍋の大小、火の遠い近いによって、上下させるに都合がよい。 一本つるしたのではそれがうまくいかないが、二重になっているから、「こばしり」の加減で、自由にできる。 そこで、「自在かぎ」の称があるのだろう。 (このあたり、特に説明がまずい。図解できれば、簡単なのだが……。) とにかく、それを津軽では総称して「かげのはな」というようだ。 1.2.3.4の名称は、全国方言辞典に引用された「荘内カギノハナの図」によっだもので、津軽では、その四つの部分の名称は、聞いたことがない。 また、鯉、鯛ののもある。 そして名称も「こいぐち」などというようだ。 その215 「かげのはな」(2) ▲自在かぎを「かげのはな」「かぎのはな」という地方は、辞典では青森・秋田仙北郡・山形荘内郡とだけになっている。 方言としての他の名称を少しくあげておきたい。 1.おあんさま=千葉県夷隅。郡 2.おかま=神奈川県津久井郡。 3.おかまさま=東京都西多摩都桧原。 4.かぎ=和歌山県日高郡。 5.かぎさま=新潟。 6.かぎじョ=岩手県九戸郡。 7.がッたり=福井県。 8.こざるかぎ=岐阜県加茂郡黒川。 以下省略。 ついでに一言、それは、筆者幼年の頃、祖母がよく言った言葉に、「カゲノハナサ、タモズガレバ、バジァアダル」(自在かぎの縄に手をかけて、いじったり、引っ張ったりすれば、神さまの罰があたる)ということである。 理由を聞くと、「鍋釜が掛っている時は、かげのはなは、大へん苦しい。それでかげのはなは、用のない時は、休ませてくれ、というそうだ。 だから、休ませるもんだよ。それをきかなければ、罰が当って、やけどしたりするんだよ。」 という意味のことを言い聞かせられた。 古代から、「火」が神聖視されたことは、世界どの国の古典にも記してある。 囲炉裏もその通り。 前掲の「おあんさま・あかまさま・かぎさま」の「さまも決して故なしとは言われまい。 祖母の言い分は、たしかに、それらとも関係があるらしく、また、炉辺で子供等が、「かぎのはな」にさがったり、引っ張り合ったりしているうちに、やけどをしたりすることもあろうから、まあ、そんなことから半ば俗信めいたことながら、そういって子供らを戒めたものらしい。 その216 「かげぷつ」(その1) 名詞。かげぷつ。「げ」は鼻濁音。陰・影(カゲ)・影法師のこと。 標準語では、単に影と言うのが普通であるのに、方言では「ぷつ」を接尾語のようにくっつけていう。 ※アラ〜、エゲサ、かげぷつウツサテラ。 ○あら〜、ごらんなさい。 池に人(樹木・建物など)の影が写って……。 きれいだねェ。 ※ソンジサ、フタリノかげぷつァ、ウツサテラデバ。 ○障子に、二人の影法師が映っているぜ。 ※ハラフェテキタ、かげぷつミレバ、モウフルマダエ。 ○おなかが空いて来たよ。影法師を見れば、もうお昼になたようだねェ。 これは、時計もなく、たんぼで働いている人達は、地面に映る影法師をみて、昼食にしたものだ。 ※カベサ、ローソクノかけぷつコァ、ウツサテラ。 ○壁に、ローソクの(?)の影が写っている。 その217 「かげぷつ」 ▲「かげ」の「か」は、日(カ)である。カク・輝・明・赤(カガヤク・アカ)の(カ)も同じ。 「かげ」は、「光景・光気(カケ)」であり、本来は「日光の射す処」をいうのだが、転じて、日光の当らぬ処、すなわち日光によって、物体の陰影が写し出され、その影をもいうようになった。 「法師」は人間の影をギ人していった語。「照る照る坊主」などというのに似ている。「影法師」という語はこうして出来あがった。 さて、津軽の「かげぷつ」は、それの訛りであるが、その過程は、カゲボウシーカゲボシーカガブシーカガプツーであろう。 津軽では、たまに、「シ」が「ツ」になることがある。例えば、帽子を「ボッツ」、何時間を「ナンツカン」、端(ハシ)を「ハンツコ」等々。 また「ぶ」を「ぷ」と半濁音に訛るのは、津軽方言の特徴である。 ネ武多・ネムタ・ネブターネプタ・。 煙ったい・ケムッタイ・ケプッタイーケプタエ。いぶるエプタエ等。 ▲岩手県九戸郡では、影法師のことを「かいぶつ」というそうだから、津軽よりもひどい。 また、宮城県・岩手県の一部では「かげどろ」ともいうそうである。なお中央でも、「かげぼし・かげっぼし・かげんぼし」などともいうようだ。 ついでに、影法師の川柳を一句(柳樽三〇) 足音で二つに割れる 影法師 これは、寄り添っていた男女の……。 その218 「かげる」 動詞。かげる。「げ」は普通の濁音。これは、「山へ登る」こと、しかし、普通の山登りには言わないようだ。津軽の「お山参詣」に行くことを「お山かげる」といい。その人達を「山かげ」という。晴天に恵まれた場合は「ええ山かげだ」という。それが、お山参詣の帰りの「噺子文句」になって、「バタラ~バタラヨ、エエヤマカゲダデァ」などと唄うようになった。 この「かげる」は、神さまに「願ふける」の「かける」らしく、やはり神霊に関係があるようだ。 その219 「かげる」(その1) 動詞。(ガ行下一段)。 かげる。「げ」は鼻濁音。 標準語の「かじかむ」に当たる。 津軽方言では、特に「手」が、寒さのために凍縮(冷えちぢまる)して自由にはたらきを失うことにいう。 身体や、足・顔などにはいわない。 手の指が、折れかがまって伸びなくなること。 暖めれば、もとのようになる。 手に、垢ぎれが切れて、「ザラザラになること」とはちがうようだ。(津軽方言の範囲では) ※手ァかげデ、アダテバレエデ、モシロナンモオラサナェデァ。 チョァ、ジンブシバエデラナ。 ○手がかじかんで、焚火にアタッテばかりいて、むしろを、ちっとも織れませんよ。 今日は、ずいぶん冷えてるんだねェ。(焚火には、藁屑などをたく) ※手アかげデ、字カガエナェ。 ○手がカジカンで、文字が書けない。事務が執れない。 ※手ァかげデ、エネタバエラエナェ。 ○手がカジカンで、刈った稲を束ねることができない。 これは、冷害の年など、稲刈りに、みぞれが降ったりなどした時。ずいぶん悲惨なものである。 その220 「かげる」(その2) ▲「かげる」の語源について、参考事項をあげてみる。 標準語と方言とを比較してみたい。 ○伊禰都気波、可加流安我手乎、許余比毛可 等野乃和久胡我 等里天奈気可武(万葉集十四) イネツケバ、カガル アガテヲ コヨヒモカ トノノワクゴガ トリテナゲカム(先の訓読) 稲をつく(籾をついて米にする。米をつく)荒仕事をしているので、指が曲って、ザラザラに垢切れのするこの手を、今夜もまた、お殿様(地方の国守・都守)の若君さまが、その手に取ってみて、「かあいそうだ」といって、歎いてくださるであろうか。 ほんに、もったいないやら、恥ずかしいやら……。(この歌は、東歌の中の絶唱である) ○かじかむ 亀屈。亀縮。かじける。ひえちぢむ。 1.疲れやせる。2.手足などが、凍えて思うように働らかなくなること。(以上二項、辞典による) ※1.かがえる 青森県三戸郡・秋田・岩手・石川県河北郡・広島県倉橋島 2.かかやく 青森県五戸・岩手県九戸郡 3.かぎャる 静岡 4.かげる 青森・長野 5.かごむ 壱岐 6.かじむ 埼玉県川越・高知 7.かんじかなる 静岡県志太郡 8.こしぐる 福岡県三井郡・熊本県玉名郡 9.こじける 丹波・滋賀県伊香郡・京都府何鹿郡・高戸・鳥取・岡山・香川・高知・愛媛 10.しャがむ 岐阜県城吉郡 11.まじこる 岡山県英田郡 12.はじかむ 新潟・奈良 以上、意味はいずれも「かじかむ」。 ▲この例によって分かることは、「……る」と「……む」との、二つの系統があることである。 前者は、1.3.4.7.8.9.11。後者は、2.5.6.10.12。 「る」系統は、その本元は、万葉種の「かがる」や、「かじく」であり、「む」系統は、「かじかむ」がその本元である。 ただし、どちらも、太古の第一期的語源ではない。 (煩雑になるから今は省略する) また「かじく」が「かじける」と、カ行下一段になるので、その系統に、津軽方言の「かんつける・かつける」がある。 「やせる・か弱い・病弱・萎縮」等の意味。 また、「かじかむ」や、12の「はじかむ」は、これまた津軽の「つら、しかめる」の「しかめる」となる。 またさらに、「腰をかがめる・足をかがめる」等の「かがめる・かがむ」とも関係がありそうだ。 広範囲にわたるから、今のところ、以上のべて、この項をおわる。 注 前項の、遠慮する、控え目にするという意味の「かげる」も、本元はあるいは、この「手ァかげる」の「かげる」であったのかも知れない。後考にまつ。 津軽のことばTOP |
前へ 次へ |