[連載]

  261 ~ 270       ( 鳴海 助一 )


前へ          次へ



その261
「かねとり」(2)
▲「かねとり」の語源については、総合日本民俗語彙・第一巻にも、「不明」とあり、また「かねとりぎもん」という方言について、大分県附近で、仕事着のこと。
「金を取る着物だ」から、農事用とは限らない。青森県南津軽地方のカネトリは、ちゃんちゃんこの刺したもの、すなわち仕事のボドで、もとは「コギン」をも、カネトリといった……(同書三八五頁第一段参照)とある。

上の説明のうちで
1.不明。
2.金を取る着物。というのに対して、筆者はあきたらなく思う。
学界にほとんど未解決のままであるものに対して、せんえつ至極ながら、私見を述べてみる。
結論をいうならば、語源は「かとり」ではなかろうかと。
「かとり」は「かたおり」であり支那から渡来して、平安時代には盛んに用いられた。
漢字のケン(糸扁に兼)である。その漢字と「織」とで熟語となったものが「かたおり」である。
「かたおり」は固織りで、白絹の薄く固く織ったもののことで、約言として「かとり」といい、「ケン」の字を当てている。
「かねとり」は、この「かとおり」の転訛ではなかろうかと思う。
これは筆者二十年前からの持論であるが、どんなものだろうか。
ケンチョ(けん楮)といえば、書画をかくに用いる絹地と広く用いられた。
後、転じて、ろ・紗はしばらくおくも粗末な布をもそういい、それで作った「ちゃんちゃんこ」のようなのも「かとり」といい、さらに下層社会または下僕などの着る布子をも、麻製の仕事着をも「かとり」といったものにちがいない。
なにわの書物に「かんとり」ともあった。
それがN音に転じて「かねとり」となった、と考えるのである。
民俗語彙の「かねを取る仕事」云々は、どうも納得しかねる。
大分県のそれも、津軽の「かねとり」と同じ系統の語であろう。
なお前掲の「コギン」は、「小衣」の転音「小衣・こぎぬ・こぎん」で、これはその着物の形から名づけたもの。



その262
「かぱかぱ」(1)

 名詞。かぱかぱ。
旧正十五夜の夜(年越しの夜)子供らが持ち歩く「カミで作った人形」のことである。
大正四・五年頃まで、この風習は、年中行事の一つとして、田舎には行われていた。
旧正十五日といえば、津軽地方では、第二回目の年越しの日である。
それともう一回、一月の末日(二十九日か三十日)の年越しと合わせて、三年(さんとし)という。
また、十二月末日に年越しから、一月七日までを、「大正月」といって、男子の正月といい、十五日から二十一日までを、「小正月」といって、これは女子の正月となっている。
それで十五日は年越し日、翌十六日は、お盆の頃から待ちに待っていた若いお嫁さん達が、朝から着飾って、あるいは子守りをつけて、あるいは、若い夫が馬橇(そり)を引いて里方へ遊びに行く。
前の晩の年越しは早めに終るので、これを待ちかまえていた子供達は、折からの満月の光を浴びながら、かんかんに凍った雪道を、めいめいめい「かぱかぱ」を手に持って、集落の戸毎に廻り歩く。
三人五人と連れだって、戸口の所で口々に「アジノホジガラ、かぱかぱネキシタェ」(あっちの方から、カパカパに来ましたよ)と、半ば歌うような口上をのべる。
どの家でも「サァサァ」といって、みんな心より餅を一つずつくれる。
円いのや四角なのや、ヨモギ餅・小豆餅・ゴマ餅等。
また家によっては、特に「かぱかぱ」用として、ひどく小さく切ったものなどもあった。
若者達は、空俵に五色の紙や、鈴などをつけた「福俵」なるものをかついで廻った。
「アッジノ方ガラ福ノ神ァ舞イコンダ」といって、台所の方へ投げてや� �。
餅や魚のつとや、酒までくれる家もあったようだ。
筆者も七、八才の頃歩いた記憶がある。



その263
「かぱかぱ」(2)

▲「かぱかぱ」の語源は不明。
大辞典には、青森県東津軽地方の正月十四日夜の行事。
大根を切って首頭をつくり、鳥帽子を冠らせ、紙の衣を着た人形。
「春の初めに、カパカパが参った」といって……とある。
「万才」などの風習の名残りなのか。総合日本民俗語彙第一巻には、「年中行事」。
津軽の各郡とも、以前は正月十五日夜、男女の子供が、「カパカパ来たよ」といって村々を廻って……。
「かぱかぱ」は、本来は、お盆や折敷(お膳の小さなもの)の底を叩いて訪れたもので……。
関東でも、常陸の龍カ崎の町では、大正の初め頃までこの子供の風習が残っていた……。
これは、「カパカパ祝います」といって、通行人から小銭を乞うた……とある。
「年中行事図説」という本(民俗学研究所編)には、全国でも有名なものとして、日本全国の青森県の所に「カパカパ」と記してある。
「かぱかぱ」「ねぷた」「盆踊り」「獅子舞い」「お山参詣」などのうち「かぱかぱ」だけは、四十年前に、すでにその後を絶った。
各種の文献に、多少なりとも記されてあることは、とにかくありがたいことである。



その264
「かぷける」(1)

「かぷける・かぷけさし(す)」動詞。かぶける。かぷけさし。
これは「カビ」が活用して「かびる・かぶる・カプレル」あるいは、「かび」がさす、等となったもの、それらの方言である。
食物その他のものが、湿気・温度等の関係で、その表面に一種の菌を生じ、腐敗していくことを、方言では「かぶける」という。
「かび」が生えたことを「かぷけァさした」という。
名詞にして、「かぷへ」といえば、「かび」のこと。
標準語でも、転じて頭に「カビ」が生えたとか、古くさいものなどにもいう。

※アダマサ、かぷけァさしたェンタフトバレアジバテソンダシタッテ、ナニァデギルモンダバ。

○頭に、カビが生えたような人(老人)ばかり集まって、相談したって、何が出来るもんですか。


※オヤオヤ、ドシテラバ、かぷけるダケ、シアシブリダナ。エージモドエッシタバ。

○おいおい、どうしていたんです。ずいぶん久し振りだねェ。いつお帰りになったんですか。



その265
「かぷける」(2)
▲「かぷけ」語源について。
結論として、恐らくは「カビ気」の転訛であろうと思う。
太古のことは、臆断は禁物ながら、かの日本書紀や、古事記の初めにある、名高い「葦牙・アシカヒ・アシカビ」等の例に徴してもすべて、ものの表面に蒸し生じるものを「カ・キ・ク・ケ・香・気・毛」等の国語の音で呼び、それに、語尾を加えて、後世の国語になったものが極めて多い。
「かび」もその例である。
「毛」もその通り。
草木の(クサ・キ)もそれ。
第二期的な解釈としては、まず「か」があり、活用して「かぶ」という上二段動詞となり、その連用形が「かび」である。
という説も成り立つ。
それに、さらに、接尾語の「け・気」がついて、「かびけ」これは、味気・塩気・寒気・かなしげ・人っ気・飾り気・いろ気」等の「け」とほとんど同じ。
髪のことを「かみげ」という。
その「げ」も、「かびけ」の「け」もまた同じ。



その266
「がぷけ・がンぷけ」

 名詞。がぷけ。がんぶけ。
これは「キセル」の「がんくび」のことなどにいう。

※キルノがンぷけァ、オエルダゲ、シジゲタダェデ、ケチャガンデエタデァ。

○「きせる」のガンクビが折れるほど、炉ぶちを叩いて、叫んでいたゼ。
(どなりちらして。わめきちらして。)

上は、伜(せがれ)、(長男・次男など)に、きつく説教する(意見する)親父どのの場合など。

「火箸」を振り廻す、なんてなると、大ごとだが、「きせる」で炉ぶちをハタク程度では、まだまだ大したことはなさそうだ。



その267
「かぽぐ・かッぽぐ」

 動詞(ガ行四段)。「ぐ」は鼻濁音。「急ぐ」と、活用は全く同じ。
かぽぐ・かッぽぐ。この語の意味は「大急ぎで、ものを食べること」である。
ガツガツと、むさぼるように食うさまをいう。転じて、すべて物事に「大いに乗り気になる」という意味にも用いる。
※ナンボガメェガサ、トナリノアネァ、ネリゴミかッぽいデラデァ。(祝言のお手伝いなどに行って)
○どんなにうまいのか、お隣りの若い嫁さんが、ウマ煮を、ほおばって食べているよ。

これは、田舎の祝言などではよくあることで、昔、田舎では、お膳の料理は、大てい自宅で作る。
年功を経た料理人が一人指図して、親類隣り近所の、オガ・アネ達が、十数人もその手付きとなる。
それに子供が二人三人と随いてくるから、また男の手伝い人が、十人内外は必要なので、これだけでも大へんなものである。

ところでその男女の手伝い人が、朝・昼・晩の食事は、大ていは、納屋などの料理場の片側で、いろいろな余分なものをかき集めて食べるのであるが、この「ネリゴミ」は、女達には特に喜ばれるので、一鍋ぐらい多く作る。
これは、宿のおかみさんが、特に気をきかして作らせる。例えばお昼の時。大てい時間は一時すぎ。
若い女達は腹が空く。
中皿に山盛りにしネリゴミを、ついうっかりして、音をたてて「かっぽぐ」のも無理ないこと。
去年来たばかりの若い嫁が、「アレダバ、シンドイ」と、口さがないオガ達が、陰口いうのもまた無理ないはなし。
「ネリゴミ」は、サツマイモ・ササゲ・コンニャク・油揚ゲなど、それに葛粉と、大量の砂糖を入れて作る。
普通料理でいう「うま煮」ともちがうようだが、本名は何というかわからない。
あるいは「煮込み」の訛りか。
また「かっぽぐ」も標準語では適訳が見当たらない。
あるいは「掻っ込む」が本元なのか。



その268
「がほらど」

副詞。がほらど。これは、すべて、「中が空いていること」の意味。
中空。がらんどう。
がら空き。空虚なこと。
これは、「空洞」「ほら穴」と関係がある。津軽の外、秋田・岩手・宮城の諸地方で用いる。
三重県度会(ワタラエ)郡では「洞」。

※アシノホジァ、がほらッとシテ、サビシテ……。

○ふとんの、裾の方が空いていて、寒くて駄目だ。

※ハリグジネエデ、ナガ、がほらどシテラネ。

○入り口にだけ居って、中はガラ空きだよ。(バス)

※ワラハドァ、エジノコマェネタナェダガサ、カギノタワラ、ナガ、がほらがほらどナテラデァ。

○子供らが、いつの間に持って行ったのか、蒸し柿の俵が、がらん洞だよ。(からっぽだぜ)

※ヌグェドモテ、チャファンヌェダキャ、モンペノシソァ、がほらンとシテ、アジマシグナェシテ。

○あいつと思って、脚絆を脱いだら、モンペの裾が空いて、ヒヤヽして気もちがわるくて……。

▲語源については、確信はないが、恐らく、「空・カラ」と「洞・ホラ」とのアイノコ「カラホラ」だろうと思う。
「ガラン」とあいている。
「ガホラン」としているなどともいうし、「カラ」「ホラ」の種々の用例から考えて、一応そのように断定しておく。



その269
「がぼらど」

 副詞。これは、湯や水に入るとき、または入るときの「音」のギ声語「ガボ・ガボン」という語に、「と・ど」がついて、副詞となったもの。

「カポカポ・ガポガポ」皆同じ。

小さな音の形容には、方言でも、「カポラド・カポラット」などともいう。

「カポカポ」は入浴の幼児語。

※コレァマダ、がぽらどハッタガドモタキャ、アガタガ。カッパノ、ミジアブリダキャンタナ。

○この人また、(お湯へ)入ったかと思ったら、もうあがったのかェ。河童の水浴びみたいだね。

※アマリアツシテ、ヘゲサ、がぽらど、ハルハルシテタノクサトッテラネ。ソエデモシングトシル。

○あまりに暑くて、時々、堰に漬かる漬かるしながら田の草取りしていたよ。それでも、すぐ乾く。

※酒樽ァガポラメグ。腹ァガポラメグ。深ぐじァ(ゴム長)ガポラメグ。据風呂ァガポラメデ、誰が入ッテラダガ(誰か、風呂に入っているのかェ)。

このように、「がぽら」に「めぐ」がついて、ガ行四段の動詞ともなる。「カポメグ・ガポメグ」とも。



その270
「がぼらど」(2)

 ▲「かぽ」「がぽ」は「ギ声語」であるが、「川・カハ」も、そのギ声語だということは、再三述べた。
現代の「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」は、太古には、P音であり、後にはF音となり、N音となったともいった。
これは、あらゆる言語学者が認めている。
「川」を国語で「カハ」と呼ぶのは、水の流れの音からである。
「カパカパ・カポカポ」のギ声語。
ここに、これを証明するもの一つとして、柳田先生のお話しをお借りする。
現代日本文学全集、柳田国男集二二七頁、「南の島の清水」より。
……井戸をカハというのは、沖縄の諸島だけでない。
九州でも広く「ヰカハ」と呼ぶ。
飲み水の供給、が最初は皆、天然の流れからであったこと。
その流れを堰きとめて、一つところに居らせたのが「井・ヰ」であるという証拠である云々。
宮古・八重山で「ツリカー」というのは、釣瓶・ツルベで汲み上げる井戸のこと。
また「ウリカー」は、深い所まで降りて行って汲んでくる「井戸・泉」のこと云々。
「がぽら」の「ら」は、津軽特有ともいうべき接尾小詞である。
「バサ=バサラ・ゲプ=ゲプラ・マゴマゴ=マゴラマゴラ」等甚だ多い。
これは、「コッソリ・タップリ・カッキリ」などから転訛した「コッソラド・タップラド・カッキラド」などに、真似て出来たのであろう。
「がほらど」「がぽらど」の二語は、津軽からなくしたくないものの一つ。



津軽のことばTOP



前へ          次へ

トップページへ