[連載]

  271 ~ 280       ( 鳴海 助一 )


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その271
「かべ」

 名詞。かべ。 これは珍しい言い方である。
稲を刈る時にいう。
刈った稲の束数(タバネカズ)のことである。

※エネァツト、オッキャタドモ、ズンブ、かべダバカタベェ。
フトレァグ三百島デ、キガナェベネ。

○稲が少し倒伏して、刈りにくいか知れないが、大した束ね数(島かず)刈ったでしょう。
一人役で、(約一反歩)三百島(一島は十把)以上でしょうよ。

「かべ」刈るとは、収穫が多いことである。
大ていは稲のクキが太く、株も大きければ、「かべ」刈るのはもちろんだが、その束ね数に比例して、その割合に、米の収穫が多いとも限らない。
ワラが太ければ、一束に穂の数が少ないし、その穂も完全な籾が少ない場合もあるので……。
また品種にもよるので。しかし、なんといっても、束数が多ければ多いに越したことはない。
三百島といえば、一人役十俵以上である。
昔は、束ねによって、二十島一俵二五島一俵と、きまっていたが。
今は、乾燥のことも考えて、一般に束ねが小さくなった。
だからいわゆる「かべがず」は多いわけ。
とにかく、農耕用の言葉として、「かべ」は珍しい。

▲「かべ」について、二三述べておきたい。
まず「かべ」といえば、「壁」のことであるが、その語源は「掻き・溝き・垣」の「かき」に、隔てるの「へ」がついて「垣隔・カキへ」、それが「かへ・かべ」となった、というのが通説であるが、これは信じていい。
つまり、太古には、木で作っても、石で築いても、材料の如何を問わず、内外を隔てるための障壁は、すべて「かべ」といったのである。
後世は、家屋などは主として「土」を用いるようになったので、「かべ」は即ち「壁」になった。
さてその壁は「土・泥土」だから、それから、水田の稲刈り時の「ドロンコ・ドロヒヂ」が壁苗代にも似ているので、「かべ刈る」とでもいうようになったものだろう。
佐渡島の方言に、「カベタ」というのがあって、水田の収穫を終えた、つまり「空いた田」のことだそうだし、千葉県でも「カベッタ」といって、稲を刈った後の、まだ耕さない(秋耕のことか)田のこと、とある(大辞典)これによっても、津軽の「かべ刈る」云々は、全く根拠のない言い方ではない。



その272
「かまぐり」(1)


 名詞。これは、農耕作業用語の一つであり、水田の畦(アゼ)の両側面の、雑草を刈り取る作業のことである。
元来、水田の畦畔は、田に水を入れるために、また、水を流し出して乾かすために、さらに、もちろん歩行のためにも、一定の水量を永く保っておくためにも極めて大切な役割を果たしているものである。
これが崩れたり、軟らかかったりすれば、それらの役には立たないネヅミやモグラの穴があったりしても、もちろん、水の掛け引きが完全にいかない。
したがって、かならず、稲作に影響がある。
この畦を固くし、一定の高さと広さを保つためには、どうしても、草の根の力を借りなければならぬ。
ところが、この草を伸びほうだいにしておくと水田の中まで生え広がるし、また虫けらの巣クツにもなって、これもまたよくない。
そこで、かまぐりが必要となるのである。
畦の表面の草も一、二回は刈らねばならないが、この作業は、「くろ草を刈る」といって、「かまぐり」とは別である。
「かまぐり」は、側面の草を刈る、つまり、田の中に延びて行ったり、種子がこぼれたりするのを防ぐための作業である。
大てい第一回目は春先、田に水を入れて、荒掻きもすみ、中掻きの頃か、田植え直前の代掻き(シロカキ)の頃かにする。
第二回目は、一番除草もすみ、二番除草の直前の頃。
それに、稲刈りの頃、最後の「くろ草刈り」もするようであれば、畦畔は、まず大丈夫であろう。
それでも、翌年の春には、大分草の根が田の中にはびこっているので、雪の消えるのを待って、第一番にする作業が「太刀廻し」である。
ついでに、畦を修理するのが「くろ張り」である。
その他あるいは「長堤(ナガデ)」を繕い、畦を固め、ネズミの穴などを塞ぎ、高低をなおしたり……。
精農家といわれる人達は、まず、こんなことから、一分の隙もなく、水田を大切にするようだ。
さて、かまぐりも、不精な農夫はとかく省略する。
なるほど一年位手を抜いても、収穫には大てい影響もなさそうだが、一事が万事で、何かと粗略になるので、「田荒してしまた」(水田がやせて、米あがりが少ないこと)と非難もされ、収量もしたがって目立って減じるように必ずなる。 



その273
「かまぐり」(2)


 ▲かまぐりは、もちろん「鎌」を用いるが、「砥石」を準備して、しょっちゅう砥がないと、仕事がうまくいかない。
ずんずん距離がはなれるから、砥ぐのに甚だ厄介である。
そこで、小さな砥石を左手に持っていて、切れなくなったところで、すぐ砥ぐというやり方。
または鎌を二・三丁準備して、一度に砥いでおいて、それで畦を一廻りするまで間に合わせる、というやり方など、「かまぐり」の語源は「鎌めぐり」の約言か、「鎌切り」の転訛か。
「かまぐり」という名称は、どの種の辞典にも見当らない。
津軽方言集、青森県方言何々といっても、このような稲作りの用語は、なかなか見当たらないようだ。
しかし、伝統的な津軽農民達の生活の実態など、詳しくさぐるためにも、文字に書き表わすことの、ほとんど稀なる。これらの「語い」の研究も、極めて大切なことであると私は信じている。
方言を通して、一つには、民俗の生態史をも探究しようというのが、本稿の目的でもあるが、常に、紙数の増大を恐れつつも、敢えてくどくど申述べる所以である。

※ミジ、タップトカガタ、タミナガラ、テンキャエジギ、かまぐりコマシテルジモ、エモンダキャナ……。

○水がたっぷりとカカッタ水田をみながら、お天気のいい時に(日に)、カマグリを廻しているのも、気持ちのいい作業ですナ……。

これは、毎年ややもすれば水不足で、ひどい苦労をするような水田を耕作している人のことで。

いいあんばいに、今年は気候も順調で、水の心配もなく、五人役とか七人役とかの、ひとつら(一連)の水田に、広々と、ナミナミと水がかかっている……。

みち足りたいい気持ちでお天気のいい日に、念入りに、一枚一枚と、かまぐりをマワシテいる農夫の姿は、まことに尊く美しい。

ノミとツチを振るって大作にいどむ芸術家のソレと少しも変わるところがない……。

※カラポネヤンデ、かまぐりマサナェキャ、クロノソバクサバエデ、エネカルコトァナナェデァ。

○骨惜しみをして(怠けて)、カマグリを廻さないでいたら、アゼ近くが草ダラケで、稲を刈ることが出来ませんよ。
(刈取りが大へんはかどらないこと)



その274
「かまし(す)」

 動詞四段。かまし。掻き廻す。
めちゃくちゃにする。
前出の「かっちゃまし(す)」とほぼ同じ。

※マンダ、ワノハリサシバゴ、かましタベ。
○また、わたしの針さし箱(お針箱)を、かきまわしたね。
(小さい女の子などは、布切れや、美しいボタンや、何かに、心を引かれるもので、またお針の真似事をするためになど、母や姉たちのものを……)

※机かまして。タンスかまさえだ。飯かませ。
上の「タンス・箪笥」云々は、泥棒にやられた場合などにもいう。
飯云々は、熱い中にかきまわすこと。

※キナ、フルマナガ、タンスかまされダジァネ。
○このう、日中、箪笥を掻き廻されたそうだよ。

※ナンダテ、スソガラテヘデ、かますンダドゴデ。

※ミンナシテ、ソダノコンダノテ、グダメデラドドチャ、ワエテサベタキャ、ワネカテ、かまさェダ。
○みんなで、そうだのこうだのといって、不満や非難をしていたところへ、わしが行って、一々話して聞かせたらねぇ。
みんなシーンとなりましたよ。

※苗代かます。田かます(除草のことにも)。
キシビジ(米びつ)、コメビツ)かます(これは米を盗むこと)。

乾かした籾かます(春先など、莚に拡げて乾かしてある籾を時々かますこと)等々。

▲「かます」は、「掻き廻す」の略語であるが、掻き混ぜる意味の「カク拌」としても用いる。



その275
「かまし(す)おやじ」

 名詞。かましおやじ。
これは「ゴンボホルワラシ」「エグナェワラシ」「ナグワラシ」などを、おどかしたり、すかしたり、だまらせたりするための、一種の俗信(迷信)または方便からきた「仮想の人物」である。
山から来る「おいの」や、雪から出てくる「雪女」、あるいは「モッコ・ムジナ・タマシ」などと同じく、「かますおやじ」も、子供の頃は、ずいぶんこわくてあったものだ。
特に冬期間など子供は、所在なさに、また寒さのためにろくな遊び道具もない貧しい家の幼童らは、忙しい親達を、しょっちゅう手こずらかしたものだ。
そんなことから、かような仮想の魔物の力を借りて、子供らをだまらせたり、眠らせたりしたものだろう。
ただし、昔は実際に「野獣」の襲来もあったろうし、人さらいも、鬼悪魔の如き強盗やゆすりも居たろうから。
そして、無智な地方人には、そう信じたのも無理ないことである。
ただ、むやみに子供らを臆病にし、おじ気づけさせたことは、甚だよくない。
筆者なども、この「かますおやじ」は、ほんとうにいるものと思った。
「たとえば冬の雪降る日に、雪囲いに下げてある、入口のコモをガサガサさせ、土間をドシンドシンと踏んで、着ているものも、冠ものも、モジャモジャと雪だらけのものが、「ダェダバ、ナェデラジャ」(誰ですか、泣いているのは……)などと、大声でどなるものだから……母や祖母が、「ソラ、カマスおやじァキタ」というし、涙ではっきりしないが、とにかく異様なもののように見え、大きな「カマス」も背負っていたようだし……。
実は、知り合いの誰かが、何か用足しにでも来たのを、子どもらの、ゴンボほってるのをきいて、入口でおどかしたのだが……。



その276
「かまねなる」

 動詞(連語)かまねなる。
これは、普通九十度内外の角度をなしているものにいう。
鎌の柄と刃は、大体九十度の角度をなしているところから、こういうようになったもの。
例えば、他人の畑(長方形とかの)二辺に、自分の畑がまたがっているような形の場合、「うちの畑はあそこ、かまになっているので……」などという。
また田植え女達が、ぞろぞろと畦を歩いているさまなどにもいう。
「雁」がたくさん並んでいくさまをみて、「さおになれ、かぎになれ」と、謡うのも、その「かぎ、鍵」は、鎌と同じく角度のことであろう。
▲「ニ・かま」の語源は、「屈・曲」つまり、「かがまる・まがる」である。
なお、「ニ」の音は「レン」で、その漢字と共に、支那にも太古からこの用具はあった。
我が国でも、大昔から「かま」といって、このものがあり、そもそも初めはやはり石製のものであったらしい。
鉄製のも、よほど上古から用いたらしく、かの祝詞(ノリト)式の、六月みそか大袚の条にも、「……彼方之繁木乎、焼鎌乃敏鎌似テ、打払う事之如久……」とある訓読は、「をちかたの、しげきが本を、やきがまのとがまもちて、打ち払う事の如く……」とある。
「焼鎌」は鉄の鎌である証拠。
「敏鎌」は「利かま」で、鋭利なかまのこと。祝詞の文に、繰返しの多いのは常のこと。
「をちかた」は「遠方」。現代の仮名づかいでは、「おちかた」。
祝詞の、このあたりの意味は、罪……汚れを鋭いかまで繁木を切り払うように、清め祓う(払う)というのである。



その277
「かまり」

 名詞。かまり。香気。におい。匂い。気。
普通鼻で感じる「におい」は好悪すべて「かまり」という外に、「火の気」など「火のかまり」といい、親類関係があることをも、「かやぐかまりコァ」している仲だ、などともいう。
大して下品な方言でもないのだが、日本全国の中、青森・秋田・岩手の三県だけ(文献だけによると)とは、合点のいかないことである。
ただ「匂いをかぐ」ことの方言に、「かまる」というのが、青森県五戸・岩手・八丈島(大辞典)とある。

※メタネ、シナクサェかまりァシナ。ワラハドァ、コダジフンデラデナェナ。
○バカに、こげくさいニオイがするぜ。子どもらが、またコタツを(掛けものを)踏んでいるのではないかな。

※アサマカラ、かまり、ボウボドヤテアサェテラ。
○朝っぱらから、酒のにおいをプンプンさせて歩いているよ。

※アノフトァ、カジャガミサネマレバ、かまりネカテウダデ……。
○あの人が風上に坐れば、いやな匂いがして、大へんですゼ。(ワキガなど)

※アコドダキャ、アラ、サットかまりコァシテルバエデ、「オヤグ」デバオヤグ、エマダキャ、タニントフトジダネ。
○あそこのうちとは、わたしら、ちょっとした親類で親類といえば親類……、今ではもう、あかの他人と同じですよ。

※ナンボカ、シノかまりコァサナェバ、シゲナェ。
○いくらかでも、火の気がなければ、素気ない。(さびしい)(これは、夏の間など)



その278
「かみこ」

名詞。かみこ。
これは、「紙コ」で「コ」は、津軽の例の接尾小詞「犬コ・猫コ・酒コ」の「コ」に同じ。
例えば、役場からくる「税金納付告知書」などを「キッブ」というように、学校・役場・農業会・銀行等からくる、通知書でも、案内状でも督促状でも、または招待状でも何でも、田舎の古老たちは、早いところ「かみこ」という。

※ナェサキナ、ホソコノ「かみこァ」キタナ。
○あなたの家へ、昨日、種痘の通知書がきましたか。

※フジンクヮイノかみこァ、オラサダバコナェデァ。
○婦人会の案内状が、私共までは、来ませんよ。

※ワ、かみこメナェグヒシタデァシラベデケヘ。
これは、選挙日に、投票者の受付係りに訴えているところ。
なるほど「かみこ」でも、結構用は足りる。
この場合の「かみこ」は「投票入場券」である。



その279
「かめ」

 名詞。かめ。
西洋犬のうち、耳が垂れ曲った比較的小柄の犬を「かめ」「かめ犬コ」という。
これは英語のCOMEHERE「カムヘァ」が、その語源である。
幕末から明治の初年にかけて、西洋人が盛んに渡来した頃、彼等は、よく犬コを連れ歩き「カムヘァヘァ」(こっちへおいで・こっちへおいで)というのを、日本人が聞いて「カムヤ」は「犬」のことだと思った。
それが訛って「カメヤ」略して「カメ」となった。
大辞典には、それが今は青森県・福島県あたりに、方言として残っているとある。
なるほどと思われる。
明治の初年頃「トラックトラック」と、外人が言うのを聞いて、それの訛ったのが「トロッコ・トロコ・トロ」だというが……。
こんな例は外にもたくさんあるようだ。

※ジイヌァオガレバ、アグバタェシテマナェハデ、かめいぬコタデタホジァエデァ。
○日本犬は、大きくなれば邪魔くさくていけないからかめ犬(洋犬の小柄な犬)を飼った方がいいよ。

闘犬の類はしばらくおいて、犬は、愛がん用としても、用心のためにも、重宝な家畜である。
日本犬は「ポチ」小さな洋犬は「カメ」と、普通呼ぶようだが、「かめ」は、概してリコウなようだ。
「一犬嘘を報じて、万犬実を報ず」とか何とかいうが、夜など「かめ犬」は、なかなか用心深い。
一時、大騒ぎをして、他の犬たちは皆引上げて、眠りかける頃になっても「かめ」はいつまでも時々思い出したように「キャンキャン」いって、念を押しているみたいである。
「かめかめ」「かめカーカカ」などと、呼び方まで愛らしく聞こえる。英語からきた方言は珍しいが、いつまでも残しておきたく思う。
(昭・三三・四・二〇・日曜「かめ犬」の記事清書中、平賀町柏農高校庭で開催されている、第三十七回・全日本土佐犬闘技大会とかの、進行状況が、拡声機によって手にとるように聞こえてくる。――後日のため記しておく。)



その280
「からぽやみ」

 名詞(連語・句)。 からぽやみ。空骨病み。 怠け者。ごろつき。
「からぽねやみ」の略。
「骨休み」という語がある。
仕事に疲れた身体の痛みや凝りなどを、休めて癒やすことであろうが、それを、怠け者は、痛くもないのに、何かと口実をもうけては、仕事を休むということから、「空ぽね病み」つまり、仮病をつかう、といったような意味から、この言葉が出来たものだろう。

※アコノフトァ、ミンナからぽやみバエデ……。

○あそこの家の人達は、みんな怠け者ばかりで……。

※からぽねやんでラキャ、ヘンダグモノァタマテ……。

○この頃怠けていたので、洗濯物がたまって……。

※エノホウノ、コッチャァからぽやみデマナェ。

○うちの学校の、校長は、ルーズで駄目ですよ。

この語は、青森県全般と、秋田県北部が本場のようだ。

▲なお「からぽやみ」に類似した他県の方言を若干あげておく。
 (全国で七・八十種もある中から)
・カバネヒキズリ=怠け者。宮城県玉造郡。
・カバネヤミ=骨惜み。仙台。宮城。福島。岩手。
・クサレモノ=福島県伊達郡。
・クライドーレ=怠け者。宮崎県椎楽・熊本。
・ケダイモノ=怠け者。伊豆八丈島。
※註 これはケ怠者(ケタイモノ)の濁音訛らしい。

・コエザレニンゲン=怠け者。群馬県邑楽郡。
・コダイクサレ=福島。
・ツバケ=青森・岩手県沼宮内。
・ホネコカシ=宮崎・山口県阿武郡・大分県大野郡。
・ホネヤミ・ホネヌスト=千葉県山武郡・大分県宇佐郡・仙台。




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