[連載]

   21 〜 30       ( 鳴海 助一 )


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◆その21
 「あへじがし」

 形容詞。あへじかし。意味は、うるさい。性急だ。せっかちだ。わずらわしい等。

※タッタリマタリ、あへじがしジァ。
○立ったり坐ったり、うるさいねェ。(映画舘などで)

※カレルァエバテ、サェソグァあへじがしシテ。
○借りるのはいいけど、催促がうるさくてね。(本屋など)

※フトジコト、ナンボガェリ、キグネクルダバヘ、あへじがしフトダ。
○同じことを、何回聞きに来るんですかェ。うるさい人だねェ。

△語源は、相返答(あいへんどう)相返事(あいへんじ)あたりに、その正体があるのではないかと考える。形容詞の成立の場合を想起してみるとき、そこから 鍵が得られそうだ。二三の例をあげてみるなら、例えば、恥=はずかしい、憤・難=むずかしい、粗・卒=そそっかしい、嘆・歎・慨=なげかわしい、急・忙= いそがしい・いそがわしい等の如く、容易に形容詞は成立するのである。「あへんじ」と「がしい」と結合して「あへじがし」となったものにちがいない。津軽 では、形容詞の終りの「い」は、ほとんど省略する。珍しい・新しい・さびしい・苦しい等みな「目ジラシ・アダラシ・サビシ・クルシ」というように短 くしてしまう。

 「あへじがし」もその通り。子供などが、同じようなことを何べんもきくと、いちいち「返事をする」のにうるさくなる。そのとき、「コレァあへじがしワラシダ」というのであるが、これが、だんだん広い範囲に用いられるようになったのだと結論しておく。



その22
 「あへんど」

 名詞(サ変ともなる)。あへんど。答える。応答する。応対する。相手になる等の意味。

※フトァキテモ、ヨグダネあへんどモヘナェ。ナンボムンジダモンダガサ。(無口な娘などの場合)
○よその人が来ても、ろくろく口もきけない。どうも無口で困る。

※エジエジあへんどシテレバ、アノフトァ、バゲマデモエノガナェヤェ。
○いちいち相手になっておれば、あの人は、晩までも動かないよ。(話の長い人、長っ尻のお客等)

△相返答(アイヘンドウ)という漢語の音が、そのまま国語になり、それが「あへんど」の語源であるとみる。全国方言辞典には「あへんど」は、津軽方言と しては出ていない。富山県としてある。大辞典も、富山市付近として出ており、意味は、黙礼、すなわち「会釈・エシャク」に事らしい。用例としては、「女の くせに、アヘンドもかけずに行った」とある。



◆その23
 「あぽし」(1)

 形容詞。あぽし。津軽方言の「あぐばッたェ」(既出)の意味に似ている。飽きる。余る。邪魔くさい。うっとうしい等の意味に用いられる。ただし、現今では、だんだん聞かれなくなった。

※アンマリソウ、フトガェリネアジゲレバ、あぽしがてカナェネ。
○あんまり一度に多く与えれば、あきがって(口がぜいたくになって)馬が食べないよ。

 右の場合は、馬が口がおごって、米やもみなどを混ぜたものは、そればかりえらんで食べて、草やわらなどは、桶の外へ散らばしてしまう、そのことをいうの である。「あぽし・あぽしがる」の標準語訳は、どうしてもできかねる。満腹のことを、腹がくっちいという他県の方言か何かにあるようだが、また「口がおご る・口がぜいたくにだ」というように、津軽の「口ァからきじだ」と言い方もあるが。

 だいたい、こんな特殊な下層階級語は、昔の「みやこ言葉」には、見当らないのがあたりまえで、あれば不思議なくらいのものである。百姓や馬子が、馬の性 格や動作に用いる言葉などは、発達したり、広まったりするわけがないからである。だから一部分だけに使われ、特別扱いされるのも無理がない。しかしなが ら、農夫や、牛馬や馬方などが、この世に必要である以上、その人達の用いる特殊な言葉を国語の圏外に追いやることも出来まい。



◆その24
 「あぽし」(2)

 △あぽしの語源を考えてみたい。結論として「溢(あふる・あふれる)」からきたものと推定する。
 これは、既出の方言「あぐばたェ・あぐる・あぐじぐ」などから見当をつけたのである。津軽で「水がアグル」とえば、「水が溢れる」ことだから、その 「あふ」に目をつけた。また「仕事にアブレル」とは、人が多くて仕事から人が余りものにされることであろう。水におぼれて「アップアップ」というの は、口から息が余って苦しむ時のギ声語であるし、子供の顔を洗う時の「アッペロ」も、たしかにそうらしい。このように考えを進めることが、許されるなら ばあとは簡単である。すなわち「あっぷ・あっぽ」が形容詞化して、「あっぷし・あっぽし」となるのは例のことだし、津軽の「あぽし」も理解出来るからであ る。あふ=あっぷ=あっぷし=あぽし。

※コラハド、ダサエレバ、あぽしシテカエナェ。
○こんなに一度に沢山ご馳走を出されると、腹が一ぱいになって食べられません。

※モウコンダ、口ガラはばがってカエナェ。
○今度はもう、口から余って食べられませんよ。

 右の「はばかる」という言葉も「あぽし」に似た意味があり、やはり「余る」ことである。諺に「にくまれっ子、世にはばかる」というのがあるが、これも、世にふさがる、世間から余り者にされる、のけ者にされるという意味であろう。

 以上要するに、「あぽし」の意味は「余る」であり、語源は「あふれる」であり、それが訛って、更に形容詞化して出来た言葉である。いずれは、この世から消えてゆくであろうと思われるので、敢えてくどくど申述べた次第である。



その25
 「あまェじ」
 名詞(副詞ともなる)。あまェじ。津軽方言の中でも、特殊なものの一つである。意味は、標準語の「怪我・けが」「負傷する」と同じであるが「あまェじ ネ……」と副詞にもなるところがちがう。「怪我」の意味は、大言海によると@思いがけない負傷をすること。A転じて、思わぬあやまち(過失)。そそう(粗 相)。Bまぐれあたり(ギョウ倖)という説明であるが、「あまェじ」と全く同じである。

※マジマェエグモアンゲェあまェじシテモドタ。
○北海道へ行ってすぐ、怪我して帰って来た。

※ヤネヤネ、あまェじネエタェダハデ、カネサナガ。
○いいよいいよ、誤ってやったんだから、堪忍してやりなさいねェ。(子供が遊戯中痛くした時など)

※ドウエタモンダバ、アレァあまェじデナェナ。
○どううまくいったんです。ぎょう倖でないかね。

△語源については、残念ながら今は自信がない。相手を甘くみて、つまり油断して、失敗する、ケガをする、という意味からきたものか。「まぐれあたり・ぎょう倖」の意味にもなるのは、どうもそれらしい。心当りの方があったらお知らせ願いたい。



◆その26
 「あめる」
 動詞(マ行下一段)。アクセントは「あめる」。広く食べ物などが、腐りかけて、その本来の味や要素が分解して変質すること。腐敗。特に「たんぱく質」が細菌によって分解し、悪臭など発生すること。
 標準語の「腐敗・くさる・かわる・においがする」等の言い方にあたる。あらゆる場合に用いられる。他県でも北海道松前・盛岡・秋田・岩手・三重県等、相当広範囲に亘るようである。
 津軽では、特に魚を料理する以前の「魚」に対しては、「あめる」といわないで、「さがた」という。

※ケサカシタミシァ、エッツネあめでシマタ。
○今朝たいたご飯が、もうかわりかけてきた。

※アマリヌゲェドゴデ、ヨミヤノモジモサガナモ、ミナあめでシマェシタデァ。
○あんまりあついから、宵宮(お祭り)の餅も料理もみんなくさりかけてしまったよ。

※ナジァ、モノァあめヤシイテサダダ、ドシテモ、シゾコヨサネバヘンジャ。
○夏は、ものが変わりやすくて困ります。どうしても冷蔵庫買わなければ駄目ですね。

△語源は、「あまい・うまい・飴」と関係がある。よほど大昔からの言葉らしい。国語で「阿女・阿米」といって、支那の文字の飴(タイ)にあてたのは随分古 くからその用例が見える。その「あめ」は甘水(あまみず─あまみ─あめ)又は、甘甞(あまなめ─あまめ─あめ)のどちらかの経路をたどって出来たものにち がいない。現に沖縄では「あみ」といい、またある地方では(能登・静岡)「あめんぼう」のことを「あまめ」というそうだから「あめ」の語源は「甘水・甘 滑・甘甞」のうちどれかにちがいない。その「あめ」を動詞に活用させると「あめる」になる。学理的に説明は出来ないが、たんぱく質などは、腐りかける最初 が、まず分解して乳酸とか糖分とかに変質する。表面が、ヌラヌラした、少しあまったるいような物質に変るのであるが、その状態・性質を動的に表現すればす なわち「あめる」である。標準語のどの言い方にもまさって、もっともうまく表現していると思う。



◆その27
 「あや」

 名詞(人称)。アクセントは「あや」。結婚した長男。中年の父。えで(父)よりは、よい呼び名であり、おど(父)よりは、少々くらいがさがるようである。

※あや、ママクネエ、ハヤグキヘ。
○おとうさん、ごはんですよ。早く来てください。(子どもが、父を呼ぶとき)

※エあやネナテカラヘ、ワラハドサマジャテ、アシビネバレアサェテ……。ドシタモンダバ。
○りっぱな「とうさん(子の父親)」になったのに、いつまでも若い者たちに混って遊びに歩いていて……。どうするんです、いったいぜんたい‥‥。

※アヤ、オガゲダデァ。
○夫(おとうさん・亭主)のおかげ(お陰)ですよ。何もかもすべて……。

 上は、話しのおもしろい「おかみさんたち」が、ふざけていう場合など。お金が出来るのも、家庭のしめくくりも、子だからが出来るのも、なにもかも、「ダンナサン」のおかげでシジャネシーと。
 △語源は「阿爺」で、実は純然たる漢語であり、また国語でもある。「阿父」と同じ。ちち(父)のことである。支那の康キ字典に「…俗称父日爺」とあり、 我が国の倭名抄(和名抄一000年前)にも「阿爺・ちち」とある。「阿」は漢語で、「ア」であり、支那でも、広く人の呼び名に冠して「阿父・阿爺・阿翁・ 阿母・阿兄・阿妹・阿嬌」等と呼ぶ。この漢音の「ア」をそのまま、国語に用いて、「あに・あね・あば・あぱ・あや・あだ・あねこ・あんさま」などと呼ぶよ うになったもの。それらのうちで、「あに・あね」などは、全国的に使われるが、「あや・あぱ」などは、とうとう津軽あたりにようやく残っているだけ。やが ては、なくなってしまうだろう。
 生れおちて間もなくから「あや・あば」と、ねてもさめても、泣くにも笑うにも、なれ親しんできた自分の「ちち・はは」の呼び名が、やがてはこの世から聞 かれなくなるということは……。歴史はかくの如く、目に見えるもの、見えぬもの、絶えず移り変って行く。「あや」の他県の方言では、「兄・母・祖母・姉・ 子守」などかなり広い地域に亘って、それでも、まだ残っているようである。(方言辞典)



◆その28
「あやこ」

 名詞。あやこ。女児の遊び道具。お手玉。手まり・とびまり・紙まりの一種。小さな、色とりどりの布切れを集めて、 ひらたく縫い合せた「ふくろ」のような、「マリ」のようなその中に、チャラチャラと鳴るように「あずき」などを入れて作ったもの。大てい十個ぐらいで一揃 い。二人で出し合えば二十になる。一人でも遊べるが、四人五人と一緒にだとおもしろいようだ。昔は、縁側や板の間などで、あるいは学校の廊下などで、女の 子供達は、何よりも楽しく、夢中になって遊んだものである。
 「おォ一つ、おォ二つ、おみつおォよつ、おォいずっつ……おむつおななつ……」と、十まで唱え、一回借したとかなんとかと唱えて、又繰返す。
 このお手玉をして遊ぶのを「あやことり」といった。遊び方はいろいろあったようであるが、ここに不思議なことは、普断はフトツ(一つ)フタツ(二つ) メッツ(三つ)と発音する子供等が、この「おォ一つ」の遊びの文句を唱える時はかならず「おひとつ、おォみっつ」と正しく発音することである。このこと は、やはり昔、都(京都)の方から津軽へたくさん下って、あるいは流されて、あるいは任官してきたという貴族やご家人などの、姫樣や侍女などの、遊戯の一 つであったのではなかろうか。遊び方も、唱え方も、何となく優雅で、のんびりしたなかに、また一種の哀調も感ぜられる、といった風のものであるが、これ は、津軽で始めたものだとは、どうしても思われない。

△「あや」は「綾」で「綾織物」の略称。
 つまり、美しい絹織物のことである。その「綾」は文(あや)でもあり、模様のことである。転じて美しいもの、たえ(妙)なるもの等広く用いられる。「目もあやに…」などの用法によってもうなずけるだろう。



◆その29
 「あやばぐす」

 動詞(サ変)。あやばぐす。名詞性の「あやばぐ」が「為」と結合して、つまりサ変に活用して「あやばぐす」となったもの。津軽方言のうちでも、特殊なも のの一つである。意味は、いたずらをする、さまたげる(妨)、邪魔をする、うるさくする等。悪意をもってする場合もあり、軽くからかう程度でする場合もあ る。用例は一つだけにしておく。

※コラ、ワラハド、アンマリあやばぐヘバ、クツガエルド。ナェデモオラシラナェ。
○これこれ、子供ら、あんまり大にいたずらをすればかみつかれるよ。泣いてもおれァ知らんぞ。

△語源は、はっきり見当をつけかねる。標準語の@あやなし(文無)Aあやしい・あやしむ(怪)Bあやうい・あぶない(危)あやぶむ
Cあや・あやに(奇)等は、皆語源は「あ・や」という、二つのえい嘆の詞からきていると思うが、このうち、Bの「あぶない・あやぶむ」が「あやばぐ」と関係がありそうだが、今は断言しかねる。



◆その30
 「あらもど」

 名詞。あらもど。一口に言えば「くずまい(屑米)」のこと。もみ(籾)を玄米にするには、すりうす(摺臼)で、す る(スル・摺・磨・擦・摩)のであるが、その場合、小さな籾粒や、乾きの足りない籾やあるいは未熟なものなどは、摺臼の歯からもれて(のがれて)脱皮しな いで、籾のまま出てくる。唐箕にかけると、完全な玄米よりも、それらの屑米は、比重が軽いから、風に飛ばされて、第二の口(樋)から出てくるのである。第 三の大きな口からは、ヌカ(もみからのこと)が出るし、第一の口からは玄米が出る。この第二の口から出るものは、くだけ米・青米・不完全のもみ粒・それに 少々完全なもみが混じっている。いわゆる「くずまい」であるが、これを津軽では「あらもど」というのである。この「あらもど」ももちろん粗末にならない で、針金製のふるい(篩)でトウして、砂や砂米なども、最も悪いものは鶏の飼料とし、良い方は、もう一度乾かして摺臼にかけるか、あるいは、木製の臼でつ いて白米にするのである。現在では、優秀な精米機があるから、このような手数は余程省ける。「あらもど」の「あら」も、「粗」からきたもので、古くは純然 たる国語であった。普通のもみが、米の中に混じったときにかぎり、「あら」といわれるところに、方言のうま味がある。



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