[連載]

  291 ~ 300       ( 鳴海 助一 )


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その291
「かれご」(2)
▲「かれご」については、民俗学や農村労働問題などの立場から、いいたいことも大いにあるが、他の機会にゆずることにして、ここでは、総合日本民俗語の中から、若干参考事項を転載するに止める。
同書一巻四二五頁に、
①カリコ。労。漁。
青森県南津軽郡竹舘村で、今では普通の奉公人をいう。
借子の意か。宮城県本吉郡大島村では、多数のカツオ船の乗組員を必要とする時、他所から借りて来る者を「カリコ」という。
②カレコ。労。
青森県西津軽地方で下僕のことをいう。
若者は、他家に「カレコ」として、三・四年奉公しないと、一人前にはなれないといわれ、自分の若者を他家へ、他からもカレコを頼むという形が行なわれる。
……三・四年経つと一人前になったといってお祝いをする。
秋田県鹿角郡で、大家に寝泊まりしている下人のことを「カリゴ」という。宮城県気仙沼大島のカツオ船の雑夫をカリコと呼ぶのも同系統のものであろう。



その292
「がんがらど」(1)

副詞。下の「が」は鼻濁音。
これは、ひじょうに明るい様子を形容(修飾)する語であるが、標準語では、どう言うのか、容易にみつからない。

※デンキ、がんがらどツケデ、ダンモエナェデァ。
○電燈を、あかあかとともして、誰も居ないぜ。

※ニワサ、アカシがんがらどツケデ、モシロオテラ。
○納屋に(土間の作業場に)電燈を、あかあかとつけてみんなで夜業のムシロ織りをしている。

※ケサ、オドガテミダキャ、マドァがんがらどシテエタドゴデ、アワクテ、シタェダネ。
○けさ(今朝)目を覚ましたら、すっかり明るくなっていたので、あわてて、火をたいたよ。(ご飯の支度をしましたよ。)

※ダェガオギヨジャ。マドァがんがらどナタネ。
○誰か起きて下さい。外は明るくなったんだよ。

※デンキがんがらどツケデ、ネテシマテラデァ。
○電燈つけっぱなしで、居眠りしているよ。(勉強しているのだと思ったら)

このように、急に明るくなった場合や、意外に明るい場合、または少し誇張していう場合など、大ていこの「がんがらど」という副詞を用いる。
例のとおり、清音で「あがしコ、かんがらどツケデ」などともいう。例えば、仏壇などに。



その293
「がんがらど」(2)

▲「かんがらど、がんがらど」は、津軽ことばの中では、それほど聞きづらいわけでもなく、残しておきたい語の一つである。
語源は、いかんながら、はっきりしないが、試みに述べてみよう。
まず、次の語族にかならず関係あるものとみる。
すなわち、カゲ(光・景・影・陰)カガヤク(輝・晃・煌)カガリビ(炬・篝火)及びカ(日)ヒ(日・火)ヒカリ(光)ヒル(昼)等である。
これらの語の中、「カ」の音はすべて、本元は「日」であり、「ヒ」の音も、その本元は「日」である。
「日」は漢字でその音は、「ニチ・ジツ」であるから、「カ・ヒ」は、いずれも大和言葉の「訓」である。
その「ヒ」は、主として太陽の霊力(不可思議)の象徴であり「カ」は、その偉大なる光輝の状よりして名づけられたるものである。
「日がカンカン照る」。
「カガ・カギロヒ・カグヤヒメ・カゲ」などは、皆「日カ」の活用したもので、「カガヤク」はさらに発展したもの。
他の語の成立過程にも、同様の例は無数にある。
ここまでくると、どうやら正体はつかめそうだ。
結論を急げば「かんがり・がんがり・かんがら・がんがらがんがらど」の過程が考えられはしまいか。
イ段の「リ」は、津軽ことばでは、最もひんぱんに、「ら」とかわる。「コッソリ・こっそらど」「ゲッソリ・げっそらど」の如く。
「がんがらど」の「ん」は、これも津軽特有の「ハツ音便」で、語間に「ン」を入れるのは普通である。
従って注意すれば、入れないでもいうことがある「まずまず・マンズマズ」「必ず・カンナラズ」等々。
だから、「カガラッ・ががらッと」ともいうことができるのである。
要するに、「かがやく・かがり」などからの転訛であると一応断定しておく。
大方の教示を得れば幸いである。



その294
「がんかれェこ」

 名詞。(サ変動詞とも)がんかれェッこ。
これは、二つのものがお互いに「ブッツカり合う」ことである。
柱などに頭をブッツケル、という場合には用いない。
人の混雑するような場合には用いる。
また、同業者が、二人三人と、競争して何かふれ歩いてるとか、軒を並べて商なっているとか、そんな時にも「がんかれェッこ」してらという。

※キャンデ売りァ「がんかれェッこ」シテアサェテラ。
○キャンデー屋が、そっちからもこっちからも来た。

※アジデモエッタェジサ、コジデモエタドゴデ、ケサツデ、がんかれェッこシタデバ。
○同じ日に、相手方(敵)でも行ったのに、こっちでも行ったもんだから、警察で、鉢合わせしたよ。

上は、「出合う」ことであるが、いいあんばいに、都合よく「出合う」場合には、多く用いない。
不意に、運悪く、思いがけなく、という時に用いるようだ。
前の例も訴えに行った双方が鉢合わせをしたこと。

※バスの中で、がんかれェッこして。
七日堂のゴフ(護符)拾うに、がんかれェッこして(猿賀神社)

▲物と物とが、突き当たる・打ち合う場合のギ声語の代表的なものは、「ガン」という音(おと)の「ガン」であろう。「がんか」の本元は、この「がん」にちがいない。
「れェッこ」は「……合い」に津軽の「こ」がついたもの。
中間に「ッ」の促音が入る。
「取り替えっこ」「かけっくら」「かけっこ」「鬼ごっこ」「笑いジョッコ」「ハケジョッコ」等と同類であろう。
一種の接尾語とみておく。

大方の教示を得れば幸いである。



その295
「がんけ」

名詞。がんけ。これは、すべて「出張った」ものにいう。
語源は「崖」からであろう。それに似ているところから、「がんけなじげ・がんけあだま」などともいう。
「なじげ」は「ナズキ・ひたい」のこと。
「ナズキ」は青森県の方言とされているが、古代の「うなづく」「ぬかづく」の名残りであって、決して由緒がないわけではない。
後出。「崖・がけ」の語源は、「切り懸け」の上略。

※アコノがんけサ、ヌルネエグベシナ。(雪遊び)
○あそこの崖に、スキー乗りに行きましょうねェ。

※アコノエノウシロノ、がんけクジュシテ、ツヅモラテキテ、オニャサ、ジートシガナェバマナェデア。
○あそこの家の後ろの、崖を崩して、土(シアシ)をもらって来て、お庭に敷かなくちャならないね。



その296

「がんじょ」(1)


名詞。形容動詞にもなる。がんじょ。瘠せていること。またその人や馬のこと。

※ナェノマコァ、コァダデバー。ナーニサェ、ホントノがんじョまフパッテ。
○お前だちの馬ッコ、大した肥えたね(太ったね)。いやなんにも、本当のやせ馬だよ。これ、その通りやせてカラカラだよ。(馬のことに多く用いる)

※サア、チヨモ山サ行グァ。がんじョまフパッテ。
○さあ今日も山へ行くよ。やせ馬を引いてサ。

※ツラニットドシテルバテ、ハダガネナレバ、マルデがんじョコダネ。モノダバ、ナンデモクバテ。
○顔はりっぱだが(頑丈そうだが)裸体(ハダカ)になれば、大へんな(やせやせ)ですよ。食べ物はなんでも、よく食べるんですがねェ。



その297
「がんじょ」(2)

▲「瘠せている」ことを、「がんじょ」というのは、どういうわけか研究しかねている。
「か」の部の「かちャぺなェ」の条でもあげたように、全国各地に、似たような方言はたくさんあるが、例えば、「やせた馬」「病弱」等の意味にはガンジョ・ガンジョバ(マ)・ガンショレイ・カンチョロなどがあり、「か弱い・貧弱・幼稚細ッコイ・粗略・欠乏」などの意味にも、「チョロイ・ガンチョウ・ガンチョウライ・ヤジョーナイ」等がある。

「ショ」と「チョ」とは相通の理から、同じ語だとみても「やせる」や「弱小」の意味に、どうしてなるのかはっきりしない。
試みにいうならば、津軽の「カンツケル」(弱小の意)も、同族語であって、その語源とみられる上古の「かがる」や、「かじかむ」などに関係があるのではないか。
また、総合日本語民俗語彙(一巻四四二頁)の、「……東北では一般に、二歳駒(馬のニサイゴマ・若い馬)を、ガンゾウまたはガンジョウという……。」云々。
の記事によると、「子馬」つまり、まだ完成しない幼弱なものの意味にもなり、一応の結論は得られそうだが、今は不詳としておく。


その298
「かんとまめ」

 名詞。かんとまめ。
落花生(ラッカショウ・ラッカセイ)のこと。
これは、青森県と秋田県の北部ぐらいのもので、他県では、別に種々な名称で呼ぶようだ。
南京豆(ナンキンマメ)などは普通の国語ともいえようが、厳密には、どれが正しいの、正しくないのとは、きめられないようだ。
別名の主なるものは、(カッコ内は筆者の推定)次の通り。
とうじんまめ(唐人豆)・とうまめ(唐豆)・おにまめ(鬼豆=大粒だから)・カララマメ(唐・韓豆)・カントマメ(広東豆)・ジゴクマメ(地獄豆)・ジマメ(地豆)・タワラマメ・(俵豆=形から)・オタフクマメ等々「かんとまめ」は、あるいは、我が国の「関東」の豆の意味か。このものの原産地は、南米だそうだから(植物大図鑑・村越)南豆とか唐人とかは、どうかと思われるが、しかし昔は、外来のものは西洋東洋を問わず、一がいにトウ・カラと考えた(毛唐など)とも、あるいは、南米は原産でも、支那から日本へ移植されたからとも考えられはしまいか。



その299
「かだくらだ」

 形容動詞。かだくらだ。
頑固だ。きちょうめんだ。
クソまじめだ。融通のきかない人。
または義理固い人。遠慮深い人。
善い意味にも悪い意味にも用いられるようだ。
 標準語に、古代から「かたくな」という語があるが、「かたくら」はそれの訛りか。津軽発音では、「ナ」を「ラ」と訛ることが多い。
例えば「手綱・たづな」を、「タズラ」「ハズラ」と発音するなど。
「かたくら」の意味は、標準語の「かたくな」とほぼ同じことになる。
「かたくな」の語源について、簡単にいうと、「かた」はやはり「片寄る」の「かた」、あるいは「偏」の漢字に当る「たかよる」の「かた」で、結局、普通でない、正常でない、という意味。
「くな」も現今の「ひねくれる」にあたる「くね」という語が本元らしい。
「舟・ふね」「ふな」のように、「くね」も「くな」も同じとみる。
その二語を続けて「かたくな」。
古語には、「かたくなし」という同じ意味の形容詞もある。
「固くない」とか「固さが無い」とかではない。
むしろ「固い」ということになる。
「頑固」というのもそれ。
 ところで、標準語の「かたくな」は、ほとんど悪い方面に多く用いられるが、方言では、むしろ、よい意味に多く用いるようだ。
例えば、「義理堅い」という意味になど。
したがって、義理を欠かない、人に迷惑をかけない。
人の世話になれば、いつかはきっと恩を返す、といったような人をいう場合が多い。

しかし「頑固か」と「融通がきかない」とかの意味にももちろん用いる。
※オマェサママダ、かだくらデ……。
エデシァネ、ワジャワジャモテコナェシテモ……。
○あなたはまた、義理固くて……。
いいんですよ。わざわざ持って来てくれなくても……。



その300
「かだぐじこ」

 名詞。かだぐじこ。
かだぐじ。
これは瀬戸物(陶器)の容器の一種。
おそらく「片口」の意味だろう。
大てい、直径五・六寸で、把手がなく、深からず浅からず、酒・醤油などを入れたり、更に小さな器に移すためになど、なかなか重宝なものである。
四十四・五年前、筆者の曽祖父が、これで濁り酒を呑んだりしたのを、かすかに覚えている。
これに「つる」をつけたようなのが、酒の「かん鍋」である。

※ワンツカダ、かだぐじこサ、マェンジノンネ、ミソコ、カネエグダジァネソラ……。
ソウヘジナェダド……。

○小さな片口に、毎日のように、少しずつ味噌を買うに行くんだとよ……。それほど、暮しが苦しいだってサ……。
昔田舎では、自分の畑からとれた大豆で、自家用の味噌をめいめい作ったもので。
たとえば我が集落では、大きな麹屋が一軒あって、そこから、大きな臼やキネを借りて、そこの大きな納屋の中で七・八軒ずつ共同で「味噌つき」をしたものだ。
集落の大半だから、二週間も三週間もの間、麹屋の庭は賑やかだった。
今年ついたのは二年後・三年後には最も良質の味噌になる(三年味噌が特に佳良)。
大きなコガ(大瓶)に貯蔵しておく。
それを「味噌コガ」方言では、「みそだェふェ」という。農家では何より、「味噌」「米」「タギギ(薪のこと)」といって、この三つがあれば如何なる凶作に遭っても命は大丈夫だと、古老たちは、二口目にはいう。
なるほどもっともな話しで……。
ところが貧乏家庭では、それがまた何よりもむずかしいことでして……。
この三つのうち、一つ二つが、かわるがわるしょっちゅう欠乏する。
米の一升買い、薪の一束買い。
そして、味噌コは毎日のように「かだぐじこ」で買うに行く……これほどみじめでアワレなものはない。
ちなみに、昔田舎では醤油は贅沢品であった。
その点味噌は、汁を煮る外に、ソレだけを「めしのかでくさ」にもしたのである。
なお、味噌の自家製造は、田舎では今でも昔ながらに行われているが、その作る量は各自大ぶ減っている。
それは、醤油を多く使うようになったから。またその味噌も、今のはずうっとあまく(うまく)なっている。
昔は、大豆一斗に塩七升とか八升とか、特にケチな親父などは、一斗も入れたもので。
塩からくて甚だまずいが、しかし倍も長もちがする。
奉公人の三・四人もいる大家族では、そんなにして味噌までもシンボウ(倹約)したものらしい。
現今の普通の味噌(自家製)は、大てい大豆一斗に塩五升ぐらいの割合いらしい。



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