[連載] | |
381 〜 390 ( 鳴海 助一 ) |
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◆その381
「きな」 名詞。きな。「きのう(昨日)」のこと。 ※きなノバゲカダカラ、ワラシァハラヤンデシナ。 ○きのうの夕方から、子供が、腹をやみだしてね。 「バゲ」は「晩・バン」の訛り。「やむ」は「痛む」の意……。 ※きなエッテ、チョマダエガナェバマェグナタ。 ○きのう行って、きょう(今日)また行かなければならなくなりました。 ※きなソシギサエテ、チョァシュゲサヨバエデ。 ○きのうは葬式へ行き、きょうは祝言へよばれて。 ▲「きな」は「きのう」の訛りであるが、その「きのう」は、もとの仮名づかいはでは、「きのふ」であった。 「きのふ」の、「き」は過去(既)を表わす語で、助動詞過去の「き」と同じ。 (風強かりき・野菊の如き君なりき) 「の」は普通の領格の助詞「の・之」である。 (木の枝・庭の草・去年の春) 次に「ふ」は「ひ・日」の転音だというが、語源学者の一致せる見解である。 そこで結局、漢字を当てて分かり易くすれば、「きのふ」は「既之日」である。 漢字の「昨・サク」も、「一宵・一夜・ヒトヨ」を隔てた「前の日」の意味であるから、支那の「昨日」と、我が国語の「きのふ」とは全く同じ。 それで漢字音で「サクジツ」と読むのが正しく、「きのふ」「きのう」と読むのは便宜上のものであったのである。 現代国語の表記法では一つの漢字を幾通りにも読むことを、なるべく制限するという立場から、「昨日・今日・一昨日」などは、「サクジツ・コンニチ・イッサクジツ」とだけ読ませ、「きのう・きょう・おととい」などは、全部仮名がきにせよと決められている。 なお、「けふ・今日」も、「こひ(此日)の転音。 現代では「きょう」とかく。 ◆その382 「きなさま」 名詞。意味は「きのうの朝」のこと。「きのうあさま」の略。 ※きなさまエジバンシバエダベォン。(シバレル) ○きのうの朝、一番冷えたでしょう。(気温低下) ※きなさま、ブダマレコモテ、グルグルマェシタ。 ○きのうの朝、豚が仔を産んで、テンテコ舞いしましたよ。 (あわてた。ひどく忙しかった。) ▲「きな」は、前回に述べた通り。 「朝・あさ」を「あさま」というのは、やはり方言にはちがいないが、これは、昼間・夕間(ヒルマ・ユウマ)に対して「朝間アサマ」というのであり、古代にあっては、純然たる国語であった。 古歌にもある。 露けきは「あさま」の市の白真弓 かへるわびしきけさ(今朝)にもあるかな 「あさ」の語源は、「あ(開)」に「さ」がついたもので、「さ」は「した・しな」の約言である。 すなわち「さ」は、「時」の意味である。 例えば、「会うさきるさ・帰るさ行くさ」の「さ」である。 「しな」も、「行きしなに」「寝しなに」の如く、「時」の意味である。 故に細かく言えば、「あさ」は、「夜が明(開)けて、あかるくなる時」。 「あさま」は、それより、やや時間をひろげた「朝の頃」「朝のうち」というくらいの意味になるだろう。 ……きのうのあさま=きのうあさま=きのあさま。 その「あ」の母音が、上のN音と結合してNAとなり、「きなさま」となったもの、これは「きのうの朝」というのに比べて、便利なような気もするが、なにしろ、中央で用いないから、肩身が狭いわけ。 ◆その383 「きぱしなェ」 形容詞。きぱしなェ。 意味は、@活気がある。Aひじょうに元気だ。B機敏だ。Cすばしっこい。D敏捷だ。Eきかん気の人。F勝気だ。既出の「きがへなェ」と似ている。 「きぱしなェ」がさらに訛って「きぱへなェ」ともいう。 ※カガァきぱしなェドゴデ、オヤジァハエエダ。 ○おかみさんが元気だから、(物事をテキパキと処理出来るようにな)亭主は、至っておとなしい。 ※エノワラシァ、退院シテ一カ月バレ暮シタキャ、コンダソエデモ、タンガェダ、きぱしなェぐナタ。 ○うちの子供は、退院してから一カ月ばかり暮したらこんどそれでも、大ぶん元気になりましたよ。 ※マジマェコァ、チサェタテ、ナガナガきぱしなェ。 ○松前産の馬は、小さいけれども、なかなか元気があって、動作が敏活だ。 (マジマェコ=道産コ) ※ガラコァチサェバテ、きぱへなェオナゴコダデァ。 ○小柄だけれども、はきはきして、元気な女だよ。 ▲「きぱしなェ」の「なェ」は、そのことが、「甚だしい」という意味の「ない」である。 方言の「あらげない」「せわしない」「いだけない」あるいは、標準語の「かたじけない」等の「ない」は、みな「甚だしい」「いたく」である。 次に「きぱし」が問題である。まず「き」は「気性」の「気」であろう。 「ぱし・はし」は「はし・はしこい」の「はし」で、たしかに「敏捷」、つまり「早い」という意味である。 「走る・馳す」も同じまた「走り」といえば、すべて、他より早く出ることである。 新しい野菜(はつ瓜・はつ茄子)、稲の走り穂、りんごのはしり等々みな然り。 「走り」を昔「ラシリ」といったのも、「早稲ワセ」の「ワ」である。以上の例によって、次の結論が得られそうだ。 すなわち「きぱし」は、「気が早い」ことである。 「仕事が手ばしる」というのも「仕事が早い」「はかどる」である。 ◆その384 「きつ」 名詞。(容器の名称) これは、主として牛馬の飼糧を入れる桶のことにいう。 ちょうど「足だらい」ぐらいの差し渡しで、やや深く出来ている。 水桶のように、横の手はないが、左右に一尺ぐらいの取っ手がついている。 馬小屋の入口に、常に据えておくのは、その取っ手もなくてはるかに大きい。 また、牛馬が、必要以上に首を下げなくてもよいように、その大きな桶の左右に綱をつけて吊るして、食べよいようにすることもある。 馬方などは、車の上に、常に飼糧を入れた桶を持ち歩く。馬が休む時には、足もとに下ろして食べさせるのである。これらの大小種々の飼糧桶を、津軽地方の田舎では、大てい「きつ」というのである。 また特に大きく作って、主として、まぐさに、ワラや、コヌカや、煮た籾などを「混ぜ合わせる」ために用いるのを、「あへぎつ」というのは、「合わせぎつ」の訛ったもの。 この「あへぎつ」に一度にたくさん混ぜ合わせておいて、(つまり飼糧を作っておいて)、少しずつ、馬の足もとにおき、中の大きさの「きつ」に移す。その移す時に用いる小さなのは「きつこ」といったり、「とおけ」といったりする。 「とぼけ」は「ておけ」の訛りか。 ※あへぎつサクサハテナェヤェ。アヘデオゲデァ。 ○飼糧おけに、まぐさが入ってないよ(無くなったよ)、あしたの朝までの分を、混ぜ合わせておけよ。 この標準語訳は特にまずい。 なにしろ、お上品な方たちが、牛馬をアジカル(育てる・飼う・かいばを与える)わけもないので、こんな農耕牛馬用などの語を、口にしたのを聞いたことがないから……。 やはり「きつ・あへぎつ」がなつかしい。 牛馬、特に馬を飼うことが、どんなに手数のかかるものか、経験のない者には想像も何も出来るものではない。 上の例文も、寝る前に、「あへぎつ」にたくさん作っておく。 夜中に、馬が欠芝を訴えて「きつ」を踏みならすあるいは木戸をならす。 いかなる寒中といえども、親父か誰かが起きなければならない(一度に大量には与えないようだ)。 ▲このような「おけ・桶」の類や「はこ・箱」の類を、なぜ「きつ」といったか。 これは、その「おけ・はこ」の形や役目から名づけたものではなくて、実は、その容器に入れる「もの」からきた呼び名である。 「きし」は「けしね・きしね」で、米をはじめめ麦・粟等の食べもののこと。 転じて馬や牛の食料の意にもなる。 再転して、その「きし」を入れる容器の呼び名にもなった、と考える。 「タ行」と「サ行」は常に転音する。「し」が「つ」に転じて、「きつ」「きち」となる。 要するに方言の「きつ」は、他県では「きち」という場合もあり、その原意は「食料」であったのである。 津軽では、主として家畜の「飼糧おけ」のことを、広く「きつ」と呼びなれてきた、というわけ。 ◆その385 「きつ」(1) 形容詞。意味は 1.強い。 2.がまん強い。 3.度胸がよい。 4.心がしっかりしていること。 5.厳重に・きびしく・固く等々。 ※オヤオヤ、きつきつ、ナガナェオギロヨ。 ○まあ、強い強い、泣かないで、起きなさいね。 ※オエノ○○、きつハデ、バゲデモ、フトリコデ、ベンジョサエグォンナ。 ○うちの坊やは、強いから、バン(夜)でも、ひとりで便所へ行くンだおねェ。 ※アノオナゴァ、コゴロモジァきつシテ、夜中ネフトリコ、アノサビシヤマカェド、モドテキダド。 ○あの女は、度胸がよくて、夜中にただひとりで、あのさびしい山道を、戻ってきたそうだゼ。 ※オラェノ○○、きつガラマエダハデ、きつンダ。 ○うちの○○(子供の名)は、「キツ」から生まれたんだから、大へん強いよ。 これは、子供に「生まれどころを」聞かれて、親は、「お前はキツがらまれたんだよ。だからキツンだネ」などとよくいうんだが、そんなことから、子供に何か用をさせる時や、夜に便所へ行く時や、ころんだりして痛くした時など、「おおキツキツ」といい、他の誰からも「おおキツキツ」とはやして、子供が臆病風を吹かせたり、泣いたりしないようにしてしまう。 泣かないときまってからは、こんどはからかい半分に「○○キツがらまれだんだ」といって、大人たちはほめたり笑ったりする。 この「キツ」は木の股からとか、舟コさのって流されできたとかいう「股・舟」などと共に「生まれどころ」に多生の縁がないわけでもない。 なお、これは方言とは言われまいが、津軽でも、戸・障子などがあまりにキチッとして、開け立てが不自由な場合や、木箱その他の容器類のフタなどが、キチッとし過ぎる場合など、「あんまりきつシテだめだ」などという。 ※アコノオヤダジァ、アンマリきつドゴデ、ヨメァ、ダンモ、エジゲナェ。 ○あそこのうちの親たちは、あんまり厳格で、情けが薄いから、お嫁さんが、どれもこれも、縁づけないよ(居つけない。) ◆その386 「きつ」(2) ▲「きつ」の意味について、他地方の方言の例をあげてみよう。 (津軽の「きつ」とは大分ちがう) 1.流れの急なこと。奈良県吉野郡大塔。 2.無情なこと。岐阜県・徳島県の一部。 3.怒りやすい。淡路島。 4.悪い。福井県の一部。 5.元氣がよい。高知県。 6.きゅうくつ。福井県遠敷郡・丹後・徳島県美馬郡。 7.けわしい。秋田県仙北郡・和歌山県。 8.むずかしい。(今日の問題はキツかった)三重県名賀郡。 9.くるしい・つらい。肥後菊池郡・大阪・島根県鹿足郡・愛媛県・九州。 10.残念なこと。「とうとう亡くなったそうで、キツイことでした」佐賀県・長崎県・壱岐。 11.どうも驚いた。「キツイもんや、一つも売れなかった」和歌山県。(行商人などの、意外な不景気) 12.なさけない者。能なし。「あんなことが出来ないとは、キツイやつだ」壱岐・対馬。(方言辞典) ▲次に標準語の「きつい」の例を少々。 1.甚だしい・ひどい。「一別来だし、きつい、ことでごぜえますネェ」(浮世風呂、江戸) 2.きびしい・辛い。「……百里たらず二日にはきつい道」(平家女護島、江戸) 3.強い・勇猛。「……最前おれをきつうたたいたな」(一心二河白道、江戸) 「……与平が顔の気味悪く、心も心ならねども、見付きはきつい服部育ち(ハットリソダチ)煙草盆引き寄せて、煙吹き出す仏頂づら」(寿門松、江戸) 4.えらい・すばらしい・豪勢。 5.必ずかくあるべきこと。 6.かたい・ゆるやかでない。(以上大辞典) 引用が長くなったが、津軽の「きつ」と、他県の方言の「きつ」と、どちらが標準語の「きつい」の意味に近い意味として用いられているかを示したかったからである。津軽の方がはるかに類似性が多いようだ。 ◆その387 「きづ」(1) 名詞(昆虫の名)。これは「キリギリス」のこと。 「ぎつかご」といえば、キリギリスを入れる籠である。 鳴く声が美しく、風流に聞こえるとことから、人の愛玩するところとなる。 古代にあっては、これを「コオロギ」といった。 また「鳴く」といっても、もちろん口でなくのではなく、はね(羽)を摺り合せて音を出すのである。 現今の「コオロギ」は、古代には「キリギリス」といった。 つまり、今いう「キリギス」と「コオロギ」は、その呼び名が昔と今と逆であったのである。 「コホ(オ)ロギ」は、津軽では大てい「コロコロ」というようだ。 また、似た昆虫に方言で「ハタギ」というのがあるが、これは、広く言って「バッタ」のことである。 稲田に群集するのは、普通「イナゴ」と呼んで、大きな「トノサマバッタ」や「大名バッタ」などと区別しているようだ。 その「イナゴ」の方は、津軽では「トラボ」といい、「ハタギ」といえば、その大きな「バッタ」のことである。 ずいぶんややこしい。 1.キリギリス…ギツ……鳴く。(古歌のコオロギ) 2.コオロギ…コロコロ……鳴く。(古歌のキリギリス) 3.イナゴ…トラボ……鳴かない。(稲田に) 4.バッタ…ハタギ……鳴かない。(形が大) 上のうち、4のバッタには、たまに、鳴くのもあるそうで、その方法は、後あしを前ばねにコスルのだそうである。 ◆その388 「きづ」(2) ▲キリギリス・コオロギ・イナゴ・バッタ等の方言は全国的に極めて多種多様である。 そうして、ひじょうにマチマチである。 たとえば、コオロギについて、分類方言辞典・全国方言辞典等によると、その数が百十余もあるが、試みに数種をあげるならば、ぎ―す・ぎす・きす・きり・きりぎり・きりぎりす(以上は津軽のぎつにあたり、キリギリスをいうようだ。古代の呼び名の名残りであろう) けろけろ・ろ―ろ・こ―ろころ・ころ・ころころし・ころろん(以上は、津軽のころころ、つまりコウロギのことである) なお、ちんくら・ちんころ・ちんちろ・つ―つ―・つずれさせ・つんずりさし等実に、にぎやかである。(県名郡名等を省略する) ▲「ぎつ」の語源は、おそらく「キリギリス」の約語であろう。 前掲の「ぎ―す・ぎす」などは、その成立過程の中間を示すものとしての、何よりの証拠である。 「ス」は、津軽では特に「ツ」と転訛する。 わずかが「ワンツカ」。何時間が「ナンツカン」「かじか(河鹿)が「カンツカ」。 また、「キリギリス」のスは、鳥類や虫類の呼び名の語尾につく、特殊の音であるが、如何なる意味かは、今とうてい詳述する暇がない。 諸説マチマチでもあるし。例としては、ホトトギス・キギス(シ)・カラス・ウグイス・ミミズ等。スズメ(雀)は多少ちがうようだが、全然仲間外れとも思わない。 なお、キリギリス・コオロギ・バッタ(ハタギ)等の称呼は、すべて、その鳴く音からきた、いわゆるギ声語である。 「バッタ・ハタギ」も、これは鳴く音ではないがその、飛ぶときの音が、「ハタハタ」と聞こえるからである。 「ハタ」と手をたたく、「パタパタ」と鳴る、あるいは鳥の「ハバタキ(ハネハタキ)」などのギ声語によっても、容易に納得できるであろう。 ◆その389 「きちャさる」 動詞(ラ行四段活用)「きちャさる」意味は、@ささる(刺)こと。A寄り集まること。Bへばりつく・まつわる・からまる等。 グサリと突き刺す、ということを、「きちャさる」という。 「きちャさる」は、その自動詞である。 ABの意味に用いる時は、特に自動詞の用い方が多い。 自動詞・他動詞というのは、以前にもしばしば述べたように、上に「が」がくれば「自動詞」。 「を」がくれば「他動詞」。 「釘がささる」の「ささる」は「自動詞」。 「釘をさす」の「さす」は「他動詞」である。 ※トシァエタキャ、サビガテ、シボドサバレきちャさテ(ささテ)、フユウジ、シゴドモナモナヘナェ。 ○年寄ったら、寒がって、囲炉裡にばかりアタッテ(コタツにばかりもぐりこんで)、冬の間は、仕事も何もしない。(ろくに、仕事もできない) ※アノオドゴァ、○○ノノミヤサバレきちャさテ。 ○あの男は、この頃、○○の飲み屋にばかり行っている(入りびたっている) ※メヘノオガドゴチャ、ワガェモドァ、きちャさテ。 ○ボンノクボ(盆の窪・後頭部・首のつけ根のあたり)に、着物の襟(えり)が「くっついて」いるよ。 これは、着物(和服)などを、着なれない人が(あるいは子供が)襟あしを、後頭部に「くっつける」ヨウニシテブザマに着ることをいう。特に年頃の娘さんなどの着つけには、母親などが、直してやりながら「ボンノゴサきちャさテラネソラ」とか、「二十にもなって、着物もひとりで着れない」などという。 ▲「きっちゃさる」の「き・きっ」は、卑罵の意を含む「接頭語」で、語源は、はっきりしない。 津軽方言に「ハダカル」ことを、「きッぱだかる」ともいうが、その「きっ」も同じものらしい。 「ちャさる」は、「ささる」の転訛。「さ」が「ちャ」になることは、標準語の場合も多い。 (既出)短刀を畳に「グサ」と、あるいは「グサリ」と刺して、などいう「グサ」は、方言では「ギチャ」と、「ギッチャド」、などというが、この「ギチャ」と「ササル」で「ギチャササル」、それが「きちャさる」となったとも考えられる。 ◆その390 「ぎッちャど(ぎちャッと)」 副詞。ぎっちャど。ぎちャッと。 「ぐさりと・ぐさっと・ぐさと」等の意味で物を突き刺す、又は突き刺さる時のギ声語。 ※アグサ、シバシぎッちャどサシテ、サガンデラ。 ○灰に、火箸を突っ立てて、ドナリつけている。 ※カギギサシ、ぎっちゃどクツケデ、ニオツンダ。 ○垣根にスレスレにくっつけて、乳穂を積んだ。 これは、争いのもとになる。 なるほど、自分の地面にはちがいないが、そこはお互い心すべきもの。 万止むを得ない場合は、相手の了解を得ての上ですべきであろうという一時的な稲ニオなどでも……。 ※イダサ、ぎちゃぎちゃど、クギァウダサテラデァ。 ○板に、メチャクチャに、釘が打ってあるよ。 やはり「グサ・グサリ」の転訛であろう。 「グサグサ・ギザギザ・キザム」などは、すべて「グシャグシャ・グジャグジャ・ギジャギジャ・キチャキチャ・キジャム」などという。 しかしながら、「きちャさる」「ぎちャッと」等の「きちャ」を一つとみるか「き」をはなして考えるかは、にわかに断定しかねる。 津軽のことばTOP |
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