[連載]

  401 ~ 410       ( 鳴海 助一 )


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その401
 「きりがェる」
 動詞(ア行下一段活用)きりがェる。
主として、金銭を「取り替える」ことにいう。
現在だと千円札・百円札などと、小ぜにとを取り替える、あるいは小ぜにと紙幣とを取り替える場合等にいう。
昔の一厘銭などは「さし」に通して、カマス(叺)に入れて、馬で運んだともいうから、小銭の不便さは、想像にかたくない。
そんな時代の必要から、この「きりがェる」という語が、とくに、金の両替に用いられるようになったものであろう。

※アコノメヘサエッテ、ジェンコきりがェデコエ。
○あそこの店へ行って、お金を取り替えて来なさい。

※コマェジェンコきりがェデケナェガ。
○小ぜに(こまかいお金)取り替えてくれませんか。

この場合、あいにく小ぜにがないと、あるいは冗談に、「大きい札ばかりで、こまかいぜになんかないよ」と大きくでたり、「こまかいのも、大きいのも、財布がからっぽですよ」などという。



その402
 「ぎろッと・ぎろぎろど」
 副詞。ぎ態語。ぎろッとぎろぎろど。
主としてメダマ(目玉・眼球)の形容にいう。
「きょろきょろ・ぎょろぎょろ・きょろり・ぎょろつく・ぎょろつかす」等の標準語の意味にあたる。
「けろり」「けろりかんと」などにも。

※オドガテ、マナグぎろぎろどヤテラデァ。
○目をさまして、目玉をぎょろぎょろさせていますよ。

これは、なかなか寝付かない幼児を、やっと眠らせたと思って、ヤレヤレと、おかあさんは、縫い物や、何か仕事にかかろうとすると、すぐまたオドガッテ(目覚めて)マナグ、バッキド(ばっちり)あいているというのである。よくあることで。

※コゴツサジャントタッテ、ぎろぎろどミデエダ。
○入口にノッソリと立って、ギョロギョロとあたりを見廻していました。(押し売りなどが)

※ヘァオキグ、マナグァぎろッとシタエオドゴダネ。
○背も高く、眼のバッチリとした、いい男ですよ。

※マナグコきろきろどヤテ、ナガナェデレェ。
○目をキョロキョロさせて……。アレマーかわいいこと。



その403
 「きんか」
 名詞。きんか。指切り。誓約。賭け。
子供らが、遊びのなかでよくいう。子供らの間にもいろいろ約束ごとや、賭けごとがある。
大辞典にも「キンカ」=小指と小指とを交えて誓言。青森懸。とある。現今では、あまり聞かれなくなった。

※ナ、アシマダオエサアシビネクルベ。――「ン」クルァ。
ヨーシ、きんかジェンコマンエンデア。エガベ。
○君、あしたまた僕のうちへ、遊びにきてくれるでしょう?「あァ」くるよ。
ようし、ゆびきり。これなけれァお金万円だゼ。いいでしょう。いいよ。

※アメリカ、ニッポンノ土ノ下ネアルジァ。――ア――ラきんかマンエンデァ。
ダーソヘラバ。
――オエノフトァソヘラデァ。――アーラ、
オラミンナネサベルデァ。
○アメリカの国は、日本の国の下にあるそうだよ。
あ―れまァ。ようしゆびきりしよう。
誰がそう言っている? 
うちのとうさんがそう言っているよ。あ―れまァ。
僕、友達みんなに言いふらしてやる。うそだったら、お金万円だよ。

これは、筆者小学校一・二年の頃のこと。
農学校を出た叔父から聞いたので、仲間の誰かに言ったら、四年生のガキ大将が、そばで聞きつけて、「きんかなんまんえん」やらせられて、大へん心配したことであった。
またそのガキ大将が私共にもよく学校で習ったことを、自慢して聞かせたものだ。
例えば「食べたものを、何時間とかでこなすものァ、何かがサ、腹の中にあるのもだじァ」などと。
これは、「胃」のことだが、「時間」も「名前」も忘れたもの。ガキ大将は、落第スレスレの上級生であった。

▲子供同志の誓約である。「ゆびきり」の、他県の方言はどうか。
①カキ(南島喜界島)
②カケ(青森県五戸・鹿児島県谷山)これは、「五戸方言集」を資料としたものらしい。青森県は全般的である。
③カケゾク(新潟県頸城地方・飛騨・岐阜県揖斐郡)
④カゲス「カケをする」(青森県野辺地)
⑤カギヒキ(仙台)
⑥キンキン(岡山県上房郡)
⑦ガンガン(岩手県釜石)以下省略。
「キンキン・カンキ・ガンガン」等は、「掛け・賭け・鍵」に関係ありとみる。
その他、上代人の素朴な「誓約」とも深い関係があるようだが、今は省略する。



その404
 「きのどぐし」
 動詞(サ変)きのどぐし。
「し」は「する・為る」で、「きのどぐ」は「気の毒」である。
標準語と変わらないが、津軽ことばの言い方では、「気の毒だ」という形容動詞の用法の外に、「気の毒」を体言化して、それに「為」をつけて、いわゆる「サ変」の動詞として用いるので、一応取り上げてみた。
他の形容動詞、例えば「丈夫だ」「静かだ」「明らかだ」「大変だ」などは、決して、「丈夫する」「静かする」などとは言わないのに、この「気の毒」だけは、サ変の動詞のようにして用いるというわけである。
「気の毒な思いをする」というのを、津軽流に手っ取り早くいったもの。

※アノオドサマ、ジンプきのどぐしテクラシァネナ。
○あそこのおとうさんは、随分「気の毒な思いをして」暮していますねェ。

※エギデルウジ、きのどぐしテクラシテ、シンデカラダテ、ダンモユグダネ、アゲモドゲモサナェド。
○生きてる間、気の毒な思いして過して、死んでからだって、誰もろくに、法会もしないんだとサ。



その405
 「きんぱ・きんぱコ」
 名詞。きんぱ。きんぱコ。これは、「短気・短慮・せっかち」など、人の性格の形容詞。したがって、形容動詞のようにも用いる。
「短気な人」「短慮な気質」「せっかちな性格」というように、この方言も形容動詞としても用いる場合もあり。
それを「名詞」とするわけは、「きんぱ・きんぱコ」といえば、「短気な人」「せっかち者」それ全部を指すことが多いからである。(「人・者」は名詞)なお「せっかち」は「性急」なこと。
▲大辞典にも、全国方言辞典にも、「キンパ」といって、「短気」の意味の方言は出ていない。
両辞典は、既刊の青森県方言集は、全部参考としているらしいのだが「きんぱ」の語源について考えてみる。
津軽方言の「きぱしなェ・きぱへなェ」の「きぱ」に「ん」が入った「きんぱ」とも考えられるが、やはり「きんぴら・金平」の訛りとみるのが至当であろう。
「きんぴらもの」というば、いわゆる「金平浄瑠リ」の「荒もの」のこと。
いうまでもなく「金平」は「公平」ともかいて、いわゆる「金平本」に描かれている、坂田金時の子の「金平」のこと。
剛勇無双のツワモノで、その力は、岩石をも打ち砕くという剛の者。それから、漬物や、織ものや、足袋の名前まで「金平」の冠詞をふしたものがある。
その意味は、荒いとか、丈夫だとか、強いとか、である。
また、方言として、キンピラ
①無遠慮・軽卒(鳥取県)
②おてんば(千葉県山武郡外)
③おしゃべり女(山口県柳井町)
④悪童(滋賀県東浅井郡・坂田郡)
⑤小賢い人(熊本県南関)
⑥短気者(佐渡島)……以上大辞典による。

 この、「金平」を冠した織物などは、例えば「弁慶縞」とか「おに足袋」とかの類であり、方言としてのいろいろな意味も主として積極的な、善悪共に、荒い方面に多く言われているのは、とりもなおさず、剛勇の誉高りし「坂田の金平」からきたものであるにちがいない。
特に佐渡島の「短気者」に至っては、我が津軽の「きんぱ」と全く同じである。
「キンピラモノ」「キンパモノ」、あるいは単に、「きんぴら」「きんぱ」と転訛したものにまちがいあるまい。
佐渡島と津軽と、方言上で、類似のものは外にもたくさんある。
要するに、津軽の「きんぱ」は「金平」がその本元であろうと一応断定しておく。



その406
 「くかェしねなる」
 くかェしねなる。これの意味は、「手数がかかる」「厄介な思いをする」「世話がやける」。「手数をかける・厄介な思いをさせる・世話をやかせる・世話になる」等。

※エジママンデモ、オヤガダノくかェしねなテ、ヨメサメヤグネナテキタデァ。
○いつまでも、兄さんの厄介になっているので、ねーさん(義姉)に対しても、気がひけてきたよ。
これは、婚期のおくれた娘や、薄幸な女などが、いつまでも家で厄介になっている場合など、親や兄弟はいいとしても、義姉や義妹には、肩身もせまく、迷惑な思いをする、というのである。

※アドシマツァ、ミンナワノくかェしねなるダネ。
○そのあとの始末は、みんな私が心配し、私の手数になるのですよ。(あらゆる場合に用いられる)
▲「く」は「工事・大工・工面・工夫(クフウ)等の「工ク」で、「手数」というほどの意味にも用いるが、津軽の方言で「この機械は、ずいぶんくァかがたもンだな」といえば、「……工数がかかったものだ」の意味である。
「くかぇし」の「く」は、たしかのこの「工」にあたる。



その407
 「くがらね(に)なる」
 連語(名詞・助詞・動詞)「くがら」は「苦労すること」、あるいは「苦労や心配事のタネ(種)」というような意味で、「ね」あるいは「に」は助詞、「なる」は動詞。
※コドモドァ、アンマリハジメレバ、カェッテ、オヤノくがらねなるバエダデァ。(オヤネくかげる)
○子どもたちが(一人前の人達のこと)、あんまり学問をしたり、世なれて物知りになったりすれば、却って、親に心配が多くなるばかりだよ。親の苦労のタネが増えるばかりだ、ということ。

これはありがちなことである。安易な平和を望む者にとっては、それこそ、「知恵は悪事のもと」とさえ言いたくなるだろう。
「近代的なやみ」というのも、すべては文化人たるが故に、誰もが逃れ得ない現代人の常道である。
ふと、老荘の学がなつかしく思われてくるのも無理ないこと。
人知の開け行くことが、果して人間を幸福にするだろうか。
ラジオの放送も新聞の恐ろしい記事も、なんにも知らない人があったとしたら、それは羨ましい限りだ……。
とはいうものの、無知なるが故に、不幸に陥る例もあまたあり……、ことで、なにかと親のくがらになるわけ。
みんな苦労をし合うのが、二十世紀の世に生れてきたものの責務でもあろう。



その408
 「くさんコ」
 名詞。くさんコ。ふさ(房・総)のこと。
たとえば「旗のふさ・角巻のふさ・藤の花ぶさ・唐もろこしのふさ」などの「ふさ」である。
津軽方言では「くさんコ」という。
「唐もろこし」は、その「くさんコ」が赤黒くなれば熟したのである。
あるいは「帽子のくさんコ(リボン)」「ねぷたのくさんコ」など「ふさ」とはほとんど言わない。

▲「ふさ」を「くさ」というのは訛語にはちがいないようだが、しかし、語源にさかのぼって考えてみれば、そうとも断言しかねるものがある。
まず「ふさ」の意味の本元は「多い」である。
古代語では、「さわ」も「ふさ」も、「多い・たくさん」の意。
「ふさふさした髪」「さわさわ・さわぐ」等の言い方がその名残り。
万葉集三九四三に「秋の田の穂向き見がてり吾がせこが、ふさ手折りける女郎花かも」とある。
この「ふさ」は、「たくさん」の意。口訳は「秋の田の、稲穂の稔りぐあいを、見て廻ったそのついでに、私のいとしいせの君がこんなにたくさん摘んでくださった「おみなえしですよ」となる。
この「せの君」は地方官で、「穂向きを見廻る」とは、現今の「検見」のことである。
「さは・さわ」の用例は無数にあるゆえ省略。次に「くさ草」の語源について。
諸説があるが、本居宣長の「くくふさ・茎ふさ」が有力。加茂百樹の「けふさ・毛ふさ」も捨てがたい。
そこで、「ふさ」と「くさ」との関係の密接なることが分かる。
津軽方言の「くさ・くさんコ」は、上代語に深い関係があり、一がいに訛語として片づけられない理由がありそうだ。



その409
 「くさェんコ・くせェんコ」
 名詞(虫の名)。くさェんコ。
方言では別に、「へふり虫」ともいう。
標準語の呼び名は、「かめむし」「くさむし」「はんみょう」というようだ。
漢字書きでは、「亀虫・草虫・椿象」をあてる。
一センチぐらいのへん平だ円形の昆虫で、体内からはげしい悪臭を放つので、この名がある。

※ナノヘナガ、くさェんコァツタテアサェテラネ。
○君のセナカに、くさむしが、くっついているゼ。

▲「かめむし」は、我が国内のものだけでも、百余種あるそうだが、その多くは、植物の液汁を吸うて生きる虫だから、害虫であり、おまけに悪臭を発散し、形態動作もみにくく緩慢だから、これくらいきらわれる虫も多くあるまい。
ゲジゲジや毛虫も、いやな虫だが、これらは、人をゾツトさせるというおそろしさがある。
ところが「かめむし」は、こわがらさせるという威力もなく、したがって、ただきらわれ、あなどられるだけである。
だから、全国各地の方言としての呼び名もロクなものがない。

参考までに若干あげておく。
①コブタムシ(埼玉県入間郡・神奈川県津久井郡)
②ヒラゥカ(栃木県河内郡)
③へこきむし(京都・越後・長野県東筑摩郡・静岡・大阪・岡山)
④へッピリムシ(秋田県鹿角郡・岩手・宮城県登米郡・福島県相馬郡・栃木県河内郡・群馬県山田郡)
⑤ウーガムシ(千葉県夷隅郡西畑)
⑥オーガ(千葉県香取郡)
⑦オガ(滋賀県滋賀郡)
⑧オジョロムシ(群馬県勢多郡横野)

標準語の「かめむし」は、亀に似ているからであり、「くさむし」は、「草」の意味ではなくて、「臭い虫」の「い」を略した「くさ虫」であろう。
形容詞が他の語の上にあって熟語を作る場合は、大てい「い」の語尾を略す。例えば、「よわ虫・青虫・浅虫・深川・黒石・白ウサギ」等々。
なお、「くさぇんコ・へふり(ひり)むし」のどちらも、青森県とも、津軽とも、手許の文献には見当たらない。



その410
 「くさび」
 名詞。くさび。
「くさめ・はなひる」こと「ハックション」。
「び」はバ行マ行の音相通で、「め・み」が「び」となったもの。
「くさめ」は、生理的に、寒気がするとか何かで、鼻孔に異常を来たした場合に、衝動的に反射的に起きる。
抑制することはむずかしい。
咳払いのように、わざとはとてもできない。
普通の場合だと、「くさめ」をすれば、大てい風邪の前ぶれだと思ってよい。
「くさびカゼのもと」「カゼは万病のもと」などという。
昔から「くさめ」をおそれて、すぐ呪文を唱えたもの、津軽でも、「ハックション」とやらかせば、傍の誰かが。
きっと「くそくらェ」という風習?がある。
悪魔退散のマジナイである。
ここで、徒然草四十六段の「くさめ」の条を思い出す。
……ある人が清水(キヨミズ)へ参る途、中老いた尼と一緒になった。
この老尼が歩きながら、「くさめくさめ」と唱えるので、わけを聞いたが、返事もしないでつづけていく。
たびたび聞かれて老尼答えて曰く「はなひたるときに、誰か『くさめ』と言ってくれなければ、その人はやがて死ぬという。
実は、この尼が大切に育て申上げた若者が、今比叡の山におわす。
今頃も、もしやはなひいてはせぬかと、このように、申すのである」と……。
「はなひろ」というのは、「ハックション」現今の「くさめ」のこと。



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