[連載] | |
411 ~ 420 ( 鳴海 助一 ) |
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その411 「くじもめし」 動詞サ変。くじもめし。 口論すること。言い争うこと。 これは「くじごだェ」と少しちがう。 親にとか、長上にとかの意味はなくて、普通の(同等の)「くちげんか」のことである。 「もめ」「もめる」の連用形で、「口」と結合して、体言となる「くちもめ」。 そこで、「為」というサ変の動詞に、更に結びつけて、複合の「サ変動詞」となるのである。 この例は極めて多い。 「売り惜しみする」「買いだめする」「夜ふかしする」「夜勤する」等々。 ※ヨベラマダ、酒のみドァキテ、くじもめしテラ。 ○ゆうべまた、酔っぱらいが来て、口論していた。 ※カェドノマンナガネエデ、オッロソシグ、ぐじもめしテエタネ。フトァミンナタガテキテヨ。 ○道路のまん中で、ひどく口論していたゼ。近所の人や、通行人がいっぱいタカッていてサ。 ▲「もむ・揉」の語源は、いろいろ考えられるが、その根本的なものは「生む」であろうという説にしたがいたい。 詳細は省く。意味用例も極めて多い。 ①手でもむ。②身体をもむ。 ③キリでもむ。④風にもまれる。 ⑤もみにもむ(戦場)。⑥気がもめる。 ⑦相手をもんでやる(相撲のけいこ)。 ⑧火をもみ消す。 ⑨嫁をもむ(姑が責めさいなむ)等々。 津軽方言では、「もむ」を「もぐ」という。 その412 「くじむさェ」 形容詞(複合語)くじむさェ。 「口」と方言の「むさェ」と結合した「複合形容詞」である。 「むさェ」は形容詞で、意味は「あっけない」の反対で、「キザミ煙草」は「むさェ」とか、暖気が続いたから「木炭がむさェしてら」とかのように、「長持ちがする」というほどの意。 ところが「口がむさェ」となれば「ああ言えば、こう言う」「こう言えば、ああ言う」といったように、弁解したり、いやにからんできたり、ネチネチと執拗に口論したりする。 そのような意味になる。 つまりあっけなく(あっさり)負ける。 というのではなく、その反対である。「執拗」「剛情」。 ※アオ、オドナシンテデ、ナガナガくざむさェンダ。 ○あのように、温厚なようにみせても、あれで、言い出したとなると、おいそれと、後へは引かないよ。 ※コレァくざむさェワラシダ。タンゲェネシテオゲ。 ○こいつ、なまいきな子だ。いいかげんやめなさい。 なお、この「むさェ」は「あいつ、むさいつらしやがって……」などとも用いられるが、その場合は、「なまいきな」とか「一くせありそうな」とかの意味である。 その413 「ぐじュェる」 動詞。ぐじュェる。 これは珍しい方言だが、その意味は、「泣く・鳴く・さえずる」等にあたる。 幼児が、ねつかないで、泣くともわめぐともつかずに、駄々をこねる場合など、「ワラシァぐじュェデ、サダダ(困る)」という。 また、小鳥(ヒワなど)が友を呼ぶように「さえずる」ことをも、「ヒワコ、大へんぐじュェできた」という。 「飼っているうちに、大へんよくさえずるようになった」という意味である。 この「ぐじュェる」の語源は、おそらくは、「口授・口説・口移し」に関係があるにちがいない。 「る」は、例の動詞を作る活用語尾。 「ダニ・ゴダグ」が「ダニる・ゴダグる」となる。 その「る」である。 その414 「くじァうるげる」 成句。くじァうるげる。これは「くじァ」が主語、「うるげる」が述語で、つまり主語・述語の関係が、正しく成り立っているから、一つの短文ともいえるし、成句ともいえる。 「くじァ」の「ァ」は、例の方言の「ァ」で、(ただし、「じァ」と一音節に発音する)標準語の主格の助詞の「が」にあたる。 この方言の意味は、「口が、潤う」である。 「ふんだんに食べられる」こと。「食べるものに不自由しない」ということ。 ※リンゴツメネエゲバ、クジダバ、ウルゲルデァ。 ○リンゴを詰めに行くと、口はうるおうよ。(リンゴなら、いくらでも食べられる。)という意味。 ※ドガダノ「ナンベ」ヤテラジドゴデ、ヤグシテデデくじァうるげデラベデァ。 ○木工部屋の飯場(ハンバ)で、炊事係をしてるそうだから、身体に楽している上に、(楽な上に)ずいぶん口がうるおうているでしょうナ。 「ジドゴデ」は「……そうだから」。 「デラベデァ」は「……ているでしょうよ」となる。 このように、歯切れのよい、流ちょうな標準語には、とても訳されない。 語と語の順序や構文まで、全然ちがう場合が多いので。 「うるげる」の本元は、すべて物を水に浸した場合、水分を吸収して、「ふくらむ」ことである。 漢字の「潤ジュン」にあたる。転じて、物が豊富なことの意味となる。 「潤沢・贅沢・恵沢・恩恵」などの熟語の意味とも大たい同じ。 国語では「うるおう・めぐまれる・おごる・ふんだんに」等にあたる。 たくさん食べられる、ということを「くちがうるげる」という言い方は如何にも津軽の方言らしい。 残しておきたい表現の一つである。 「水に浸す」ことは、「うるがす」という。 「米うるがす」「小豆うるがす」あるいは容易に落ちないような、垢だらけの子供の足を、「湯コサ、ツトうるがしテオゲ」などともいう。 「お湯へ、しばらくひたしておきなさい」の意。 その415 「くじおがじね」 副詞的連語。くじおがじね。 これは「口を休ませずに」である。 「おがじ」は「おかず」で「おく」は、たとえば、筆をおく(擱く)の「おく」で「休める」こと。 ※コノワラシァ、くじおがじねクチャベルァネ。 ○この子はまあ、ひっきりなしに、ペチャクチャおしゃべりしているよ。少し口を休ませなさいな ※チョ、アサマカラ、くじおがじねモノクテラキャ、ハラエバネナタデァ。(おかみさんなど) ○今日は、(来客などで)朝から、ひっきりなしに食べていたから、おなかが「へん」になりましたよ。 このように、「おかず」は「おかない・休ませない」という、他動詞的な意味になっているのがおもしろい。 「休まない」ではない。「休ませない」である。 標準語の言い方の、例えば「そのことは暫くおい(措)て」とか「以上申し述べて筆をおく(擱筆のこと)とか、「何はさておいても……」とかいう、あの「おく」である。 方言とは言え、うまい言い方を考えたものだ。 口の役目は「言う」のと「食う」のとだが、「くじおかず」は、そのどちらにも通用できる。 「口おかずにしゃべる」「口おかずに食う」は、標準語の本場の東京では、どんな風に表現するか聞きたいものだ。 「のべつに」「間断なく」などでは、津軽人の著者にはどうもしっくりしない。 その416 「くじ(くンじ)」 名詞。くずこ(葛粉)・片栗粉のこと。 標準語でも、単に「くず」とも言うようだし、津軽でも、「くず粉」「かたくり粉」とも言うから、純然たる方言とも言いかねるが……。 しかし、次の例などはどうか。 ※ケヘェ、ワネくじエジゴケヘェ。(店先で) ○少し下さい、(わたしに)片栗粉一合下さい。 ※ネリゴミサ、くじアマリヘルジ、シギデナェ。 ○煮込みに、くず粉をたくさん入れたのは、嫌いだ。 このように、「くじ」とだけ言えば、なんとなく粗雑な言い方に聞こえるし、品位もなく、やはり地方語の仲間に入れたくなる。 「けへェ」は「下さい・くれなさい」の意。 「へる」は「入れる」の意。 「へ」は、どちらもH音で津軽方言のうちでもひどい言い方である。 店先で「ご免下さい・もしもし」とか、「少し下さいませんか」というのにあたる。 「け」「へ」の部で詳しく。 ▲「葛」は「かずら」と読むのが本来のもので、それを「くず」とも読むのにはわけがある。 この「かづら・かずら」は、蔓草の総称で、その根から澱粉をとる。 ところで、太古から、大和の国吉野川の上流地方を「くず」と呼び、その地方に、いわゆる「くず(穴居民族)」が住んでいたといわれるが、その地から産する「かづら」の澱粉が、最も良質であったので、そこの蔓草を、特に「くずかづら」と呼んだそうだ。 それを略して、単に「くず」ともいい、それが「くず粉」の「くず」となったというのである。 「ワラビの根が、凶作の年の貴重な食料であった」などと思い合わせて、かような山野に自生する植物の根などとは、原始民族の常食であったろうことは、容易に納得できる。 「くず」の名の由来については、以上の説をそのまま信じたい。 次に、「かたくり粉」について。 これも語源は、「かたこゆり」という、ユリ科の一種で、その「こ」の子音の「K」と、「ゆ」の母音「U」が「く・ku」となり「かたくり」となったもの。 「栗」の字は当て字らしい。 これも根から澱粉がとれるのは同じ。 その417 「くじしげ」 名詞。くじしげ。「くちすぎ」のこと。 「世渡り」「糊口」「口過ぎ」「生計を立てること」等に同じ。「物を口に食べて過ごす」の意味。 ※オヤジァテマドリシテモ、くじしげァヤットダ。 ○亭主が日庸作業していても、くうだけで一ぱいだ。 ※シヌダゲヘジナェバテ、ソカダナェデァ、コレモくじしげノタネダンオ。 ガマンシテヤルァセェ。 ○死ぬほど苦しいけれども、しょうがないサ。 これも暮しの種だものねェ。がまんして続けますよ。 ※オ浜ノ永吉ァ、ナマゴデ損シテ、ヨワシデモゲダ。 アンマリキビァエシテ、砂バラハケダキャ、マナグサ砂ハテ、今様ノ座頭コ、三味線一ツデくじしげァナラナェ。 テーンコテコ。(唄のはやし文句) ○大浜(小浜)の永吉という漁夫が、マナコを売って損したが、イワシの商売で大儲けをした。 あんまりうれしくて、砂原をかけ廻ったら、眼に砂が入って、たちまち今様の座頭になった。 三味線一つ持って廻って歩いたが、なかなかグチスギがめんどうだ、テーンコテンコ。 というような意味。 その418 「くじつもる」 成句。くじつもる。これは、「口を積る」という意味で、食べるものを減少することである。 「積る」という語は、「勘定する・計算する・見積る・見積書」などの「つもり」で、「口をつもる」となれば、ケチな人が、食料について、かれこれと、細かく口やかましくいうことである。 この言い方も、なんとなく郷土にふさわしい気がする。 ※シゴドナンボサヘデモエエャ、くじつもらエレバ、ワガェモンドダバ、エジバンサダダベオン。 ○仕事はいくらさせられたっていいサネ。 たべものを制限(軽微・不足・粗末)されたんでは、若い者たちには、何よりも困る(つらい)でしょうよ。 ※アオエンタオガサマデデ、ワガェモンドノ、くじつもッテマナェジァネ。 アンマリシンボダオナ。 ○あんなにいい奥さまのようで、借子(奉公人)たちのたべものが悪くて、いけないんだとサ。 倹約を通りこして、シミッタレなんですねエ。 「つもる」は、このような言い方の外に、いい意味にも用いられる。 例えば、「少しつもッて植えろ」といえば田植女達に、もう少し、苗の本数を不足にして植えろ、ということである。「つもりァない」は、「程度がない」とか「無計画・無謀」だの意。 「見積り」は、「目で計る・加減する」というような意味にもなる。 「くじつもる」は、家計をひきしめる、ということの、度を越したもの。 その419 「くじめぐ」 動詞。ぐじめぐ。 意味は、ブツブツ不平をいうこと。 目下(めした)の者へ小言(こごと)をいう場合。 目上(めうえ)の人に対して、不平不満の意をもらす場合。 また、目下・目上の如何を問わず、すべて自分の意に満たない何かある場合に、独り言にも似たような、大部分口の中だけで、ブツブツ言う、そんな時、津軽ことばでは「くじめぐ」または「ぐだめぐ」という。 ※ツゲノシ、カカネカテ、ウッテぐじめがエダ。 ○次の日、妻にうんと叱られた。(たしなめられた) これは、悪酔いして失態を演じた亭主が、翌朝正気に返ったところを、おかみさんに、サンザン強(コワ)意見をされた、というのである。 ※オヤジノぐだめぎァオコナェドゴデ、アニァ、コノゴロ、サゲノムジ、ヨッポド、カゲンシテキタ。 ○親父の小言(意見・お説教)が恐いから、長男はこの頃、酒を飲むのを、だいぶん遠慮してきたよ。 ▲「くじめぐ」の語源について。 まず「めぐ」は方言の「ウンジャメグ」「ガサメグ」の「めぐ」で、標準語の「春めく・うごめく・ときめく」等の「めく」にあたる。 動詞性の接尾語である。 次に、「ぐじ」は「ぐず」。 旧仮名づかいでは「ぐづ」、漢字の「愚図」をあてる。 この「ぐづ」は、本来は「くつ・くづ」であるが、卑罵の語として用いるようになって「ぐ」と濁った。 たまたま漢字の「愚」が、音も意味も似ているところから、それをあてて「愚図」となったもの。 さてその「くづ」は「くだける・くづれる・くづ(砕・崩・屑)」の「づ」で、それが「くどくど」「ぐぢぐぢ」「ぐづぐづ」など、「ダ行に」活用し、または他の品詞に転成して、たくさんの、同族語を生み出した。 そのうち動詞の例だけをあげてみるが、例えば、「ぐぢぐぢする」「ぐづぐづして」「ぐづつく」「ぐづる」(ぢ・づ=じ・ず)等さかんに用いられる。 津軽方言では、その外にもう一つ、「ぐじめぐ」という「動詞」の言い方を発明?したというわけである。 標準語よりはるかに適切な語であると、著者は信じている。 方言辞典には、「くずめく」愚痴をこぼす。ぶつぶつ言う。 青森県。「くずまく」不平をいう。愚痴をいう。 むりをいう。仙台・福島・福井県大飯郡・奈良県宇陀郡。とある。 その420 「くじやね」 名詞。くじやね。かや(茅・萱)で、葺いた屋根。 語源は「くづ・葛」(既出)で「くさや・草屋」の意。 「草家・草庵」「草のいおり」等の名称が、現代でも言われるように、上古は、枯草で屋根を葺いた「かや」は、「ちがや・すすき・すげ」等の総称であるが、この「かや」などで葺いたのは、多少進歩したものであろう。 それから、藁、木の皮(例えば、キハダブキ等)、板、柾(マサ)銅、トタン、というように変わってきた。 (耐久・耐火のことも考えて)ところで、「くずやね」は古い称呼であったのが、今では、「かや」で葺いても、田舎の方では、古い呼び方をそのまま用いているわけである。 したがって、「ぐずやね」は方言というほどのものではない。 中央語に対して地方語とでもいえるか。 ※アコダリァ、ジュックド、くずやねバエダドゴデ、「ツダ」タキャ、ナモ、ドシコトモカシコトモ、ナナェデエタネ。 ○あのへんは(あそこあたりは)、そっくりカヤ葺きの家ばかりだから、「火がついた」と思ったら、もうどうにもこうにも、手のつけようがなかったよ。 (消防夫たちの話など)。 津軽のことばTOP |
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