[連載]

  421 ~ 425       ( 鳴海 助一 )


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その421
 「くじもじて(ぐンじもじて)」
 連語?。ぐンじもじて。
多くは「ぐんじもじして」と繰返して用いる。
「ぐんじ」は「ぐじめぐ・ぐじやじ」の「ぐじ」「もんじ・もじ」は、例の単なる語呂上の繰返しであろう。

意味は「くじめぐ」とやや似ているが、これは、副詞のように用いるので、別に一語として取上げてみた。用例は次の如し。

※サキタカラ、「ぐンじもじして」グジメデラ。
○さっきから、ブツブツ不平を言っているゼ。

※ぐんじもじして、シゴドナンモサナェデ……。
○ブツブツ不平ばかり並べて、ろくに仕事もしないで……。

やはり、普通の「愚図々々」が本元であろう。
態度の上にも、つまりギ態語としても用いる。
だから、「引込み思案」「ためらう・逡巡」「右コ左ベン」等の意味にもなる。



その422
 「さがびら」(1)
 名詞。さがびら。「が」は普通濁音。
これは「坂平・さかびら」で、「傾斜地」のこと。
崖や坂道とは少しちがう。ひらたい傾斜地のことにいう。
しかし時としては、狭い場所や土地の場合にもいう。

※コゴァさがびらデ、アンジマシグナェデァ。
○ここは、傾斜になっていて、座り具合がよくないゼ。
 これは例えば、花見などに出掛けた場合、あっちこち、休み場所をさがし歩いて……七、八人も車座に座るに都合のよいところ……見晴らしのきくところ、汚らしいところはダメ、人通りがあんまりあってもうまくない、適当に芝生もあって……というわけで、いよいよ見つかって、さて円くなって座ってはみたが。
……どうも座り具合がよくない。
地面が「カシガッテイル」からである。
つまり傾斜になっている。そんなとき、田舎の中年以上の人たちは、「さがびらで……」という。

※オラェノハダギァ、ミンナさがびらダドゴバエダドゴデ、ハシゴァカシガテ、アブラェシテ……。オマェダジァ、キツケデケヘヤ……。
○うちのリンゴ畑は、全部「傾斜地」ばかりだから、ハシゴ(段ハシゴ)が、ぐらついて(傾いて)危なくて……。あんたたち、気をつけてくださいね。
 これは主としてリンゴの袋掛けの場合のこと。
山畑は、すばらしい質のいいリンゴが生産されるが、それだけ苦労もする。肥料や薬剤等の運搬から、収穫の取り入れやら何やら、平地に比べて、容易のわざではない。
その外にこの袋掛けの作業や、リンゴの採取作業など、またまた一苦労である。
特に袋掛けの場合は、大人数で一斉に取り掛かるので、なれない女子どもたちも居るのに、そうそう新調のハシゴばかりも準備できないので、たまには、グラグラしたのも二、三丁は混じっているかも知れない。
毎年のように一人二人はケガしたりもする……というわけで。
雇い主を初め家の者たちは、それも一つの心配事で……そこでそこの家のおかみさんなどは、口ぐせのように「……さがびら、気つけてくれ……」と頼むのである。



その423
 「さがびら」(2)
▲「さがびら」は「さかびら・坂平」の意味であるが、その「さか」と「びら」について少々。
 まず「さか」の語源について。
1.「シナカ・級処」というのが本居宣長の説。
2.「サカ・峻所」というのが飯田武郷の説。
1の「シナカ・級処」には「ダンダン・段々」の意味があり、「峻」は「けわしい」こと。
どちらとも決し難いが、筆者思うに、あるいは「さかし」(けわしいこと)という形容詞の下略の「さか」ではないかと。
しかし、その「さかし」の本元は、やはり2の「サカ・峻所」だということになるが。
 次に、「ビラ」は「ひら」で、「ひらたい」「ひろい」「はら・原」「はら・腹」などとも、同族語らしい。
津軽の「しら」というのも同族語。広く平坦な土地ということ。
そこで、「さがびら」は大たい「傾斜地」ということになる。



その424
 「さがし」(1)
 形容詞。「が」は普通濁音。これは「かいこい・賢」「りこう(利口)だ」「おとなしい・温順」などに当たる。

※アノフトァ、ツサェカラさがししテエタケァ、ヤッパリ、エフトネナタネナ。
○あの方(人)は、小さい時からかしこくてあったがやっぱり、りっぱな人(識見・人格)になりましたね。

※「ワラシァさがしバ、ウシァウエナェ」テシァ、ホントダネナ。
○「子どもがあんまりコザカシケレバ、牛が売れない」というタトエがあるが、ほんとうですねェ。

※アンマリ、エゲじゃがしドゴデ、ダンモシギガナェンタデァ。アノフトダバ…。
○あんまりコザカシイから、誰もすきがらない(いやがる・好まない)ようだゼ。あの人を…。



その425
 「さがし」(2)
▲「さがし」は「さかしい」で、古代語の「さかし」である。
この「さかしい」と「かしこい」の語源について、かんたんに述べておきたい。
 まず、「さかし」の「さ」は、「すすむ・進」「さむ・覚」「しる・知」等に通じ、「さとる・さとし・さかしり」等と同じで、歴史的には、「かしこし」よりも古くかつ、いわゆる「利発・利口」の意味の語として根本的なものである。
 次に、「かしこし」は、周知のように、「恐し・畏し」が本来の意味で、「おそろしい・おそれる」である。
昔から「さかしい」人は、他に「おそれられる」。
すべて人間は、普通以上の力をもっているものに対して、「畏敬」の念をもつ。
神・天・自然・偉人・知者・勇者はもちろん、鬼・魔・怪・妖その他。
 要するに、「かしこし」を「賢」の意とするのは、第二義的のものであり、その本義は、現在の「さかし」が近世以後、次第に地方語のようになり、今はただ、「こざかしく振る舞う」などの「こざかし」などに、その名残を止めているだけだ、というわけである。



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