[連載]

   41 〜 50       ( 鳴海 助一 )


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◆その41
 「あんじまし・ あじまし」(2)

 次に、語源について、簡単に述べてみよう。
 △@吾妻(東)。A味。B安心。@Aは他人から聞いた説。Bは確信はないが私の考えである。

 @は「東国」を「アズマ・アヅマ」と、昔から呼ばれてきたが、その「アヅマ」が語源であろうというのである。「アヅマ」の語源は、古事記等の記 事による。有名な日本武尊が、妻の弟橘姫が尊の難を救わんがために入水したのを、他日、同じ海上を眺めて、今は亡き愛妻を偲んで「吾妻はや」と歎かれたと いう故事に基ずくものとされている。古事記の原文は「阿豆麻波夜」とあり、海は、今の東京湾の浦賀海峡である。尊の東征は事実だとしても、このことばに よって、東国一帯を「アズマ」というようになったと説くには、なっとくしかねる。「アヅマ」は「彼端アヅマ」であり、遠くの国のはて(はし)のこと で、尊の時代以前からの呼び名であったと思われる。古事記伝の説は、いわゆる地名の説明説話であるから、にわかに信をおかれない。また「彼端」の意味の 「アヅマ」が「あじまし」の語源だという説にも、今の私には賛成しかねる。
 Aの「味」は、一理あるとも思われるが、なお考慮の余地がありそうだ。形容詞成立の種々な例を考えてみると「あじ」と「あじましい」は、関係あるやにも思われるが……。
 Bは全く私見であり、十二年ばかり前に、何かに公表した記憶もあるが、なにしろ古文書等の用例もみつからず、全国の他の方言中、似たことばもないし、ただの一私見にすぎないが、いささかその経路を述べてみることにする。

△まず「あんじまし」の意味が、結局標準語(実は漢語であり仏語である)の「アンジン」が、アンジマシの本元であると結論した。それまで到違した理由と資料を、箇条書きに並べると次の通りである。(詳細は別な機会に)
@意味は安心がもっとも近いこと。
A安心に似た仏語に、執心という語があること。
B源氏物語のしふねしの語源は「執念」である。
C安心もあんじしと活用して、形容詞化する。
Dあんじます(案じまわす)と比較してみる。
E「かっちゃまし」と「かっちゃます」との比較。
F形容詞成立の諸例を考え、これに結論を与える。



◆その42
 「あんじまし」
 動詞。あんじまし。案じ廻わす。考えてみる。思い出してみる。前の「あんじまし」は形容詞であり、これは熟合動詞であって、意味も語源も、アクセントも皆ちがい、全然別のことばである。ただ、文字面だけは似ている。

@あんじまし=形容詞=気持がよい=安心
Aあんじまし=動詞=考えてみる=案廻

※ドゴチャワシエダバヘ、あじましテミナガ。
○どこへ忘れたんですか、思い出してみなさいよ。

※トッコドあじましてテミダドゴデ、ヤッパリ、コートガッコサヘルコトネ、ハラキメダデァ。
○とっくり、いろいろ考えてみたら、やはり、次男を高等学校へ入れることに、決心がつきました。

※あじまヘバあじましホド、バガクサェシテ。
○思い出せば思い出すほど残念で。(夫の戦死など)

※ダェサカシタガサナンボナンデモあじまさェナェ。
○誰に貸してやったか、どうしても思い出されない。

△語源は「案じ廻す」であるが、なかなか妙味のあることばである。標準語的な言い方に、「思いめぐらす」「考えめぐらす」「思いはかる」「考え及ぼす」等 があるが、それらの言葉の意味を、そっくり含んでいるのである。単に「考える」というのとは大いにちがう。かの部に出てくる次の語

@かッちャまし=形容詞=ゴダゴダ・複雑だ。
Aかッちャまし=動詞=掻き廻す(机の中など)

 この二つのことばと、前の二つとは、形が似ておって、意味が違う点で、津軽方言中、もっともおもしろい対照をなしている。



◆その43
 「あんつことだ」
 形容動詞。あんつことだ。不安だ。恐ろしい。気にかかる等の意味。前の「あれァなェ」とだいたい同じ。

※カミナリァナテ、オジルガドオモテ、あんつこどでエタデァ。(雷鳴・落雷のこと)
○神鳴サマが鳴って、落ちるかと思って、大へん心配したよ(こわくてあった)

※ノハラサシタェデ、あんつこどがテ、ケサネェデソノママネゲデエタ。
○子供等が、野原に火を焚いて、(だんだん燃えてくるので)おっかなくなって、消さないでそのまま逃げていった。

※ヤマサエテ、マゴマゴヘルウジネ日ガ暮レルドユ、ズンブあんつこどでアッタェ。
○山へ行って道をまちがえて、うろうろしているうちに、日が暮れるという(腹が空きるのに)ずいぶん不安であったよ。(津軽の人は、不安・心配・危い等を一緒にして、「オッカナイ」ともいう)

△語源は「案じ事」であろう。「心配ごと」も同じ。案じ事=動詞と名詞。それが更に形容詞ともなる。案じこどがる=動詞。



◆その44
 「いだこ」
 名詞。いだこ。ミズスマシ(水澄まし)のこと。水中に住む小さな甲虫で、流れる水面にも止まっている。水の上にも、好んで遊び回っている。幼い子らにすくわれて、おもちゃのバケツやたらいの中で泳ぎ回っている様子はかわいいものである。

※ナドァジャコトッタナ。マダナンモトナェデァ。いだこドウルメェコバレカガテ。アラ、オラダキャエッピギトッタェ。
○お前たちザッコとったかェ。まだなんにもとらないよ。ミズスマシとメダカばかりかゝって。あら、おら(れ)たち一ぴきとったよ。

※いだこエルドゴァ、ジャコァツエルモンダェ。
○ミズスマシの泳いでいるところは、たいてい雑魚(フナ・ナマズ)がいるものだよ。(釣れる)

 夏のころ、ザルや小網をもったハダカの子らが、村近くの田堰小堰(タゼキコゼキ)で遊んでいるのをみかける。えものを入れる空かんコを持たされ た小さい子は、五つか六つか、危なげに蛙を歩いてついて行く……。まるで土の子のように、永い日が暮れるのも忘れて遊んでいる……その時の彼らの会話の中 に出てくる「いだこ・ウルメェコ」は、如何にも津軽の野づらにふさわしい。その純朴な、調和的な響きは、そのまゝ肥えた黒土へ融け込んでゆくようだ。教科 書では、ミズスマシ・メダカと読んでほめられても、たんぼで遊んでいるドロンコの口からはやはり「イダコ・ウルメェコ」とでてくるらしい。

△さて、この「いだこ」は、どういうわけでこう呼ぶようになったか、語源はなにか。古老に聞いても、幼少の頃もやはり「いだこ」だったそうだ。おそらくはよほど昔からの呼び名らしい。これの語源について、私のたどりついた、あいまいな結論を次に。

 まず、水に関係あるものとして、「潮來」の地名を考えてみる。茨城県行方郡の湖来村は、「いたこ節」の俚謡であまりにも名高い。この「いたこ」の古い地 名は、「板久」であったそうだが、この地方の方言では、「潮」を「イタ」というところから、水戸光くに公が、海の潮が來る意味の「潮來」と書いて、「イタ コ」と読ませたのだという。この「イタコ」と、津軽の「いだこ」と関係ありそうだ。もう一つ、それは「ミズスマシ」の方言か、別名かに「渦巻」という称 名があるということである。潮流が集まるところは渦巻きができる。「水澄まし」という虫は不思議にも、水の上を渦巻状に(旋回)に泳ぐ。前述の如く常陸の 方言では「潮流」を「いた」というそうだ。そこで結局、「いだこ」の語源は、潮の渦巻き、潮来、常陸方言の「イタ」ではなかろうかと、考えたいのである。 太古には東国一帯にあったものが、今は津軽の「いだこ」、常陸の「イタ」とだけが残っているのだと。一説には「市子虫」なりともいう。なお後考にまつこと にする。



◆その45
 「いだこ」(1)

 名詞。いだこ。これは「みこ(巫女)かんなぎ」のことである。「みこ」は「神子・カミコ」であり、「かんなぎ」 は、「神寿・神禰宜・神和ぎ・カミネギ・カミナギ」であって、いずれも、神に仕える女性のこと。神にお願いする、神の心をなだめる、神の心を和らげる 等のことは、如何にも女性にふさわしい務めである。ところで、例えば上古京都の賀茂神社に奉仕した「斎院」といえば、未婚の皇女が厳選の末にこれに当たら せられたもので、その他全国各地の神社には、かならずこの「みこ」がおったという。これが民間信仰と結びついて、いわゆる「カミサマ」なるものが出現する のである。「いだこ」もそのたぐいであるが、今詳説する暇もないし、その必要もなさそうだから省略する。ただ「いだこ・カミサマ」を中心とする、田舎の信 仰思想がなかなか根強いものがあるのは、上代から神仏に奉仕したこの「女」の勢力の名ごりであるということはつけ加えておきたい。

※アス、オラェデ「いだこアシバヘル」ハデ、バサマナンアカダ、キグネキヘヤ。─オヤオヤ、ドゴノいだこネヘシタバ。─ン。コノタビァ、ムラノネヘシタデァ。
○明日、私の宅でいだこ(カミサマ)遊ばせるから、おばあさんかならず来て下さいね。─ああそうですか、どちらのいだこ頼みましたかね。─はい、このたびはこの村のいだこにお願いしましたよ。

 信仰するものとしては、「~や佛」が、何を考え、何と言うかは、何よりも知りたいところ、聞きたいところである。それを「いだこ」が、語って聞かせるというのだから、これはありがたい極みであろう。
 今年の世の中(田畑の作柄)・火事のあるなし、大風・大水・コレラ・赤痢、それから、五つで死んだ子供、なくなった亭主、二十年前に死んだマゴ婆、ケ ンカして別れて、今は死んだという、もとの嫁等々、それらが皆、目の前に現れて口を言うのだから、なにをさておいても行かねばならない。どうしても行かれ ない場合は、あとで、行った人から「また聞き」する。それでも、ンダンダ(そうだそうだ)といって涙を流すのである。



◆その46
 「いだこ」(2)

 △「いだこ」の語源もはっきりしない。やはり「市子・イチコ」かも知れない。「チ」は、同行の変化で「タ」になる から、この「市子」が「イタコ」と転音したのか。「いだこ」は、かならず、「クジュシュ」おろす時は、せなかに、何か包んだ細長いものを背負うのである が、その恰好から、何でも背後に斜めに背負うことを「市子背負い」という。「クジュシュ」は、いわゆる「口寄せ」のなまった言い方である。「口寄せ」 は、巫女が、神仏の代りに、またはそのものとなって「託宜」することである。
 ついでに「いだこ」のお話しを一つ紹介する。
 ある部落で「いだこ」を遊ばせた。「いだこ」は近隣近郷でも名のある高徳の尊者?時は旧暦ツメ(十二月)の十五日とか。広い座敷には善良な老農婦たちが ギッシリ。夜になっていよいよ「いだこ」の声は冴え、恰も神霊そのものの如く、弓の音は、恰も天国の妙音の如く……第何人目かの「口寄せ」が終わる。  待ち構えていた一人のオガサマ、
「コンダ、オラェノスモオロシテケヘジャ。」といった。心得たりと、「いだこ」はおもむろに弓の絃をたたいて曰く「……十人すぐれた器量よしデ─、村 一番の力もちデ─、村の祭のカグラ相撲でもアレバ─、三人抜きでも五人抜きでも、勝たない時はないほど強いヤ─。父の喜び─、母の喜び─は、何にたと えるものもないじゃ─……たちまち無常の風に誘われで─、十九や二十の花の蕾みを散らされで─、父や母をこの世に残して……」と。するとクダンのオガ サマ「アレアレ。オラェノジァ(私の男の子は)四ツで死ンダンデシジャ?」と叫んだ。その時「いだこ」は少しもあわてず、「オガレバヨーオ ガレバヨー」と。「大きくなれば、そのようになるとですゾェ─。」という意味。
 田舎では、わんぱく盛りの男の子は、四・五才でも「スモ」という。さすがの「いだこ」も、力の強い若者だろうと早合点したもの。



◆その47
 「いぬにみしかへだ」

 連語。いぬにみしかへだ。津軽の「たとえことば」の一つ。「犬に飯を食わせた」というのだが、犬は多く食べなくとも、そんなにやせないし、いくらたべても、そんなに役立つとも見えないところから、「無駄」なことをした、「骨折り損」をしたというたとえに用いられる。



◆その48
 「いぬのへどごまみそ」
 連語。いぬのへどごまみそ。同前。「犬の屁とゴマ味噌」だから、これは非常に、話しなどが諄い(クドイ)ことの比ユ。



◆その49
 「いぬさぶッつけるつじもない」

 これは「語」でなくて、一つの短文であり、やはり田舎の諺(コトワザ)である。一坪の土地もない人。また極度に落魄(ラクハク)した、つまり、おちぶれた者の状態をいう。自分でそう言うこともあるし、他人からそう言って罵られることもあろう。(陰口などでも然り)



◆その50
 「いぬどわらしァいだェうじなぐ」

 諦めの悪いこと。いつまでもダラダラと、諦めくくりがつかないこと。妙に癪に障ることを、相手に故意に続けることなどの比ユであろう。犬と少童(ワラシ)は、痛いうち泣き続けるというのである。



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